7-6 諜報部隊
「社長!?」
「エリック!」
マークとジュリの声が、それぞれ見知った顔の名を呼ぶ。
扉を開け放った男二人――社長とエリックは、教会の中とは思えぬ風景にまばたきを繰り返した。
あの慌てようが一転、理解が追い付いていないのか、ただ呆然と眼前の海に口をぽかんと開けたまま。
「どうしたんですか?」
マークとジュリに続いて、ユノが声をかけたことでようやく二人も我に返ったのか
「あぁ、いや……少し、マークに話が」
「俺も、ジュリさんに話があって」
歯切れ悪く、教会へと駆け込んできた理由を述べる。
「「話?」」
まさか同じ内容ではないだろう。しかも、二人の様子からするに、こんなのんびりとした穏やかな風景の中で話せる内容とも思えない。
「魔法を解きましょうか」
ユノもそんな気配を察知したのか、ゆっくりと魔法を解除する。
溶けていく楽園の隙間から覗く、古びた教会の真っ白な天井と壁。この部屋はこんなに狭かったのか、とマークも思わず天井を仰ぐ。
ユノの魔法はあまりにも現実味を帯びていて、本来の距離感が奪われてしまう。
あっという間に景色が元通りになると、現れたのはなんとも質素な部屋。部屋の片隅に、埃をかぶった机と椅子がおかれているだけで、棚もなければ照明器具の類もない。教会の一室と言われれば、こんなものか、と思うものの、独房と言われても納得してしまうような部屋だった。
「これが、ユノさんの魔法……」
あっけにとられたようなエリックの声が静寂を打ち破ると、惚けたように部屋を見回していた社長の口からも、感嘆の息が漏れた。
ジュリの魔法を見ている二人にも、その衝撃は大きかった。
再び夢幻の世界に誘われた二人を現実に引き戻すのは、開かれた扉の内側をノックする音。
「何か必要なものがあるようでしたら、お申し付けください」
聖職者らしい気の利いた一言が、教会へと駆け込んできた社長とエリックの目的を思い出させた。
「立ち話もなんでしょうから」
エリックは、トーマスの申し出に軽く頭を振り、
「とんでもない。ありがたい申し出ですが、俺は結構です。時間のかかるような話でもありませんから」
思い出したように、軍服の内側に手を差し込んだ。
彼が取り出したのは一枚の写真。
トーマスもその輪に加わって、全員がその写真を覗き込む。しかし、写真に写っている真実を理解したのはたった一人、ジュリだけだった。
「これ……」
目を見開いたジュリは、憎悪とも、困惑とも、そして寂寞ともつかぬ瞳で写真を見つめる。
マークとユノは、ジュリから聞いた『彼』の話を思い出し、まさかと互いに顔を見合わせた。
軍服を身にまとった若い男が二人。
おそらくそのどちらかが、ジュリの想い人であり、今は亡き人でもあるのだろう。
どちらが、と推測するのは容易い。一人は爽やかで明るい笑みを見せており、もう一人は対照的に、カメラには興味がないのか隣の男を見つめていたからだ。
ジュリの愛した人は、おそらくこちらに笑みを向けている青年に間違いないだろう。
だが、ジュリが震える指でさしたのは、もう一人の男。これにはマークとユノも驚きを隠せなかった。
――続けてジュリが口にした名が、その場にいた全員を絶句させた。
「ジェイムズ、最高裁判官……」
ここ最近、新聞の記事でも散々目にした男の名。テレビもラジオも、連日彼の名を叫んでいたとなれば、無意識のうちにその情報は脳内に刷り込まれている。
ブッシュの司法裁判官殺人事件に始まり、ジュリが絡んだブッシュの火災騒ぎでも、その名が躍り出た。
「……どうして、この男が」
彼と一緒に、軍服を着て映っているのか。ジュリの口内は乾ききっていて、残る言葉は音にならなかった。
愛する彼と、そんな彼を見つめるジェイムズ。
二人は、昔からの知り合いだったというのか。
状況のつかめていないマーク達に、エリックが思案するようにジュリへ目くばせする。ジュリと『彼』、そしてエリックの関係性や、ジェイムズとの関係について、どこまで話すべきか、と。
ジュリは、エリックにすべてを任せたとでも言うように、コクリとうなずいた。
「こちらの男性は、俺の上官であり……ジュリさんと、婚約関係にあった方です」
エリックが指さしたのは、マークとユノが想像した通り、笑みを浮かべている男性だった。快活な雰囲気が、今のエリックとも少し似ているような気がする。
「そして、この男は、ジェイムズ最高裁判官で間違いありません」
エリックが指をさして見せた軍服の男。このころからすでに、軍人というよりは、司法裁判官の雰囲気がある。
隣にいる男を見る目がどこか切なくも柔らかに見えるのは気のせいだろうか。
「ブッシュでの事件の後、俺が誤認逮捕で謹慎処分をくらったという話は、すでにご存じだと思いますが」
悔しそうに前置きして、エリックは「その間、色々と調べましてね」と付け加える。
その成果が、この写真だった、ということだろう。
この場で最も関係の薄い社長が興味深そうに、エリックへと疑問を投げかける。
「なぜ、ジェイムズ最高裁判官が軍人だとわかったんです」
社長も、あの事件の後、ジェイムズという男についていくらか調べてはみたものの、最高裁判官になるより前のことは、まったく分からなかった。
エリックは、写真の中のジェイムズを睨みつけた。
「このジェイムズという男と、ブッシュで撃ちあいになったんです」
「撃ちあい!?」
ユノがバッとジュリの方へ顔を向けると、ジュリは視線をそらした。少しよ、と濁した声に、いつもの説得力はない。
「銃の腕も、身のこなしも、正直、一般人の……それも、司法裁判官のものとは思えませんでしたから、まさかと思いまして。軍は大きな組織ですし」
「でも、エリックさんの上官であった方と、こうして共に写真をとるほどの仲なら、エリックさんだって、どこかで見かけていた可能性があるのでは?」
さすがは新聞記者。社長の鋭い指摘に、エリックは小さくうなずく。
「イングレスの軍に、諜報部隊がいることはご存じですか?」
諜報部隊、と言われて、マーク達は皆一様に口をつぐむ。存在自体は噂程度にほのめかされているものの、軍人でさえ、その部隊に所属している人間を知らないとまで言われている幻の部隊。
実際、エリックはその存在を知らなかったし……元帥でさえ、まだ現場にいたころのことだったから、その組織にまさかジェイムズが潜んでいたとは知らなかったという。
こうして写真が残っていたことだけでも奇跡だった。
上官がかつて使っていた手帳やら何やら、軍に残されていたものすべてを、大切に保管しておいて良かったとエリックは思う。
今はエリックが座っているその場所こそ、かつて憧れた上官の居場所だ。
とはいえ、尊敬する上官と憎き敵が映っている写真が見つかるとは思ってもみなかった。これ以上複雑な感情を抱くことは、二度とないだろう。
「上官の友人だったようです。この写真はおそらく入隊当時のものかと。カメラに顔を向けていないのは、顔を特定されにくくするためかもしれません」
まさか、ジェイムズが軍人だと思っていない人からすれば、分からないかもしれない。
軍に籍を置くものの、王族たちの命令によって動くことの多い諜報部隊に所属していたのなら、最高裁判官になる前の経歴が分からないのもうなずける。貴族との繋がりはもちろん、うまくいけば王族との繋がりを持つことも出来る諜報部隊。名を上げれば、そのまま最高裁判官に転身することは容易いだろう。後ろ盾は十分にある。
エリックの見立てに、社長は「これだけでも、一儲けできそうなネタだ」と思わず口にしてしまう。
新聞記者としては、諜報部隊という存在だけでもビッグニュースなのに、今をときめく最高裁判官が、元諜報部隊なのだ。
「残念ながら、このことは軍の機密情報なのでお売りすることはできません」
エリックの苦笑に、社長は「すまない」と謝罪を入れたが、その表情は悔しそうだった。
「とにかく、ジュリさんのことを知っていたのも、上官との繋がりがあったからでしょう。どうして軍をやめることになったのかは、もう少し調べてみます」
上官が、なぜ死んだのか。ジェイムズがなぜ、軍人をやめ、対立する司法の人間となったのか。
エリックは、自らの胸に残るモヤを必ず解き明かさねば、と改めて決意した。




