8-13 オープンセサミ
夜明けが近い。
もうかれこれ丸二日ほど。立ち上げられた作戦本部の一室にこもりっきりだったジュリは、いよいよか、と体を伸ばした。
「ジュリさん、そろそろ出るそうです」
聖職者が軍人の動きを伝えれば、ジュリは「そうね。ワタシもそろそろ行くわ」とうなずいた。
聖職者の男は今から起こることを想像して、恭しく「それでは、後ほど」と会釈して部屋を去る。
裁判所への奇襲、というにはあまりにも大がかりな作戦だ。おそらく司法にも気づかれてしまっているだろうが……気づかれたところで、それを止められないほどの力で突破すればいいだけのこと。
元々、裁判所を強行突破しようとしていた軍の作戦に、やはり思うところがあったのか、ジュリが二日間、ほとんど寝ずに軍人たちと考えつくしたものである。
突飛なジュリらしい作戦に、意外にもノリノリだったのは元帥だ。軍のトップが乗り気の作戦に、当然部下たちは反対することも出来ず、そのまま流れるように当日を迎えることとなった。
軍人だけではない。聖職者たちは戦うことには向いていないが、人々に思いを伝えることには向いている。ジュリの作戦では、抗議デモが開催される今日、まさにその人々の先導役を聖職者が担うことになる。
ジュリは、何通りにもシミュレーションをされた紙を見つめて、後は、と作戦本部の扉が開くのを待つ。
そろそろ戻ってくるはずだ。
「行くわよ」
凛と澄んだ声が、空軍基地の一室に響いて、ジュリは真っ赤な唇の端を持ち上げた。
プラチナブロンドがつややかに揺れ、扉が開くと同時に風でふわりと広がる。腰まで伸びた美しい髪が空気に舞って、光の粒がはじけた。
ジュリが「待ちくたびれたわ」と冗談めかして言えば、アリーの後ろに控えていたメイとシエテがそれぞれ正反対の表情を浮かべ、ディーチェとユノが、緊張の面持ちで並ぶ。
こうして顔を合わせるのも、最後になるかもしれない――
誰ともなく、そんなことを考えてしまう。
短命と言われる魔女の寿命さえ、まっとうせずに死んでしまうかもしれない。
司法や貴族とて、単なる考えなしではない。これだけ派手に動いているのだから、何かしらの策は講じてくるはずだ。
一般市民のデモ隊も、朝から抗議を開始する。罪のない人々を巻き込まないようにしなければならない。
抗議デモを行う場所は裁判所の外。だが、軍の強行突破によって、そのバリケードが破られさえすれば、市民だって貴族や司法を襲うかもしれない。
一人も失ってはならない、とアリーは静かに告げた。
「両親には、すでに連絡をしてる。ケガ人は、すぐにうちの病院へ運んでちょうだい」
「わかった」
救護の担当はシエテとディーチェだ。二人の魔法では、残念ながら人にテレポートを与えることは出来ないものの、病院とのやり取りくらいなら出来る。
人命はコンマ一秒を争う。二人の魔法ならば、そのわずかな時間でさえ無駄にしない。
「シエテ、ディーチェ。あなたたちには、辛い日になるかもしれないわ。あなたたちが憎む、人間というものを、助けなくちゃいけないのだから」
「わかってる」
「べ、別に大したことじゃないわ! アタシだって、魔女のためならなんだってやってやるわよ」
アリーが眉を下げれば、そんな彼女を鼓舞するように、シエテとディーチェはうなずいて見せた。
確かに、大嫌いだった人間を、自らの命をかけてでも守らねばならないことは、二人にとっては解せないが……魔女のために命をかけてくれた人々を見てしまった以上は、等価交換だ。
それに、いつまでも借りを作ったままのようで、気持ちが悪い。シエテとディーチェはまさに似たようなことを、言葉は違えど感じている。恩返し、というにはいささか乱暴な言葉遣いだけれど。
アリーは、二人の想いを読み取って、美しい笑みを浮かべた。
それから、メイの方を見つめたアリーは、何も言うことなく目をそむけた。
「あら、私には何もないの?」
残念、と微笑むメイの顔はやはり少し血色が悪く、無理をしていることは明白だ。
「あなたは、生きていればいい。夢を、見るのではなく、信じて」
メイは、ほんの少し驚きにエメラルドグリーンの瞳を見開いて、やがてクスクスと肩を揺らす。
「本当に、信用がないみたい」
まさにその通りなので仕方もないが、普段物わかりのいいメイがそんな風に言われているのは、ユノ達にとっては新鮮だった。
「トーマスを助けられるのは、いつだってメイよ。他の誰でもなく、メイ、あなた一人なの」
アリーは、ようやく決心したようにメイの手をそっと握って、視線を交わす。
「誰一人として欠けない。あなたも、その一人よ」
祈るようにささやいた声が、シンと心に響く。
メイが柔らかに目を細めれば、美しい海のような、どこまでも広がるエメラルドグリーンの瞳が、爽やかな春の風に揺れる。
「約束するわ。私はもう、一人で諦めたりしない」
メイの言葉に、皆ようやくそこで口角を上げた。
「それから」
アリーは、ザクロのように熟れた赤い瞳に視線を移す。
「ジュリ。あなたが一番無茶をする性格なのは知ってるわ。他人事じゃないのよ」
本当に、他人のことを良く見ている。テレパシーで心の声を聞いているせいか、アリーには隠し事などできない。
ジュリは口を開けて笑い、アリーの肩をバシバシとたたく。
「やだぁ! ワタシだって、今日はおしとやかに行くって決めてたんだから」
「おしとやか?」
ディーチェが思わず首をひねってしまうほどに、ジュリの豪快っぷりは健在だ。
ジュリは唇を尖らせると、
「あら、つれないわねぇ」
と、ディーチェの頬をつつく。いつにもましてスキンシップが多い。愛嬌のある彼女の仕草も、今は甘える子供のように見えた。
「エリックさんは、あなたを愛してる。あなたは、それにこたえる義務がある」
アリーが脈絡もなく真面目な顔でそういうのだから、これにはユノ達も目を丸くした。ジュリだけが面白くなさそうに「わかってるわよ」と軽くあしらう。
それを今言うのは反則だ、とアリーにじとりとした視線をジュリが送れば、アリーは見て見ぬふりをした。
「とにかく、あなたも、自分を大切にしてちょうだい。愛する人々を守るために、あなたの力はこれから先も必要になる。人を素直に愛することの出来るあなたがね」
美しいアリーの瞳に射抜かれて、ジュリは深いため息を吐いた。
「わかってるわよ。今日は、無茶はしない。王子様もいることだしね。助けてもらうわ」
ジュリの答えに、アリーは満足したようにうなずく。
「それに、なんてったってアリーの最後の演説にかかってるんだから。任せたわよ」
意趣返し、とばかりにジュリがパチンとウィンクを一つ。真っ赤なバラの花びらが舞うかのような華やかさに、アリーは思わず頬を緩めた。
「ほんと、ジュリって魔性の女ね」
「魔女だもの」
二人は、慣れたやり取りを交わしてうなずきあった。
「魔女らしくいきましょう」
アリーの言葉に、ジュリも、ふっとその表情をほころばせた。
最後に、アリーはユノへと体を向け――夜明けを告げる少女の姿を目に焼き付けた。
夜の帳をおろしたような、夕焼けと夜空を混ぜ込んだ髪色も、星々が瞬く深い瞳も、マークの物語を読んでからは、まるで朝焼けのようだ。
まさに、日が登る直前の……今、この瞬間の空を写し取ったみたいな風合い。
すべては、この少女から始まったのだ――
アリーは、ユノの髪をそっと耳にかけてやり、鮮やかな朱と濃紺の混ざる髪を光に透かす。
柔らかなミディアムボブに、登り始めた朝日がゆっくりと当たって、キラキラと反射した。
それは、複雑な色味を帯びて、何色にも変化し、ダイヤモンドにも負けない唯一無二の輝きを放つ。
「ユノ、私たち、魔女の未来を……この世界の新しい扉を、その魔法で開いてちょうだい」
アリーの言葉に、ユノは力強くうなずいた。
扉はもう、目の前にある。
準備は出来ている。
繋がっている。
――いこう、新しい世界へ。
魔女たちは、空軍基地の大きな扉の両サイドに立つと、ドアノブにそれぞれの手をかける。
「それじゃぁ、せーの、で唱えてくださいね」
ユノの明るい声が、夜明けを告げる。
「「オープンセサミ!!」」
魔女たちの声が、高く晴れ渡った春空に響き渡った。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます!
第八章はここでおしまい。いよいよクライマックス、第九章ではマーク達の魔女裁判が開廷します。
果たして魔女たちは、マーク達を奪還できるのか? そして、イングレスの国の行く末は……?
ぜひぜひ、最後までお付き合いいただけましたら幸いです*
皆様に少しでも楽しんでいただけるよう、最後まで全力で頑張りますので、何卒よろしくお願いいたします!




