4-1 エメラルドグリーン
ユノがマークを手伝うために、新聞社へと通うようになってから一週間。
今日は、マークがユノたちのいる大聖堂へと向かっていた。
トーマスとメイの物語が、完成したのだ。
「ようこそ、セントベリー大聖堂へ」
マークを出迎えてくれたのはトーマスで、相変わらずの麗しい笑みをたたえていた。漆黒のツヤのある髪が冷たい北風に吹かれて揺れ、耳元のエメラルドグリーンの輝きがマークの目に止まる。
思わずメイを連想させずにはいられないその深い緑は、大聖堂と魔女協会をつなぐ鍵。
トーマスとメイの関係性を表しているようにも感じられ、マークはポケットにいれた万年筆を触る。
もしも、来世にたった一つだけ今世で使っていたものを持っていけるとするならば――トーマスはピアスを、マークは万年筆を、持っていきたいと願うだろう。
平日の昼間だったが、熱心な信者であろう老夫婦が二組、大聖堂の中でステンドグラスを見上げていた。
彼らは、ステンドグラスに描かれた女神様が、一体何なのか知っているのだろうか。
老夫婦の年齢であれば、魔女裁判がちょうど真っ盛りだったころだろう。
言論統制がしかれるより前の時代を生きていた人であれば、魔女のことも知っているのかもしれない。それでいて、固く口を閉ざし、代わりに祈りをささげているのかもしれない。
マークはそんな風に、名前も知らぬ彼らに思いを馳せた。
「今日は、他の方もいらっしゃいますから、前回とは違う場所をご案内しましょう」
トーマスが声を潜めて、マークへ耳打ちをする。
「他にも入り口が?」
「えぇ、もちろん。大きな建物ほど、出入り口はたくさんあるものです」
どんな物事にもね、とトーマスは付け加えて、パイプオルガンの手前、あの十字に交差した場所で足を止めた。
側廊を左に折れて進むと、小さな階段が現れる。人一人分くらいの横幅しかない狭い階段で、知っていなければ見落としてしまいそうだ。そもそも、通常、教会の中へ入って側廊までまじまじと見つめる人も多くはない。
「こんなところに階段があるなんて」
だが、階段は上へとのびているだけだ。地下にある魔女協会へは続いていない。
「告解室へと続いているんですよ」
トーマスはその階段へ足をかけ「少し段差が急なので、気を付けてくださいね」とマークへ注意を促した。
不思議に思いながらも、マークはトーマスの背中を追って階段を上る。言われた通り、一段一段が高く、それでいて幅が狭いので、想像以上に神経がすり減る。
上っているうちに、思わず罪を悔いてしまうような窮屈さがあって、今までの人生を振り返らざるを得ないような、そんな気分にさせた。
大した段数ではないはずなのに、告解室へとたどり着いたときには、解放感に包まれた。
罪を打ち明け、許された、とでもいうような。
目の前にある二つ並んだ扉が告解室の入り口だということは、マークにも分かった。
片方の扉の前でマークを待っていたトーマスは、マークの表情に口角を上げる。
「不思議でしょう。罪を一つ一つ、数えさせられるような気分になる」
マークがうなずくと、トーマスは満足そうに微笑んで、告解室の扉を開けた。
「告解室へ入ったことは?」
「いえ。ですが、許されがたい罪なら、ここ最近、いくつも背負った気がします」
マークの素直な告白に、今度はトーマスがうなずいた。
「通常は、そちらの扉から信者の方が入り、我々聖職者の人間が、こちらの扉から入ります」
告解室では、壁を一枚隔てて、信者は罪を告白し、司祭がその罪を聞く。それくらいはマークも聞いたことがあり「なるほど」と相槌を打つ。
「今日は、マークさんもこちらへお入りください」
開けられた扉は、聖職者側の部屋。マークは、高まる緊張にゆっくりと足を踏み入れた。
中はいたってシンプルな作りだ。長方形の部屋にはなんの飾り気もなく、ランプと大きめの本棚が一つあるだけ。壁に取り付けられた小さなテーブルの上は片付いている。一脚だけ置かれている椅子は、その壁へ向けられていた。
「壁の向こうが、信者の方々の部屋です。そこに小さな窓が取り付けられているでしょう?」
椅子のちょうど正面は、壁がくり抜かれており、カーテンがかけられている。どうやらそこが窓のようになっているらしい。
「その窓を介して、罪を聞くんです。お互いに顔が見えないよう、カーテンは閉めたままですがね」
だからこそ、とトーマスは部屋の奥に置かれた本棚をゆっくりとずらす。
「すべての秘密が守られる」
ずらされた本棚の奥から、これまた人一人分くらいの扉。
「隠し扉……!」
マークが目を見張ると、トーマスは
「これも、内緒にしていてくださいね」
といたずらに笑った。
扉の鍵穴部分には通常の鍵穴とは別に、四角く切り抜かれた枠がある。そこへトーマスは自らのピアスを差し込んで、ドアノブを回す。
「オープンセサミ」
カチャン、とドアノブが回る音がしたかと思えば、その扉の奥には昇降機が顔を出した。
「便利でしょう?」
内側から本棚をもとの位置にスライドし、扉を閉めてしまえば、全てが元通り。外部へこの秘密が漏れることもない。
「元々は階段だったんですが、魔女の皆さんが昇降機に変えてくれましてね。ロンドの街にもずいぶんと昇降機は増えたようですが、ここが一番乗りですよ」
トーマスは冗談めかしてレバーを引く。ガコン、と音を立てて、大きく揺れるその箱は、ユノの家で初めて昇降機に乗った日のことを思い出させた。
昇降機が到着した場所は、魔女集会の日に見た重厚なエントランスホール。
到着する場所が分かっていても、なんだか不思議な気分だ。まるで物語の世界に迷い込んでしまったかのよう。
「正直、ロンドの街に魔女協会があると初めて聞いたとき、僕にはまったく何のことだか理解が出来なかったんです」
マークが打ち明けると、前を歩いていたトーマスは振り返る。
「仕掛けが分かれば、単純なんですがね」
トーマスの言葉は、マークへの返事とも、この国の現状を嘆いているようにも聞こえた。
ほどなくして、ホールへ姿を現したのはメイとシエテだった。穏やかな笑みを浮かべたメイと、鋭く冷たい視線を送るシエテの二人は対照的だ。
「ようこそいらっしゃいました、マークさん」
ふわりとスカートを持ち上げて頭を下げるメイの物腰の柔らかさは、トーマスとよく似ている。
「トーマスからお話は聞いています。今日という日を、心待ちにしておりました」
顔を上げたメイは心底嬉しそうに笑う。彼女の周囲だけがあたたかな春の陽気に包まれているかのようで、それが余計に、隣に立つシエテの冷たさを引き立てているようでもあった。
シエテは、マークを一瞥しただけで口を開くこともない。トーマスとメイはすっかり慣れてしまっているのか、そんなシエテに触れすらしない。
だが、無視をしているというわけでもなく、存在を認めたうえで、あえてシエテを刺激しないように努めているようだった。
「シエテ、お茶をお願いしてもいいかしら」
「……なぜ」
「大事なお客様だもの。ね、お願い」
メイがふわりと笑みを投げかければ、シエテはフンとそっぽを向いて「わかった」と小さく答えた。
メイがシエテの扱いを心得ているのか。それとも、シエテがメイを認めているのか。
(不思議な二人だ)
マークは思わずまじまじと二人を見つめる。そんな彼の視線に気づいたのか、シエテからの矢のような視線が飛んできて、マークは顔をそむけた。
「シエテがご迷惑をおかけしたようで、ごめんなさい。ジュリから、魔女集会の後にあったことはお聞きしました」
メイは申し訳なさそうに頭を下げてから、
「立ち話もなんですから、どうぞついてきてください」
軽やかに身をひるがえした。
「今日は、たくさんお話したいことがあるんです」
メガネの奥にたたえられた穏やかなエメラルドグリーンが、マークをとらえて離さなかった。




