4-2 雨音のように
メイに案内された部屋で、マークは目を見張る。
「これは……」
――ユノの魔法だ。
部屋中に降る雨は、その水滴を花びらや星、宝石に変えて消えていく。明るい街路灯はロンドでよく見かける形をしているが、その光は万華鏡のように赤や緑や黄色や青に、雨を照らし続けていた。
メイの自室だというそこは、確かにベッドや机、たくさんの植物などであふれている。マークのイメージするメイという女性にぴったりな部屋だったが、それよりも、壁一面に広がるその幻想的な光景に、目を奪われてしまう。
雨の向こうに見える時計塔も、ロンドで見る本物より美しい。
「ユノちゃんにお願いして、魔法をかけてもらったんです。私は、ロンドの街が好きで」
メイは、一人用の部屋にしては随分と大きなソファにゆったりと腰かけて、同じく目の前にある揃いのソファへ座るよう、マークとトーマスへ目くばせする。
「見事ですね。一枚の絵画みたいだ」
「ユノちゃんの魔法は特別ですよ。珍しいんです、人にも感じられる魔法というのは」
マークのうっとりとしたため息を楽しむように、コロコロと笑うメイの声が、雨音のように部屋を満たした。
「夢見の魔法は、私にしか使えません。ジュリの変化の魔法は、魔力を持つものにだけ作用します。アリーのテレパシーも、シエテのテレポートも」
確かに、言われてみれば、今までマークが教えてもらった魔法は、人には使えないものばかりだ。
「だから、ユノちゃんがマークさんと出会った時、やっとこの時がきたか、と思ったんですよ」
メイは嬉しそうに目を細めた。メガネの奥に光っていたエメラルドグリーンが、部屋に飾られた植物の緑や、雨に輝く街路灯のポールに溶けていく。
「僕と、ユノさんが出会った時?」
「えぇ。私は夢見の魔女ですから。二人が出会う未来を夢に見ました。マークさんが、作家であることも、その時知りました。世界を作る者同士が出会うなんて、運命みたいでしたから、その夢のことはよく覚えています」
マークは、ユノと出会った日のことや――それ以降のことを思い出し、
「もしかして、原稿用紙を送ってくださったのは……」
目の前にいるメイを見つめる。
必需品を送ってくれるという魔女協会の箱にどうして原稿用紙が、そう不思議に思っていた。どうやらそれは、夢見の魔女によるものだったらしい。
メイは小さく微笑んで雨の降る壁を見つめた。柔らかなブラウンのショートヘアがふわりと揺れる。
「ユノちゃんとあなたが出会って、この国が変わる予感がしました」
エメラルドグリーンの瞳が、ゆっくりとマークのもとへと戻ってくる。
生命の息吹を感じるその緑に未来が映る理由が、わかるような気がする。
「人と手を取り合って生きていきたい。それが、魔女協会を設立した私たちの願いでした。ですが、私たち四人では、出来ることも限られていましたから。魔法は不便で……人を助けることすら、ままならないのです」
「そんなことは」
「メイ」
彼女の声をさえぎったのは、二つの声。
一つは、メイに助けられたトーマスのもので、もう一つは、ティーセットを片手にしたシエテだった。
「あら、シエテ。ありがとう」
メイは沈んだ表情を隠すようにパッと顔を上げて、シエテへいつもの柔和な笑みを浮かべる。だが、シエテはそれが気に入らないようで、盛大な舌打ちを返した。
「別に」
シエテは、ガチャン、と乱暴にテーブルの上へティーポットとカップを置くと、メイの隣に座って、マークに厳しい視線を送る。
茶が欲しくば、自分で入れろ。彼女の冷たいブルーがはっきりとそう告げている。
メイは、そんなシエテを困ったように見つめてから、ため息をこぼした。
「シエテ。言ったはずよ。私の大切なお客様だって」
シエテは意にも介さず、ツンと顔を背け、メイは「ごめんなさい」とマークへ頭を下げると、ティーカップにたっぷりと紅茶を注いでいく。
先の一件で、シエテからは「好きにしろ」と言われ、マークは認められた気でいた。が、どうやらそうではないらしい。
彼女には彼女なりの、明確な線引きがあるのだ。
魔女協会の設立者としての立場と、個人的な価値観の間に。
「マークさん、そろそろ本題に」
重くなった空気を取り繕うように、トーマスが口を開く。
「本題?」
シエテがピクリと反応し、マークがメイの方へと差し出そうとした原稿用紙をひったくった。
「シエテ!」
メイの声だとすぐには分からないほど厳しい声が、部屋に響き渡る。原稿用紙を奪い取ったシエテでさえも、驚いたように目を見開いた。
「これは、私とトーマスの物語です。あなたが介入することではないわ」
子供をしかりつけるようなメイの物言いに、シエテの顔がくしゃりと歪む。トーマスは何か事情を知っているのか、物憂げに目を伏せる。
一体何が起こっているのか分からないマークだけが、目の前で行われているやり取りに、目をパチパチとまたたかせるだけだ。
シエテは、悔しそうに唇を噛んで、原稿用紙をメイへ渡す。
「どこまで書いた」
その言葉は、メイに向けられているようにも、マークに向けられているようにも聞こえた。
メイは答えず、マークもまた、答えることはなかった。
が、今度ははっきりと、シエテがマークの方へ目を向ける。
「何を、書いた」
突き刺すような、冷たいブルーだと思っていたシエテの瞳。
それが今は、海の底で揺れる光のような、どこか深い暗闇にかき消されてしまいそうな淡いブルーを灯している。
(そういえば、炎は高温だと青くなるって……)
マークがそんなことを考えてしまったのは、シエテのサファイアブルーの瞳に、透明な膜が張られていて、その輝きがろうそくの火のようだったからだろう。
「……メイさんが、トーマスさんを助けた時の話を……」
マークが絞り出すような声で答えれば、シエテの瞳の温度はするすると下がっていく。やがて、彼女はようやくシエテという本来の自分を思い出したのか、
「生半可な覚悟なら許さない」
とマークへ警告した。
「少し外す」
シエテはそう言い残すと、全員が引き留める間もなくメイの部屋を出ていった。シエテの分のティーカップ。その水面が微かに震えている気がした。
(一体、なんだったんだ……)
呆然とシエテの背を見送ったマークに、トーマスとメイが顔を見合わせる。
「マークさんには、お話しなければいけませんね」
メイが緊張を和らげるように、出来る限りゆっくりと息を吐く。
「どういう、ことでしょう?」
「実はまだ、私たちには話していないことが」
メイの柔らかな微笑みは、どこか切なく、壁に降り続けるロンドの雨が、そんな彼女を濡らしているようにも見えた。
「私も少し席を外しましょう。原稿をお借りしても?」
「もちろんよ、トーマス。ありがとう」
シエテを追うように、トーマスが原稿用紙をメイから受け取って立ち上がる。
「それでは、また」
トーマスは静かに頭を下げると、明確に向かうべきところがある、とでもいうように、迷いのない足取りで部屋を後にした。
残されたマークとメイの間に、音もなく雨が降る。
同じだが、まったく違うグリーンの瞳を通わせて、紅茶から立つ煙を目で追いかけた。
「私たち魔女が、普通の人よりも命が短いということは、ご存じですか?」
不意にメイから尋ねられたのは、魔女の噂でもとりわけ有名な話。
マークがうなずくと、メイはその視線を遠くに――部屋の片隅で静かにたたずむ時計塔に向けた。
「私は、夢見の魔女です。自分の未来だって見ることが出来ます」
その一言で、マークには、メイが何を言いたいのか分かったような気がした。
本を読み、物語を書き、その行間に、語られない多くの事柄に、思いを馳せてしまうマークには、それ以上を聞く必要はなかった。
聞きたくない、というのが正しい表現かもしれないな、なんてことをマークが考えているうちに、メイはあっさりと言葉にしてしまう。
――雨音があれば、それも聞かずに済んだかもしれないのに。
「私はもう、長くはないのです」




