8-4 存在証明のつくり方
ロンドの上空からばらまかれたゴシップ記事は、たちまちロンドを超えて国内全域に広がり、テレビも、ラジオもその話題で持ち切りとなった。
新聞社の調査を試みようと動いていた司法の人間はそちらの対処に追われ、国政を司る王族と貴族は、連日報道対応に追われている。
まさに理想的なシチュエーションだった。
国民の声が大っぴらに取り上げられ、魔女裁判を開こうものならバッシングが起こる、と王族もようやく気付いたらしい。
魔女裁判が取り決められた百年前とも、言論統制が制定された時とも、情報が駆け巡る速度はけた違いだ。今まで通りにすんなりと事が運ぶはずもない。
「一体何が起きているというのだ!」
あからさまな怒号に、ジェイムズは顔をしかめる。頭を下げているからこそ、気づかれていないものの、今の顔を見られれば、ジェイムズとてその怒りの餌食となるだろう。
「これを取り締まるのが、貴様らの仕事だろう!」
横暴にもほどがある。噂が噂を呼び、出所の分からない情報が錯そうしている。ただでさえブッシュは火事対応に追われているのに。いくら司法裁判官の数が多くとも、出来る仕事には限りがあった。
だが、ジェイムズも「申し訳ありません」と下げた頭をさらに下げることしかできない。
不平不満を漏らしたところで取り付く島もない。
そもそも、魔女という悪しき存在を――この国の根本から全てを奪い去ってくれるのは、王族のみなのだから、ジェイムズには従う他ないのだ。
魔女さえいなければ……ジェイムズは『彼』を殺すことはなかった。
「おそらく、軍人が絡んでいると思われます」
それしか分からない。新聞社は突き止めることが出来たが、本を出版している場所や印刷所の情報は、いまだ掴めてすらいない。
あえてそれは言わず、ジェイムズは知り得ている情報だけを口にする。
「忌々しい……。ろくに戦うことすら出来んくせに、邪魔ばかりしおって……」
先の敗戦を揶揄する言葉を口にはするも、有力な貴族も軍側についているせいか、その声色に先ほどまでの勢いはなかった。
王としても、自らの基盤を脆弱にするわけにはいかず、おいそれと手出しは出来ない。
金を持つ貴族たちとは、その時々に応じて手を取り合っていかねばならないのだから。
「軍人を裁判にかけることは出来ますが」
「ならん。先に、この騒動を引き起こした新聞社の人間と作家を追え。軍人はその後だ」
後ろ盾があるものを処罰するには色々と面倒だ、と王は唇をかんだ。新聞社の人間と作家であれば、ただの一庶民で、裁判沙汰にしても問題はないだろう。少々国民の声がうるさいだけだ。
とにかく、金や権力が脅かされないか。それだけが王にとっての全てであり、行動指標。だからこそ、疎ましくとも軍人や教会の人間は切れない。
思想として敵であっても、うまく利用できるのであれば大歓迎、といったところか。
「新聞社の方は、すでに調査へ動いています。調べによれば、作家もその新聞社に勤めていると。うまくいけば、すぐにでも裁判を始められるはずです」
「ふん。次は失敗するなよ?」
「……承知、しております」
「わしの慈悲で置いてやっているんだ。それを忘れるな」
慈悲とは聞いて呆れると、ジェイムズは嘆息するものの……それでもやはり、王に仕える気持ちが揺るぐことはない。
ジェイムズから希望を奪い取った魔女を、根絶やしにすることこそが、彼の目的だった。
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軍部にいた時は、魔女は守るべき存在だと上官から教えられた。
だが、ジェイムズにとって、魔女という存在はおとぎ話の中のこと。力を持ちながら、そんな子供騙しのような存在を信じている軍人に辟易することさえあった。
魔女なんてものは、生まれてこの方一度も見たことがなかったし、そもそも、魔女裁判にかけられている人間すら、当時のジェイムズの周囲にはいなかった。
生まれた時から迫害を受けると聞けば、かわいそうなこともあるものだ、と思うものの、魔法という力が予測不能な以上、それも仕方のないことだと思う。
因果応報。その一言に尽きる。
少なくとも、それは軍の諜報部隊に所属することが決まってからもそうだった。
主に暗躍することが多い諜報部隊でも、時には事件を起こした犯罪者との戦闘になる。相手も人間なのだから、危険はあるが動きを予想できる。やられる前にやる。鉄則だ。
だが、魔女ならばそうもいかないだろう。そう思えば、ますます、魔女が迫害されることは当たり前で、自らの身を守るためには仕方がないことだろうと思うようになった。
それが、明確な憎悪に代わったのは、『彼』が婚約を決めたと報告しに来た時だった――
彼は、唯一の友と言って差し支えなかった。
日々の業務から、世の中のすべてに対して疑心暗鬼になっていたジェイムズでも、信頼できる男だった。裏表がなく、軍人にしておくにはもったいないほど馬鹿正直で素直。正義感が強く、人々を救うために自らの命をかける覚悟の出来ている男。
それが、彼だ。
士官学校に入学した同期であり、寮のルームメイトで、更には同じタイミングで軍部に選抜されたこともあって、余計にそうさせたのだろう。
特別な人間というのは、こういうことを言うのだろうと……正反対な自分と比べて劣等感を抱いたりもしたが、それほどまでに彼の存在は大きかった。
もちろん、諜報部隊に所属してからは、彼との関係は希薄になった。軍の中でも隔離されて、その存在自体を消されてしまったように身を潜めるよう強く言われていたからだ。
そうでなくても、空軍基地と諜報部隊は別の場所にあり、顔を合わせることなど叶わなかった。
だからこそ、ふとした時に彼はどうしているのだろうか、と考えることがある。
それが、おそらくジェイムズの感情を、知らぬうちに心の奥へと縫い留めていたのだろう。依存と呼ぶには遠すぎる距離。仲間や友人というには、あまりにも重すぎるものを。
そんな彼が自ら、ジェイムズを訪ねてきた時、驚きと同時に喜びが胸を支配した。
「どうしても、ジェイには直接言っておきたいことがあるんだ」
そう切り出されれば、どんなに忙しかろうと、耳を傾けるに決まっている。
――俺、婚約したんだ。
そんな言葉が続いても。
笑みを繕って「おめでとう」と祝福の言葉を投げかけたものの、彼の姿が見えなくなった後には、いいようのない不快感に襲われた。
想いを紡いだ彼との透明な糸が、プツリと切れて、彼方へと失われていくような。
どうして自らがそんな行動を起こしたのかは分からないが、諜報部隊としての能力を遺憾なく発揮し、ジェイムズは彼の婚約者を突き止めた。否、突き止めてしまった、と言う方が正しいかもしれない。
魔女――その存在が、何よりも醜く、疎ましいもののように思えた。
そこへ追い打ちをかけるように、隣国へ魔女が亡命したという情報が入り……やがて、彼が赴くことを知ってしまった。
彼を説得するチャンスだとも思った。
あわよくば、魔女が人々を殺し、彼の幻想を打ち砕いてくれとさえ願った。
結果、彼を殺したのは自らの銃だった。
魔女は、人々を傷つけることなどしなかった。自らの身を守るためだけにその魔法という力を使い、あっけなく死んだ。
彼と同じ型の、銃弾で。
ジェイムズは、引き金を引いた右手をゆっくりと握りしめて立ち上がる。
王がいなくなった部屋には静寂が横たわっており、制服の衣擦れの音でさえクリアに響き渡った。
魔女さえいなければ。
八つ当たりにも近いような、子供っぽいと揶揄されそうな感情を振りかざし、正当化して、王と共にこの国を正しく導くのは気持ちが良かった。
歪んでいる、と言った軍人の青年の瞳が、たまらなく愛おしかった。
彼を、思わず重ねてしまうほどに。
(彼を思うことさえ、許されることではないのに)
この国にも、この世界にも辟易してしまう。
自らが生きるにはあまりにも綺麗すぎる、とジェイムズは息を吐いた。
彼がいれば、この世界の美しさを愛することが出来たのだろう。
だが、もう彼はここにはおらず、そんな世界に美しさなど似合わない。ならばせめて、彼がいない世界らしく、正さねばならない。
それが、ジェイムズの餞。彼の、存在証明のつくり方なのだから。




