10-1 決別
指定席のチケットを買う余裕などなかった。
三人は、自由席となっている三等車の中でも、人の少ない最も後方の車両へと移る。
それぞれ木製の長椅子に腰かける。目の前の二人に向かいあって、その表情をようやく落ち着いて見つめれば、二人はどこか沈んだ表情をマークに見せた。
「マークさんも気づかれたのですね」
先に口を開いたトーマスの耳には、いつものエメラルドのピアスが見える。だが、それは少し小ぶりなものに変わっていた。以前のものは真四角にカットされていたとマークは記憶しているが、今は半球のものに変わっている。
トーマスが発した言葉の意味を飲み込んで、エリックはそっと窓の外に視線を投げた。
頬杖をついた彼の左薬指には、今までなかったシルバーのリング。ヒビが入っていて、マークにはそのヒビが無性に痛々しい傷跡のように思える。
「置いていかれるくらいなら、共に、朽ち果てようと約束していました」
いつもの快活な声はなく、ポツリと弱い、雨音のような声が、エリックの口から漏れる。
「ジュリさん、ずるいんですよ」
エリックが涙をこぼすところを見るのは、初めてだった。マークも、トーマスも、肩を震わせる軍人の話に耳を傾ける。
「俺の婚約は断ったくせに……婚約指輪を、俺にたくすんですよ」
エリックは、冗談めかして「やっぱり魔女って、悪い人なんですかね」とくしゃくしゃな泣き笑いをしてみせた。
差し出された左手。シルバーリングには、真っ赤なルビーが小さくも華やかに鎮座していて、男性物にしては派手なそれが、エリックの代わりにすべてを物語る。
ジュリが、身に着けていたリングだ。
それは、『彼』からの婚約指輪であり、ジュリ自身も『彼』亡き後は、テレパシーの魔法を込めて、アリー達とのやり取りに使っていた。
ブッシュに潜入し、ジェイムズと戦いになった時も、彼女はこれを使って派手に立ち回った。
「このヒビは、その時に入ったもので……」
エリックは、そっとリングの亀裂を指でなぞる。銃弾に当たったにも関わらず、粉々にならなかったのは、奇跡としか言いようがない。
誰にも壊されない運命みたいで、素敵でしょう?
深紅の瞳を妖艶に輝かせた彼女の姿が、目に浮かぶ。
最後に出会ったのは、ジュリがロンドを旅立つその日。エリックが、全てが終わったのだから、とジュリに、正式にプロポーズした夜のこと。
空軍基地にふらりと現れた彼女を、特別に小型機へ乗せて、ロンドの夜を二人で巡った。
星に手が届きそうな夜だった。
「ジュリさん。俺と、結婚してください。ジュリさんのことを、愛しているんです」
ようやく口にしたその言葉も、ジュリは相変わらずのケラケラとした笑みで、柔らかに拒絶した。
「ダメよ、エリック。ワタシには彼がいるもの」
エリックの、尊敬してやまない上官。そんな上官に、自分がまだまだ追いつけていないことは百も承知だったけれど。
「ですが……」
食い下がれば、ジュリは泣きそうな顔をして「お願い」と一言、エリックに告げた。
あまりにも、切実な彼女の祈りに、エリックも引き下がらざるを得なかった。
ジュリが本気でエリックのことを考えてくれていることは分かっている。自惚れではなく、客観的に評価しても、だ。
だからこそ、ジュリは――情熱的で、愛情深く、誰よりも美しい真っ赤なルビーのような彼女は、エリックのプロポーズを断った。
それから、ジュリはロンドを発ち……数日後、エリックのもとに手紙が届く。少しばかり様子を変えた指輪と共に。
謝罪と、感謝と、そして、愛を綴った手紙が――指輪の返却先のない手紙が、エリックの手元に残った。
憧れた上司と、愛した彼女と、そして自らをつなぐこの指輪が、エリックを次なる場所へと導いた。
孤児院の改装中である大聖堂の地下。魔女協会のあった場所に、目的の人物は立っていた。真っ白な壁に包まれた聖職者は、今にも消えてしまいそうなほど、遠くを見つめて。
エリックと出会ったトーマスもまた、メイを失った。
彼は、エリックと違って、メイの最後を見届けることが出来たし、きちんとその手で彼女を埋葬することも出来た。笑って別れを告げることが出来たかは、怪しい。
トーマスは、友人とも家族とも形容しがたい大切な存在を、メイと同時に二人も失ったことにも気付いた。
だが、悲しんでいる暇はなかった。
シエテとディーチェが、トーマスに新しいピアスを――メイの、形見とも言えそうなプレゼントを差し出したのだ。二人もメイとの別れを同じように悲しんでいるはずなのに。
「新しい孤児院のカギだ」
「絶対に失くさないでよね!」
素直じゃない二人が泣きながらそう言って手渡すものだから、トーマスは自らが泣いていることもなんだかおかしくなってしまった。
魔女は、死んだら宝石になるらしい。
マークに影響されたのかそんな夢物語を思い浮かべる。いつか、孤児院の子たちに聞かせてやりたい、とトーマスは儚げな微笑を二人に見せた。
シエテはそんなトーマスを「こんな時まで笑うな」と睨みつけ、ディーチェは視線をそらせて「素直じゃないのは、トーマス、あなたもじゃない」と唇を尖らせた。
決して無理に笑ったわけではなかった。
アリーに、ジュリに、メイに……大切な友人に、魔女たちをよろしくと頼まれた。いつまでも、くよくよしているわけにはいかない。トーマスもそう踏ん切りをつけたのだ。
だからこそ、決別の覚悟を決めるために訪れた魔女協会で、エリックと出会うことになったのも、素直に運命めいたものを感じられた。
奇跡を起こす力。
魔女は不在だが――魔女を生むこの土地もまた、そんな力を持っているのかもしれない。
「マークさんは、どうして?」
トーマスに尋ねられ、マークはつい数刻前の出来事を二人に話す。
社長の祖母のこと、テニスンから聞いたコッツウォールの墓のこと。以前、メイが話していた、魔女の寿命のことも。
それだけで飛び出してきたのだから、やはりマークは少ない情報を紐解く能力に長けているらしい。作家特有なのか、マークの能力かは不明だが。
「なるほど。お忙しいでしょうから、折を見て、と思っていましたが……魔女たちが、マークさんを心の底から信頼していた理由が少し分かりました」
エリックは、泣きはらした目にふっと柔らかな色をたたえてマークに笑みを投げかけた。
コッツウォールへと向かう鉄道は、ゆっくりとロンドを抜け、まばらな家々が立ち並ぶ町中を走る。
ユノとつかの間の旅をしたことが思い出され、マークは「あの」と意を決して、二人に声をかけた。
「ユノさんのこと、何か知りませんか」
知らないと言われても、知っていると言われても、マークにとっては痛い質問だが、せめて何かわかれば、いくらか胸のつかえもとれる。
まさか嫌われたということはないだろうが、島に戻る理由も、島に戻ってからの音沙汰もない。
マークの質問に、エリックとトーマスの表情が一瞬強張ったように見えた。
最悪の事態を考えてか、何か別の意図があるのか、マークには分からなかったが。
「残念ながら……」
言葉を濁して頭を下げるのはトーマスで、魔女たちと共に暮らしている彼が知らないのであれば、当然エリックも知らないだろう、とマークは早々に話を切り上げた。
ただでさえ、二人は大切な人を失い、気が沈んでいる。マークだって、それはそうだが、マーク以上に二人の方が繋がりのあった魔女たちとの別れだ。
それに拍車をかけるようなことを、しつこく尋ねるのはよそう。
マークはわざとらしいほどの大げさな笑みを浮かべ、
「本を作るときに、ユノさんと鉄道に乗ってコッツウォールへ向かったんです。それで、思い出して、ついこの間のことなのに、なんだか懐かしいなって」
と楽しい思い出話を語るかのような口ぶりでまくし立てた。
あまりにも下手な演技に、二人は少しだけ目を見張ったが、やがて、マークの気持ちを汲み取ったのか「それは良いですね」と相槌を打った。
同時に、三人を乗せた鉄道は、美しい鉄橋にさしかかった。




