3-4 覚悟と情熱
アリーとトーマスが案内してくれたのは、魔女集会が行われる会場だった。そこは元々礼拝堂として使われていたらしく、マークが小さいころにずいぶんと長い時間を過ごした場所によく似ていた。
中に入れば、大勢の女性たちからの視線がマークへ向かう。
何時間か前に別れたユノと、ジュリの姿もそこにはあり、そして数日前に出会ったディーチェの姿もあった。
ざっと数えただけでも、二十名はいる。つまり、四十以上もの美しい瞳が、マークに注がれていて……マークは思わずつばを飲む。
トーマスは修道服を着た男たちのもとへと歩いていき、その列に加わった。
アリーが祭壇の前に立つ。堂々とした立ち振る舞いが、彼女にはよく似合っていた。
「皆様、ごきげんよう」
凛とした声は、礼拝堂のざわめきをかき消すのには十分だった。
魔女たちは、アリーを特別視しているわけではないようだったが、それでも、彼女の声には耳を傾けていた。熱心な信者のような魔女だって中にはいるのだろうが、マークには、孤児院の院長が、マークたち孤児に朝礼で話をしているときのような光景に近い、と思えた。
「元気にしていたかしら?」
アリーはくるりと魔女たちを見つめて、柔らかに目を細める。彼女の長いまつげも、髪とそろいのプラチナブロンド。瞳の輝きにも負けないそれは、感嘆の息が漏れそうだった。
「いつもなら、すぐに歓談とするところだけれど、今日はご紹介したい方がいるの。少し、お時間をくださいね」
アリーの視線が、マークに向けられる。マークの視界の端で、ユノが「がんばってください!」とアイコンタクトを送っているのが見えた。
「マークさん。どうぞ、こちらに」
アリーに呼ばれ、マークは姿勢を正す。
(こ、こんなことでびびってちゃだめだ……! 僕は、決めたんだから)
魔女と人とをつなぐ物語を書いてみせる、とユノと約束をしたのだ。マークは震える足をなんとか前に進める。
手のひらにじとりと汗がにじんでいるのを感じ、マークは自らの手をぎゅっと握りしめた。ドクドクとうるさい心臓の音には、聞こえないふりをする。
意識的に、ゆっくりと息を吐いて、吸って、それから出来る限り慎重にまばたきを繰り返した。
マークがこんなにも緊張をするのは、一体いつぶりだろうか。
(初めて新聞社の門をたたいた時? 出版社に本を持ち込んだ時? それとも、海へ体を放り出した時?)
マークは自らの記憶をたどりながら、いや、それ以上だ、と内心で苦笑いを浮かべる。
アリーの隣に並ぶと、いよいよ魔女たちのジュエルアイから逃れることは出来なくなった。
彼女たちは皆個性的で、イングレスの地で……または、イングレスの外で生きるにはずいぶんと苦労をしただろうな、とそんなことがマークの頭をよぎった。
魔女たちの表情は十人十色。ユノのようにキラキラとした目を輝かせている人もいれば、ディーチェのようにどこか苦虫を嚙み潰したようような顔をしているものもいる。穏やかにマークを見つめるものも、値踏みするような視線をおくるものも。
けれど、マークはそのすべてを受け止めて前に進まねばならなかった。
今までのように、嫌なことや辛いことから逃げていては、マークが真に書きたいと心から願っている物語を書くことは出来ない。
マークは作家である。
自らの物語にまで、嘘をつくことは出来なかった。
「マーク・テイラーです」
マークはゆっくりと口を開く。
今までで一番震えている声で、けれど、今までで一番しっかりと穏やかに響く声であった。
アリーは、マークのフォレストグリーンの瞳も、柔らかにゆれるカーキの癖毛も、どこか自信なさげな猫背も、全て、マークという人物を表しているのだろう、と思う。
不安げで自信がなく、その分、人一倍優しく穏やかで。そして何より、心の奥底に秘めた意志を貫き通す覚悟と情熱を持つ青年の姿が、アリーの目に映る。
「皆様の――いいえ、魔女と、人との架け橋となるような物語を書くべく、僕はここへやってきました」
マークは、自らの心に誓う。
必ず、そんな物語を書くのだ、と。
「精いっぱい頑張ります。よろしくお願いします」
頭を下げたマークに、パラパラと拍手が起こり、やがてそれはまとまった喝采となった。
マークの物語は、今、ここから始まったのだ。
たった一瞬だが、マーク自身がそう思うほど、劇的な瞬間だった。
アリーはマークの肩に軽く手を置いて
「ありがとうございます、マークさん。これから一緒に、この世界を彩る新しい物語を作りましょう」
そう微笑んだ。
その後、アリーの一声で礼拝堂は会食場となった。どこからかたくさんの料理が運ばれてきて、あっという間に立派な立食パーティーに様変わりだ。
魔女集会というからもっと仰々しいものかと思っていたマークは、呆然とそんな様子を見つめる。
「マークさん!」
マークに駆け寄ってきたのはユノである。つい数時間前の別れが嘘のようだ。
「さっきの挨拶、すごく素敵でした!」
相変わらず、マークを褒めるのがうまい。ユノの魔性っぷりに、マークは頬を染めた。
「ユノ、元気だった?」
マークの隣で、アリーもユノに声をかける。
「おかげさまで」
ユノがマークを紹介した相手はアリーだったようで、アリーはユノに礼を述べていた。
「さ、マークさんも好きなものを食べてください! 今日はごちそうですよ!」
ユノはマークの手を引く。確かに、テーブルの上に並べられているものは、豪勢なものばかりである。
ユノの料理もうまかったが、きっとこの料理もうまいのだろう。
「僕も、いただいていいんですか?」
マークがアリーへ視線を向けると、アリーはうなずいた。
「もちろん。たくさん食べてくださいね」
アリーに背をおされ、ユノに手をひかれ、マークはテーブルへと近づく。ユノがマークの料理を取り分けて、その皿を手渡した。
「びっくりしました?」
「えぇ、少し。もっと、かしこまったものかと」
マークは皿を受け取り、苦笑した。
「魔女集会は、魔女たちが近況を互いにおしゃべりする場なんです。もちろん、何かあった時は集まって話し合ったりすることもありますが、基本的にはこういう感じなんですよ」
ユノは、自らの皿に料理を取って、
「良かったら、他の魔女の方にもご挨拶しにいきませんか?」
とマークを誘った。
そんなマークたちのもとへやってきたのはジュリである。
「ユノちゃんから作家だって聞いてたけど、本当に素敵な自己紹介だったわよ!」
ジュリは、瞳と同じ真っ赤なワインの入ったグラスを片手にウィンクを一つ。アリーの完璧な美しさとはまた別の、親しみのこもった麗しさが彼女にはある、とマークは思う。
真っ赤な髪を揺らして、
「お話も楽しみにしてるわ! あなたなら出来るって思っちゃった。頑張ってね、マークくん」
マークの頬に軽くキスを一つ落とすと、手を振って人ごみに紛れていった。
突然の出来事に顔を真っ赤にしたマークと、眉を下げるユノ。
「ジュリさんなりの、挨拶なんです」
どうやら、ジュリという女性は、その見た目通りの情熱的な人間らしい。
確かに、イングレスでも挨拶代わりに頬へキスをするというのは、親しい仲ならよくあることだ。けれど、女性とそんな風に触れ合うのは初めてだったマークにはいささか刺激が強かった。
マークとユノに、再び声がかかる。
「はじめまして、マークさん」
振り返った先には二人の魔女。
一人は、マークと同じ、穏やかで美しいグリーンの瞳を持っていて、もう一人は――これでもかと憎悪に満ちた冷ややかなブルーの瞳をマークへと向けていた。




