【54】「……凄まじいな」
密林の中、木々の枝から枝へと飛ぶように大猩々が移動している。
あの図体で、ずいぶんと器用なものだと感心した。
俺はそれを追いながら奴の進行方向を誘導するように、時折攻撃を放つのだが……これが簡単にはいかない。
まず一つ。
木々が密集し、さらに足場も悪い密林の中では、一足で大きく移動してしまう【瞬迅】を使うことができない。最初にやったみたいに上空へ跳躍することなら問題はないのだが、横方向に移動しようとすると立ち並ぶ木々に衝突する危険が高い。
それゆえに移動のために発動している戦技は、【瞬迅】とは別のものだ。
我流戦技――【反跳】
足裏に展開したオーラによって接地面に反発力を生み、それを推進力とする戦技。フィオナが良く使う【スピード・ステップ】を模倣した戦技で、オーラの消費量は【瞬迅】と比べて少なくて済む分、速さという点では何段も落ちる。
だが、こういった狭い空間で使うのなら、【瞬迅】よりも【反跳】の方が扱いやすい。
しかしながら、【反跳】だと脇目も振らずに逃走する大猩々を追うのがやっとだ。剣を当てられる間合いまで近づくことは、どう頑張ってもできそうにない。
なので基本的に遠距離用の戦技を放つのだが、攻撃を放ってはその分だけ距離が開いてしまう。放った攻撃が奴に当たるか、奴が迎撃のために動けば開いた距離も縮めることができるのだが、密林という環境で下手な攻撃を放っても、木々を盾にされてお仕舞いだ。
だから進行方向を誘導するために放つ攻撃も、工夫が必要となる。
俺は密林の中を駆け抜けながら、右手の黒耀にオーラを注ぎ、できるだけ視線が通った時を狙って剣を振り抜いた。
我流剣技【轟刃】、【飛刃】――合技【轟飛刃】変化【轟弾】
振り抜いた剣先から投擲するように、拳大のオーラの弾丸が飛翔する。
それは狭い木々の間を一瞬の内に走り抜け、進路を変えようとした大猩々の前方で爆発した。【轟弾】を喰らった樹木が幹を消し飛ばされ、上半分がけたたましい音を立てながら落下していく。
直撃こそしなかったが、爆発の余波を喰らった大猩々が吹き飛んだ。
だがダメージはほとんどないようで、地面に落下することなく木の枝を掴み、すぐさま移動を再開してしまう。
こちらもすぐに追いかけるが、彼我の距離は縮まらない。
しかし、問題はない。大猩々の進路を誘導することは、現時点で何とか上手くいっている――――そう、思っていたのだが……。
「クソッ、何か喰ってやがったな……!!」
何度目かの【轟弾】を放った時だった。
自らに迫り来るオーラの弾丸に向かって手を翳すと、大猩々が手のひらから魔力を放出した。放たれた魔力は間をおかず、衝撃波のごとき突風と化す。
風魔法――【ガスト】
突風を吹かせるだけの単純な魔法。しかし、空中で衝撃を受けた【轟弾】は大猩々に届く遥か手前で暴発してしまう。
衝撃を受けると爆発するという【轟弾】の特性を理解し、対応してきたのだ。
しかも【ガスト】のような簡単な魔法なら、ほとんど足を止めることなく発動できてしまう。こちらが【轟弾】を放つ手間より、大猩々が【ガスト】で防ぐ方が短い時間で済む。
だが本来、大猩々は魔法を使えない。オーラで強化された身体能力や、スキルのような技を使って戦うだけだ。
この階層で魔法を使う魔物と言えば、リザードマンの亜種であるリザードマン・メイジなどになる。リザードマン・メイジは個体により異なるが、水魔法と風魔法を得意としていた。
奴がどうやって本来は使えない魔法を使えるようになったのかは、すでに分かっている。だから今の問題は、魔法以外にも使える技能が増えているかどうかだ。
……まあ、増えていると考えるのが妥当だろうな。
「【轟弾】はもうダメか……ならッ!」
少し距離を開けられた大猩々を追いながら、俺はもう一度剣を振るった。
我流剣技、合技【轟飛刃】――変化【飛刃・隼】
虚空に刻まれた剣線からオーラが刃となって飛翔する。
木々の間を縫うように飛翔する刃の速度は、【轟弾】に比べればかなり遅い。しかしその軌道は直線的ではなく、森の中を飛翔する鳥が木々の間をすり抜けるように、ゆらゆらと軌道を変化させていた。
直線では追えない大猩々の動きを追尾しながら、オーラの刃は距離を縮めていく。
とはいえ、軌道を変化させることくらいは、実はただの【飛刃】でも出来る。斬撃が飛翔する速度がかなり遅くなるから、普段はまずやらないが。
だから、この剣技の本領は追尾する斬撃などではない。
「グゥウウアアアアッ!!」
自身を追尾するオーラの刃が鬱陶しくなったのだろう。
威嚇するように叫び、振り向いた大猩々が手のひらを刃へ向かって翳し、またもや風魔法【ガスト】を放った。
――その直前。
パパンッ! と、乾いた破裂音が連続する。
それまで緩やかにしか軌道を変化させなかったオーラの刃が、鋭角の軌道変化を見せた。同時に飛翔する速度が急激に上昇する。
軌道の変化は二回。
目で追えないほどの速さで斜め上に上昇し、放たれた突風を回避。その後、今度は斜め下へと鋭角に軌道を変化させ、魔法を放った直後の大猩々を、肩口から脇腹へと袈裟懸けに通り抜けた。
刃を構成するオーラの一部を爆発させることで、任意に軌道を変化、加速させることができるのが、【飛刃・隼】の特性だ。
「ガァアアッ!?」
大猩々が絶叫し、鮮血が飛び出す。
しかし、それも一瞬のことだ。両断された胴体は僅かにずれることもなく瞬時に繋がり、大猩々は再び逃走を再開する。
だが、最初の【飛刃・隼】を放った後に、俺は立て続けに何度も剣を振るっていた。
その数、五。
パパパパパンッ!! と、連続する破裂音が響き渡った。
奴が気づかない内に迂回させ、包囲させていた刃たちが一斉に軌道を変化させると、大猩々へ向かって殺到した。
次々とオーラの刃は大猩々を斬り裂いていく。
いずれの傷もすぐに修復されるだろうが、ごく短時間ながら、奴の足を止める効果はある。その間に、俺は奴へと距離を詰めた。
「――――ッ!?」
――焦り。
体を斬り裂かれながら、大猩々が妙に人間臭い表情を見せる。
このままでは接近されてしまうと判断したのか、攻撃が止んだ次の瞬間、奴は樹上から地面へと飛び降りた。
「あん?」
地面へ降りたところで、機動性が上がるわけではない。むしろ大猩々なら、樹上を移動していた方が素早く移動できるだろう。
何のつもりか、と眉をしかめたのは一瞬だった。
奴は落下の勢いを乗せて、両手で地面を叩いた。
「――――ッ!?」
地面を叩く寸前、奴の両腕をオーラが包み込んだのが見えた。何らかのスキルによるものか、叩かれた地面が轟音と共に爆散し、土砂が噴き上がる。数瞬、奴の姿が土砂の向こう側に消えた。
「…………」
俺はその場に立ち止まり、【魔力感知】を研ぎ澄ませ、周囲を警戒する。
噴き上がった土砂が晴れた向こう側には、大猩々の姿はない。それどころか周囲を見渡し、耳を澄ましても大猩々の姿は発見できなかった。【魔力感知】でも同様だ。
「……カメレオン・バジリスクか」
すぐに何が起こったのかを理解する。
「密林階層」に生息する魔物で、自身の姿を擬態し、隠形が得意な魔物と言えば、カメレオン・バジリスクしかいない。
おそらく、奴はその能力を取り込んだのだろう。
そして、だとすれば、まだそう遠くに移動してはいないはずだ。カメレオン・バジリスクの擬態や隠形では、足音などを誤魔化すことはできないし、大猩々ほどの巨体で激しく動けば、必ず物音がするはずだ。
とはいえ……、
「奇襲してくれば分かるが……」
どうやら奴は徹底的に慎重な性格らしい。姿を隠してこちらに奇襲をしかけてくるつもりはなさそうだ。
つまり、ゆっくりと逃げようとしているのだろう。その場合、奴を見つけ出すのは難しいと言わざるを得ない。もしかしたら、斥候系ジョブなら居場所が分かるかもしれないが。
「ま、悩む必要はねぇか」
今、この階層に潜っているのは俺とイオだけだ。加えてイオがいる場所はここからかなり離れている。
ならば周囲の被害を気にする必要はない。
俺は黒耀に魔力を注ぐと、その場で一回転しながら、剣を横薙ぎに振り抜いた。
我流剣技【巨刃】――変化【巨円陣】
剣身から伸びた長大なオーラの刃が、俺を中心として周囲の木々を斬り裂いていく。
半径20メートルほどの円状に刃は振られた。バキバキと枝の折れるけたたましい音が鳴り響いて、密林の木々が一斉に倒れていく。
その合間に、俺は鮮血が飛び散る空間を見つけた。
「~~~~ッ!!」
擬態の解けた大猩々がすうっと姿を現し、忌々しげな表情でこちらを睨みつけながら走り出した。
それを追って倒れる木々の間を走り抜けながら、俺はさらに剣を振るい、オーラの刃を飛ばす。背を向けて逃げる大猩々を誘導するように、何度も。
●◯●
「来たか……」
【神骸迷宮】25層、密林階層の一画にて。
発動直前の術式を保持しながら、息を潜めていたイオ・スレイマンは呟いた。
階層中に鳴り響くような戦いの物音。爆発のような大音が轟き、森の木々が周囲の木々とぶつかり合いながら倒れていく音。
それらけたたましい物音がこちらに近づいて来ているのは、すでに知っていた。
あと幾らもしない内に、物音の主たちはこの場へやって来るだろう。
イオは静かに目蓋を開きながら魔力を高めた。開いた視界には水面が微かな風によって揺蕩っているのが見える。
密林階層には点在するように、幾つかの沼地がある。
湖と呼ぶには小さいが、直径にして100メートルは下らない、豊富な水を湛えた沼だ。
その内の一つ、沼の畔にイオは佇んでいた。
両手で持った聖樹の杖の先端を、沼の水面に突き立てる。
「…………」
――来た。
一際大きい爆音が轟く。
沼の対岸で、畔に生える樹木が粉々に吹き飛び、巨大な猿の姿をした魔物が砲弾のような勢いで飛んできた。大猩々の特異個体。奴は水切りをする小石のように水面を何度もバウンドしながら、沼の中心部へと転がってきた。
その瞬間。
イオは準備していた二つの魔法の内、片方を発動させる。
それは水魔法では不可能なほどの、大質量の水を支配し、操作する魔法。
大海魔法――【大渦流牢獄】
沼の水面が盛り上がる。
まるで沼の水そのものが一個の生命体と化したかのように。
盛り上がった水の中に吹き飛んできた大猩々が取り込まれると、大量の水が球体となり宙へ浮き上がった。直径にして30メートルはあろうかという馬鹿げたサイズの水球だ。
その内部に取り込まれた大猩々は、必死に手足をばたつかせ足掻いているが、水球から脱出することは叶わない。たとえるなら、嵐に翻弄される一枚の木の葉のように、水球の内部で渦巻く凄まじい水流に囚われ、奴の巨体はぐるぐると高速で廻っていた。
これでイオが魔法を解かない限り、大猩々が自らの意思で水球を抜け出すことはできないだろう。
とはいえ、これだけの規模の魔法を一人で維持し続けるのは、いかに「賢者」と呼ばれるイオとても、そう簡単なことではない。
だが、1分も拘束できれば十分過ぎた。
「…………」
魔法を維持しながら、沼の対岸を見つめる。
すると、薄暗い密林の奥からアーロン・ゲイルが姿を現したところだった。
ここへ来る途中で入れ換えたのか、右手にはいつもの黒い木剣ではなく、何かの結晶から削り出したかのような、特徴的な剣を握っている。
淡緑色の半透明な剣。
それが『風晶大樹の芯木』から削り出した木剣であることを、イオは既に聞いていた。
――翡翠。
そう名付けられた、新しい木剣であるらしい。
アーロンが握る翡翠には、すでに練り上げられたオーラが籠められ、煌々と輝いていた。
「――――」
対岸でアーロンは空中の大水球に囚われた大猩々を確認し、剣を振るった。
振られた剣からは膨大なオーラが噴き出し、瞬時に数多の刃へと変化する。通常は薄青い色を宿すオーラは、風属性を纏った影響か、淡緑色に光輝いていた。夥しいオーラの刃たちは宙を滑るように上昇し、あたかも大水球の衛星のように、その周囲を廻り出す。
ただし、それで終わりではない。
アーロンは剣を振り終えた後も、さらに続けて剣を振るう。一閃、二閃、三閃、四閃――と斬撃は重ねられ、十を超えた辺りでようやく剣を振るう手を止めた。
気がつくと剣を振るった数に比例するように、オーラの刃は数を増している。
大水球の周囲を廻る淡緑色の刃は、水球の上下左右四方八方を囲み、まるで球状の檻を形成しているかのようだ。
今回の討伐対象である「特異個体の魔物」は、原型を留めないほど肉体を木っ端微塵に破壊しても、肉片一つから再生することが確認されている。
だから肉体を爆破し、その肉片を飛散させるのは悪手だ。
かといって大火力の火炎魔法で再生できないほどに燃やし尽くそうとしても、大量の水分を含んだ肉体を灰になるまで燃やすのは、魔法では難しいと言わざるを得ない。体表を炭化させたところで、肉体の内部まで燃やすには時間が足りない。
いったいどうすれば殺せるのかと途方に暮れそうなほど、理不尽な再生力を持つ魔物。
だからイオとアーロンは、この魔物を完全に殺し切るための手段を考えた。
「…………」
アーロンの準備が整ったのを確認し、イオは大水球から一筋の水柱を沼へ下ろした。
水柱の端と沼の水面が接触すると、みるみる内に上空の大水球が、その体積を減らしていく。何のことはない。水柱を通して、水球を構成する水を沼へ戻しているだけだ。
大猩々を捕らえておくためとはいえ、分厚い水の壁があれば、この後に行われるアーロンの攻撃は大きく威力を減衰されてしまう。それゆえに予め、水の量を減らしておく必要があったのだ。
しかしながら、大水球の水量が減れば、それだけ大猩々に対する拘束力が弱まることを意味する。
大猩々は徐々に小さくなっていく水球の内部で暴れ狂い、水の牢獄から脱出せんとした。
だが、完全に拘束力が消え去るより、オーラの刃が一斉に殺到する方が僅かに速い。
刃で形作られた球体の檻が、圧縮されるみたいに小さくなる。内部の大猩々へ向かって、無数の刃が襲いかかり、圧縮された空間で渦巻き高速で回転している。
それは数えるのも馬鹿らしいほどの斬撃だ。
いくら再生力が高いと言えども、一瞬の内に修復できるダメージには限度がある。大猩々の肉体は風の刃が渦巻く中であっという間に形を失い、大量の血煙と化した。
そして血の一滴すら逃がさないというように、渦巻く刃が風を起こし、風の檻の中に閉じ込めている。赤黒い血煙で構成された奇妙な球体が、沼の上空に出来上がった。
すでに何度か目にした光景ではあるが、改めて思う。
「本当にスキルなのか、あれは……」
特別な剣の力を借りているとはいえ、あんなことができるスキルの存在など、見たことも聞いたこともない。
「……凄まじいな」
思わず溢れたのは、畏怖混じりの感嘆。
規模の大きい攻撃は魔法使いの特権だと思っていたが、どうやら認識を改めねばならないらしい。
とはいえ、大猩々に止めを刺すのは自分の役目だ。いつまでも呆けているわけにはいかない。
イオは血煙の球体と化した大猩々に向かって、用意していたもう一つの魔法を発動させた。




