9-9 春
イングレスに、春が訪れる。
裁判所での出来事に始まり、この国の正しい歴史とこれからについて、リリベット王妃から語られた。報道機関は連日そのニュースを繰り返している。
新聞社の人間も今がかきいれ時。マークの本を無償で配ったために社長が背負った赤字も、無事に消し去ることが出来た。
当然、軍人もすべての事件に対して責務を負わねばならないし、様々な後片付けに追われている。
聖職者たちは、といえば、機能しなくなった司法の代わりとして、しばらくの間、裁判事を請け負わなければならなくなったという。
銃撃で損傷を受けた最高裁判所は、そのままの形で保存されることになった。
魔女裁判という悲劇を、言論統制という失態を、二度と起こすまい。国民たちの総意によって、取り壊しが中止されたのだ。
国民も、得た自由と共に、様々な選択や責任を強いられることとなり、ロンドはいつも以上にせわしない雰囲気が漂った。
国の主が変わったともなれば、ロンド以外にも影響は大きく――あのゆったりとした雰囲気の漂うコッツウォールにも当然ながら、風が吹く。
特に、コッツウォールは魔女裁判のきっかけとなった町ともあって、国との交渉事もあったようだ。
テニスンからは、社長のもとへ一度、
「出版社も大変忙しい。誰か人を寄こせ」
そんな電話もあったのだそうで、これには、マークも苦笑せざるを得なかった。
マークの本は、国を変えた一冊として、それこそいつぞやの聖典に並ぶのではと言われるほどの大ヒットを果たした。
マークは、新聞社に籍をおきながらも、いまや有名作家として一目置かれる存在となった。
おかげで、新作の問い合わせもひっきりなしにやってくる。元々筆の遅いマークからしてみれば、嬉しいような、苦しいような、贅沢な悩みの種が出来てしまった、というところか。
そもそも、ユノと出会い、美しい場所で過ごし、その上、魔法という今まで見たこともなかったものに触れて書いた作品集である。
本を出すことが目標だったマークにとって、その大きな目標が達成され、満ち足りている今、二作目を考えることはそもそも難しい話だった。
マークは、うんうん、と唸りながらその万年筆をはしらせる。
ユノから譲り受けた万年筆も、いつの間にかしっくりとマークの手に馴染んでいた。
スラスラと、とはいかないが、筆を折らずにすんでいるのも、この万年筆のおかげである。
ユノのことを思い出して……マークは、思わずため息を吐いた。
「ユノさんは、今頃どうしてるんだろう」
独り言に感傷が混じる。
イングレスは、慌ただしく日常を取り戻す。
そんな世間の騒がしさとは対照的に、魔女協会は静寂に包まれていた。
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そもそも、魔女協会とは、魔女と人が手を取り合う世界を作ろうとアリーが立ち上げたものだ。一時は魔女が身を隠すための組織でもあったが、その目的が達成された今、魔女協会の存在は不要となった。
――正しくは、これからはこんなものがある方が対立する、と見事なまでにアリーが存在を切り捨てた。
周囲の魔女たちの反対も押しきり、
「堂々と生きていける時代が来たのに、日陰に引きこもっていてはいけない」
と、その美しいプラチナブロンドをなびかせて、魔女協会から出ていくことを宣言した。
「皆、好きに生きていいの。たくさん光を浴びて輝き続けることが、魔女らしい生きざまだと思わない?」
そんな風に、最後までかっこよく魔女たちをまとめあげた。
ジュリは、元々魔女協会がなくなることを知っていたのか、それはもう驚くほどのスピードで身の回りの整理を始め、アリーが魔女協会を廃止すると言った一週間後には、トランクケース一つを持って出ていった。
「エリックは今回の件でもまた謹慎処分ですって。だから、かわいそうなエリックの代わりに、ワタシが外の世界を見に行くことにしたの」
パチン、とウィンクをとばすジュリの瞳も髪も、真っ赤なルビー色。変化の魔法が使える彼女でも、その姿を変えることなく堂々と町中へと繰り出す。
元々、情熱的で、人のことを心から愛することのできたジュリだから、きっと行く先々でも異性から言い寄られるのだろう。そして……エリックにきっと苦々しい顔で説教されるはずだ、と誰しもが想像しつつも、彼女をあたたかく見送った。
メイとトーマス、そしてシエテとディーチェは、魔女協会に残ることを選んだ。魔女協会に残る……とはいっても、魔女協会ではなく、そこを改造した孤児院の人間として。
これを聞いた時は、さすがのマークも目を丸くした。メイとトーマスがそういうことを言い出すのは分かるが、まさか、シエテとディーチェまでが残るとは。
トーマスが苦労人の顔で笑うのをよそに、アリーは素知らぬ顔だ。
「トーマスには、彼女たちをお願いしたものね。ディーチェとシエテは手ごわいわよ。ま、あなたなら大丈夫でしょうけど」
いつかの約束をアリーが嬉しそうに語る。マークはそれ以上詮索しなかったが、トーマスは、心底困ったような顔をしていた。
シエテやディーチェのことを侮っているわけでも、彼女たちの能力を甘く見積もっているわけでもない。
彼女たちも新しい時代の幕開けと共に、価値観に変化があってこその選択だった。
それでもなお、あの二人には一般教養というものが欠けているらしく……特に、勉強嫌いな二人に、孤児院の人間としてやっていくための教養を叩き込むのは至難の業らしかった。
あのトーマスでさえ、シエテの冷徹ぶりにも、ディーチェのわがままぶりにも、ダメージを負っていた。
メイはそんなトーマスを楽しそうに見つめている。手助けをしないあたり、自らの体調を一番に、というトーマスとの約束をきちんと守っているのだろう。
そんな魔女協会も現在は孤児院への改装準備中。
孤児院への改装が終わるまでは、四人とも近くのアパートを借りて過ごしているという。
美女三人に囲まれている姿は、その見目麗しさも相まってよく似合うものの、彼の心労は絶えない。
孤児院を始める前から手のかかる魔女に囲まれて、その厳しさを味わっているらしい。
改装中の魔女協会は静まり返っていて、やけに印象的だった。
それもそのはず。マークが様子を見に行ったのは、ユノが旅立つと言った時のこと。ジュリはすでにいなくなり、アリーももう出発すると言っていたころだったから、まさにもぬけの殻、といったところだった。
そして、アリーはといえば、最後まで残っていたユノを見送って、どこかへと旅立って行ってしまった。
その行先は誰も知らない。
ただ、まばゆいばかりのダイヤのような瞳を持つ魔女、と言えば、きっと彼女を見つけ出すのには苦労しないだろう。
事件の後、早速ロンドの町中を歩く魔女の姿を、マークは何度か見かけることになった。だが、やはり、アリーほど異質な魔女は早々いない。
特別な強い輝きを持つ彼女の姿は、まさに多くの魔女の道しるべだった。
マークは、またたく間に移り変わった魔女たちの日常を綴り、はぁ、と再び深いため息を吐く。
残る一人――マークの最もよく知る魔女は、ロンドに残るものだとばかり思っていた。
「本当に、どうして」
ユノは……この国を変えるきっかけとなった、魔女は、この国を去った。
てっきりロンドに残って、マークと一緒にまた本を作ったり、そうでなくても、新聞社で何か仕事をしたりしてくれるのではないか、とそんな風にマークが考えていた矢先のことだった。
「マークさん、私は、あの島に帰ろうと思うんです」
たった一言、ユノはそう告げて、引き留めることも出来ないほどに、清々しい笑みを浮かべた。
淡い夜空のような、広い海のような、優しい紺とも青とも、紫ともつかぬ宝石の瞳をたおやかにきらめかせて。




