4-10 続きがあったら
ジュリの話が終わっても、マークの物語は終わらなかった。万年筆は止まるところを知らず、原稿用紙を埋めていく。
ユノは興味本位に原稿用紙を覗き込む。主人公の青年が操縦していた飛行機。それが墜落した場面だった。
「続きは、どうなるんですか?」
ユノが尋ねれば、マークは万年筆を置いて、考えこむように腕を組む。まだ決まっていないのか、それともジュリに遠慮しているのか。結論をすぐに出せない理由があるようだった。
ジュリは、窓にかけられたカーテンを開けて、そこからマークを見つめた。ジュリの鼻の頭や目元は、泣いたせいかほんのりと赤い。それでも、ジュリの華やかさは健在で、いや、むしろ話したことで何かが吹っ切れたのか、礼拝堂を飛び出した彼女の表情は消えていた。
「続きがあるなら、ワタシも気になるわ」
ジュリは組んだ両手の甲へ顎をつけ、深い赤の瞳を柔らかに細める。少し挑戦的なまなざしが、マークへ向けられた。
「ハッピーエンドばかり、とは限らないのが小説でしょう?」
ユノは、マークならハッピーエンドにするだろう、と思っていた。今までマークが孤島で書き上げ、ユノに読ませてくれた物語の数々は、みなそうやって締めくくられていたから。
だが、今のマークはその答えを持ち合わせていないのか、ジュリの質問を否定することはなかった。
「それが、この物語を書く条件ということでしょうか」
組んでいた腕をほどくと、マークはジュリの瞳を真っ向から見つめた。ジュリも、マークの瞳から視線をそらすことはしない。
「もしも、そうだと言ったらどうするの? 等価交換だ、とワタシが言ったら」
マークはいましがた、原稿用紙を見つめた。
青年は死に、魔女は彼の死を嘆き悲しんで幕を閉じる物語――
それは、本当にジュリが望んでいるものなのだろうか。
「物語の良いところは、物語であることだ、と僕は思っています」
マークは手元に広がる原稿用紙を一瞥し、そこに並んだ文字を追いかけた。ジュリも、つられるように、その原稿用紙へと視線を落とす。
黒をも吸い込んでしまいそうな瞳が伏せられ、「わかってるの」と独り言のようにこぼれ落ちる声は弱々しかった。
「物語でなら、現実ではできなかったことも叶えられる」
そう言いたいんでしょう。ジュリは原稿用紙を見つめたまま、話を続けた。
「彼との物語に続きがあったらどんなに素敵だろうって、ワタシもそう思うわ」
柔らかな赤毛が揺れ、告解室の天井に取り付けられた飾り気のない光に反射する。光に透けてもなお色濃く、妖艶なその赤が、ジュリの表情にさす影を際立たせる。
「でも、彼はもういない。物語の中で、どれだけ幸せになろうと、ワタシの現実は変わらないのよ」
それはいつか、家族を失い、物語の世界へと逃げ込んだマークには耳の痛い話だった。もちろん、マークと同じように過ごしているユノにとっても。
「なんて、彼を思い出さないようにしてたワタシが言っても、説得力にはかけるわね」
ジュリは肩をすくめて、椅子から立ち上がる。
「戻りましょう。きっと、みんなが待ってるもの。ユノちゃんなんて、特に心配されてるわよ」
そうだった、と思い出したようにユノは顔をしかめる。次の瞬間には、ジュリが告解室を出る扉の音が聞こえ、ユノはそれ以上考えるのをやめた。すぐにこちらの部屋の扉を開けるであろうジュリに、そんな顔は見せられない、と顔を左右に振る。
ユノが予想した通り、ジュリはほどなくユノたちがいる方の部屋へと入ってきて、
「ごめんなさいね」
と曖昧な笑みを浮かべた。申し訳なさそうな、けれど、少しだけ晴れやかな。
「もう少しだけ時間をちょうだい。ワタシなりに、考えてみるわ。彼のことを思い出さないようにしていた分、今度は、彼のことを一生懸命に考えたいの」
マークがうなずくと、ジュリは今度こそ、いつもの華やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、二人とも」
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すっかり日が落ちて、真っ暗になったロンドの街へと戻るマークを見送ったユノに、ジュリが声をかけた。
「今日はごめんなさいね」
たくさん迷惑をかけちゃったわ、というジュリはどこか子供のような表情だった。
「ね、もう一度だけ塔へ登らない?」
ジュリは茶目っ気たっぷりに笑い、変化の魔法を使う。
「夜のロンドも、素敵なのよ」
塔へと続く階段は、一日に二度も登るものではない。少なくとも、そんなことを考えて作られたわけではないだろう。
せいぜい一日に一回、それも体力に自信のある人が登るものじゃないだろうか、とユノはそんなことを考えながら、息も絶え絶えに階段を上る。
だが、絶景とはどうして。
いつだって、そんな場所にこそあるものだ。いや、ここまでの苦労がそう感じさせているのか。
ユノは目の前に広がるロンドの夜景に歓声を上げた。
夕暮れ時よりも、さらに煌々と光が目立ち、暗闇との明暗さが美しいコントラストを描く。
あちらこちらのアパートから漏れ出たランプの色は様々で、暖色と寒色の入り混じるそれは、夜空に浮かぶ星にも見えた。
遠くに見える海を船が行きかう。船の明かりは、時折、不規則に明滅する。
「モールス信号だ……」
初めて見た、とユノがその光を見つめていると、隣でジュリの指がトントン、と不規則な音を鳴らした。
ジュリは無意識のようで、ぼんやりと船の明滅するライトを見つめながら、何度も何度も、同じフレーズを指で打ち鳴らす。
(アイ……エル……オー、ブイ……)
ユノがジュリの指から紡がれた音を変換していると、ジュリがユノの視線に気づいたのか、指の動きを止める。ジュリが止めてしまった最後の一音は、なくても推測することが出来た。
「空から君を見つけたら合図を出すからって。彼が教えてくれたのよ」
飛行機のライトを点滅させて、思いを伝える。なんてロマンティックなのだろう。
「マークさんが聞いたら、すごく喜びそうです」
ユノの言葉に、ジュリは「内緒よ」といたずらな笑みを浮かべる。
「お話でくらい、幸せな結末を望んでもいいと思う?」
自問しているのか、尋ねられたのか。ユノはジュリを見つめたが、ジュリの瞳は再び船のライトへと吸い込まれていて、判断は出来なかった。
今日のジュリは、ずいぶんと弱気だ。
ユノの知っているジュリは、どんなことでも豪快に、前向きに、迷うことなく突き進んでいく。ユノが予想も出来ないような……例えば、マークを水上機で迎えに来たような、そういう誰もが無理だと思うようなことも、物おじせずにやってのけてしまう。
いつも大人っぽくて、ユノからしてみれば憧れのような存在。華やかで、情熱的で、誰とでもすぐに打ち解ける。
「ジュリさんは、なんだってうまく出来ちゃうんだと思ってました」
そういう存在だったのだ。少なくとも、今日までは。
「あら、やだぁ! そんなわけないじゃない!」
ジュリは大げさなくらいケラケラと笑って、はぁ、と大きく息をついた。
「ワタシは、ユノちゃんが思ってるほど器用じゃないの。器用なふりをするのがうまくなっただけよ」
ジュリはたっぷりと息を吸い込んで、塔から大きく身を乗り出した。
ユノは、まさか、とぎょっとしたが、ジュリの行動はやはり、ユノの予想していたものとは全く違うもので――
「絶対幸せになってやるんだからーーーーっ!!」
ロンドの街中に響き渡るんじゃないかと思うくらい、大声で叫んだ。
ジュリは肩で息をして、耐えきれなかったのか、呼吸が治まった後にはケラケラと声を上げて笑った。
「すっきりした!」
「ジュ、ジュリさん!?」
目を白黒とさせるユノをぎゅっと抱きしめたジュリの手はひやりと冷たくて、けれど心地が良い。
「こんな大人になっちゃだめよ」
「それは、無理なお願いですよ」
ユノが即答すれば、ジュリはさらにきつくユノを抱きしめた。




