4-12 出来る最善
ユノは、ジュリが連れてきた男の姿に驚きと困惑、そして不安を隠せなかった。
彼女の後ろにいた青年には見覚えがあり――それは先日、マークを迎えに来た水上機のパイロット、エリックだった。
エリックも、ユノの姿に気づいたのか小さく会釈を一つする。
「あら、ユノちゃん。ちょうどいいところに」
ジュリは「アリーを呼んできてちょうだい」とユノにウィンクを飛ばす。
ユノはいつも通りに振舞ってはいるが、エリックの存在のせいか、緊張はぬぐえない。
ジュリが「司法裁判官が動き出した」とユノに告げたのはつい一週間ほど前のことで、エリックと司法裁判官の噂は嫌でも結びついてしまう。
そんなユノの緊張をほぐすように、トーマスは意識的に、いつもより大げさに笑って見せた。
「私が行きましょう。ついでにお茶も用意してきます」
でも、とユノが困惑するよりも先に、トーマスがエントランスホールを抜けていく。先ほどまで大聖堂で仕事をしていたはずなのに、トーマスはアリーがどこにいるのかも知っているようだ。迷いなく歩いていく足取りに、ユノも今更後を追うことは出来ない。
ユノがトーマスの気配りの細やかさに驚いていると、
「お言葉に甘えましょ」
すっかりトーマスに甘えることを覚えてしまったジュリは、気にする様子もなく、礼拝堂へと廊下を進む。
すっかり応接室のようになってしまった礼拝堂を、エリックは興味深そうに眺めた。
「そういえば、エリックが魔女協会へ来るのは初めてね」
「大聖堂に魔女協会があるとは聞いていましたが。まさかこんな場所があったなんて……」
軍人の性か、壁や床、採光用の小さな窓を見つめて、エリックは神妙な面持ちで呟く。
「隠れるにはうってつけ、といったところでしょうか」
「攻め込まれたら終わり、と言いたいのね?」
「いえ……そういうわけでは……。いや、そうなのですか?」
ジュリの返答が意外だったのか、エリックが目を丸める。自分が言い出したことなのに、まるで想定していなかった、という表情だ。
「冗談よぉ! 攻め込まれることなんてないし、いざとなれば、逃げ道も、逃げる手段もあるわ」
ジュリがおどけると、エリックはようやく安堵の息を漏らした。
「そもそも、ここへご招待するのは、ワタシたちが認めた人だけだもの。後は、どうしても仲間にしておきたい人とかね」
ジュリの言葉は、後半にこそ含みがあったが、エリックの気分を上げるには十分だった。エリックは、照れたようにサッと目を伏せる。
ユノは、エリックの思いにまさかジュリが気づいていないわけではないだろうに、と思いつつも、そんな彼を受け入れているジュリに胸が痛む。
パイロットの彼を愛していたジュリは、今、どんな気持ちで目の前のエリックと接しているのだろうか。
――それも、同じ愛情を向けられて。
ユノのそんな思いを知る由もなく、ジュリとエリックは何気ないやり取りをいくつか交わす。
それこそまるで、恋人のように仲睦まじく。
アリーが声をかけるまで、二人の会話は途切れることはなかった。
「珍しいお客様ね」
「アリー、待ってたわ。こちらは、エリック。空軍中尉のパイロットよ」
「ユノの島まで、マークさんを迎えに行ってくださった方ね」
アリーはユノにチラリと視線を送ったかと思えば、すぐにその瞳をエリックに向けた。
エリックは、アリーの美しさに目を奪われているようで、トーマスがお茶を注ぐ音の隙間に、ごくん、と息を飲む音が聞こえるほどだった。
「……初めまして、空軍中尉のエリック・ブラウンです」
エリックは軍人らしい敬礼を一つ。ジュリでさえ見たことのない緊張ぶりだ。アリーを見ては無理もないが、いつもより上擦った声に、ジュリは思わず吹き出してしまった。
「ジュリ、失礼よ」
「ごめんなさい。普段のエリックからは想像が出来なくて。今日は、話題が話題だから、緊張もしてるんでしょうけど」
アリーの厳しい視線をジュリは軽く受け流し、エリックへ絶妙なパスを出す。
「何かあったのですか」
アリーのプラチナブロンドの髪がサラリと揺れる。エリックの前に腰かけて、その神秘的な瞳をまっすぐにエリックへと向けた。
「司法裁判官のことで、お話が」
エリックも、ジュリが緊張を笑い飛ばしてくれたおかげか、いつもの調子を取り戻し、ようやく本題を切り出した。
「以前から、グローリア号の事故について、司法裁判官から資料を提出するよう軍に要請があったんですが。その後、少々面倒なことが」
「面倒なこと? あれからまだ一週間よ」
怪訝な表情を浮かべたジュリの前に、ティーカップがおかれ、ふわりとダージリンの香りが漂った。
トーマスもユノの隣へ腰を下ろして、カップに口をつけながらエリックの話に耳を傾ける。そんなトーマスの行動には、少なからず魔女を守ろうという意識がある。それをエリックも感じ取った。
「噂を聞きつけた人間がいたようでしてね。三日ほど前、記者を名乗る男が海軍の人間に接触を。記事はもみ消しましたが、すでにどこからか情報がもれているようです」
記者や報道局の人間は、さすがに情報を売ることを生業としているだけあって、耳が早い。一体誰から聞いたのか「グローリア号の沈没事故は、魔女の呪いだと噂が」なんて、白昼堂々と口にしたのだ。
「情報は聞いた人の数だけ、無数に情報を生みます。新聞はもちろん、ラジオもテレビも普及しましたからね。少しでも外へもれれば、今までに類を見ないほど伝搬するでしょう」
「そうすると、司法裁判官の方々はさらに、多くの情報を集めることが出来る。そうおっしゃりたいのですね」
アリーの言葉にエリックはうなずき、ますます顔をしかめた。
「例えば……マークさんが、生き残りだ、とかね」
その言葉には、ジュリもユノも、そしてトーマスでさえも表情を曇らせる。
「そんな……! まだ、本も完成していないのに」
「ますます時間がなくなったわね」
ジュリは悔しそうに唇を噛みしめてうつむいた。自分の身勝手な気持ちで、原稿を保留にしていることも、そして、その決断を迫られてなお、決めかねている自分が情けない。
ジュリの思考をテレパシーで読んだのか、アリーがそっとジュリの背中を撫でる。
「焦っても事態は好転しないわ。今、私たちが出来る最善を尽くしましょう」
アリーは凛とよく通る声で、きっぱりと言い切った。
「まず、国内にいる魔女は出来る限り、ここか……もしくは、国外へ逃がす」
アリーは、ユノを見つめる。
「ユノも島へ戻った方がいいわ。他の魔女も、島へ連れて行ってくれる?」
アリーの言っていることは正しい。だが、ユノは、マークと共に、本を完成させると約束したのだ。それを今更、ロンドの街で怪しい動きがあるから、と自分だけ安全なところへ逃げることは出来ない。
一番危険なのは、マークなのだから。
「アリーさん、私はここに残ります」
もちろん、島は他の魔女たちが使えばいい。あの島は元々ユノの物ではないし、一人で暮らすには広すぎるのだから。
けれど、ユノはそこへ戻るつもりはなかった。
「マークさんを守るって決めたんです。この街で……この国で」
ユノの決意に、皆何を思っただろう。
少なくとも、皆、突き付けられたことに間違いはなかった。国を守るために、今もっとも自らの危険をさらしているのは作家と幼い魔女であるという事実を。
「ユノさんにそこまで言われては、私たちも何もしないわけにはいきませんね」
トーマスが口を開いたかと思えば、エリックを見つめる。
「一時休戦と行きましょう。同じ敵を目の前にして団結しないというのも、非効率です」
トーマスの言葉に、エリックは肩をすくめる。
「聖職者様と敵対していた記憶はないんですがね」
「あいにくと私にもありませんよ。ですが、手を取り合ったこともないでしょう」
皮肉の応酬だが、そのやり取りは実に軽快で、息もぴったりだ。
「国と司法が嫌いなことに変わりはないですからね」
「お互い、魔女を愛する者同士であることにも、変わりはありませんよ」
エリックとトーマス、どちらが先に手を取ったのか――
それは、誰にも分からなかった。




