9-1 開廷
「こちら、最高裁判所前です! 本日、魔女裁判が開かれます!」
「軍が絡んでいるとの声が上がっていますが!」
「今回のことに、本物の魔女が関わっているというのは本当ですか!?」
「ご覧ください! こちらの道、抗議の声をあげるデモ隊の人々でふさがれています!」
「イングレスの歴史を変える裁判となるのでしょうか?」
朝いちばん。
日が登り始めたばかりだというのに、最高裁判所前に出来た人だかりと、マスコミの声が白んだ空に響く。
国内中にあふれているのではないかと思える喧騒は、マークにとっては驚くほど静かに思えた。
どこか、他人事のような気持ちで、防音ガラス一枚隔てた――それこそ、テレビの中の世界のような。
現状、テレビの中に閉じ込められているのは、マークの方だが。
魔女裁判は、非公開で行われる。
最高裁判所の中に立ち入れるのは、被告人であるマークとエリック、トーマスの三人と、王族と貴族、そして裁判官を交えた九人のみ。
裁判を傍聴する人はおらず、ただ粛々とその罪の裁きを受けることになる。
マーク達には、外の様子は分からない。いや、わかることには分かるのだが、詳細なことは何一つとして聞かされていない。
例えば、軍人や魔女がマーク達を助けに来るなんてことは、夢にも思っていなかったし、聖職者や国民たちが、自分たちを守るために声を上げてくれているなんてことも、知らなかった。
残念なことに、徹底的な言論統制がしかれた裁判所の中でマーク達にわかるのは、外が何やら騒がしい、くらいなものである。
その騒がしさも、魔女裁判が久しぶりに行われることへの野次馬的な反応だろう、と、なぜかマークはそんな風に、冷静な面持ちだった。
司法に捕らえられてから六日。
魔女さえ無事ならば、もうそれでもいい。そんな考えが、マークの頭を支配していた。
ユノたちの居場所は、最後まで吐かなかった。それだけで、十分立派にやり遂げたのではなかろうか。
マークと共に、裁判所の中へと連行されているエリックと、トーマスもどこかそんな諦めとも、達観ともつかぬ表情だった。
特に、エリックは激しく抵抗したようで、マークやトーマスに比べて、ずいぶんとあざが多く、痛々しい。
長いような、短いような、そんな一時の夢だった――
マークは、ぞろぞろと裁判員が順々に席へとつく様子を見つめる。
衣擦れの音と、靴と床がぶつかる無機質な音だけが響く裁判所内の静けさが、むしろうるさいくらいだ。
弁護人はいない。当然だ。イングレスでは、王族の言ったことが全てであり、マーク達の罪を弁護するような余地などない。
代わりに、検察官もいない。それも、王族の一声で罪が確定するこの裁判に、不要なものだった。
司法裁判官の四名が、まずマーク達の前へと着席し終える。中央には、ジェイムズ最高裁判官の顔もあり、マークは自然と彼の一挙手一投足を目で追いかけた。
直接会話をした時に感じた、ジェイムズの実直さが、行動の端々にも見えている。
きっちりとした司法の制服にはシミもしわも一つもない。着席をする時でさえ、それは最小限のものにとどめられる。
元々軍人だったこともあるのだろうか。
どこかふわふわとした足取りの、他の裁判官とはやはり行動の機敏さが違う。
作家としての性か、そんな風に人を観察して、右手で万年筆を探す。
もちろん、その万年筆に触れることはおろか、手を満足に動かすことさえ許されなかったが。
マーク達は今、後ろ手に縛られており、その縄は司法裁判官が握っている。自由はない。
ジェイムズは、薄暗い瞳でマークを見下ろした。
あざ笑うことも、睨みつけることもなく、ただ黙々と職務に当たるつもりでいるらしい。感情の一切ない目が、余計に恐ろしさを感じさせる。
呼吸すら自由にはさせてもらえない。そんな閉そく感に支配される。
規則的な心臓の鼓動も、音を立てないようにそっと繰り返される浅い呼吸も、手ににじむじとりとした汗も。
全て、あのジェイムズに許されている行為なのだと自覚させられるような威圧感だ。
やがて、そんな重く張り詰めた空気がさらにピンと研ぎ澄まされた。
貴族が四名、ぞろぞろと気だるそうに入ってくる。纏っている服は、どれも司法のものよりも高級だ。今度は作家としてではなく、仕立て屋の跡継ぎ息子という性が、マークの目を彼らの服へと縫いとめる。
ベルベットの厚みがあるコートを羽織っているものや、つるりとした滑らかな絹のような素材のコートを纏うもの。レザーのような光沢感のある服まで、とにかく材質は様々だ。
それらが、貴族の権力や富を如実に表している。
貴族の中にも優劣があり、彼らは彼らで、互いをけん制しあう。
今は、一時の休戦。そんなところだろう。
同じ敵を目の前にして、ひとまず手を取ったという態度が、服装以外にも現れる。席次は決められていないのか、一人がでっぷりとその椅子に腰かけると、他の者があからさまに顔を曇らせたりしているのが良い例だった。
とはいえ、やはり貴族だからか、一人、また一人と席につくたびに重苦しい空気が、マークを圧迫する。
見下した目は、マークを映そうともしない。むしろ、人を見るというよりも、何か異形のものを見るような視線で、交わることもない。
司法裁判官たちも、貴族には逆らえないのか、そわそわと落ち着かない様子を見せた。互いにアイコンタクトを交わしたり、逆に目を伏せたりとせわしない。
静寂が無音に代わり、外に集まっているデモ隊の声がより一層際立つと、裁判所内はさらに氷点下を下回るような空気に覆われる。
マークは、エリックとトーマスの二人は、きっとこの場でも姿勢を正し、毅然とした態度で立っているだろう、と想像して、自らも姿勢を正す。
普段からやや猫背であることは自覚している。意識的に背を伸ばさなければ、すぐに俯いてしまうのが悪い癖だ。
(僕は、何も悪いことなどしていない)
自信を持て、というのは変な話だが、それこそ気弱になるようなことは何もない、と自らを奮い立たせる。
幸いなことに、マークの方を見ているのはジェイムズだけだ。
他の者たちは、残り一つとなった空席の主が、一体いつ現れるのだろうか、とあちらこちらに視線をさまよわせていた。
彼らの方が、むしろマークよりも緊張しているのかもしれない。他人によって張り巡らされた透明な糸でがんじがらめにされている気分だった。
金を持っているものは、時間にも余裕がある――
そう思わせるほどに、残りの一人、今回の魔女裁判の主役とも呼べる男は、自らのいない空間に、何も起こらない時間に、ありありと存在感を表していた。
いないからこそ、より強調されるというのも皮肉な話だ。
ごくり、と誰かがつばを飲んだ音が聞こえた気がした。
「王様がお見えになられます」
裁判員が待機している部屋とは真逆、マークから見て左手にある大きな扉の前で、扉番をしていた司法裁判官が朗々と述べた。
一斉に皆が起立して、直立不動となる。ビシリと手を合わせ、これでもかと背筋を伸ばす姿に、彼らもやはり国民と同じ、窮屈な生活を強いられている人間なのだと思わせる。
「開廷いたします!」
発声の良い、クリアな発音と共に、大きな扉がゆっくりと開かれる。
扉から現れた国王に、マークも思わず息をのんだ。
決して、特別な人間ではない。顔や体つきだけで言えば、町中ですれ違っても、きっとこの男が国王だとは分からない。
だが、王の持つ威厳が、これでもかとその瞳にたぎっていて、ぎょろりと動かされた目玉に思わず萎縮してしまう。
グレーがかった瞳は盲目的な淀みだけをたたえ、上澄みだけの光でさえもまがまがしく野性的に輝いている。
弱肉強食。自然界の掟で言えば、善も悪をも飲み込むほどの強欲さがあり、王たるに相応しい存在だった。




