番外編2 間違いから招かれた
どれほど闇に葬りたいような出来事であっても、忘れてはならぬ事がある。
イングレスの国王が、かつて私利私欲を満たすためだけに行った戦争も、その一つだ。
国王の一人娘、リリベットが国を継いでからも、隣国との関係を修復するには時間を要した。
だが、リリベット女王は、こう語る。
「間違いによって招かれた結果まで、間違いであるとは限りません。そこには、様々な良いこともあるのです」
・ -・ -・-・ --- ・・- -・ - ・ ・-・
リリベットの母親――つまり、王妃は、大層聡明だった。
隣国との戦争を仕掛けようとしていた国王を必死に最後まで説得した人物であり、隣国にも近いうちに戦争が起きてしまうかもしれない、と警鐘を鳴らした人物である。
彼女は、自らが雇っていた枢密顧問官を隣国へと送り込み、なんとか戦争を止められないか、と一人画策していた。
送り込んだ枢密顧問官の一人には魔女を選んだ。
治癒の力を持つ魔女で、王妃が最も信頼をおく友人だった。
魔女と言う特別な存在は、隣国との交渉材料にもなる。それだけでなく、彼女が持つ治癒の力は、相手に危害を加える心配もない。万が一、戦争が始まってしまっても、彼女の力があれば隣国の人々を助けることが出来る。
まさに、今回の交渉ごとには最適な人物だ。
自らが表舞台で国王と戦っている間、水面下では魔女が隣国と和平の交渉を進めていた。
だが――残念なことに、全てがうまくいったわけではなかった。魔女の存在がばれたのだ。
「隣国に亡命している魔女がいる」
「危険な魔女を、隣国がかくまっている。これは、こちらに対する宣戦布告だ」
どこから情報が漏れたのか、そうして、王妃の画策はあえなく散った。しかも、王妃は国王に背いたとして、幽閉されることとなる。
戦争がはじまり、敗戦し……その後、王妃と魔女が再会を果たすことはなかった。
王妃の幽閉がとかれたのは、敗戦からおよそ五年が過ぎたころだった。
イングレスは不況の一途をたどり、優秀な王妃の存在を失ったことで、回復の兆しすらも見えなかったころ。
いよいよ国王もこれはまずい、と彼女を檻から解放したのである。
王妃はすっかり憔悴しており、そのころにはほとんど口を開くことも出来なかったという。
王妃がようやく生気を取り戻したのは、二年後のこと。
もはや、人形のように国王の良いようにされるがままだった王妃も、子を――リリベットを授かったことで、ようやく前を向くことが出来るようになった。
とはいえ、王妃の体は弱り果てていた。子を産むには体力が必要で、彼女は残念ながら、その体力を持ち合わせておらず、リリベットを生むと同時に亡くなってしまった。
だが――幸いなことに、彼女の聡明さは、リリベットへと受け継がれた。
美しさや、慈愛の深さ、そして魔女とのつながりも。
そんなリリベットが魔女と出会うことになったのは、彼女が十一の誕生日を迎えた翌月。
敗戦の種火はいまだくすぶり続けていて、隣国との衝突が再び起きた。国境付近で大規模な戦闘があったのだ。
国王は知らん顔を決めていたが、リリベットは傷ついた人々を癒すため、そして、父親が犯した過ちを少しでも償うために、戦地へと赴いた。
決して王族が訪れるような場所ではない。
一か月では、戦火の跡を消し去ることは当然出来ず、倒壊した家々や、その隅で泣き続ける人々の姿ばかりが目についた。
それでも、リリベットは王女として目を背けることなく、人々に声をかけて回った。
どれほど罵詈雑言をはかれ、時に命を狙われたとしても。
町での生活も、一週間ほどが過ぎた。
倒壊する建物の隙間を歩いていたリリベットの目に、まばゆいオレンジが飛び込んできたのである。
華々しいオレンジの少女は、隣国の方からフラフラと歩いてきたかと思うと、やがて、ゆっくりと地面へと吸い込まれた。
「あの子を助けなくちゃ!」
周囲にいた護衛の男たちに声をかけ、リリベットは迷うことなく少女を自らの部屋へと運ばせた。
この少女こそ――リリベットの枢密顧問官、シトリンである。
シトリンは、魔女裁判にかけられることが決まった夜、両親たちの助けと、自らの魔法の力を駆使して裁判所地下の牢獄から脱走した。
両親からは、最後の願いを聞き入れてくれと頼みこまれ、彼女は小さな体いっぱいに怒りと悲しみをみなぎらせた。
あてもなくさまよい、隣国付近へとたどり着いたが、そこは戦地。
ジェイムズ最高裁判官によって、銃弾を撃ち込まれ、死の淵をさまよった。
彼女が無事だったのは、シトリン自身がもつ風を操る力で、銃弾の軌道をほんの少しばかり逸らすことが出来たから。そして、隣国から、王妃の友人――治癒の力を持つ魔女が戻ってきたからだった。
治癒の力を持つ魔女は、シトリンを治癒して代わりに死んだ。そもそも、魔女は短命な生き物。自らの死期が迫っていると知り、最後に一目、王妃に会いたいと命からがら戻ってきたところであった。
だが、目の前で死にかけている魔女を放っておくことなどできず……治癒の魔女は、その少女に希望を託した。
そこにやってきたのが、リリベット王女。
度重なる奇跡は、シトリンの知らないところで起きていたのだが――目を覚ました彼女はもちろん、そんなことなどつゆ知らず。
目の前の王女に忠誠を誓い、枢密顧問官となったのだった。
間違いから招かれたこの出会いを、誰が間違いと呼べようか。
リリベット女王と枢密顧問官シトリンの、運命の出会いを。
「……ですって」
リリベットが、横に控えるシトリンへと視線を向けると、シトリンは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
リリベットも登場人物であり、自らの物語を読むというのは気恥ずかしいものがあるものの、それよりも隣にいる彼女が珍妙な顔をしていることが面白い。
「あの……リリベット様……。これは、新手の拷問、でしょうか」
鮮やかなオレンジの髪がせわしなく揺れる。普段以上にソワソワと体を動かすシトリンの姿は、年相応で可愛らしい。
「あら。私たちの出会いの物語を拷問だなんて、あなたも随分と酷いのね」
幼いころからの知り合いだ。二人きりの時は、ついついリリベットも砕けた口調になってしまう。
ますます苦々しい顔を浮かべたシトリンに、リリベットは思わず笑い声をあげてしまう。
「せっかく、あなたのお兄様が書いてくださったのに。あなたも、お兄様のお話は大好きなのではなくて?」
「それは、そうなのですが……うぅ……どうして、こんな話を受けてしまったんでしょう」
シトリンは頭を抱えてうずくまる。枢密顧問官とは思しき行動だが、リリベットは咎めない。
もう夜も更けている。そうでなくても、ここは寝室で、今は二人きり。
仕事の時間はとっくに終わっているのだから、シトリンにも気を使われたくはない。
シトリンは、リリベットの枢密顧問官ではあるが、それと同時に、最も信頼のおける友人でもあるのだ。
もはや、父親よりも家族と思えるくらいには大切な存在。
だからこそ、あえて就寝前のこの時間に読む物語として、この話を持ち出した。
彼女との思い出話でも、久しぶりに語りたい気分だったから。
兄が生きていると分かり、彼と出会った後にも、リリベットと共にいることを選んでくれたシトリンと、話したいことはいくらでもある。
それに、とリリベットはいまだ複雑な表情でうずくまり、何かをブツブツと繰り返しているシトリンを見つめた。
魔女は、その力をもつがゆえに短命。
魔法を使えば使うほど、その寿命は縮まっていく、というのは誰かに聞いた話だが、それにしたってきっと、自分より長く生きることはないのだろう。
ならば、一分一秒たりとも、彼女と過ごす時間は貴重なものだ。
「ねぇ、今日は一緒に寝ましょうよ」
リリベットからの突然の提案に、シトリンは一瞬、理解が追い付かなかったのかポカンと不思議な顔をした。
「それで、明日はゆっくり起きるの。あなたもたまには、朝寝坊くらいした方がいいわ」
働きすぎるくらいだもの、と付け足せば、シトリンは目を丸くした。
「えっ!? え!? そ、それは! あの! ご命令とあらば! 恐れ多くも、謹んでお受けさせていただきますが……そのぅ……」
アタフタと慌てふためく様子は、兄のマークによく似ている。一緒に過ごした時間は短く、その記憶はほとんどないとシトリンは言うが、やはり血は争えないようだ。
「命令ではなくて、お願いよ。友人としての」
リリベットがいたずらに微笑みを浮かべれば、シトリンは、太陽のようにまぶしい笑みを浮かべて大きく首を縦に振った。
I dedicate this story to my beloved sister.
Pray for your happiness.
By your brother , March Tailor




