番外編3 伝えたかった思いを
「トーマス! 助けて!」
「ディーチェさんを離しなさい!」
「彼女を返してほしければ、この俺を倒して見せろ、聖職者!」
エリックの腕の中で、のど元に剣先をあてがわれたディーチェの姿。トーマスは、珍しく悪態をついて、拳を力いっぱい床にたたきつける。
「くそっ……一体どうすれば……」
その時、トーマスの後ろからさっそうと現れた彼女の、濃紺の髪がサラリと揺れる。バッサリと切りそろえられた髪の隙間からは、美しいインディゴの瞳。
「援護する」
「あなたは?」
「我が名はシエテ。あいつには借りがあるのだ!」
シエテが果敢にエリックへと向かって駆け出すも、彼は軍人。ディーチェを腕の中に押し込めたまま、軽やかにシエテの攻撃を避ける。
トーマスはその隙に、遠くへと転がってしまった拳銃を拾い上げる。
「聖職者のくせに! 人を殺すのか!」
しまった、という表情でエリックが叫べば、トーマスは「いいえ」と首を振った。
「等価交換です、あなたと、彼女の命との! 大人しく引き下がれば、その命、奪うことはいたしません!」
銃口を向けられたエリックは、なすすべもなくディーチェを解放する。
「覚えてろ!」
捨てゼリフを残して去っていくと、トーマスはへなへなと座り込んだディーチェに駆け寄り、ひしとその体を抱きしめた。
「ひゃぅっ!?」
思わず心からの悲鳴を漏らすディーチェの頬が、みるみるうちに紅潮していく。美しいブロンドのツインテールが、真っ赤になった耳元で揺れてきらめいた。
「ディーチェさん、大丈夫でしたか?」
麗しい顔立ち、真剣なまなざし。美しい漆黒に自らの顔が映り込み、ディーチェはハクハクと荒い呼吸を繰り返す。
「最後のセリフを」
耳元で優しくささやかれ、ディーチェは声を裏返しながらも、どうにでもなれ、と叫ぶ。
「ありがとう! あなたは、私の王子様よ!」
ディーチェが、ガバリとトーマスに抱きつき返すと、勢い余ってそのままトーマスと共に床へとなだれ込んだ。
優しく受け止めるトーマスのあたたかな手の温度が伝わり、ディーチェは慌てて体を離す。
ディーチェが瞬時に立ち上がり、ギリギリの理性で、真っ赤になった顔を見られぬようにと頭を下げれば、子供たちの歓声が聞こえた。
盛大な拍手を皮切りに、トーマスやシエテ、一度は舞台からはけたエリックも舞台上に戻ってきて頭を下げる。
「トーマスせんせい、かっこいい!」
「ぼくは、シエテせんせいが好き!」
思い思いに声を上げる子供たちの笑顔に、ディーチェはようやくホッとしたように顔を上げる。まだ、トーマスの方に視線を向けることは出来ないけれど。
トーマスと目を合わせないように、と視線をさまよわせれば、子供たちの後ろでディーチェ達に拍手を送るマークの姿が目に付いた。
わざわざ見に来てくれたのか、と相変わらずなお人好しぶりに、ディーチェの口角は無意識に上がった。
孤児院設立から一年。
ロンドの様子はすっかり変わり、今まで息を潜めていた魔女たちの姿が、町で見かけられるようになった。
ディーチェやシエテもそんな魔女の一人だ。今日は、セントベリー大聖堂の中庭を借りて、孤児院設立一周年の記念パーティーを開いている。
子供たちのために何か出し物をしようと考え、三人は劇をすることに決めた。
聖職者や、町の人々がバザーや飲食の露店を出すというので、それにかぶらないように、と配慮した結果だ。
そんなところに、ちょうど噂を聞きつけてやってきたのが、マークとエリックの二人である。ならば、劇の脚本はマークに、足りない登場人物はエリックにやってもらおう、とうまい具合に話も進んだ。
今や売れっ子作家となったマークが、子供たちのために書いてくれた脚本は、悔しいことに、やはり面白かった。
ディーチェは、劇の台本とはいえ、トーマスと熱い抱擁を交わさなければならないことに猛反発を繰り返した。いや、実際のところ、内心では嬉しさと緊張とがないまぜになった複雑な心境で、こんなチャンスは二度とないかもしれない、とは考えていた。
しかし、それを進んでやりたい、と発言する勇気は、当然ディーチェにはない。
「それじゃぁ……」
マークが思案顔でラストシーンを練り直そうとしたところ、なぜかシエテとエリックが結託して「そのままでいい」と押し切ったことは記憶に新しい。
ディーチェは珍妙な面持ちで二人を見比べたが、二人は顔を見合わせてうなずくばかり。
トーマスも、特に気にした様子はなく、
「ディーチェさんが良いのであれば」
といつもの整った笑みを浮かべるばかりだった。
そんなわけで、ディーチェは無事に、トーマスとの素晴らしいラストシーンを乗り切ったわけだが……。
「なんなのよ! もう!」
舞台裏で、マークが持ってきてくれた差し入れのマンディアンを食べながら、ディーチェは顔に集中する熱を冷ますようにパタパタと手で仰ぐ。
「なかなか良かったぞ」
「そうですね。ラストシーンは最高でした」
どういうわけか、すっかり意気投合したシエテとエリックに生暖かい視線を送られ、ディーチェは二人をキッと睨みつける。
トーマスが、マークと話すためにこの場を離れていることだけが幸いか。
「まさか、押し倒すなんてな」
「なっ!?」
シエテがにやりと口端を上げ、再び顔を真っ赤に染め上げたディーチェの手から華麗にマンディアンを奪い取る。
どうやら、この二人にはディーチェの淡い恋心を見透かされているようだ。
もしかしたら、あの脚本を書いたマークにも――
ディーチェはあまりの恥ずかしさにその場で悶え、なけなしのプライドで声を上げた。
「そんなんじゃないんだから!」
「何がです?」
劇も楽しかったですね、とディーチェの後ろから穏やかな声がかかり、ディーチェはガバリと振り返った。
彼が艶やかな黒髪を耳にかければ、エメラルドのピアスがキラキラと輝く。
トーマスに、そのつもりがないことは分かっている。
思えば思うだけ、悲しくなってしまうこの恋を諦める他に、自らが選び取れる道がないことも。
「なんでもないわよ!」
ディーチェがいつもの調子で声を荒げれば、トーマスは困ったような笑みを見せた。
「あぁ、そうだ。俺もマークさんのところへ挨拶に行ってきますね。シエテさんも、一緒にどうです?」
何を察したか、それとも変な気遣いか、エリックがわざとらしく声を上げる。
先ほどまで無駄にハマった悪役の演技をしていた男のそれとは思えない。
シエテも、チラリとディーチェに目くばせをすると
「そうだな」
と普段なら絶対に断るであろうエリックからの誘いに乗っかった。
なんだかんだ、お似合いなのはあの二人ではなかろうか。そそくさとその場を立ち去る二人の背中を、ディーチェは恨めしくねめつける。
トーマスは、「珍しいこともあるものですね」とシエテの行動を評価して、ゆっくりとディーチェへ視線を戻した。
彼は敏い人物だ。常に、魔女と一緒に過ごしてきたせいか、魔女の扱いもよく心得ている。
「劇の中とはいえ、ディーチェさんを守れて良かった。メイ達も、喜んでいるでしょうね」
ディーチェは、そんな風に笑うトーマスに思わず胸元を抑えた。
「メイは怒ってるかもしれないわよ」
一時的に、とはいえトーマスをディーチェに取られたのだから。
だが、トーマスはふっと柔らかな笑みを浮かべて、ディーチェの方へと視線を戻した。
「いいえ。喜んでいますよ。ディーチェさんが、こんなにも輝いているんですから」
今は、空にいる彼女たちではなく、目の前にいるディーチェを映す彼の美しい瞳は、見つめられるとやはり吸い込まれそうで。
だが、いつもなら逸らす視線を、今日はそらさなかった。
「……ありがとう」
伝えられない想いもあるが、それ以上に伝えたかった思いがある。伝えられなくなる前に。
トーマスは少しだけ驚いたように目を見開いたが、やがて、彼には珍しく声を上げて笑った。
"---When I remember this day, I become glad.
I felt that their freedom became the daily life at last."
As March T. (19XX). Column, THE DAY WITH THE WITCH, ENG : TENNY Publish Co.




