3-5 選んだ道
「どうやって取り入った」
背筋が凍るような冷たいブルーの瞳を持つ女性は、たった一言を放つと視線を外した。
女性にしてはやや低いが、よく通る声が印象的だ。投げかけられた言葉の鋭利さが相まって余計に。
人間のことを快く思っていないようだ、とマークは女性を見つめる。
ディーチェのように取り乱しているわけではない。苛立ちや憎悪といった感情を的確にコントロールしている。にも関わらず、これだけマークに敵意を向けているのだから、相当だろう。
マークよりも、ユノやその女性の隣にいた魔女の方がどこか慌てているくらいで、
「ご、ごめんなさい! シエテさんも、ディーチェちゃんと同じで」
とユノはマークに耳打ちする。
シエテと呼ばれた女性は、サファイアのような深い青の瞳に、短く切りそろえられた濃紺の髪が、他を寄せ付けない雰囲気だった。女性には珍しいパンツスタイルで、軍服のようにきっちりとした服装に、見ているこちらの息がつまりそうだ。
シエテの隣で眉をひそめている女性が、
「シエテが失礼なことを言ってしまってごめんなさい。私は、メイ。メイ・エスメラルダと申します。よろしくお願いします」
とマークに手を差し伸べた。
メイは、メガネの奥に穏やかなエメラルドと同じ美しいグリーンの瞳を持つ女性だった。シエテとは対照的に、物腰も柔らかだ。ふわふわとしたブラウンのショートヘアが彼女をより柔和に見せた。
「マーク・テイラーです。よろしくお願いします」
マークがメイの手を取ると、シエテが舌打ちをした音が聞こえる。人間なんかと仲良くするな、という意味だろうか。
どこかピリリとした緊張感が走り、メイは再び眉を下げた。
「ディーチェちゃんにも会ったそうですね。みんな人と仲良くしたいと思っている魔女がほとんどなんですけど……何人かはやっぱり、人が苦手だって魔女もいて。ごめんなさい」
「わかっているつもりです。嫌われても、仕方のないことだと思いますから」
マークが首を振ると、メイは苦笑した。苦労人の表情だ、とマークもつられて苦笑する。
「メイ。無駄話なら、もういいだろう」
シエテの声に、メイはさらに眉を下げた。
「シエテ。そんな言い方はしないで。私にとっては、大切な話よ」
「いえ。お気になさらないでください。お二人とも、他の魔女の方ともお付き合いがあるでしょうから」
マークがシエテを気遣うように言えば、メイはそれじゃぁ、とシエテの背を押した。
「また、いつでも魔女協会にお越しになってくださいね。お待ちしてますから」
「一生来るな」
正反対の言葉を残して、二人はマークたちから離れていった。マークはそんな二人の背を見送り、魔女にも色々な人がいるのだな、と当たり前のことを思う。
「アリーさんとジュリさん、それから今の、シエテさんとメイさんが、この魔女協会の設立者なんです」
二人の姿が見えなくなったのを見計らって、ユノが話しかける。
「そうだったんですか」
どおりでわざわざ挨拶に来てくれたわけだ、とマークは一人納得した。
特にシエテに関しては、そういった立場でなければマークのもとへ挨拶になど来たくもなかっただろう。
彼女には設立者としての立場がある。魔女協会は人と共存する方針なのだ。それを設立者の一人として示さなければならない、というシエテなりの思惑があったようである。
「他にも、僕のことを快く思っていない魔女の方もいるんでしょうね」
マークが苦笑まじりに皿にのせられたスコーンを口へほうり込めば、ユノは顔をしかめた。
「正直に言えば、そうかもしれません。どうしたって、魔女は、人に迫害されてきた過去がありますから」
ユノもまたプチトマトを口へほうり込むと、口に広がった酸味を堪能してから「でも」と話を続けた。
「それと同じくらい、マークさんのお話を心待ちにしている魔女も、たくさんいらっしゃると思いますよ」
ユノは、いつだって前向きだ。いや、意識的に後ろ向きなことは考えないようにしているのかもしれなかった。
ユノの願う、人と魔女が手を取り合って生きる世界を実現するためには、前を向いて進むしかないのだから。
マークは、そんなユノと肩を並べられるように、と自らが魔女の前で示した覚悟を改めて心に刻む。
どれほど魔女に嫌われても、人からさげすまれても――。
マークは、魔女や魔法が人々を幸せにする、そして人が魔女を幸せにする物語を、イングレスの歴史を書こう、と決めたのだから。
その後、マークのもとへは魔女や聖職者たちがかわるがわるやってきた。中にはマークの書いた物語を読みたい、という者までいた。
言論統制のしかれたイングレスの地では、娯楽が限られる。魔女は特に、あまり外へ出歩くことも出来ないとあってか、どうにも新しい本に飢えているようだ。
出版社に何度も断られ続けてきた小説を……編集長に燃やされ、そして脅された小説を、一冊の本にして出さなければならない。
マークの選んだ道は、想像以上に険しいものだが、今更後には引き返せない。
多くの人からの期待が、マークの背中を押してくれている。
「調子に乗って、後から泣き言なんて言うんじゃないわよ!」
マークの後ろから、聞き覚えのある声がする。見覚えのあるブロンドのツインテールが揺れ、つりあがったスカイブルーの瞳がマークをとらえていた。
「ディーチェちゃん!」
マークより先に、ユノがその名を呼んで、ディーチェを抱きしめる。どうやら、二人にはこれが普通の挨拶のようだ。
「ちょっと!」
ディーチェはユノの体を引きはがそうとしているが。
ディーチェの後ろには、トーマスが控えており、その漆黒の瞳は穏やかにディーチェを見つめていた。年齢差と身長差があいまって、その姿は子供を見守る親のようである。
人間が嫌いなディーチェも、トーマスのことは認めているのか、それとも何か別の感情があるのか、彼が後ろにいることは当たり前のようで、気にもしていなかった。
「今日はそれを言いにきただけよ!」
ようやくユノから離れたディーチェが、ふん、とマークに言い放つ。一応、マークのことも認めてはくれているようである。
「ディーチェさん、本当はもっと伝えたいことがあるのでは?」
トーマスが深い笑みを浮かべれば、ディーチェは目を見開いて
「そ、そんなわけないでしょう! 別に、あ、あんたの本なんか、これっぽっちも期待なんてしてないわよ!」
と聞かれてもいないことを口走った。
「ディーチェさんは、素直になれないところがあるんです。特に、人間相手には」
トーマスが小さくマークに耳打ちすると、ディーチェはそんなトーマスをにらみつけた。
「聞こえてるわよ!」
ディーチェの剣呑な瞳は、トーマスに向けられる時だけはどこか穏やかだ。同じ表情であっても、マークを見ている時とは少し目の色が違うような気がする。
ユノは、あら、とそんなディーチェを見守った。
「それにしても、本とは、また大きく出ましたね。国を敵に回すようなものです」
トーマスの仕切り直した言葉に、ユノとディーチェは顔を見合わせた。今回のことに関して言えば、ことの重大さをわかっているのは、どちらかといえば、魔女よりも人である。
「何か伝手があるんですか?」
普通なら、そう考えるだろう。マークの発言は、本当に命がけで達成されるものなのだ。
「いいえ。実は、過去に出版社とは色々とありまして。今のところは目星もついてないんです」
出版の目途すら、しばらくは立てられそうもない。ふつうの物語ならともかく、魔法や魔女が出てくるのであれば、なおさらだ。
「それでも、マークさんは本を出されるのですね」
マークはうなずく。
「それが、僕の命を救っていただいたユノさんとの、等価交換なんです」
マークの言葉に、トーマスはふっと柔らかな笑みを浮かべて、なるほど、とうなずいた。




