3-13 運命の糸
「この先のお話を……僕が聞いてもいいんでしょうか」
マークがチラリとトーマスの様子を伺う。彼は、相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。
「かまいませんよ。ちょうど彼女とも、今朝話をしていたところで。マークさんにお話を書いてほしいとメイも言っていましたから、きっと両手を上げて喜ぶでしょう」
「トーマスさんも、かまわないのですか?」
「誰しも一度くらい、物語の主人公になりたいと願うものですよ」
それでも、マークの心にはさざ波が立つようで、万年筆を持つ手が迷いを表す。
「どうかされましたか?」
「いえ……。その、フィクションを書くものだとばかり思っていたので。トーマスさんと、メイさんの人生をお預かりするんだと思うと……急に、おこがましいような気がして」
これではまるで告解室だな、とマークは、目の前の聖職者を見つめる。
マークが今までに書いてきた物語は、全てフィクションだ。ユノたちと出会ったことで着想を得たものも当然あるが、誰かの人生を物語として編纂したわけではない。
だが、トーマスとメイの話においては……その人生を正確に物語として記すことが、自分のすべきことだろう、とマークは予感する。
「マークさんにだからこそ、お伝えしたいと思ったんですよ」
「まだ、出会って間もないのに」
「出会って間もない私たちのために、命をかけて物語を書いてくださる作家は、イングレス中を探してもあなた一人だ」
トーマスはきっぱりと言い切った。
「むしろ私たちからすれば、どうしてマークさんがそこまで必死になってくれるのか不思議なのです。魔女たちはこの百年、虐げられてきました。今では、その存在さえなかったことにされようとしている。なのになぜ、あなたは魔女に命を賭けられるんですか?」
もっともな疑問を投げかけられ、マークは、トーマス達には何も話していないことを思い出す。
トーマスの人生を聞く前に、自らの人生を話すべきだ、とマークは話を切り出した。
「ユノさんには話したんですが、僕は両親と妹を魔女裁判で失いました。僕だけが運よく助かったんです」
マークの昔話に、トーマスは露骨に顔をゆがめる。魔女裁判という言葉だけでも、トーマスに苦い過去を思い出させるのだろう。
「孤児院で育ち、この新聞社に勤めることになって、作家を目指すようになりました」
「作家を目指したのはなぜです」
「元々、本を読むのが好きだったんです。現実逃避でしたが。でも、今思えば、孤児院に入るより前から……妹に本を読み聞かせることが好きでした。それで、いつしか自分の物語を書きたいと思うようになって」
要所をかいつまみながら、マークは話を進める。
「何度か出版社に持ち込みもしました。ですが最終的に、魔女裁判にかけてやろうかと脅されまして。僕は、筆をおりました。本当に、文字通りですよ。万年筆をこう、ぽきっと」
「それはさぞ……」
つらかったでしょう、という言葉を飲み込んだトーマスの息遣いが聞こえる。彼は、言葉を探して、見つからなかったのか小さく息を吐いただけだった。
「それからは、いつ死んでもかまわないと思って生きていたように思います。自殺では、両親や妹に顔向けができないので、交通事故にあわないかと考えたこともあります。そんなある日、グローリア号に乗船して」
「まさか! それで、ユノさんの島へ?」
「すごい偶然ですよね。助かっただけでなく、そこで、もう一度物語を書こうと思えるなんて」
トーマスは、今度こそ言葉を失った、とでもいうように、口をポカンと開けたままマークを見つめていた。
なんて奇跡なのだろう。
それこそ、運命の思し召し。神様の――魔女のお導きとでもいうかのような。
「魔法にかけられたんですかね」
マークは冗談交じりに笑ったが、トーマスはニコリともしなかった。
真剣な顔でただうなずくばかりで、両手をぎゅっと祈るように握りしめた。男性のものとは思えない美しい長い指が交差する様は、運命の糸が絡みあうようだった。
「とにかく、それで僕はユノさんに助けられ、物語を書く素晴らしさを思い出して、どうしてもお礼がしたくなったんです。魔法も素晴らしいもので……なんとかして、人と魔女をつなぎたいと、そう考えました」
少し急いたように結論をまとめたが、トーマスはことのあらましが分かっただけでもずいぶんと納得がいったようだった。
マークがトーマスの瞳を覗き込むと、彼はまるでマークの考えていることが分かったとでも言うように、フッと微笑みを浮かべる。
「等価交換にしましょうか」
トーマスの疑問に答えただけにすぎないが、やはり、トーマスはそういう考え方をするだろう、とマークも微笑んだ。
「トーマスさんにはかないませんね」
わざと人生を語らせたな、とマークがトーマスに目くばせする。彼は素知らぬ顔でその視線を切った。
「何のことでしょうね」
等価交換と言われると、マークも割り切らざるを得ない。
形にならないもの同士でも、こうして容易くやり取りが出来るのだから、なんともよくできたルールだ。
「人生には人生を、ですか」
「至極明瞭です」
「これも、メイさんと織り込み済みですか?」
「彼女は夢見の魔女ですから」
マークの記憶の中で笑う彼女の、眼鏡の奥にたたえたエメラルドグリーンがキラリと輝いた気がした。
「では、私と、彼女の話をしましょう」
仕切り直しの言葉をはさんで、トーマスが一つ咳払いをする。マークは仕方ない、と万年筆を握りなおし、トーマスの言葉をメモに書き留めた。
それはもう、一言一句たがわぬよう、丁寧に。
- ・・・・ ・ ・--・ ・- ・・・ -
トーマスは生まれつき体が弱く、入退院を繰り返す幼少期を送っていた。そんな中で、アリーと出会い、二人は仲を深めていく。
ある日、アリーが「トーマスに紹介したい子がいるの」と連れてきたのがメイ・エスメラルダだった。
トーマスとメイはすぐに仲良くなった。とりわけ二人は、この国の歴史に興味があって、病院の医者や看護師を巻き込んで、ありとあらゆることを夢中になって調べた。
メイが魔女だと知ったのはそのころだ。
「メイはどうして昔のことを知るのが好きなの?」
トーマスの問いに、メイがいつもよりも少しだけ大人びた表情で答えたのを覚えている。
「未来のことは、わかってしまうから」
メイは、時々夢を見る。病院の先生からは予知夢と呼ばれていたが――正確に言えば『夢で未来を見る』魔法であった。
子供のころ、トーマスはそれがうらやましかったが、魔女は裁判で死刑になると知ってからは、自分の未来が見えてしまうなんて、と恐怖におびえた。
メイが血相を変えてトーマスの病室を訪れたのは、ある夏の日のことだった。
「死なないで!」
いつもは大人しい彼女が泣きながら声を上げるので、トーマスも驚いた。
「メイ、落ち着いて。ぼくは生きてるよ」
そのころにはトーマスも体力がついてきたのか、ずいぶんと入院をする回数も減り、今回もすぐに退院できるだろうとのことだった。だが、メイの未来では何やらよくないことが起こっていたらしい。
メイはきっぱりと言い切った。
「日曜日の午後、トーマスは退院できる。おうちに帰れることになる。でも、その日は列車には乗らないで。絶対よ」
それから二日が経ち、トーマスは医者から退院を言い渡された。
「日曜日の午後、ご両親が迎えに来るわ。久しぶりにおうちに帰れるわね」
看護師に笑みを投げかけられ、トーマスは「あ」と声を上げた。
家に帰るには、列車へ乗る必要がある。メイは、そのことを言っていたのだと。
日曜日の午後、病院を去るトーマスをメイは見送りには来なかった。アリーが言うには、昨晩からパニックに陥ってしまって、治療を受けているとのことだった。
トーマスは、意を決して両親に言った。
「今日はバスで帰りたいな」
病院から家までは、列車が最も効率的な移動手段だということくらい、マークも知っていた。そして、バスでも乗り継いでいけば家へ帰ることが出来ることも。
両親は当然驚いたが、退院したばかりの息子のわがままを聞いてやろう、とその日はバスを乗り継いだ。
翌日の新聞を見て、両親も、そしてトーマスも驚いた。
本来ならば乗る予定だった列車が追突事故を起こしたと、見出しを大きく飾っていたのだから。
死者の名前が並んだ記事を見て、トーマスはゾッとした。
メイに言われていなければ、自分の名前もここに並んでいたはずだ――
トーマスはそこで言葉を切り、マークもまた、万年筆の動きを止めた。
「私も、魔法にかけられたんです」
マークと同じく、魔女に命を救われた彼もまた、このイングレスの国を変えようと、息をひそめて生きてきたのであった。




