4-11 軍人と聖職者
穏やかな休日の朝。
大聖堂に現れた青年の姿に、トーマスは祈りの言葉を途中で切った。ミサの途中だったが、彼の服装を見れば、トーマスでもそちらの方を優先せざるを得ない。
隣にいた別の者にその場を任せ、トーマスは青年のもとへと向かう。
「どうかされましたか」
彼の軍服はあまりにも大聖堂には不釣り合いだった。聖職者の来ている黒のローブと同じような色をしているが、それゆえ、肩や胸元の金と赤の派手な糸が目立つ。
ブラウンの短髪に、アーモンド色の瞳。軍服の上からでもわかるしっかりとした体躯は、さすが軍人、といったところだろうか。トーマスよりも背は少しだけ高いが、年齢はいくつか下に見える。
ロンドではさして珍しくもない姿だが、大聖堂のお客様としては少々珍しい。
トーマスは、そんな風に彼を値踏みして、出来る限りの柔らかな笑みを作った。
軍人は、魔女協会とつながっている。
それはトーマスも知っていることだが、こうして実際に軍人と対面するのは初めてのことだ。
軍は、力を持っていながら、国王の命を退けることの出来なかった集まり。
人々や魔女を守ると言っているくせに、戦争の矢面に立ち、人々の命を奪い、自分たちだけが無事で帰ってくるような、そういう人間たちだ。
だからこそ、トーマスも、聖職者の人々も皆、敵ではないと知りながら、軍と手を取ることはなかった。
そもそも、命を救う大聖堂と、命を奪う軍では、折り合いがつかないのは当たり前だ。
笑みを貼り付けたトーマスを、軍服を着た青年もまた、まじまじと見つめた。
「……こちらに、ジュリさんという女性は」
「いらっしゃいますが、どのようなご用件でしょう」
青年は何を察したか、少しだけ眉をひそめたが、それも一瞬のうちに爽やかな笑みに変わった。
「司法裁判官に動きがあった、と伝えに参りました」
青年の言葉にピクリとトーマスも反応してしまう。魔女を思う者ならば、反応してしまうのも無理はないが。
(してやられた)
トーマスは素直にそう思ったが、目の前の青年は笑みを浮かべたままだ。
「空軍中尉エリック・ブラウンが来た、と彼女にお伝えいただけませんか? 俺は、ここで待っていますので」
エリックと名乗った青年に、トーマスは、なるほど、と口角を上げる。
「すぐにジュリさんをお呼びしましょう」
ジュリがユノを迎えに行くのに、水上機を使ったと聞いていた。恋多きあの魔女が最近やけにご執心な空軍パイロットの彼、とはこの青年か。
トーマスが形ばかりに頭を下げると、エリックはそのアーモンドの瞳に勝ち誇ったような色をにじませる。
とはいえ、実際のところ、いつまでも笑みを浮かべていられるほど、エリックにも余裕はない。トーマスの後ろ姿が見えなくなると、すぐにその表情を曇らせた。
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エリックのもとに、司法裁判官からの要請があったのは十日ほど前。
正しくは、エリックがその噂を聞いたのが、それくらいのことだ。
隣接した海軍基地が何やら騒がしい、と探りを入れれば、海軍に勤める同僚がエリックに何気なく愚痴をこぼした。
「まったく嫌になるぜ。司法裁判官のやつら、グローリア号の事故を今になって」
エリックは、マークのことを思い出した。
グローリア号からの唯一の生き残りであり――魔女と人が手を取り合う未来を、心から願う作家のことを。
「何かあったのか」
それとなく話を聞けば、同僚は一段と声を潜めた。
「魔女の呪いだって、また騒ぎ始めたんだよ。乗客のリストやら、海からあがった死体の身元確認書やら……そういうのを出せってさ」
身元確認に何の意味があるというのか。エリックが困惑した顔を見せれば、同僚は笑った。
「ま、あいつらの考えてることなんかなんにもわかんねぇよ。どうせ、最近は魔女裁判もめっきり減って、王もご退屈なんだろうさ。しかも、あの船……グローリア号の造船をしたところは、王がずいぶんと肩入れをしてたでかい会社だからな」
「……つまり、自分たちの評判を落とさないために、魔女の呪いとやらを利用したい、と?」
「あらかたそんなところだろう。生き残ったやつも呪いにかかってるとか、そんな理由をつけて、魔女裁判にかけるつもりじゃねぇのか」
「そんなことが許されるとでも!」
思わずエリックが声を荒げると、同僚が慌ててエリックをなだめる。
「声がでけぇよ」
「悪い、つい……」
「魔女のことになると、お前は本当に人が変わるな。ま、あのジュリって女をみりゃ、気持ちは分かるぜ」
同僚にギラリと鋭い視線を投げつければ、彼は肩をすくめた。
「とにかくお前も気をつけろ。不用意な言動は死を招く。それは、俺たちが一番よくわかってんだろ」
同僚は、エリックの肩にポンと手を置いて去っていく。
まるで、他人事のような態度にエリックはしばし同僚をにらみつけたが、それも仕方のないことか、と彼の背を見送った。
いくら、軍と魔女協会が繋がっているとはいえ――そのつながりは、決して固いものではない。
少なくとも、エリックが全貌を知らないほどには大きな組織だ。所属している人の数も多い。ロンドですれ違う人の十人に一人が軍人、なんて言葉があるほどに。
当然、上下関係が厳しく、上の言うことには絶対、というルールがあろうとも、末端にいけばいくほどそういった意識は薄れていく。
同僚はジュリを知っているだけマシな方だが、どうして上が魔女を保護したいと思っているのか、疑問視している人間も少なくはないだろう。
エリックとて、入隊当時はそんなものだった。ただ、偶然にも、尊敬してやまない元上官が、ジュリと知り合い――いや、恋人だったからこそ、エリックも魔女の素晴らしさに触れることが許されただけで。
もちろん、軍の上層部だって、エリックのように純然たる思いで、魔女を保護している人間ばかりではない。
魔女を兵器として使おうとしている者の動きがあることも分かっている。あるいは、金儲けとしての手段の一つか。
「司法も、軍も、俺が変える」
功績をあげ、ゆくゆくは軍を率いて、魔女の存在を認めさせたい。
唯一上官がなしえなかった、ジュリを幸せにするという夢が、エリックの心の支えだ。
「エリック!」
今しがた考えていた彼女の麗しい声で名を呼ばれ、エリックは振り返る。
短い赤毛を耳元で揺らし、猫のようなアンバーの瞳が弓なりに細められていた。
ジュリは、会うたびに姿を変える。最初こそ驚いたが、今はすっかり慣れてしまった。
そして、毎回、初めて出会う彼女を見るたび、
(俺は、ジュリさんの心が好きなんだ)
エリックはそう強く感じる。
外見も美しいが、彼女の美しさは、優しくてあたたかく、けれど少し恐ろしい、炎のような心にあるのだと。
妖艶な華やかさの裏側にある、ほの暗くうごめく影。それに負けぬよう律する強さ。
魔女とは、なんて美しい生き物なのだろう――
そう思わずにはいられない何か。
「トーマスから話は聞いたわ」
ジュリはエリックを抱きしめ、頬に軽くキスを落とすと、すぐに本題を切り出した。眉根を寄せる彼女は、その視線をトーマスへと移動させる。
エリックは、あの聖職者がトーマスか、と漆黒の髪と瞳を持つ、ロンドでは少々珍しい姿の聖職者を見つめた。
(食えないやつだ)
トーマスも、エリックの無遠慮な視線に気づいて薄ら笑いを浮かべた。
貼り付けた笑みには、何の感情を読み取ることも出来ない。
魔女を守っているのは我々だ、と言わんばかりの聖職者は、態度こそ立派だが――結局のところ、教えを説くばかりで力も持たず、いつだって偽善を振りかざしているだけの能無し。口ばかりで何もしないやつら。
協力関係にあるとはわかっていても、素直にその手を取り合うことは出来ず、エリックはトーマスを一瞥した。
「ついてきて」
何も知らないジュリだけが、軍人と聖職者を見比べて、自然な笑みを浮かべた。




