7-11 最後のピース
魔女協会の礼拝堂で、焦りを隠せないエリックを目の前に、アリーは紅茶をすする。
先日ユノがお土産に、とくれたラベンダーティーは、心を落ち着けるにもぴったりだった。最も、心を落ち着けるべき軍人は、いまだティーカップに口をつけていないが。
「あら、良い香りね」
待ちくたびれた、と声を聞いて思う。アリーとエリックの間に会話らしい会話もなく、二人の空白を埋めていたのは、エリックのせわしなく体をゆする音だったから。
「お待たせしてごめんなさい。まさか、エリックが来るなんて思わなくて」
ジュリはいつも通りを振舞って、アリーの横に腰かけた。
長い付き合いだからわかる、わずかな彼女の表情の変化。テレパシーなど使わずとも読み取れる緊張。
アリーは、ティーカップを置いて、ジュリの手に、そっと自らの手を重ねた。
ジュリの手は冷え切っていて、アリーの手にこもった熱が少しずつ奪われていく。
「ジェイムズ最高裁判官のことが、分かったと」
トーマスがエリックの隣に腰を下ろし、話題を切り出せば、エリックは待ってましたとばかりに口を開いた。
「端的に言えば……あの男は、上官が亡くなった日の直後、軍を辞めていました」
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ジェイムズは、『彼』と同じ時期に士官学校へ入学した。『彼』と同じく優秀な成績を収め、それゆえ、二人はまだ青年とも呼べぬうちから軍人として実地訓練を受けることになる。将来が有望な者は、年齢に関係なく士官学校の教官の推薦で入隊できるからだ。
特に二人は、早かった。異例の抜擢ともいえる。
そんな二人が友情を育むのは、時間の問題だった。
同級生たちからは、別格扱いを受けていて、孤立とまではいかずとも、一目置かれていた。軍にいれば優秀な新人だが、気に食わないやつらだと遠巻きに見られる。厳しい訓練や叱責が飛び交う軍の中で、同期が二人であれば、互いを支えあうのも当然のことである。
そうして、二人は着実に実績を積み重ねていく。互いを良き仲間、ライバルとして認め合い、切磋琢磨していった。
結果、ジェイムズは若くして諜報部隊に引き抜かれ、『彼』は空軍パイロットとして活躍することになる。
表舞台で功績を上げていく『彼』と同じくして、ジェイムズは裏舞台で名を上げた。もちろん、軍の中でそれを知っていたのは一部の人間だけだが。
少なくとも、士官学校で勉学に励んでいた同僚が軍人として正式に配属になるころには、ジェイムズはすでに貴族からも指名を受けるほどの働きぶりだったという。
ある日、ジェイムズはとある『任務』を与えられた。
イングレスに魔女がいなくなったのは、魔女裁判のせいだけではない。隣国に、魔女が亡命している。隣国に逃げた魔女を捕らえよ、と。
調査は難航した。
当時、とっくに隣国との戦争は終結していたが、イングレスは敗戦している。立場は弱く、権力はなかった。まっとうな理由を述べても、正当な手続きを踏んでも、隣国に退けられることも多く、その地に足を踏み入れることさえ許されない状況もあったようだ。
そもそも、隣国との戦争だって、王族が私利私欲を満たすためだけに行われたもの。
その建前に使われたのが
「隣国に魔女が亡命している。隣国は危険な魔女をかくまっている」
という、隣国からすれば寝耳に水な話である。
まさか終戦後もそんな話を持ち出されるとは、隣国も思っていなかったはずだ。
そんなわけで、いわれのない罪を押し付けられた隣国が、イングレスを良く思わないのは当たり前のこと。むしろ、隣国は、こちらを相手にもしていたくなかったことだろう。
軍人であるジェイムズを、おいそれと国内に入れないのも、そのためだった。
仮に運よく入り込めたとしても、相手は魔女。イングレスではもちろん、隣国でも身を潜めて生きているであろう魔女を、見知らぬ土地で探すのだから、早々簡単に物事が運ぶわけがない。
だが、ジェイムズは愚直に、亡命したであろう魔女を探し求めた。
それからしばらくの月日が流れ、ジェイムズに降りた任務は失敗という形で取り下げられた。
悲劇が起きたのは、ちょうどそのタイミングである。
任務を終えて帰国しようとしたジェイムズのもとに、隣国の過激派組織が襲撃をかけ――町の人々をも巻き込んで、小競り合いが始まってしまった。
運の悪いことは重なるという。
『彼』もその時、ジュリとの出会いをきっかけとして魔女のことを知るようになり、やがて、戦争のきっかけを知り……友人が襲撃を受けていると知ってしまった。
ジェイムズを助けに行くつもりだったのか、諜報部隊のことは伏せた上で、『彼』は隣国行きを志願した。
そして、その日は訪れた。
ロンドから離れた隣国との境界にある町は、互いに睨みを利かせており、常に一触即発の雰囲気に包まれていた。
そこに、この物語を完結させる最後のピースがはまることとなる。
どこからともなく戦火の中へ現れた少女の姿が、『彼』とジェイムズの目に止まった。
とろけるようなはちみつ色とも、太陽のような光の色とも、透き通る黄金ともつかぬその瞳の色合いが、燃え盛る業火にひときわ目立った。
もちろん、その瞳だけが、彼女を特異な者にしていたわけではない。
少女の服装は、明らかに司法裁判所で配布される被告人用のもの。土煙の舞う空気の中でも、彼女の服は真っ白な色を保ったままだった。
この場にはふさわしくないそれが、瞳と相まって彼女を目立たせる。
極めつけは、彼女は何かに守られるように、戦火をもろともせずに駆け抜けていたということ。いや、駆け抜けたというよりは……行き場も分からずさまよって、あちらこちらを走り回っていた、と言うべきか。
目的地もなく逃げまどっているのに、なぜか彼女は町に吹き荒れた砂埃にも、がれきにも、炎にも、その体を触れさせることはなかった。
泣きはらした目をこすりながらも、彼女は戦場でただ生きていた。どこか、行かねばならぬ場所があるのに、そこへの道筋を知らないとでもいうような、矛盾した行動。
それは、彼女をその場から容易に切り離す。浮世離れした存在として。
ジェイムズと『彼』が動き出したのは同じタイミング。ただ、思いは違う。
一方は、探し求めていた彼女をこの場で捕えるために。
もう一方は、彼女へとまっすぐに向かってきていた男から、彼女を守るために。
ゴウッ、とどこからともなく吹き荒れた風でも、二人は止まることはなかった。
体をはじかれるような突風の障壁にも負けず、無理やり手を伸ばして少女を抱き寄せた『彼』は――自らを襲ってきた風が止むと同時に、少女を抱きかかえていた手を離す。
カタカタと震える少女のぬくもりをわずかながらに感じた直後、自らの背中に撃ちこまれた二発の銃弾が、心臓を貫き、『彼』の意識はこと切れた。
的確な射撃の腕の持ち主には覚えがあった。けれど、それを確かめるすべはなかった。
一発ならば、おそらくは、確かめることも可能だったのだろうけれど。
ジェイムズは、その場で座り込んだ少女と、少女を守ってその地に倒れこんだ『彼』を見つめる。
自らの射撃の腕は、間違いなくトップクラスだった。風で弾道がそれることを計算してなお、念には念を、と二発撃ったのだ。
直後には、彼女の腕と足が撃ち抜かれていたはずだった。
――『彼』が少女をかばいさえしなければ。
少女が操っていた風が止み、それまで美しかった彼女の服は真っ赤な血で滲み……戦場には、再び発砲音が鳴り響いた。
ジェイムズが引き金を引いて、少女――風を操る魔女の命を奪った瞬間だった。
そして、この戦いはあっけなく幕を下ろす。
ジェイムズは、軍を辞め、魔女を恨み、司法の世界へと足を踏み入れた。
魔女をかばって『彼』を殺したことが原因かどうかは分からない。『彼』を、どう思っていたのかも。
エリックは目を伏せ、足元のカバンから分厚い書類の束を取り出す。
「元帥にすべてを話して……この報告書を見つけました。書いたのは、上官より遅れて到着した別の軍の者です。ジェイムズや、町の人々に問い詰めた、と」
これを書いた男も、この騒動の後に辞職した。
エリックはそこまで言うと、ようやく目の前に置かれたラベンダーティーに口をつける。
すっかり冷めてしまったそれをぐいと飲み干して、空になったカップの底を見つめた。




