番外編1 魔女たちの優雅な非日常
これは、イングレスが新しい時代を迎える少し前の、魔女たちの優雅な非日常の物語である。
むかし、むかし、そのまたむかし。
そんな風に、いつかこの時代が語られる日が来ることを願って――
・・・ - ・- ・-・ -
はじまりの魔女と呼ばれる、イングレスを作った彼女が後世に残したプレゼント。
それらはいくつか存在するが、有名なものはやはり、秘密の楽園であろう。
その島は、イングレス本土からでは海流の関係からたどり着くことが難しく、つい最近までは誰も知らない孤島だった。魔女が、魔法で隠していたのかもしれない。
孤島には、代々魔女が住んでいた。大勢の魔女が暮らしているときもあれば、たった一人の魔女が、孤島暮らしをしていたこともある。
この時代は……一人の少女、ユノ・トワイライトと呼ばれる魔女が住んでいた。
彼女は、仕切られた空間内の景色を変えるという、言葉にすると想像のつかない、不思議な力を持っている魔女だった。
別名『とびら屋』。やはり、想像のつかない不思議な職業を営んでおり、魔女を癒すためにその力を使っていた。
この時代、魔女は罪人。ロンドでは息を潜めて生活しており、ただでさえ少ない娯楽は享受できないに等しかった。
そんな中で、ユノの持つ力は、彼女たちにとっては、なくてはならないエンターテインメントの一つだったといえる。
魔女たちは、テレポートを使って『とびら屋』へと訪れては、その魔法に癒されていた。
今日もまた、『とびら屋』にそんな魔女たちが三人――
「ユノちゃん!」
彼女をきつく抱きしめ、その柔らかな頬に無数のキスを落とすのはジュリ。真っ赤な髪をたおやかに揺らして、心ゆくまでユノを堪能する。
そんなジュリを困ったように見つめるのは、ダイヤモンドの瞳を持つ魔女、アリー。
そして、ユノが助けを求めるのは、メガネの奥で瞳を柔らかに細めるメイだ。
「ワタシ、頑張ったんだから! ユノちゃん、今回もとびっきり素敵な景色をお願いね!」
「今回はどんなお仕事を?」
「ジュリは、軍のお偉いさまと会食に行ってきてくれたの」
ユノの質問に答えたメイが、少しだけ困ったように眉を下げた。メイとよく一緒にいる聖職者と、笑い方がそっくりだ。
「ジュリ、それくらいにしなさい。ユノも嫌ならはっきり言った方がいいわ」
アリーに首根っこを掴まれたジュリが、えぇ、とふてくされたように唇を尖らせる。ようやくジュリの情熱的な愛情表現から解放されたユノは、困る様子を見せるどころか、クスクスと楽しそうに微笑んだ。
この三人は、魔女の支援を行うための組織、魔女協会を立ち上げた女性たちで……特に、年齢が近いせいか、本当に仲が良い。
もう一人、シエテという魔女がいるが、この魔女については別の話で語ることにしよう。
「まずは、お茶でも飲んでゆっくりしてください。すぐにとびらをご用意しますから」
気遣うようにユノが声をかければ、三人はその厚意を素直に受け取って、テーブルに置かれたティーカップへ口をつけた。
その間にも、ユノは三人にどんなとびらが良いか、質問を投げかける。三人は、口々に見たい景色を並べては、互いに意見を混ぜ合わせて新しい景色を作り上げていった。
三人の好みはバラバラで、だからこそ、ユノにも刺激的。
ジュリは南国のように華やかな景色が好きで、メイは落ち着いた雰囲気の、森を想起させるような景色が好きだ。アリーはといえば、意外にも乙女趣味なところがあって、花畑や雲の上といった、どこかファンタジーな景色を好む。
それらを混ぜ合わせればどうなるか、といえば、もちろん見たこともないような世界が現れるわけで……それを可能にするのがユノの魔法と、少しの想像力だった。
それは、未知なる世界を閉じ込めた一冊の本のよう。
とびらを開けると広がる世界は、ページをめくれば輝きだす物語によく似ている。
「それじゃぁ、早速」
数十分も話し込んでようやく決まった新しい世界を、ユノはしっかりと脳内にイメージしてドアノブを握る。
ここから先が、ユノの仕事であり、彼女の本領が発揮されるところだ。
「オープンセサミ」
ゆっくりと魔法の呪文を唱えれば、カチャン、とドアノブがひとりでに回る。
三人は、ユノが魔法をかけたばかりのとびらの前に並ぶと、全員でそのドアノブに手をかけた。
「「オープンセサミ」」
再びその呪文を唱えれば、今度は先ほどとは逆方向にドアノブが回り、三人はとびらの内側へ吸い込まれるような感覚に胸を高鳴らせる。
ゆっくりととびらを押し開ければ、目の前に広がった世界にそれぞれ感嘆の声を上げた。
眼下に広がるのは、雨の降るロンド。
雨とは言っても、天気雨なのか空には晴れ間がのぞいており、むしろ清々しい空気が感じられるほどだ。時計塔の向こうに虹までかかっていて、余計に心が明るくなる。
人々が持つ色とりどりの傘は、鮮やかに街を彩っていた。
どうやらここは、ロンドのアパートの一室らしい。
高さからすれば、おそらく四階か五階。そのベランダに、魔女たちはいるようだった。
「さすがはユノちゃんね」
三人分のオーダーをまとめるのに最適な場所を見つけたユノをジュリは再び抱きしめる。
時計塔の奥に広がるのは海で、そこからずっと水路が続いている。ロンドの景色でありながら、町中に張り巡らされているのは道路ではない。いつもなら排ガスを吐き出しながら走る車も、今は可愛らしいボートに姿を変えていた。
これには、海が見たいといったジュリ以外の二人も喜びと驚きを隠せなかったようで、キラキラとした瞳で行きかうボートを眺めた。
雨は次第に花や宝石、星々に形を変えて降り注ぐ。人が傘を閉じるたび、飛び散る水しぶきがキラキラとそれらに反射した。
ロンドの街には燃えるような夕暮れが迫り、魔女たちは時計塔の針が右回りにカチンと時を刻む様子を見つめる。
どこまでも永遠に続くように思えるその時間が愛おしく、アリーは自らが生まれ育ったその街を目に焼き付ける。
メイはそんなアリーの肩に頭を預け、ジュリも、アリーの腕に自らの手を絡ませた。
「私たちの街は、美しいわね」
どんなに人々に忌み嫌われていようとも、アリーは絶対に人を信じ、国を愛した。
「さすが、魔女を生んだだけのことはあるわ」
ジュリもまた、人々を愛し、魔女としての誇りを胸に刻む。
メイは、そんな二人を見つめて、そっと目を閉じた。
いつか、この国が、魔女と人とが手を取り合って、真の自由を手に入れる日がくることを夢見て。
魔女たちは、それぞれ思い思いにしばらくその風景を楽しんだ。
夕暮れもやがて、夜の帳をおろし、あちらこちらの家から明かりがポツポツと浮かび上がる。ゆったりと水路を横切るボートもランタンの明かりをぶらさげて、ゆらゆらと光を水面に反射させた。
「さすがに水路とはいかないでしょうけど……いつか、こんな風にこの街が輝いて見えるのかしらね」
アリーがこぼした独り言に、ジュリとメイはニコリと微笑んだ。
「当たり前じゃない。アリー、あなたなら、そういう国を作っていけるでしょう?」
「私も、それだけは夢を見なくても分かるよ。きっと、いつか、こういう日が来るって」
ロンドの街を見つめる三人の魔女の背中に、ユノもまた同じように思いを馳せた。
いつか訪れる、人と魔女とが手を取り合う、そんな優雅な非日常を――魔法のような奇跡を、必ず彼女たちと共に見てみたい。
この日、ロンドには、長く厳しい冬が迫っていた。
それでも、必ず夜が明けて朝がやって来るように、いつかは春が訪れる。
芽吹きの時期も遠くはない――
This story is fictional, but if you believe it , it may be the truth.
Because we live in the island of the witch.
By March Tailor




