9-5 あと一押し
二階の傍聴席。閉ざしていたはずのカーテンが大きく開かれ、まばゆい日差しが裁判所内に満ちる。
白金の長い髪が風に舞い、様々な色彩に揺れた。逆光で影になっていてもなお、その姿の美しさには誰しもが息を飲む。
「私たちは、魔女裁判と言論統制の撤廃を求めます」
静かな声だった。
だが、どこまでも澄み渡る青空のように、豊かで、鮮やかで、美しい声だった。
足元に置かれたスピーカーを通しても、アリーの、ピアノを弾いたような、艶のある声が失われることはない。
開け放たれた窓から、裁判所の外へもその声は響き渡る。同じように、国民たちがアリーに賛同する声も、外から裁判所内へと響き渡った。
「私たち魔女は、確かに特別な力を生まれながらに持っています。それを、皆様が恐ろしく思うことも無理はありません」
ですが、とアリーはその前置きをすっぱりと断ち切る。
「魔女は、ここに誓います。皆さまの前で、宣言します。この力を、私利私欲のためには使わないことをお約束いたします」
「そんなことが今更通用すると思うのか!」
シエテに刃を突きつけられてなお、国王はうめくように声を上げた。興奮して体を前のめりにすれば、ナイフがいともたやすく彼の首を切り裂くというのに、そんなことよりももっと大事なものがあるというように必死だ。
王にとっては、手に入らない『特別』なものほど、恐ろしいものはない。
「我々国民は、その力に怯えて生きておる!!」
まるで、全国民を代表したかのような口ぶり。
そんな王の絶叫に答えたのは、アリーでも、ましてや他の魔女でもなく、裁判所の外に集まった多くの国民たちだった。
「魔女は、俺たちを助けてくれた!」
「魔法の力は、素晴らしいものです!!」
「俺たちが怯えていたのは、国王の悪政だ!」
次々と飛び交う野次が、確かに国王の耳にも届く。
みるみるうちに、王の額に青筋が浮かんだ。やがて、怒りが王の体を支配する。顔は真っ赤に染め上げられ、プルプルと震えたこぶしが強く目の前の机をたたきつけた。
「貴様ら! 全員死刑にしてやる!」
そんな暴論を聞き逃がすはずがない。国民たちはいっせいに批判の声を上げた。
「国王様! 私たち魔女が、一体何を奪ったというのですか」
淡々と論を詰めるアリーの口調に、王様はいよいよ体をぐいと前へと突き出した。瞬間、シエテのナイフが彼の首の皮を切りつける。
だが、王は興奮していて気づいていないらしい。これ以上はさすがにまずい、とシエテもナイフをおろし、アリーのもとへ瞬時に移動した。
「正気を失ってる」
アリーの耳元でささやけば、アリーは「早めに終わらせましょう」とうなずいて、再びメガホンに声を乗せた。
国民をまとめるのがアリーの役目。そのためのあと一押しだ。
「私たちは、魔女裁判によって家族を失い、友を失い、恋人を失いました。言論統制によって、自由を奪われました!」
アリーの声が高らかに響く。裁判所の外から、国民たちの叫びともつかぬ賛同が巻き起こる。
「それを、取り戻したいだけなのです! あなたから、何かを奪おうと思っているわけではありません! 国王様、魔女裁判と言論統制を撤廃してください!」
「ならん! ならんならん!!」
アリーの説得も終わらぬうちに、国王は怒鳴り散らす。子供が駄々をこねているような素振りであることもかまわないというように。
「魔女などこの国にはいらぬ!」
国王は、どこに忍ばせていたのか怒りに震える手で銃を取り出すと、パァン! とその弾丸を撃ち鳴らした。
やけになったのか、王に狙撃の才がないのか、弾丸はむなしく裁判所の天井へと吸い込まれていく。
だが、それで十分威嚇になったと思ったのか、王はニタリと劣悪な笑みを浮かべた。狂ったかのように何かをブツブツと口元で繰り返し、沈んだ瞳で近くにいたジェイムズと、オレンジ髪の魔女へ銃口が向けられる。
「次は失態をせぬようにと、命じたはずだが」
見開かれた瞳孔は、皮肉なことに、この時ばかりは燦々と輝きを放っていた。
引き金が引かれる――誰しもがそう思った。
「お父様!」
先ほどまでアリーの声を鳴らしていたスピーカーが、麗しい女性の声を発するまでは。
国王はピクリと眉を動かし、指を止める。
傍聴席の方へとゆっくり目玉だけを動かせば、そこにいるのは最愛の一人娘。
「リリベット!」
王女リリベット・ウィンザー。大切な娘、ひいては王女である彼女が、なぜこんなところに、と思わず王は声を上げた。
「まさか、魔女に脅されたのか!」
この父が何とかしてやろう、と言い出しかねないほどの勢いで、ジェイムズに向けられていた銃は、アリーの方へと向けられる。
すぐに助けてやるぞ、と王は銃の引き金を引こうとして「やめてください!」と懇願する娘の泣き声に再び手を止めた。
「お父様……いいえ、国王陛下。もう、こんなことをするのはやめましょう」
リリベットの震える声が、王の心に燃え盛る思いを瓦解させる。だが、国王もおいそれと娘の一言で引き下がるわけにはいかない。
こんなこと、と言われようとも、自らの富や娘の幸福を思えば必要な犠牲……いや、必要な投資なのだ。
この国をよくすることが、国王に課せられた使命であり、魔女という危険な存在は排除せねばならない。自らの持ち得ぬ力を振りかざす存在に、全てを奪われる前に。我々は特別な存在なのだ。選ばれし者でなくてはならない。
それは、国王自身もまた、自らの親に教え込まれてきた『正しさ』である。
娘にもそれをよく言って聞かせてきたつもりだが、王という立場故に、あまりかまってやれなかった。そのせいだろうか。
国王は、美しい娘がまるでいつぞやの王妃のように――家族のふりをした偽物のように思えて、銃をゆっくりと自らの娘へと向ける。
物わかりがよく、敏い王女リリベット。
国王が、これでもかと愛情を注いできた一人娘。
「なぜ、わかってはくれんのだ」
親の心子知らず、とはよく言ったものだ、と国王は震える手でゆっくりと引き金を引く。
だが、娘のもとにまで、思いはおろか銃弾すらも届かなかった。
どこからか吹いた春風が、まるで魔法にでもかかったとでもいうように、銃弾の威力を弱めてしまう。
傍聴席までの空白に耐えきれなかった弾がカツン、と裁判所の床に落ちて転がる。
カラカラとむなしい音が、王の心の崩れる音に同調し、共鳴した。
リリベットの前に現れたオレンジの髪。先ほどまで、ジェイムズのそばにいたはずの彼女は、王にナイフを向けていた魔女と立ち位置を変えた。
まさに、魔法のなせる業だ。
人を傷つけるためではなく、人を守るために使われた――魔法の力。
リリベットは、小さく彼女の名を呼び「ありがとう」と一言柔らかな笑みと共にお礼を口にする。
国王の娘とは思えないほどよくできた王女の姿だった。
魔女と並んで立つ娘の姿を視界にとらえ、国王は呆然と立ち尽くした。
一瞬の気の迷いとはいえ、自らが娘に銃を向けた事実は変えられない。そして、娘はもう、自分の後ろをついてまわる幼子ではなく、独り立ちした王女なのだという事実も。
自らの玉座を奪うのは、魔女でも、貴族でもなく、最愛の娘だ。
最後の別れとでもいうように、リリベットはしかと崩れていく父親の姿を目に焼き付ける。
だらりと垂れた腕から落ちた銃が床にぶつかって、父親のもとから離れ、同時にその体も重力には逆らえないとあっけなく膝をつく。
誰よりももろくて、どこまでも臆病な父親。
まさか銃を向けられるとは思わなかった。なんとも悲しく寂しい別れだ。
だが、それも自らの祖父が、そして父が国民たちから家族と自由を奪った罰だと思えば、足りないくらいだった。
リリベットは、一瞬目を伏せ、自らの心にわだかまる思いと決別を告げる。
手に握られたメガホンを持ち上げて、口に添えれば、自然と顔も前を向いた。
「国王陛下に代わり、わたくし、王女リリベットがこの裁判の不履行と、そして、魔女裁判と言論統制の撤廃を宣言します」
彼女の想いは、スピーカーを通して淡々と無機質な音に変わっても国民に届いたらしかった。
開け放たれた窓から、どこからともなく歓声が聞こえる。
もちろん、裁判所の内部からも。
春が訪れたばかりだというのに、まるで夏が先にやってきてしまったみたいに、最高裁判所は熱気に包まれた。
遅れて裁判所に到着した元帥自らの手で王にかけられた手錠の音は、誰の耳にも届かなかった。




