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万年筆と宝石  作者: 安井優
三つ目の扉 新聞社

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3-6 ペンは剣よりも強い

 魔女集会は九時を知らせる鐘の音とともに終わりを告げた。魔女たちは皆、一様にそろって礼拝堂の奥に備え付けられた小さな箱――ユノの家にあった、昇降機にも似た一室へと入っていった。


「あれは?」

 マークが、魔女たちを見送るユノに(たず)ねれば

「転送装置です。テレポートですね」

 ユノはあっけらかんと答える。


「テレポート?」

「別の地点へ瞬間移動するための装置、とでもいえばよいのでしょうか」

「ユノさんが、魔法で移動する、といったのは」

「えぇ。あれを使います」


 知らなかった、とマークはその『テレポート』と呼ばれた一室を見つめる。

「残念ながら、あちらも魔力を持つ人にしか使えません」

 昇降機を見つめるマークの瞳が、途端にしゅんと光を失って、ユノは申し訳なさそうに眉を下げた。


 どうやら、テレパシーやテレポートと言った便利な魔法は、神様によって魔女にのみ使用許可が与えられている、と考えた方がよさそうだ、とマークは思う。

 何事も、不完全なくらいがちょうどいい、といったところだろうか。


「それは少し残念です」

「あまりいいものでもありませんけどね」

 肩を落とすマークに、ユノは苦笑した。


 実際、テレポートは便利だが、使った後はひどい乗り物酔いのような感覚に(おちい)るので、ユノとしては出来れば遠慮したいところなのだ。マークが乗っていった水上機なる乗り物のほうが、何倍も楽しそうに見える。


 ユノは、そんなことよりも、と横目でマークの様子を(うかが)う。

 マークとの真の別れが迫っていることに、どこか落ち着かないのは自分だけだろうか。

 しばらくは――いや、下手をすればもう二度と、マークとは会えないかもしれない。


 いくら、本を出すと約束してくれたとはいえ、その本だって、いつユノの手に入るかは分からない。

 先ほどのトーマスとのやり取りを聞いていても、それは明らかだった。


「本、絶対に出してくださいね」

 ユノはきっと、これから毎日、マークの書いた物語を読み返すだろう。セリフを覚えてしまうほどに。文字がかすれて、紙が()り切れて読めなくなってしまったとしても、一言一句すべてをもう一度書き出せるほどに。

 それまでには、どうにかして新しい本を出してほしいものである。


「命にかえても」


 マークは小さな声で、だが、はっきりとそういった。

 ユノはそれを冗談だと思ったが、マークの表情を見ることは出来なかった。


 ――命と物語では、釣り合わない。

 初めにそういったのはマークだったはずなのに、今のマークはきっと、命にかえてもユノのために本を出版するのだろう、と思えた。


 マークは、春の息吹を閉じ込めたフォレストグリーンの瞳を柔らかに細めた。

「ペンは、剣よりも強い」

「へ?」

「ちょうど、百年ほど前……魔女裁判が始まる少し前に上演された劇のセリフです」

 ユノには聞き覚えのない言葉である。言論統制によって消えていった言葉の一つなのかもしれなかった。


「ユノさんは、いつか、僕に言いましたよね。本当は、すべての人の中に魔法の力が眠っていて、大きいか、小さいか。本人が気づくか、気づかないか。それだけのことだって」

 マークの言葉に、ユノは小さくうなずいた。


「そして、僕の魔法は」

「お話を書く力ですね」

 ユノが即答する。今度は、マークが小さくうなずいた。

「この劇のセリフには続きがあるんです」


 劇のセリフを滔々(とうとう)と述べるマークの穏やかな声が、ユノの心にストンと落ちた。


「ペンは剣よりも強い。この魔法の杖を見よ。帝王の力を奪い、騒がしい大地を治める魔法こそ、この一本のペンである」


 マークは(ほお)を紅潮させたまま、ポケットから万年筆を取り出す。

 ユノがマークにあげたものだ。

 ユノ自身はほとんど使うことがなかったが、それにしても、自分が持っていた時はあんなにも美しいものだっただろうか、とその万年筆を見つめた。


「不思議なんです。ユノさんからいただいた万年筆を握ると、こんな僕でも、イングレスを変える魔法の力があるんじゃないかって思えるんです」


 自らの物語を喜んでくれた彼女のためなら、マークは命だって差し出してしまえると思う。


 それは、愛によく似ている。


 イングレスにいたころのマークには、考えられないような気持ちであった。

 ただ、自分の好きなものを好きなように書き、イングレスの言論統制を(なげ)き、(おど)しに屈していたあの頃のマークではなかった。


 物語を書くことをやめた途端に何もかもを失ったと思えるほど――死んでもいいと思ってしまうほど――マークは物語を愛していたのだ。

 そして、ユノはそれを思い出させてくれた。

 物語を書くことの楽しさや、喜びや、言い表しようのないこの高揚感を、マークに再び教えてくれたのである。


「一生の別れになっても、僕は必ず本を出します」

 マークの言葉に、ユノはようやく、マークを見つめた。マークの覚悟に目を背けることは、許されないような気がして。


 ユノは小さく嘆息(たんそく)して、それから首を横に振った。

 ユノも、覚悟を決める。


「一生の別れなんて言わないでください。魔法の図書館を作るって、お約束を守ってもらわなくちゃ」


 ユノは、夜空色の瞳にあまたの星を輝かせる。


「もしも、マークさんが命をかけて本を出すなら、私は命をかけてマークさんを守ります」


 マークをたきつけたのは、まぎれもなくユノである。いや、そんなことは建前だ。ユノの本心は、マークの物語をいつまでも読んでいたいから、という身勝手な理由だけ。

 マークの物語は、ユノにとっては魔法そのもの。

 ユノの生きる理由を教えてくれたのは、マークなのだ。


「等価交換ですか?」


 マークが冗談めかして言えば、ユノは肩をすくめた。くるりと身をひるがえす彼女の、バイオレットのローブがはためく。

「いいえ、これは等価交換じゃなく」

 ユノの柔らかなミディアムボブの隙間に夕焼けが溶けて、それから、美しい夜がマークの目を()きつけた。


「私の勝手なわがままです」

 ――わがままを聞いてくれるのが、お友達というものでしょう?


 今まで、ユノがマークにわがままを言ったことなど一度もない。出会った時から、彼女はマークを献身的に助けてくれたし、見返り一つ求めず、彼女は自らの良心に従って行動していた。

 それはきっと、これからもそうなのだろう。


 だから、マークは思わず顔をしかめた。

(そんなのは、ずるい)

 マークが、断れるわけがないのだ。ユノの――魔女の友達からのわがままを。


 マークが苦笑したのを、ユノは了承ととったのだろう。

「それじゃぁ、マークさん。また」

 彼女はにっこりと笑みを浮かべて、テレポートへと吸い込まれるように足を踏み入れた。


「また」

 マークがそういった声は、ユノに届いただろうか。


 テレポートの扉が閉まり、その装置は、ユノの家に備え付けられていた昇降機と同じ、チン、と軽い音を立てる。

 扉が開いたそこには、すでに彼女の姿はなく、マークは上げた手をゆっくりとおろして、ポケットに入れた万年筆を指でなぞった。


 おそらく、ユノと会うことはもう二度とないだろう。

 マークの胸にはそんな予感があった。


 そしてそれは、ユノを――この世で最も大切な魔女の友人を裏切るという罪を、自らがこれから(おか)すということに他ならない。

 だが、それを()いることもないだろう、という確信もあった。


 物語を書こう。

 魔女と、魔法が出てきて、人と一緒になって世界を変えていく物語だ。

 そして、それを本にする。

 マークはその本を、魔女協会へ渡した足で、魔女裁判へと向かおうと決めた。ユノには内緒だ。


 ユノは、マークを守ると言ったが、彼女を巻き込むわけにはいかなかった。マークの意地が許さなかった。

 彼女には散々情けないところばかりを見られていて、今更だとはわかっているが、だからこそ最後くらい格好をつけたい、というのがマークの意地である。


「ペンは、剣よりも強い」

 万年筆一本で、自分はこれから世界と戦っていくのか、と思うと、マークの手は無意識に震えた。

 だが、手にじわりとにじんだ汗に不快感はなく、むしろ心地が良かった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 26/26 > ただ、自分の好きなものを好きなように書き、イングレスの言論統制を嘆なげき、脅おどしに屈していたあの頃のマークではなかった。  ここがぐっっと来ました [気になる点] >…
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