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万年筆と宝石  作者: 安井優
八つ目の扉 空軍基地

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8-1 物語は動き始めて

「どうしてこんな記事を書いたんです!?」

 激しく机に新聞紙をたたきつけて、エリックが社長を睨む。軍人の鋭い視線は、いくら社長とはいえ息をのまざるを得ない迫力だった。

「本の内容には触れていませんが、司法が動くには十分すぎる内容ですよ!」


 社長は、その抗議を甘んじて受け入れる。

 だが、何も考えなしに書いたわけではない。割れてしまった世論を再びまとめあげるには、きっかけが必要だった。それに、まことしやかに広まっていたマークの本だって、読む人が増えれば当然、いつかは秘密が漏れる。

 ならば、国民が声を上げやすい状況を作った方が良い、と判断しただけのこと。


 いつまでも隠れているだけでは、何も変えられない。

 何かを変えるには行動が必要なのだ。行動するタイミングが問題なのであって、遅くとも早くとも好機を逃すことにつながってしまう。

 次、いつ訪れるかもわからぬ好機が、今、この瞬間だっただけだ。

 社長は長きにわたり、そんな情勢を見極めてきた力があり……過信するつもりはないが、大方外れることもない。


 社長が意を決してエリックを見つめ返せば、エリックは唇を()みしめた。不満はいくらでもあるが、冷静にならなくてはと自制したようにも見える。それとも、一般人相手に言い過ぎたと思っているのか、言い分くらいは聞いてやるということなのか。

 なんにせよ、社長からすればどちらでも良いことだ。話さえできれば分かりあえるはずなのだから。


「言い分はよく分かります。私のやったことが、どれほど危険な行為か、ということも。ですが、鉄は熱いうちに打て……今が、好機だと思うのです」

 冷静に、だが、譲るつもりはないとエリックに向けてきっぱりと言い切れば、エリックは一層激しく身を乗り出した。


「好機だなんて……! それで、彼が命を狙われてもいいとおっしゃるのですか!?」

 荒げた声は、社長室全体を震わせるほど大きく。

「俺は、素晴らしい本を書いてくださったマークさんを危険な目には合わせたくないのです。新聞に名を乗せるということは、それだけ注目されるということ。なのになぜ!」

 ほとんど糾弾するような物言いに、社長は目を伏せる。威圧されているわけではなく、ただ、エリックの話を受け止めているような反応だった。


 マークも、自らのことだというのに、他人事のように黙りこくっていた。

 エリックと社長のやり取りに口をはさむこともなければ、自らの命が司法裁判官に狙われているのだという自覚さえなさそうに見える。

 そして、それはマークだけでなく、ユノも。


 エリックには二人の態度が不思議でしょうがなかった。

 自らの命が危険にさらされたというのに、この社長の意見に賛成しているのはなぜなのか。どうして、そこまで落ち着き払っていられるのだろう。


「注目されなければいけないんですよ。世論を集めるということは、そういうことなのです。マークの本は、多くの人の手に渡った。けれど、ロンド全域で見れば、そう多くはありません。イングレス全土で言えば、むしろ少数派だ」

 それでは、戦えない。社長はブルーの瞳に火を灯す。


 エリックは、なんとか理性を保ち、耳を傾けようと努力する。

 未来を夢に見る魔女でもあるまい。我々は普通の人間だ。不思議な力もなければ、万能でもない。

 ――それを知ってなお、運だの、勘だの、そんなものに命をかけると言うのだろうか。


「あの本がマークの手を離れた時から……物語は動き始めているんですよ」

 新聞記者らしからぬ、詩的な表現だった。

「それに、多くの人の手に渡ったということは、いずれ隠し通すことは出来なくなるということ。近いうちに、どこからか秘密が漏れます。あなたが、ジェイムズ裁判官のことを調べたように」


 メガネの奥に宿った瞳が、物事の真相を読み解く鋭さを持つ。それは、エリックをとらえて離さない。

「ならば、先手必勝。どこから漏れるか分からぬことを気にするよりも、公開して相手を待ち伏せる方が、よほどやりようがありますよ」

 新聞記者は、記事を書き上げるために、事件の匂いのするところを張り込むのが得意なのだという。


「秘密を共有することで、人々は繋がりを持ち、強くなる。独りではないということを知り、力を発揮する。世論を、一つにするんです。今、マークの本が売れたこの瞬間に、一気に人々をこちら側へ取り込みます」

 情報という網を操るのは、社長の得意とするところ。


 エリックは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた社長に、ですが、と口を開いた。だが、今までよりもずっとその声は腑抜けていたし、何より続く言葉が見つからなかった。

 感情を語るよりほかに手立てがなく、論理だてて社長の言葉を否定することは難しい。


 いつまでも隠れてはいられないことは明らかだった。新聞に取り上げておらずとも、勝手に人々の間で広まるだろうし……そうなれば、司法裁判官はいつかここへたどり着く。

 しかも、人々は司法が動いていることには気づけない。ならば、裁判官にばれぬよう黙っていようと思うだろう。


 そうなれば、国民たちの多くは、マークが司法裁判官に捕まってから全てを知ることとなる。

 その時、立ち上がれる人は何人いるだろう。

 また物語が奪われた、と(なげ)く人の方が多いことは明白だ。本を持っていては処罰される、とさらに口をつぐむかしれない。人々は誰一人として、この先の未来に覚悟など、出来ていないのだから。


 国民たちは再び恐怖に(おちい)り、本を捨ててしまうかもしれない。隠してしまうかもしれない。マークが捕まっても、沈黙を選ぶかもしれない。

 それでは、司法の思うツボ。この国は何も変わらないだろう。

 そこまで分かっているからこそ、エリックは社長のしたことを否定できないのだ。


 新聞記事になれば、皆も声を上げやすい。メディアは大多数の代弁者となり得るのだから、自然と、この気持ちを抱いているのは自分一人ではないと思えるだろう。

 ほんの少しの勇気が声となり、行動となり、やがては組織を形成して、国家に立ち向かう力となっていくことは容易に想像できた。


 マークとユノも、おそらくそれを分かった上で容認したのだろう。どうせ警戒することに変わりないのだ。一日か二日、司法裁判官との邂逅(かいこう)が早くなっただけのこと。

 ならば、怯えて待つよりも、心して待った方が良いのかもしれない。今ならまだ、行動に移すことだってできる。

 亡命とまでは言わないものの、関わった人間を逃がすことだって。


 そこまで考えて、エリックはふと思い至る。

 ――そういうことか。

「俺が、ここに来ると知っていましたね」

 まっさきにうなずいたのは、ユノだった。


「メイさんが、最後に夢を教えてくださいました」

 メイの命が、魔法の力のせいでもう長くはないと知っているマークは、ユノの言葉に顔をしかめる。エリックはその変化を見逃さなかったが、理由までは分からず、ユノの方へと視線を戻した。


 ユノは、メイの寿命を知らない。だから、メイが最後の夢、と言ったことも、これから先の未来は夢を見る必要がないほどに明るいものだと信じているのだろう。

 メイがいなくなるとは知らずに、その先にある未来が希望に満ちていると疑わぬ瞳で語る。

「新聞記事を書いたら、エリックさんがやってくる、と」


「あなたがたを、ここから逃がすために?」

「メイさんの夢見ではそうです。この後、エリックさんは私たちを車にのせ、空軍基地へと向かい、私たちを秘密の楽園へと連れていくんだそうです」

 エリックは、確かにそうするだろう、とユノの口から語られた未来に納得してしまう。


 仮にこのことを知らされていなかったとしても、社長の言葉に反論できなくなった以上……いや、社長の言動を全て否定したとしても、彼らを守るために、あの孤島へと無理やりにでも連れて行ったはずだ。

 ロンドにいるのは、あまりにも危険すぎる。


「分かりました。俺なら、確かにそうするでしょう」

 エリックがうなずいて立ち上がると、マークが慌てて「待ってください!」とエリックの動きを制する。

「まだ、続きがあるんです」

「続き?」


 これより後の未来の話なら、移動をしながらでも聞けるとエリックは首を振る。だが、マークの意志は揺らがず、ユノと社長も、エリックに座るよう(うなが)した。

「急ぎましょう。未来が決まっているのなら、一刻も早く行動した方が良い」

 エリックの言うことはもっともだったが――マークは「いいえ」と首を横に振った。


「僕たちは、ロンドに残ります」

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[良い点] 108/108 ・攻めるのちゅき。  さあさあ楽しくなって参りました [気になる点] マークが残るのは、直感的に当たり前。でもなぜだ? 次回をお楽しみに〜 [一言] 事件のにおい、耳でく…
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