8-5 君は強くなれる
空軍基地に非常ベルが鳴り響く。
グローリア号でも、似たような音でたたき起こされた経験のあるマークは、危機感からその体を飛び上がらせた。
命が危険に差し迫った瞬間は、体も覚えているらしい。
「社長!」
マークは二段ベッドの下を覗き込む。社長もまた、マークの声か、それともベルの音か、寝ぼけ眼をこすりながらも枕元に置かれていたメガネに手を伸ばした。
「僕が外を見てきます」
マークはベッドの梯子をかけおりて扉を開ける。同じように、隣の部屋から軍人の男が飛び出した。
「この音は?」
「緊急事態が発生したようです」
軍人の男は、その顔に緊張の色を浮かべた。
火事ならば煙が。浸水ならば水が、そして侵入者なら怪しい人影が。今のところ、そのどれも現れてはいない。
「マークさん達はこの部屋に待機していてください。何があるか分かりませんから、誰が来ても扉は開けないように」
念を押され、マークも素直にうなずく。素人が出ていっても邪魔になるだけだ。
マークはそのまま扉を閉め、鍵をかける。部屋の明かりをつけた社長は、いつでも動けるようにと立ち上がっていた。
「何があった?」
「分かりません。ただ、緊急事態が発生したようだ、と。誰かが来ても、扉を開けないように言われました」
火事や、浸水ならばその限りではないだろう。だが、侵入者なら話は別だ。
幸いにも扉には、小さな覗き穴がついている。外からは中が見えないガラスになっているから、必要ならそこから確認すればいい。
「緊急事態、か……」
社長は、すっかり眠気を失ったのか、ベッドへ腰かけた。エリックが言っていた、内通者の可能性を考えているのだろう。
エリックが見せてくれた写真。そこに写る軍服姿のジェイムズの顔が、マークの脳裏をよぎる。
とても、幸せとは呼べない表情が、ジェイムズの人となりを表しているようにも見えた。もともと、繊細な性格であるのか、生真面目なのか。司法裁判官の方が、よほど適性だろうと皮肉にも思ってしまうような雰囲気がある。
彼は家族を奪った組織の一員で、マークにとって憎むべき相手であるのだが、憂いを帯びた表情は、とても悪人のものとは思えなかった。
ベルの音が止み、二人は顔を上げた。
解決した、ということなのか、それとも別の意味があるのか。
マーク達の知るところではないが、警戒は緩めるよりも強めた方がいいだろう、と思う。
「ユノさん達は大丈夫でしょうか」
何者かが侵入したのだとしたら、マーク達新聞社の人間か、魔女たちを連れ去ることが目的だろう。
ジュリとジェイムズの間には、何かしらの接点もあるようだ。内通者がいるのなら、ここに魔女がかくまわれていることもバレているに違いない。
諜報部隊がどこに潜んでいるかは、軍人でも知らないという。それこそ、先日マークが出会った王女様付の枢密顧問官のように。
ならば空軍基地に潜んでいてもおかしくはない。下手をすれば、マーク達を護衛しているエリックの部下という可能性も考えられなくはなかった。考えたくはないが。
ジェイムズ自身が直接赴くことはないだろうとは思うものの、元諜報部隊の人間だとすれば、その可能性だってなくはない。
――魔女が狙われるくらいなら、いっそ自ら戦地に飛び出して的となる方が良い。
マークの覚悟を見透かしたのか、社長は「マーク」と引き留めるように名を呼んだ。
「扉を開けるな。約束したのだろう」
厳格な声でぴしゃりと一喝され、無意識にドアノブへと伸ばしかけていた手を止める。
分かっていたのに、無策に突っ走ろうとしていた、とマークは目を伏せた。
社長は、タバコを取り上げられてしまったせいか手持ち無沙汰を解消するように、紙とペンを手元に用意して、何やら文字を走らせていく。
「空軍基地へ侵入者。相手は司法か……と、これは書きすぎか」
明日の新聞記事の一面を考えているのだろう。ゴシップ記事とは違い、新聞記事にはやはり真実を書くつもりのようだ。
いくらなんでも緊張感がなさすぎるのでは、と言いかけたところで扉をノックされる。
社長は手を止めて、咄嗟にペンと紙をベッドの中へと隠し、マークは扉の方を振り返った。
社長が立ち上がり、マークの隣に立つ。何かあれば、代わりに対応してやるといわんばかりに。
マークはそんな社長に守られるように、ゆっくりと覗き穴から外を見た。
――エリックだ。
マークが内側からトントン、とノックすれば、彼は顔を上げた。
「開けるな、と言われたもので」
いつもよりも少し大きい声で話せば、扉の外にきちんと声が届いたらしい。エリックは扉から少し離れた。
「何者かが侵入したようです。まだ犯人は捕まっていません。そのままここで待機していてください。魔女たちも無事です」
扉を隔てて、いつもより少しくぐもったエリックの声が聞こえ、マークと社長は目を合わせた。
「分かりました! エリックさんもお気をつけて」
マークの返事にエリックは軽く手を上げて、扉の前からその姿を消す。
「やはり、侵入者か」
「このタイミングでここへ来るということは、内通者がいるということでしょうか」
「間違いないだろうな。そもそも、軍という大きな組織だ。いくら縦の繋がりが強いとはいえ、末端まで行けば思想の違う人間が一人や二人いるのはおかしなことじゃない」
「しかも、ジェイムズ裁判官は元諜報部隊ですよね」
「まったく面倒な相手だな」
こんな時、気軽に連絡が取れないのは何と歯がゆいことか、と顔をしかめる。魔女たちは、おそらくアリーのテレパシーで情報共有できるだろうが、人間には無理だ。
部屋に電話はなく、他の新聞社の同僚たちも今頃どうしているのか、不安は募る。
進展があれば、エリックや軍人から、再び連絡が入るだろう。そうは思うものの、じっとしていることは出来ず、マークはうろうろと狭い部屋の中を行き来した。
社長は、肝が据わっているのか、再び新聞記事を書き始める。マークよりもゆっくりと丁寧に文字を書き連ねるペンの音がカリカリと響く。
マークは、忙しなく足を動かしながら、思い切って社長に尋ねた。
「どうして、そんなに落ち着いていられるんですか」
黙って考え事をするよりも、幾分か話をすることで心も紛れる。
社長は手元の紙に視線を落としたまま、
「そう見せているだけだ。二人でパニックになっても仕方がないだろう」
端的に答えて再びペンを動かす。
「こんな年寄りがアタフタしているのを見て、マークが落ち着くのなら、そうするが」
相変わらずの冗談は、皮肉が効いていて、マークはようやく足を止めた。
マークが謝れば、社長は首を振る。
「それだけ、ユノさんや、魔女のことを思っているということだろう? 謝る必要はない。特に、君の場合は、大切なものをずいぶんと失ってきたから」
愛する家族は奪われ、貴重な青春を謳歌する時間もなく、作家を目指しては夢を失った日もあった。
決して長くはない人生なのに。
「だが、君は強くなれる。いや……もう、なっているんだろうな。君が、気づいていないだけさ」
社長はメガネ越しにまっすぐマークを見つめる。
(この人に、出会えてよかった)
マークの心に沸き上がったその感情が、先ほどまでの不安を少し軽くする。
「それでも、どうしようもなくなった時は、自分が出来ることをしなさい。それだけでいいんだ」
社長は手元に視線を戻して、ペンをゆっくりと動かす。
社長に今出来ることは、新聞記事を書くことなのだろう。
――この騒動が収束した時、国民を味方にするための記事を書くことが。
マークは、ならば、と自らもペンと紙を取り出して、そこへ新たな物語を書き始める。
司法や、貴族との戦いが……王族との決着がついた時、生まれ変わるこの国を祝福するための物語を書かなくてはならない。
魔女も、人も、笑顔にするようなお話がなくては。
机に向かってペンを動かし始めたマークの背中を、社長は盗み見る。
これから先、彼を待つ運命がいかなるものになろうと、彼を守り抜かなければ。
国を変える、この青年の未来が、明るいものでありますように、と社長は願った。




