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万年筆と宝石  作者: 安井優
四つ目の扉 大聖堂

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4-18 自分への言い訳

「ディーチェさん、少し落ち着かれてはどうです」

 呆れたような声に、ディーチェはせわしなく動かしていた足を止める。精一杯に強がりを浮かべたスカイブルーの瞳を向ければ、トーマスは苦笑した。

「まだ出発までは、時間もあるのでしょう」


「わかってるわよ」

 ディーチェは少しばかり緊張で上擦った声を誤魔化すために、いつもより端的に答えた。意地を張る必要などないが、あいにくと、ディーチェはこれ以外、自らの守り方を知らない。


 ロンドの時計塔が先ほど知らせた時刻は十時。

 ブッシュまでは鉄道を乗り継いで一時間ほどだから、少し早く出るにしたって、まだまだたっぷりと時間はある。

 ――わかっている。


 だからこそ、心を少しでも落ち着けようと書庫へ来たのだ。しかし、結果は言わずもがな……どの本を手にしてもちっとも身が入らず、ディーチェはただ書棚の前を行ったり来たりする羽目になった。

 しかもそれを、トーマスに見られる始末。


「そっちこそ、何しに来たのよ」

「参拝者の方から、探してほしい本があると頼まれたので」

 トーマスは(つや)のある黒髪を耳にかける。

「特別な本だったので、大聖堂ではなくこちらの書庫にお邪魔したんですよ」


 ディーチェにも周囲の魔女と変わらず接してくれるこの聖職者の男が、ディーチェは嫌いではなかった。

 魔女協会ともつながりのある大聖堂の人間、ということもあるが、メイやアリーと幼いころからの友人であることが心象をよくしているのかもしれない。


 もちろん、両親でさえ信じられなくなってしまったディーチェからすれば、人間のことは怖いし、トーマスもその例には漏れないのだが――なぜか、嫌いになれないでいる。

 物静かで、落ち着いていて、誰にでも分け(へだ)てなく優しい、まさに聖職者の(かがみ)のような人。


「後で、お茶を入れましょう」

 トーマスは書棚に視線を向けたまま、穏やかな声でディーチェに語りかける。

「先日、メイが新しい茶葉を仕入れたんですよ」

 ディーチェが相槌(あいづち)を打とうがうたまいが関係ない、という風に話を続けた。


 トーマスは一冊の本を書棚から抜き出して、軽くその表紙をはたく。ずいぶんと古い本のようで、ふわりと本から(ほこり)が舞った。

「何の本なの?」

 ディーチェが物珍し気に覗き込む。トーマスはそっとその本を差し出した。


「カテドラル・ベリーの歴史?」

 かすれた白字を読み上げ、ディーチェは首をかしげる。


「この聖堂の起源について書かれたものです」

「大聖堂じゃなくて?」

「えぇ。セントベリー大聖堂になる前の、ちょうどこの場所の話です」


 ディーチェが知らないわけだ。普段、物語しか読むことがないディーチェは、伝記や史実を書いた本には手を出さない。

 魔女のことが悪いように書かれていたら、と思うと怖くてページをめくることすらままならないからだ。


 ディーチェの関心が失われたと分かり、トーマスは自らの(ふところ)へと本を戻す。深緑色の表紙についた(ほこり)を再び軽く払い、トーマスは「それにしても」と独り言のように声を漏らす。

「珍しいことがあるものですね、この聖堂を知っている方がいらっしゃるなんて」


 何気ない一言が、やけにディーチェの胸に引っかかった。

 ここは、魔女協会の本拠地。もしも、大聖堂の人間と、軍の人間以外にそれを知る人が現れたら、この場所はどうなってしまうのだろう。

 そんな風に警戒をしてしまうのは、ディーチェの考え過ぎだろうか。


「その本には……魔女のことも書いてあるの?」

「いいえ。なぜこの聖堂が建てられたのか、誰が建てたのか、そういったことが書かれているだけですよ」


 ディーチェの気持ちを察したのか、トーマスは極めて柔らかな声色で告げた。安心させようとしていることが分かる、そんな優しい声で。

「歴史がお好きなのでしょう。新しいものより、古いものに興味を持つ方もいらっしゃいますから」


 ふっとディーチェの頭をよぎったのはメイのこと。

 以前、メイがそんな風に言っていたような気がする。トーマスとメイは昔から仲が良かったと聞くから、二人が似たようなことを言うのも当たり前かもしれない。


 ディーチェがそんなことを考えているうち、聖職者らしい中立な言葉を残したトーマスは「では、また後程」と一礼して去っていく。

 肩までかかろうか、という男性にしては少し長い黒髪が揺れた。


 どうして、メイのことを考えてしまったのだろうか。彼女は全く関係がないというのに。

 ――関係がないのに、結びつけてしまうなんて。

 ディーチェは自らの頭をよぎった一瞬の考えに頭を振る。


 トーマスとメイが仲の良いことは知っている。二人の過去など知らないが、ユノとマークのように、互いに並々ならぬ思いを抱いていることも。

 それを(うらや)ましい、だなんて。


(思ってなんかない……。そんなわけ、あるはずないもの)


 人間と仲良くしていることが(うらや)ましいなんてことは、絶対にありえない。

 でも、それじゃぁなぜ? ディーチェの心がモヤモヤとしてしまうこの気持ちの正体は一体なんだと言うのだ。

 ディーチェは、腹立たしげに眉をひそめ、なんなのよ、と書庫の床を蹴り上げた。


「きっと、緊張してるんだわ。だって、今からあいつらの……敵のアジトに潜入するんだもの。当たり前じゃない! でも、大丈夫よ。ジュリの魔法だってあるし、べ、別に怖くなんかないわ!」


 誰に言うでもなく少しばかり大きな声で虚勢を張って、ディーチェは小さくうなずく。そうして自分自身に言い聞かせなければ、何もかもが崩れてしまいそうだった。


 今回の作戦は、メイの見た夢の通りに動かなければならない。せっかくの未来が変わってしまうから、と普段温厚なメイからも再三注意を受けた。

 未来は、刻一刻と変化する。だからこそ、夢は、あくまでも夢。その通りに動いてこそ、初めて未来が完成する。


 ディーチェだってそれくらい分かっている。

(大丈夫なのに。みんな子供扱いしすぎよ)

 彼女はふてくされながらも、メイを困らせまいと、今朝も良い子の返事をしたばかりだった。


 地図だって何度も見返したし、夢の内容だって、何度も何度も反復した。おそらく、ジュリよりも正確に動ける自信がある。

 ジュリは昨晩も遅くまでどこかへ出かけていたようだし、今朝もまだ姿が見えず――ディーチェからしてみれば、ジュリの方が大丈夫なのか、と心配なくらいだ。


「ブッシュに着いたら、まずは裏口へ回って……それから正面を突破。階段を上がって、すぐ右の部屋に。ジュリがドアを開けたら中へ入って三番目の書棚に」

 いいながら、ディーチェは書庫の三つ目の書棚にするりと体を(もぐ)り込ませる。


 あとは、青い背表紙の、一八三二、ビーと書かれたファイルを取って、新聞のページを開いて魔法をかければ終わりだ。

「簡単じゃない」

 大丈夫、大丈夫。ディーチェは呪文のようにつぶやいて、やはり、本番をイメージしながら書棚の青い本を一冊抜き取った。


 トントン、と軽く書庫の壁をノックする音がして、ディーチェは本から視線を上げる。

「少し、落ち着かれたようですね」

 不思議とあたたかな漆黒の瞳がディーチェをとらえ、ディーチェの手が無意識に本を強く握りしめる。


「お茶にしましょう。メイが入れてくれたんですよ」

 トーマスは、ふ、と花がこぼれるような美しい繊細な微笑でディーチェを呼んだ。


 胸を突くような、この痛みは一体――

 ディーチェは「わかったわ」と小さく返事をするのに精いっぱいで、本を書棚に戻す手が震えた。


(緊張しているだけよ。だって、今日は、敵のアジトに潜入するんですもの)

 自分への言い訳をもう一度胸の中で呟いて、ディーチェはトーマスの方へ足を向ける。


 失敗したらもう、とそんな予感がディーチェの胸をよぎった瞬間、

「可愛らしい顔が台無しですよ」

 トーマスにそんな風に言われて、ディーチェの顔に熱が集中した。


「からかわないでちょうだい!」

 ディーチェは足早に、トーマスの前を通り過ぎる。


 ――失敗なんてしない。また、ここに戻ってくるんだから。


 後ろからディーチェを追いかけるトーマスの足音に、その思いを重ねて、ディーチェは前を向く。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 54/54 ・どの本を手にしてもちっとも身が入らず、ディーチェはただ書棚の前を行ったり来たりする羽目になった。  これに共感 [気になる点] まさかの、ラブ! [一言] 心❤︎が動いて…
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