4-6 女の意地
メイとトーマスの物語を読み終えた面々は、みなそれぞれの思いを抱いた。
たった一つ、魔女と人がいつか手を取り合える日が来ることを願う気持ちだけは同じだったが。
ユノは、みんなの感想を聞きながら、複雑な表情をするマークを盗み見る。目の下にくまを作っているマークは、どうやらしばらく寝ていないようだ。
嬉しさと、困惑と、不安と、期待と。
様々な感情を一心に背負って執筆を続けるマークは、初めて出会ったあの日からずいぶんと変わった。
そのうち、手も届かないような遠いところに行ってしまうんじゃないか、とユノはそんな風に思う。
もしも、そういう日が来たら――
それは、マークが作家として認められ、イングレスの国で活躍しているということで、喜ばしいことだ。
きっとその時には、魔女も人と一緒に暮らしているだろう。
(その時、私は何をしているんだろう)
ユノは、自らの手元にある、赤いインクがポツポツと並んだ原稿用紙を見つめた。今はいい。このチェックが終わるまでは、少なくともロンドの街にいて、出版社と魔女協会を行き来することは許されるだろう。
だが、それが終わったら?
ユノは、またあの孤島へ戻るように言われるに違いない。
危険から一人隔離され、完成した本だけが海を渡って届くのだろう。島で本を読み、魔女を相手にとびら屋を続けていく。何事もなかったかのように。
それで、本当に良いのだろうか。
マークはきっと、一人ですべてを背負おうとするだろう。彼は、出会った時からずっと、魔女の――ユノのことばかりを考えて優先してくれていた。
ディーチェと対峙した時も、シエテと対峙した時も、マークはいつだって、自分が悪いのだと言って、魔女たちをかばってくれた。
原稿がすべてそろって、チェックが終わっても、ロンドに残っていたい。
ユノが決心したように顔を上げると、ユノを見つめていたジュリの真っ赤な瞳と目があって、ジュリにニコリと微笑まれた。
「どうして、ユノちゃんがそんな顔をしているのかしら」
ジュリは、周囲に気遣ってか、ユノの隣に腰かけてささやく。たっぷりの花の香りと、甘い声色。ジュリの華やかさに、憧れない魔女はいない。女性なら誰しもが、こんな女性になりたいと思わずにはいられない。
ジュリの深紅が、ユノの夜空色の瞳に映りこむ。ロンドの冬空に浮かぶ一等星と同じ色が、ユノの瞳にもまたたく。
「いえ……。その、本が出るのは嬉しいんですが……」
「寂しい?」
「そう、ですね。きっと、原稿がすべてそろったら、私は島に戻るよう言われるんじゃないか、と」
「そうね」
ユノの不安を、ずばりと言い当てるジュリは、わかるわよ、とうなずく。
「きっと、魔女にはこの国は危険だ、と言うでしょうね。マークくんならなおさら」
ジュリは、何かを懐かしむように目を細めて笑った。
「ジュリさんは、どうしてロンドにいるんですか?」
ユノが素直に尋ねれば、ジュリはあっけらかんと答える。
「女の意地、かしら」
いまいち要領を得ないジュリの回答にユノが首を傾げれば、いつから話を聞いていたのか、紅茶に口をつけていたメイもたおやかに笑う。
「ユノちゃんも、そのうちわかるようになるんじゃないかな」
「メイさんまで」
ジュリとメイは、どうやら通じあっているらしい。
なんだか二人だけずるい、とユノがむくれると、ジュリはそんなユノの頬をつついた。
「私も、マークくんにお話を書いてもらおうかしら」
ジュリの声がマークにも聞こえたのか、トーマスと話をしていたマークがくるりとこちらを振り向いた。
優しいフォレストグリーンも、穏やかなカーキの癖毛も、マークという人物を表しているようだった。
少しくたびれてはいるものの、着ているスーツはさすがに仕立て屋の息子として生まれただけあって、センスがいいとユノは思う。
「ね、マークくん。ワタシのことも、書いてほしいっていったら困っちゃうかしら」
茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせるジュリに、マークの瞳が輝く。
「いえ、ちょうど書いているところですから」
マークは、半分ほどを文字で埋めた原稿用紙を持ち上げた。
驚いたようにジュリの深紅の瞳が見開かれる。
「どういうこと!?」
まったく知らされていなかったのか、ジュリは興奮したように声を上げた。
「やだぁ! そんな話、聞いてないわよ! ワタシ、話したかしら」
「いえ。実はある方から頼まれまして。今書いているのはフィクションですが、登場するヒロインの魔女は、ジュリさんがモデルなんです」
マークは少し照れたようにはにかんだ。
「読みたいわ!」
「まだ、書きかけですよ」
「いいじゃない! とっても気になるもの! ね、いいでしょう?」
ジュリはそういうと、マークの返事も待たずに、彼の手から原稿をひらりと優雅に奪い取る。
マークも、仕方がないと諦めたのか、それともジュリに一枚でも多く読んでもらいたいからなのか。原稿用紙が奪われたことはさほど気にもとめず、むしろ、手元の原稿用紙へ再びペンを走らせた。
「どんなお話なんですか?」
ユノがジュリの原稿用紙を横から覗き込むと、ジュリの代わりにマークが答える。
「パイロットと、空飛ぶ魔女の恋の物語です」
「恋の物語!」
ユノが声を上げれば、周りの魔女たちも興味深そうにジュリが持っている原稿用紙を覗き込んだ。
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物語の主人公は、飛行機乗りの青年だ。
飛行機乗り、と言っても、まだ飛行機が出来る前の時代で、主人公は空を飛ぶための乗り物を作っては、毎日一人で飛行テストをしていた。
彼は、小高い丘から羽をつけて滑空したり、カタパルトと呼ばれる投石機を使って、自らの体を空へと飛ばそうとしたりする。
そんなある日、青年は大きな風船を使って飛行をすることに成功するが、当然風船を操ることは出来ず、風に流されてしまった。
鳥が風船をつついて、海へと落下する彼が死を覚悟した時、空を飛ぶ魔女が現れるのだ。
「あなたって、最高だわ」
真っ赤な髪を揺らす彼女が初めて彼に放ったのが、この一言だった……。
おそらく、ここからロマンスが始まるのだろう。
ユノは心を弾ませて続きをまったが、対してジュリは驚いたように目を見張っていた。
「誰に、頼まれたの?」
「へ?」
マークも、そしてユノと同じように続きに胸を弾ませた魔女たちも、一斉にジュリの方へと顔を向ける。
「これよ。この話、誰から頼まれたの」
ジュリの美しい赤が、ずい、とマークへ迫る。
深紅の華やかなきらめきの中に、哀愁とも、懐古ともつかぬ色が滲んで溶けていく。
「えっと、それは……」
マークとて、別に、エリックから口留めをされているわけではない。ただ、エリックがもしもジュリへの思いを告げていなかったとしたら、これはエリックの思いを伝えるに等しい行為ではないだろうか、と逡巡した。
「いいわ。なんとなく、想像はつくもの」
ジュリは、マークの反応にため息をついて、目を伏せた。長い赤みがかったまつげが憂いを帯びて揺れる。
「だけど、このお話はダメ」
ジュリの一言に、マークたちは皆驚いた。
だが、当の本人は美しい笑みを浮かべて、何事もなかったかのように続ける。
「別のお話にしてちょうだい。ワタシ、もっとたくさんいろんな恋愛をしてきたもの。素敵なお話ならいくつでもあるわよ」
例えば、病院で出会った医者、ロンドの隣町にある花屋の青年、隣国の王子様との話。
指折り数えて、ジュリは「どれがいいかしら」なんて笑う。だが、その微笑みがいつもほど華やかでないことは明白だった。
「ジュリさん?」
ユノの夜空色の瞳に、ジュリの表情が一変する。
「ワタシ、行くわ。用を思い出しちゃった」
逃げるように礼拝堂の外へと足を向けたジュリを、ユノは無意識のうちに追いかけていた。




