10-5 魔女のいる国
ザァン、と波をかき分けて、大型旅客船スペース号はどこまでも青い海を進む。
最大定員数、四百名。イングレスで最大の収容人数を誇るにも関わらず、その乗船チケットは常に売り切れが続く。
今日も、甲板は多くの人でにぎわっていた。
ロンドの港へ向かって、甲板から大勢の人が大きく手を振っている。
マークもまた、そんな乗客の一人であり、徐々に遠ざかっていく港を感慨深い気持ちで見つめる。
航路に合わせて飛び散るしぶきの輝きが、華やかなロンドをさらに彩っていた。
魔女のいる国、イングレス。
宝石のようにきらめくその国を、マークは隅々まで目に焼き付けた。
今回は、イングレス一素晴らしい図書館と呼ばれている場所へと取材へ向かう。
その図書館があるのはイングレスから少し離れた孤島。先月、スペース号が完成した折に、ようやくその島とイングレスを繋ぐ航路が発表された。
当初は、グローリア号の沈没事故のこともあり、国民から敬遠されていたが……行った人々の触れ込みであっという間に、イングレスでも有名な観光地となった。
マークは、作家としての執筆活動を続ける傍ら、新聞記者の仕事も続けており、今回はそんな観光地の取材である。
すでに多くの人が知っている場所で、今更、新聞に取り上げるのも変な話だが、今回はもうすぐ訪れる夏休みに向けての特集ということもあって、改めて、と話題に上がったのだった。
マークはいつも通り、ポケットに突っ込んでいた万年筆とメモを取り出して、船の様子をさらさらと書き留めていく。
新聞記事の片隅に小さなコラムも掲載してもらえることになり、マークは今や、新聞記者としても少々名前が売れている。
スペース号の乗船レポートも兼ねた旅行記は、コラムと新作の本に掲載する予定だ。
マークは、旅行気分とはいえ、気が抜けないと取材をすすめつつ……秘密の楽園と名高い孤島へと、そして、そこにある素晴らしい図書館へと思いを馳せた。
彼女と会うのも、久しぶりだ。
サプライズを受けた日が最後で、やはり、その後は互いに別々の場所で時間を過ごした。
寂しさはあるものの、彼女が考えた計画を聞けば納得せざるを得ず、文通や電話でやり取りをしていた。
友人ではあるが、恋人ではない。家族のように思ってはいるが、家族ではない。
そんな関係の彼女と、ずっと一緒にいるという決断が出来なかったのは、マークにもマークなりの想いがあったからだ。
作家の仕事だけで生活できるようになりたいと考えれば、ロンドでの暮らしを続けることが一番だった。
彼女のようにテレポートは使えないため、孤島暮らしはハードルが高い。
マークは、高鳴る胸の鼓動を抑えようと、彼女からもらった手紙をスーツの内ポケットから取り出して広げる。
カサリと音を立てて開いた紙が、海風と踊るように揺れた。
『マークさん、お元気ですか? 私は元気です』
そんな何気ない一文から始まっている彼女の文字は、彼女を表すかのような美しいバイオレットのインクに輝いている。
彼女が元気であるということが分かるだけでも、安堵できるのだから不思議だ。
『こちらは、相変わらず忙しい日々が続いています。嬉しいことですが、ほんの少しだけ、あの、のんびりと……時間を持て余していた一日が懐かしいです。なんて、こんなことを言っては、魔女が嫌われてしまいますね』
冗談めかした彼女の笑みがありありと目に浮かぶ。
『贅沢な悩みですが、そんな悩みでさえ嬉しく思います。魔女が……私の魔法が、こんな風にたくさんの人を幸せに出来るなんて思ってもみなかったので、毎日夢のようです』
続けられた本音が、彼女らしい。きっと、穏やかな夜空に浮かぶ三日月のように、美しく弧を描いた口元が語っているのだろう。
文末へと視線を移して、マークはゆっくりと息を吐く。
『マークさんと会える日を楽しみにしています』
整った、愛らしい字で綴られた彼女の名前を指でなぞって、僕もです、と心の中で呟く。
いよいよその日が来たのだ、と思えば、落ち着いたはずの鼓動はゆるやかにその速度を上げた。
「そろそろ到着いたします! 皆様、お忘れ物のないようお気をつけください」
船員の声がどこからか聞こえて、マークは手紙を内ポケットへとしまいこむ。万年筆とメモがいつものところに入っていることを確認して、カバンを持ち上げた。
周りの乗客たちからは、島が見えたと歓声が上がる。同時に沸き起こった拍手に、マークも祝福の音を打ち鳴らした。
やがて、船はゆっくりと港へ滑り込み、何度か左右へ大きく揺れた後に停泊した。
船員に誘導されながら、ふわふわとした足取りで船を下りていく乗客たちは、その美しい景色に満面の笑みを浮かべる。
息を飲むもの、目を輝かせるもの、駆け出すもの……思い思いに、その島の素晴らしさを噛みしめた。
はじまりの魔女が作ったとされる島は、様々な魔法がかかっているらしく、雨は降らないし、常夏だ。
珍しい植物があちらこちらで人々の目を引き、枯れることなく花は咲き続ける。
マークも知らなかったのだが、砂浜には、宝石を小さく砕いたような美しい粒が混じっているらしく、それを探している人の姿もあった。
奇跡の石と呼ばれるその粒を、お土産に持って帰るのが、イングレスのブームである。
マークはそんな中、お目当ての図書館へと足を向けた。
港は、あまり開拓されていなかった場所に作られたため、図書館までは少し距離がある。
砂浜の柔らかな感触を靴越しに感じながら、島を半周ほど歩いて、マークは見慣れた漆喰の建物に目を細めた。
多くの人が出入りを繰り返すそこは、あまりの人気ぶりに入場制限を設けているらしい。
乗船チケットと共に手渡された、入場整理券の時間と腕時計の時間を見比べて、マークはその時を今か今かと待った。
「お待たせしました! ようこそ、とびら屋へ!」
開かれた真っ青な扉の内側から愛おしい声が聞こえて、マークは足を進める。人の流れに乗って、とびら屋内部へと足を踏み入れれば、たくさんの本が飛び交って、マーク達を出迎えた。
魔法の図書館の館長であり、とびら屋の店主であるユノは、ひとしきり人々に説明をしたところで、ようやくマークの姿に気付く。
「マークさん!」
彼女も、マークの立場を考慮してか、小さな声で、だが、嬉しさを存分ににじませてマークの名を呼んだ。
人前ということもあり、互いに軽く頭を下げるだけの挨拶にとどめた。
実際、取材はもちろんのこと、ユノと過ごす時間は閉館後に予定されている。
「ゆっくり……と言っても時間が限られているのですが、楽しんでいってくださいね」
すっかり板についたユノの決まり文句に、マークはひとまずは目の前の景色を楽しもう、とうなずいた。
魔法の図書館には、マークの本も所蔵されている。
本棚に自分の名前を見つけた時は気恥ずかしさもあったが、それ以外にも珍しい本や気になっていた物語に目が移り、最終的には本来の目的をすっかり忘れて楽しんだ。
蔵書数が多いわけではないものの、やはり魔法の景色と相まって、より物語をワクワクとさせた。
やはり、魔女の、魔法の図書館は、イングレス一の観光地で間違いないだろう。
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ひらけた丘で最後の船便を見送ったマークは、満足げに大きく伸びをした。
宿泊施設のないこの島では、ちょうどマジックアワーと呼ばれる時間帯に、スペース号の最終便が出るので、この丘から美しい夕暮れを見ることが出来るのは限られた人だけ。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、静かな夜が島に迫る。
彼の後ろから、足音が一つ聞こえて、マークはゆっくりと振り返った。
美しい、夕暮れと夜空の混ざったミディアムボブが揺れ、きらめく星屑を閉じ込めた瞳がマークを映し出す。
マークが彼女へと手を差し出せば、ユノもまた彼の方へと手を差し出して――やがて、ゆっくりとその手を重ね合わせる。
二人は迫りくる夜にまたたく星々を見上げて、互いにその瞳をきらめかせた。
――また、世界のどこかで、夜明けが訪れる。
本編の最終話までお楽しみくださり、本当にありがとうございます*
たくさんのあたたかなお言葉に支えられ、ここまで書くことが出来ました。
本当にほんとうに、ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございました!
お礼といってはなんですが……番外編を四つほどお届けして、本当のおしまいとしたいと思います。
よろしければぜひぜひ、番外編も覗いてやってください♪♪




