8-9 勝算のない戦い
ユノを守ると誓ったあの日から、マークの決意は揺らいでいない。それどころか、日に日にその思いは強くなっている。
今、その誓いを果たさなくてどうするのか、とマークは自らを奮い立たせた。
戦いなどからきしだ。人生の中で、一度とて喧嘩などしたことはなかった。銃はおろか、拳を握ることもままならない。持っている武器は、言葉だけ。それ以上は何もない。
それでも、マークは懸命に戦うと決めた。
「みなさんを離してください! すべての罪は、僕が背負います」
マークが一歩前へと踏み出せば、バシャリと滑走路にたまった雨が音を立てた。
現状を打破する……または、何かが壊れた音のようにも聞こえたそれは、一瞬の後すぐに跡形もなく消えてしまう。
ジェイムズは、チラリと横目で隣の軍人へと合図を送る。
元々、魔女は全員捕えるつもりだったが……魔女を守るものがなくなれば、彼女たちは無力だ。後からいくらでもとらえて裁くことは出来る。
ならば、先に片付けるべきは、魔女を守っている者たち。
「解放してやれ」
「し、しかし」
「何か文句でもあるのか?」
ユノを拘束していた男は、ジェイムズの冷たい視線に、ひ、と小さな悲鳴を上げた。恐る恐る自らが捕らえていた魔女を解放し、ジェイムズから目をそらす。
ユノはディーチェに抱き着かれるがまま、その場で倒れこんでしまいそうになるのを必死にこらえた。
手も、足も、震えている。涙もでないほど、頭の中が混乱している。
ユノは、自らの代わりに人質となったマークをちらりと盗み見た。マークも、解放されたユノを見つめていて、自然と二人の視線が交錯する。
マークは力強くうなずいて、大丈夫だと表情でユノに語り掛ける。いつもの柔らかなフォレストグリーンの瞳に、今は、強い青葉の芽吹きを思わせるような光が差し込んでいた。
先ほどまでユノを捕らえていた軍人は、自らの前に立った青年を見つめて、ふんと鼻を鳴らした。
マークの見た目はお世辞にも屈強とは言えない。武器を隠し持っている様子もなく、妙に気が抜けてしまう。
どうして、ジェイムズが魔女よりもこの男にこだわるのか、といぶかしんでしまうほど。
だが、ジェイムズはマークを値踏みするように見つめて、
「最も、手に入れたかったカードだ」
と評価した。
「言論統制の対象となる本を書き、人々を惑わし、あげくの果てには魔女をたぶらかして、この国を乗っ取ろうとしている反逆者よ」
「他の二人も、解放してください」
マークがきっぱりとジェイムズに言えば、ジェイムズはゆっくりと二人の男へ目を向けた。トーマスとエリック――その二人の男を。
濁った瞳が捕らえた対象に、アリーとジュリが顔をしかめる。
「等価交換をしなくてはな」
魔女の言葉を使って、命と命のやり取りを行う。
「そこの聖職者と、軍人だ。その二人が、魔女の代わりに裁かれるというのであれば、彼女たちを解放してやってもいい」
ジェイムズの言葉に、トーマスとエリックは当然そのつもりだと顔を上げた。特に、アリーの言葉によってその場を譲らされただけのトーマスにとっては、願ったりかなったりの条件である。
代われるものなら、一秒でも早く代わってやりたいとさえ思っていたところだ。
「ジェイムズ殿!」
アリーにそそのかされて、トーマスを解放してしまった軍人は、自らの失態を認めぬためか、驚いたように声を上げた。しかし、次の瞬間には発砲音と共に男の声が途切れる。滑走路にボタボタと滴る赤が、誘導灯の朱に混ざって流れていく。
ディーチェは、目の前で起きている惨劇にガタガタと体を震わせた。ユノ達も、ディーチェほどではないにせよ、思わずその光景から目を背ける。
人が、殺された。あっけなく、死んでしまった。
道こそそれてしまったが、あの男だってまだ本来ならば長く生きられたはずなのに。
「文句があるのなら、貴様らは不要だ」
ぴしゃりと言い放たれた言葉に、ジェイムズに従っていた軍人たちにも恐怖が伝播する。アリーの耳には、ごくりとつばを飲み込んだ音がはっきりと聞こえた。
やはり、軍人は使い捨ての駒ということか。
トーマスとエリックがそれぞれ、アリーとジュリに目くばせをすれば、あっさりと男たちは二人を解放する。代わりに聖職者と軍人を拘束して、本当にこれで良いのかと猜疑心をジェイムズに向けた。
どうせなら魔女の方が良いに決まっている、と思い込んでいたのだから仕方がない。
ジェイムズは、ガソリン車に向かって歩き出す。
「裁判を始めよう」
魔女なら、誰しもが嫌悪感を抱く煌びやかな装飾のそれに、マーク達が押し込まれていく。
全員がガソリン車に乗り込むと、誰かが言葉を発するよりも先にエンジンがかけられ、猛スピードで滑走路を走り抜けていく。
おそらく、そのまま空軍基地を出て、裁判所へと向かうのだろう。
別れの言葉すら出てこないまま、取り残された人々は、それぞれに思いを抱えて動き出す以外にない。
軍人は慌ただしく指揮系統を確認して、基地へと戻っていき、聖職者たちは祈りを捧げるように手を合わせた。
早かったのはアリーとジュリで、こうしてはいられない、と軍の外へ向かって歩き出す。
「どこに行くの!?」
ディーチェが二人の背中に向かって叫べば、
「裁判所よ。彼らを追う」
と二人は振り返ることもなく歩いていく。メイも慌てて二人を追い、シエテは、ディーチェの背を押した。
ユノも、マークを助けなければ、と呆然と立ち尽くしている社長に声をかける。
「行きましょう」
このままここにいても、連れ去られた彼らを取り戻すことは出来ない。状況は悪化する一方だ。
社長はうつろな目で、小さく相槌をうつだけだった。彼にとっては、息子のように思っているマークを失うのはこれで二度目。
一度目は、奇跡的に助かったが、二度目は?
二度も奇跡が起こるなんてことは、少なくとも自らの人生では経験していない。いや、一度たりとも起きないことの方が普通だ。
不安と後悔ばかりが押し寄せてきて、ユノと共に裁判所へと向かう足取りも自然と重くなる。このままではいけないと分かっているはずなのに、心と体がちぐはぐだった。
「このまま、裁判所に行ったところで、我々に何が出来る」
思わず口をついて出た一言は、酷く冷たい事実だった。
「ですが……このままでは」
「わかってる。わかってるんだ。だが、武器も持たぬ我々が、このまま裁判所へ行ったところで、何が変わる? 今でさえ、何も出来なかったのに」
ユノは、社長の言葉にぐっと言葉を飲み込んだ。
確かに、社長の言う通りだ。
だが――だからと言って、マーク達を助けないという選択肢は、ユノにはなかった。裁判所に行くことだけが、今できる最善の手だと信じていた。
社長はふと足を止め、何かをブツブツと唱える。
社長とて、マークをこのまま見殺しになどできない。とはいえ、今のままでは勝算のない戦いに身を投じるだけとなる。
限りある時間の中で出来る、最善の策を導き出さなければ。
ユノが落ち着かない様子で社長をせかすが、彼は自らの世界にすっかり入り込んでいて、他者を寄せ付けない。マークが物語を書いているときのように。
数十秒か、数分か。
たたきつける雨に体が冷えてきたころ、頭まで冷えた、と社長は何かを思いついたように顔を上げた。
「号外を作る! 手伝ってくれ!」
社長の言葉が、裁判所へと足を向けていた魔女たちの動きを止める。
魔女たちは、何をいまさら、と社長に目を向けたが、出来ることならばなんでもやろうと、耳を傾ける。
「号外?」
「あぁ。それを、国中にばらまこう。三人が魔女裁判にかけられる日、最高裁判所に人を集めるんだ」
わずかな希望。それが、社長の声ににじんで、人々の心に火を灯す。
「裁判所を、みんなで乗っ取るぞ」
まだ、終わっていない。
二度だろうが、三度だろうが……何度でも奇跡を起こしてみせよう。




