4-4 その怒りは内側に
メイが向かった先は、魔女集会の行われた礼拝堂だった。
石膏を削り出したような何本もの太い柱によって支えられているその空間に、探していたトーマスとシエテの姿を見つけて、足を止める。
どうしてここにいるとわかったのだろう、とマークは思案して
(これも、いつか夢で見たのかな?)
とメイの魔法について思い出す。
たった二人きりの礼拝堂は、広さばかりが目立って、魔女集会の時に感じたような華やかさはなかった。ただ静かで、落ち着いていて、少しだけ風化した空気が、神聖さを際立たせている。
「二人ともありがとう」
メイは、その礼拝堂で原稿用紙を見つめるトーマスとシエテに声をかけた。
トーマスは原稿用紙から顔を上げて優しく目を細め、シエテは慌てたように原稿用紙を自らの背中に隠した。
メイは、ほらね、と言わんばかりにマークへ微笑みを投げかける。
「私のことを心配してくれているんです。彼女なりに」
本当にそうだろうか、と疑ってしまうのは、シエテの鋭い目つきのせいだ。今も、なぜかマークは彼女ににらまれている。
「話は出来ましたか?」
トーマスは立ち上がると、体ごとマークたちのほうへ向き直った。
「えぇ。マークさんのお話はどうだったかしら」
「素晴らしかったですよ。メイに初めて会った時のことを、昨日のことのように思い出しました。なんだか不思議な気持ちです。自分の人生が、こうして文字になっているというのは」
トーマスが原稿用紙をメイに返すと、後ろでシエテが顔をしかめた。
「シエテは?」
「別に」
何も、と原稿用紙をそっとメイに差し出すが、マークの物語を読んでいたことがよほど気まずいのか、メイとは視線を合わそうともしない。
別に、と言った割には、メイの手に戻した原稿用紙の数は相当なものだ。トーマスと仲良く半分ずつ読んだみたいに。
「きっと、すごく面白いのでしょうね」
メイがシエテへ深い笑みを向けると、それを横目にも感じ取ったのか、シエテはますます顔をしかめた。
「好きにしろ」
前にも同じセリフを聞いたな、と思ったが、今度こそシエテはマークを認めてくれたのだろうか。
マークがおずおずとシエテを覗き込めば、彼女のサファイアブルーの瞳にほんの少しだが、涙がたまっているように見える。
見慣れないシエテの表情に、マークの心臓がツキン、と音を立てて跳ねた。
だが、それは思い違いだったのか、マークをにらむシエテの視線は相変わらず厳しい。
「なぜ、お前は……」
シエテは言いかけて悔しそうに唇をかみしめた。握りしめたこぶしを震わせる姿は、やはり泣いているようにも見える。
けれど、彼女はおそらく、怒りに震えているのだ。
シエテは悲観しない。メイの話を聞いて、マークは確信していた。
そしてその怒りは内側に――マークではなく、シエテ自身に向かっているのだろう、ということも。
「我々が出来なかったことを、どうして、人間なんかが……。魔女でさえ、魔女を満足に救えないというのに。どうして」
シエテは震える声で呟く。
「人間のせいで、魔女の多くは消えたというのに」
彼女の切りそろえられた前髪が、瞳に影を落とす。
ユノの瞳よりも彼女の瞳の純然たる青は、暗闇の中でもその黒に染まることはなく。
ほの暗い、だが強い意志を秘めた瞳が発光して、マークを貫いた。
「どうしてこんなにも、心を締め付ける」
シエテは、自らの胸のあたりをぎゅっと握りしめた。彼女の男性物のようにも見えるレザーの黒いジャケットに、くしゃりと歪なしわが寄り、それが彼女の心情と混ざり合う。レザーの不規則な反射が、そのしわを余計に目立たせていた。
マークが返事をする前に、メイがそっとシエテの方へ歩み寄った。
「シエテは本当に素直じゃないわ」
メイは優しくシエテを抱きしめて笑う。シエテは「うるさい」とメイにささやいた。
「ねぇ、シエテ。そんな顔をしないで。シエテだって、魔女をたくさん救ってきたわ。でも、もうあなた一人が頑張らなくてもいいの。今は、たくさん、私たちのことを守ってくれる人もいるのだから」
メイの穏やかな声に、シエテはただ耳を傾けていた。
この柔らかな声も、あたたかな体温も、優しい手も。
もう、長くはないのだ――
マークが書いたメイとトーマスの物語は、驚くほどに美しく、素晴らしいものだった。
この物語ならばきっと、多くの魔女が喜びを感じ、イングレスの人々も魔女という存在を受け入れてくれるだろう。
人のことを嫌っているシエテでさえ、そんな風に感じてしまうほどの物語だ。
だが、だからこそ、なぜ今頃になって、という思いがぬぐえない。
人間のせいで、多くの魔女が虐げられてきた。魔女協会が設立されたのは十年前のこと。魔女を救うことが出来るようになった、今頃になって。
シエテの魔法は、魔女を救うために存在し――シエテは、魔女を救うことで、自らの存在意義を見出してきた。
ようやくそんな毎日を確立できた、と思っていた矢先。
この男が現れた。まるで今までのことをなかったかのように、当たり前のように、全てを変えていってしまうのだ。
聖職者も、軍人も、魔女の味方だと認識はしているが、彼らが魔女を救うために国を相手どったことはかつて一度もなかった。
それなのに、目の前にいる男――作家、マーク・テイラーは。
シエテはメイの手をほどき、マークに舌打ちをする。
いや、自分にだろうか。
シエテには、救えない命も多くあった。
メイだって、もう長くはない。
これ以上、仲間が死んでいくのを見たくはなかった。
だから、あえて魔法を何度も使って、命を削ってきたというのに。
――まだ、生きて、魔女が幸せを当たり前に享受する日々を、見ていたいだなんて。
マークが、魔女のためにどれほど真剣になっているかは、もうわかっているはずだった。司法裁判官のフリをして、茶番を打たされたあの日に直接肌で感じていた。
だから、これ以上、彼を認めたくもなかった。近づきたくなかった。知りたくなかった。
――それなのに。
「人間なんて嫌いだ」
すべてを自分から奪い去り、誰よりも魔女を幸せにするこの男が。
シエテの言葉に、マークは顔を青ざめ、あからさまな落胆を見せた。
対して、メイはコロコロといつものように笑って、トーマスは呆れたように肩をすくめる。シエテのことをよく理解している魔女と聖職者の方が、行間を読むことが得意な作家よりも、今回ばかりは上手だ。
「これから、好きになってもらえるよう、もっと努力しなければなりませんね」
トーマスが爽やかに笑う。メイは
「シエテは手ごわいから、どうかしらね」
とシエテを見やった。
マークは
「シエテさんの方が、編集長よりも恐ろしいです」
と小声で呟く。失礼なやつだ、とシエテがにらみつければ、再び彼は体を硬直させた。
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「さぁ、メイにも物語を読んでもらいましょう。せっかくですから、アリー達も呼んで。お茶を入れなおしてきます」
トーマスは切り替えるように二度、手を軽く打つ。それに反応したのはシエテで、彼女は自ら「行ってくる」と切り出した。
トーマスとメイは顔を見合わせて、互いに目を丸くしたかと思えば、同時にマークへとその顔を向ける。
柔らかなエメラルドグリーンと、穏やかな漆黒は、同じ輝きに満ちている。
トーマスはすぐに修道服をひるがえすと
「私も、お手伝いしてきますね」
そう微笑んだ。メイは小さくうなずくだけで、マークには何のことやらさっぱりである。
「シエテは、マークさんのことをよっぽど気に入っているみたいですね」
「へ?」
「憧れというのは、大抵、自分の嫌な部分を映し出す鏡です。だからこそ、マークさんに対して、シエテはあんな態度なんじゃないかと」
メイの言葉に、マークの混乱はますます大きくなるばかり。
だがそれも、メイの楽し気な笑みに、誤魔化されてしまうのだった。




