8-12 当たり前のこと
いよいよマーク達の魔女裁判が明日に迫った夜。
空軍基地の救護室には、メイの荒い呼吸が響いていた。
魔力の衰退と枯渇。それによる生命活動の限界。魔女が寿命を終えようとする瞬間の、魔力の揺らぎが、彼女の体を蝕んでいる。
アリーはそんなメイの手を強く握った。彼女は、夢の世界から戻ってこない。
何度も止めた。それ以上はメイの体が危険だと、彼女に夢見の魔法を使うことを禁じた。明日が過ぎれば、きっと素晴らしい日々がやってくる。それを見るために、メイは生きなければならないと、説得をしたのに――
未来が分からなくて不安なのは、皆同じ。
けれど、未来を見ることが出来るメイにとって、その力を禁じられたことが、余計に不安をあおったのだろう。
トーマスを失い、マーク達も捕まって、信じてきた未来が音を立てて崩れていった。
自らの命は長くない。ならばせめて、最後に夢を見たいと思うのは、当たり前のこと。
未来を見ることで、少しでも彼らを、トーマスを助けられることが出来るのなら、メイはその命を差し出すことなどいとわない。
だから、アリー達の目を盗み……普段なら、絶対にそんなことはしないけれど、どうせ死ぬのなら、と夢を見た。
明日の夢、明後日の夢、それより先の、未来のことを全て。
だが、夢は不安定で、ぼんやりとしか見えない。風が吹いてしまえば、全てが吹き飛んでなくなってしまいそうなほど、曖昧なものばかりがぐるぐるとメイを取り囲む。
夢の中でメイが瞬きを繰り返すたびに、その視点や形、場所を変える。
トーマスの笑みが見えたかと思えば、彼は泣きそうな顔をした。
メイがどれほど手を伸ばしても、その頬に触れることは出来ない。
「メイ!」
嗚咽交じりの声で名を呼ばれ、メイはゆっくりとあたりを見回す。だが、その声の主は見当たらない。あたり一面に広がる様々な未来のどこからでもない。
「メイ!!」
より一層その声が大きくなる。
――あぁ、この声は。
メイがハッと息を吐き出すと同時に目を見開けば、メイの手を握りしめて三度、メイの名を呼ぶアリーの美しいプラチナブロンドが見えた。
「アリー……?」
自らの口をついて出た声は、想像していた以上に弱々しくなってしまった。
「メイ!」
アリーの握りしめた手が痛い――だが、それと同時に心地よい。彼女のひやりとした、陶器のように滑らかな肌は、まだこの世界に自らの命がつなぎ止められていることを感じさせる。
「ごめんなさい」
謝るくらいなら、なぜ魔法を使ったのか、とアリーの目が厳しくメイを射抜く。いつもは冷静で、まっすぐなアリーが、珍しく怒りを露わにしていることに気付いて、メイは苦笑する。
笑ってごまかしても、彼女は許してくれないだろうけど。
「何も言わなくていいわ。分かってるの。あなたが、夢を見た理由も……おそらく、その夢があまり見えなかったことも」
どこまでも透き通った声と瞳で、アリーはメイから目をそらさずに告げた。
まったく、テレパシーとは厄介な力だ。
メイは「それならお言葉に甘えて」とアリーが握る手をほどく。無理やりに体をベッドから起こすと、体とベッドが同時に軋んだ。
どれほど眠っていたのかは分からない。けれど、額や背中を伝う汗が気持ち悪いと思うほどには、長い時間眠っていたらしい。
「……力がなくなるって、こんな感じなのね」
「どんな感じ?」
「全部が曖昧で、ぼんやりして……なんだか、自分が自分じゃなくなるみたい」
メイの言葉に、アリーはあからさまに顔をしかめた。しかめ面でも、美しい顔が台無しにならないのは彼女だけだろう。
「トーマスが、泣きそうな顔をしてたの」
あのトーマスが、とアリーはさらに眉根を寄せる。
いよいよ悩ましい顔が、麗しい女性の面影を引き立たせ、メイは思わずそんなアリーの表情を目に焼き付ける。
「そんな、最後の別れみたいな扱いをしないで」
「あら。ばれちゃった」
ぴしゃりとねめつけられ、メイは肩をすくめた。少しずつ、意識が覚醒すると同時に、体中の渇きがマシになっていくような気がする。
結局、明日の裁判がどうなるのかは分からなかった。全く、力の無駄遣いである。
アリーはそれを知っていて、それ以上は魔法の力を使うな、と言ったのか。はたまた、偶然かは分からないけれど。
「きっと、本当に長くないのね」
トーマスが泣きそうな理由は、夢の内容が曖昧でも分かる。
「まだ、生きていて」
端的だが、強烈な願いに、メイは思わず笑ってしまう。自らの延命を、ここまでストレートに伝えられるとは思わなかった。それも、あのアリーから。
「それは、また難しいお願いね」
「あなたが無茶をしなきゃいいだけよ」
突き放すようなアリーの物言いに、悲しみの色が混じる。
「もうしないわ。見えないってわかったもの」
メイがようやくアリーの言い分を飲むと、アリーがようやく深い息を吐き出した。
「約束よ」
アリーの瞳ににじんだ涙が、彼女の瞳をキラキラと反射させる。まばゆいばかりの輝きが、何色にもきらめいて、ダイヤモンドの欠片がこぼれた。
アリーがそっとメイの体を抱きよせる。目元で揺れるプラチナブロンドの髪が、メイの視界をさらさらと白に染めていく。
「いつもの、強いアリーはどこに行ったのかしら」
メイが彼女の柔らかな、絹糸のような髪を撫でつければ、アリーは「私が強かったことなんて、一度もないわ」と呟く。
強く見せていただけ。いや、何も知らなかった子供のころは、メイの言うように強かったのかもしれない。好奇心と、ちょっとした知識と、両親の後ろ盾と。いろんなものに守られて、世界のことなど知らなかった。それが、アリーに謎の自信を与えていて、彼女を強くさせていたのかもしれない。
けれど、魔女協会を立ち上げ、世界のことを知り、様々な人と出会うことで、アリーは弱くなった。
今はもう、強く見せることだけが、自らの役目だと言い聞かせて魔女たちの前に立っている。
ジュリや、メイや、シエテや、ディーチェ……そして、ユノに置いて行かれないように。
「まだ、しばらくは、生かしてくれるんでしょう?」
あやされるように、メイの優しい声がアリーの耳をくすぐる。生きて、と頼んだからか、延命させる義務がある、というように。
「あなたが、あなたの力で生きるのよ」
そのために、出来ることならなんだってする。
それが、メイを生かす、ということにつながるかどうかは分からないけれど。
テレパシーなど使っていないのに、何かを感じ取ったのか、メイはアリーの手の中でコロコロと鈴の音みたいな笑い声をあげた。
「お別れの言葉も、まだしばらくは考えさせてくれなさそうね」
「当たり前でしょう。それよりも、明日の裁判でお話することを考えていてくれる?」
「まさか。そういうことは、アリーの役目でしょう」
「考えるのにも飽きたわ。あまりにも、当たり前のことを語るだけだもの」
明日の裁判に向けての準備は、整いつつある。
アリーの代わりに、ジュリが軍人と聖職者との作戦に加わり、シエテやディーチェは、裁判所やその付近への仕込みをしている。
ユノは、新聞社の社長と共に、明日の新聞記事を書いては配り歩いている。
アリーは、裁判所の人々に魔女裁判と言論統制の撤廃を呼びかける役回りである。
「その当たり前が、どれほど大切か、知っているでしょう」
メガネの奥から、みずみずしいエメラルドグリーンの輝きに見止められ、アリーは呆れたようにため息を吐いた。
「驚くほど説得力があるわね」
メイがいなくなる日がくるなんて……そんな当たり前が消えてしまうなんて、思ってもみなかった。
アリーがそんな言葉を飲み込むと、メイはそれを知ってか知らずか、穏やかな笑みを浮かべた。




