9-6 再会
国王や司法裁判官、貴族に、王の従者たち。
この裁判に関わったとみられる大勢の人々が、軍人たちによって連行されていく。軍は、しばらくこの後処理に追われることだろう。
司法もすぐに崩壊が始まる。再建の道のりは、まだ遠い。
だが、これで良かったと誰しもが思う。
国王の時代が終わり、王女リリベットの時代がやってくる――
「アリー!」
シエテのテレポートで魔女たちはいっせいに二階の傍聴席へと集まった。ひしっとアリーを抱きしめるジュリも、遠くで見つめるシエテもその瞳には大粒の涙があふれている。
すべて、やり遂げたのだ。
魔女協会としての役目は、これで終えたともいえた。
トーマスとメイも、二人でその喜びを分かち合う。救護隊と共に怪我の手当てにあたっていたディーチェや、外で聖職者や軍人と国民を集めていた魔女たちも、次第に、アリー達のもとへと集まった。
「ユノ!」
「ディーチェちゃん!」
互いの姿を見つけ、二人は駆け寄る。いつもならユノから伸ばされる手も、今日はディーチェが先にユノへと伸ばして、ぎゅうと力いっぱいに抱きしめた。
少女たちの長い戦いも、今日で終わりを告げる。
「本当に良かった」
誰ともなく発せられた言葉に、マークはいまだこれが夢か何かではなかろうか、と眼下でせわしなく動く軍人たちの姿を見つめた。
たった数か月。雪解けにはちょうど良い時期であることは間違いないが……世界を変えた、というにはあまりにも短い期間のように思える。
物語でだって、普通はもっと時間をかけて世界を変えるのではなかろうか。
ぼんやりとそんな風に考えていたマークを、背後から誰かが、がばりと抱きしめた。
「ぅわぁっ!?」
突然のことに、マークはすっとんきょうな声を上げて、前へとつんのめる。
もちろん、支えられるものは何もなく、マークはそのまま床とおでこを合わせることになった。
「ったた……」
マークがゆっくりと起き上がると、
「ご、ごめん! そんなにびっくりするなんて」
頭上から声が落ちてくる。やけに馴れ馴れしい口調も気にならないほどの感情がマークの胸を駆け抜けた。
ゆっくりと起き上がり、声の主を見つめる。
黄金色の宝石が埋め込まれた瞳。ゴールドとも、アンバーともつかぬまばゆい希望の色合いは、まさにこの日に相応しい。
懐かしさと、愛おしさと、切なさと、嬉しさと。様々な思いがマークの心臓をぎゅっと鷲掴みにするのは、彼女の姿が、いつかの記憶に――水底に沈んだ記憶に重なったから。
柔らかに微笑まれ、オレンジの癖毛がふわりと揺れる。自らのものと同じ親譲りの癖毛が、その血のつながりを主張する。
「お兄ちゃん」
マークの記憶では舌ったらずだったはず。明瞭な発音が、嘘のように思える。
「シト、リン……?」
あまりのことに、かすれて音にならない声も、妹の耳にはしっかりと届いていたようだ。
笑った顔は、マークの記憶のものと同じだった。
「久しぶり」
あぁ――なんてことだろう。
マークは張り裂けそうになる胸を、痛いくらいに高鳴る心臓を、飲み込んでしまった息を、すべて忘れて目の前の魔女を抱きしめる。
アリーや、ユノ達がそうしたように、自然に。
シトリンもまた、普通の家族が毎朝出かける前にそうするように、当たり前だといわんばかりにマークの背中へと手を回した。
最初の抱擁は、嬉しさのあまり兄を押し倒す形になってしまったから、今度はそっと体温を、その命の輝きを、ゆっくりと堪能するようにして。
実に、十五年ぶりの再会。
奪われた自由と共に、マークにも、家族が戻ってきたのだ――
「どうして、ここに」
「どうしてって……そんなの、理由なんかないよ」
家族だもの。あっけらかんと笑う妹の、太陽のようなまぶしさにマークは思わず目を細めた。
「お兄ちゃんだって、お話の最後にお手紙を書いてくれたでしょう? もう死んでるかもしれない妹にさ。どうして?」
お返しとばかりに小首をかしげて尋ねる妹の表情には、子供のあどけなさが残る。
理由などない。ただ、もう一度会えたら、と、そんな風に思うのは、当たり前のことだ。
だが、それこそシトリンの返答と同じで、マークは「困ったな」と頬をかく。
思わず笑みを浮かべれば、たまっていた涙がポロリとこぼれた。
妹の前で泣くなんて、兄として恥ずかしい。そう思っていたはずなのに、そんな体面を気にする余裕もなく。
マークが慌てて目をこすっても、魔法の力を持たぬ彼に時を戻すことは出来ない。
「やだ、泣かないでよ」
お兄ちゃん、とマークの服の裾をつかむ妹の柔らかな指が、小さく震えていた。
シトリンの美しいジュエルアイからも、その宝石の欠片がはらはらと落ちていく。瞳の橙を写し取ったきらめきが降りしきる様は、流星群のよう。
マークはもう一度きつくシトリンを抱きしめて、その肩に顔をうずめた。
もう、彼女も二十歳だ。マークの知っているころに比べて、本当に大きくなった。頬についた傷が気がかりだ。女の子なんだから、貰い手がいなくなっては困る。
とりとめのないことを思い描ける幸せを噛みしめて、もう一度嗚咽をこぼす。
シトリンも、そんな兄の優しさに、今度は声を上げて泣いた。
両親は、助からなかった。自分のせいで……自分が魔女として生まれてきたせいで、両親は殺されたというのに、自分だけが生き残ってしまった。
兄は、きっと恨んでいるだろう。そう思っていたのに。
マークは昔と変わらずシトリンを受け入れ、シトリンは呪っていた自らの生まれを、その力を受け止めた。
これからは、魔女と人とが手を取り合って生きていくのだ。
魔法を、魔女を、心から愛してくれる人たちは、こんなにもたくさんいるのだから。
マークはそっと体を離して、シトリンの頬についた傷をそっと撫でる。
「痛いよ」
シトリンが軽く言えば、マークは「ご、ごめん! つい!」と慌てふためいた。
「傷、残らないといいね」
「残ってもいいの」
「でも……」
「お兄ちゃんと一緒に、この国を……世界を、変えられたって証だもん」
詩的な言い回しも、血のつながりを感じられる。
マークはそっとユノの方へと視線を向けた。ユノがここへと連れてきてくれたのだ。きっと彼女は、こうなることを知っていたのだろう。
なぜか。
それは、魔法のなせる業。魔女のみぞ知る、ということか。
「ありがとうございます」
マークが深く頭を下げれば、ユノは泣きはらした目に再び涙をためた。
「いいえ、マークさん。これは等価交換ですから」
魔女の専売特許も、ずいぶんとマークの耳に馴染んだ。それほどまで、ずっとユノと、魔女と共に過ごしてきたのだと改めて感じる。
マークとユノの雰囲気を察してか、シトリンは、つい、とリリベットの隣に並んで、かしこまったお辞儀をして見せた。その美しい流れるような所作が、先日あった枢密顧問官の女性をマークに思い出させる。
「まさか……」
「枢密顧問官はね、いくつも顔を持つから、枢密顧問官と呼ばれるのよ」
それにしては、色眼鏡の変装はあまりにもお粗末すぎるのではないか、とマークは内心で笑う。
シトリンも、自覚しているのか、マークの心を読んだようにおどけた仕草を見せた。
それを見ていたリリベットも、シトリンとマークの会話に微かな笑みを浮かべる。
「本当に、今日は良き日になりました」
アリーと同じく凛とした空気を纏う彼女は、人でありながら、魔女のように特別な雰囲気を感じさせる。
「この国を変えてくださる勇気を、皆に与えてくれてありがとう」
リリベットは、右手をすっとマークの方へ差し出して微笑む。
「あなたは、イングレス一の作家だわ」




