8-7 雨は激しさを増して
翌朝、部下たちは皆、口をそろえてこう言った。
「犯人を追いかけた後、後ろから気絶させられました。記憶も曖昧で……」
まるで魔法にでもかかったみたいに、彼らは誰一人、滑走路へと姿を見せなかった。魔女たちがいる手前、敵のやり方に魔女と関連する言葉を口にするのはためらわれた。
はじめこそ、エリックは
「責めるつもりなどない。嘘はやめてくれ」
と部下たちに声をかけたが、三人、四人と同じ言葉が続くうちに、どうやらこれは嘘ではないらしい、と気づいた。
部下たちはその後、昨晩荒らされた部屋からものが盗まれていないか調査している。今のところ、何かが見つかったわけではなく、それが余計に、この侵入を不可思議なものに仕立て上げた。
軍の内部にまでしかと潜入しているのに、探し物が見つからなかったからあっけなく逃走した、というのは本末転倒のように思える。しかも、マークや魔女たちが普段使っている部屋まで分かっているというのに、探し物の場所は分からない、などと。
――命を賭けてでも、手に入れてこい。
ジェイムズなら、少なくともそういうだろう。易々と想像できるところが憎たらしい。
(だとしたら、一体何の理由が?)
エリックは首をかしげた。だが、昨夜、目の前で起きたことがすべて事実なのだろう。
例えば、ゴシップ記事を奪うために軍へと侵入し、あの部屋へたどり着いた。だが、いくら探してもお目当てのものはない。
そこにエリックが現れたものだから、慌てて逃走した、というところか。
現実は、物語のように簡単にはいかないこともある。
男の顔は雨と暗がりに紛れてあまり見えなかったものの、陸軍名簿の中にそれらしき人物の姿を見つけることが出来た。
生憎と、その男を捕まえることはかなわなかったが。
昨夜の騒動を元帥へと報告したところで、元帥からその男の辞表を見せられたのだ。つい数日前に陸軍から通達があった、とあからさまにしかめ面をして。
空軍の中にも裏切者がいる、とエリックが元帥へと告げれば、辞表は二枚に増える。
エリックの直属の部下ではない。管制塔で指示を出していた人間らしかった。元々パイロット志望で士官学校へ入学しており、成績も優秀だったという。だが、先日パイロットになるための試験は不合格になっていた。
「ちょうど、昨晩、この辞表を受け取ったところだった」
おそらく、パイロットの試験はわざと不合格となったのだろう。自分には才能がないから、と辞表を提出するためだけに。急な退職を怪しまれずにでっち上げるには、その方法が手っ取り早い。
敵ではあれど、同じパイロットとしては、複雑な気持ちになってしまう。
元帥は隠すことなくため息を吐き、一体どうなっている、と独り言をこぼす。
司法は敵だ。歩み寄ることは出来るかもしれないが、根本的な部分で大きな差がある以上は限界がある。
エリックと対峙した男は、魔女を守るなどバカバカしい、とはっきり口にした。魔女のなんたるかを知らぬ者に語られたくはない、と思うものの、確かに魔女という存在はすでに稀有なものとなっている。
組織が大きすぎて、末端のものにまで思想を行き届かせることは難しい。
元帥は、大雨にたたきつけられた窓から外を眺める。窓に滴る大粒の雨が、外の世界をひずませた。
これで終わりではないとでも言いたげな、分厚くて重い灰がかった雲が空を覆う。
春が近づくにつれ、ロンドの雨は激しさを増していた。
エリックは、その様子を後ろから見つめて、ザワザワと胸が騒ぐのを感じる。まだ、何か良くないことがいくつか起こりそうな。
気のせいなら良いが――
エリックが目を伏せれば、元帥もまた同じことを考えていたのか「早く止むと良いのだが」と冷静に述べた。
以前、ユノが教えてくれた夢見については、もうすっかり破綻している。
国民によるデモはなく、ただ、小さな種火がいくつもくすぶっているだけ。国民に被害が出ていないことを考えればよほど良い傾向だ。
だが、代わりに空軍基地が襲撃された。もちろん、侵入されただけで、何も盗まれていないので、不幸中の幸いともとれる。
それでも、何かが腑に落ちない、とエリックは一人思考を巡らせた。
ジェイムズがこれで引くような奴ではない、ということは分かっている。軍の警備も、破ることが出来ると今回のことで証明されてしまった。
まだ、こうしたことが何度も起こるのではないかと思わない方が不思議だ。
とはいえ、今回の侵入は、魔女やマークを狙ったものではなく、他の何かが目的だった。
心当たりがあるとすれば、ゴシップ記事かマークの書いた本だ。どちらかでも手に入れば、物的証拠として魔女裁判を起こすことが出来る。
そのために、こんなにリスクを冒すだろうか。あの男が?
エリックが思案していると、元帥が咳ばらいを一つ。
「エリック中尉。しばらくは警戒レベルをそのまま維持。すべての情報は、君のもとへ集めるよう連絡しておく。此度の件、全ての指揮官はエリック中尉に任命する」
元帥の低い声が、ピリピリとした緊張感を纏っている。エリックはただ「了承しました」と敬礼をして部屋を出た。
ジェイムズの動向を探る人数は、新聞社の人間も含めれば十分なほど。とにかく、彼に何か怪しいところがないかを徹底的に調べる必要がある。
昨晩のこと、そしてこれからのこと。夢見でなくとも、情報を集めることさえ出来れば、ある程度の推測は立てられる。
記憶が曖昧だ、と言った部下たちは医務室へ行かせ、しばらく休みを与えなくては……。
(薬か……?)
エリックは自らの思考に足を止める。記憶を混濁させるような『何か』を盛られた可能性が高い。
誰かが援護し、部下の足止めを行って、男の逃走を手伝ったのだとしたら?
そこまで考えて、「まさか」とエリックは慌てて駆け出した。
まだ、この空軍基地内に、何者かが残っている可能性がある。
あの男は囮で、その騒動の隙に、軍人に紛れることが出来たとすれば……マーク達が危ない。
エリックはとにかく廊下を全速力で走り抜けて、マーク達が普段集まっている扉をノックした。
返事を待たずに扉を開ければ、中にいた皆が一斉にエリックの方へと視線を向ける。目で全員の顔を見つめ、頭で数を数えて、ひとまずは全員無事であることに安堵した。
魔女も、マーク達新聞社の人間も、そして護衛をしている部下たちも、昨日と変わらない様子だ。
「てっきり、メイたちが帰ってきたのかと思っちゃったじゃない」
ジュリが冗談めかして言うのは、エリックの必死の形相によって張りつめた空気を壊すためだろう。
だが、ジュリの気遣いとは裏腹に、エリックの顔は再び強張った。
「そういえば、トーマスさん達は?」
いくらなんでも、魔女を説得しに行ったにしては戻りが遅いのではないか。
ユノとマークが以前住んでいたあの島へは、メイは魔法で、トーマスは水上機で向かっているはずで、数日前には到着しているはずだ。
エリックが怪訝な表情を見せれば、アリーも何かに気付いたのか「確かに遅いわね」と呟いた。
説得に時間がかかっているのかもしれない。これはただの杞憂で、まだ、何も決まったわけではない。
アリーの一言が効いたのか、その場にいた全員が、何かを感じ取ったのか内心をさざめかせた。
いくらなんでも、というにはまだ行ったばかりともいえるが、一度も連絡がないのはどういうことだろう。
「メイが連絡しないなんて変ね」
ジュリがアリーに「テレパシーは?」と尋ねれば、アリーは首を横に振る。
メイもトーマスも真面目を絵に描いたような優等生。こまめに連絡をしてくれる二人が、連絡を忘れるなんてことがあり得るのだろうか。
――いよいよ嫌な予感がする。
その予感が的中したのは、その直後のこと。
エリックが先ほどそうしたように、バァン! と荒々しく扉が開かれたかと思えば、真っ青な顔のメイが倒れこむ。
「トーマスが……」
彼女は、かすれた声で彼の名を呼んだ。




