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【47】「私の命が、貴女を生かしますように」


 ネクロニア周辺三国の一つ、アーバルハイト王国。


 その辺境の地にある2村を擁する小さな領土が、ウォルロック騎士爵家の領地だった。


 田舎ゆえにのんびりとしており、領主と言えども村民に混じって畑仕事をすることもある。一応は貴族という地位にあれど、実際は平民に毛が生えた程度の違いでしかない。


 おまけに貴族として最低限の体裁を整えるための出費は常に家計を圧迫しており、領主であるクリフ・フォン・ウォルロックは食費を節約するために領内の森へ狩りに繰り出すこともしばしばだった。


 周囲には狩猟が趣味の一つなのだと言い張っていたが、それが貴族らしい趣味なのではなく、食っていくための切実なものであるのは明白だった。


 しがない貧乏貴族で家計は常に困窮していたが、記憶の中にあるクリフは良く笑う父だったと憶えている。だから幼い彼女の思い出は、貧乏の辛さや困窮ゆえの暗さとは無縁だった。


 むしろその多くは、楽しい記憶しかない。


 自然豊かで穏やかな領地を、父に抱かれて散歩したこと。


 歳の離れた兄にこっそり、川へ遊びに連れて行ってもらったこと。


 母と一緒に木の実のクッキーを作って、一緒に食べたこと。


 村民に混じって畑仕事を手伝ってあげたこと。


 親戚の娘に接するように、皆に可愛がられたこと――。


 牧草と花が発する春の匂いが好きだった。森の木々をリスたちが走り回り、警戒心の強い鹿たちが時折姿を見せる。村の近くを流れる川のせせらぎ。そこで遊ぶ村の子供たちのはしゃぐ声。辺境の地には相応に危険もあったが、幼い彼女にとっては見るもの聞くもの触れるもの、全てが新鮮で興味深く、この世に危険などないと思っていた。


 だからある日、彼女は出掛けようとする父と兄を前にして駄々を捏ねた。


「わたしもいっしょにいきたいぃいいっ!!」


 父と兄はいつものように狩りに出掛けるところだった。


 当然、まだ5歳の娘を連れていくわけにはいかない。体力的に森の中をついて来ることなどできないだろうし、何より危険だ。


 だが、5歳の幼女にそんなことなど理解できるはずもなかった。


 ただ自分だけが父と兄から除け者にされているようで、悲しかったのだろう。「馬鹿なこと言うんじゃありません!」と母に怒られた。父は「もう少し大きくなったら一緒に行こうか?」と慰めた。兄は「危ないからついて来ちゃダメだ」と困った顔で窘めた。


 怒られ、慰められ、窘められて、幼女は「うん、わかった」――――とは、納得しなかった。


 幼女とは時に無敵である。


 彼女はギャン泣きしながら訴えた。全身全霊で駄々を捏ねた。


「やだやだやだやだやだっ! わたしもいっしょにいくんだもんっ!!」


 それまで、彼女は比較的に聞き分けの良い子供だった。このように駄々を捏ねることは、まあ、ないとは言わないが、ここまで激しく抵抗することはなかったのだ。母がどれだけ恐い顔で怒っても、なぜかこの時は一切諦める様子を見せなかった。


 この反応に困惑したのは両親と兄だ。


 彼らは相談し、そして根負けした。「自分たちの言うことを絶対に聞くこと。勝手に行動しないこと」を強く言い聞かせ、彼女を狩りに同行させることになった。


 とはいえ、さすがに5歳の幼女を連れて森の奥には行けない。


 この日は予定を変更し、兄が森から獲物を追い出し、外に出て来たところを父が仕留めることになった。父のジョブは『中級弓士』で、弓の腕前はそれなりのものだ。


 兄によって追い立てられ、森の外へと飛び出してきた牡鹿を父は見事に一撃で仕留めてみせた。


「おとーしゃん、しゅごいしゅごいっ!!」


「はは、そうだろうそうだろう?」


 興奮する娘の褒め言葉に、父は満更でもなさそうに頷いた。


 それから鹿を捌くことになったのだが、その前に戻ってきた兄と父が、鹿の心臓の辺りに手を当てて、何やら呟いた。


「――貴方の命が私を生かすでしょう。貴方の命は私と共に」


「おとーしゃん、にーに、それ、なぁに?」


 不思議に思って首を傾げる娘に、父が説明する。


「これはこの辺りに伝わる、狩人たちのおまじないさ」


 辺境の地や田舎に住む者たちの間では、今も独自の信仰が伝えられていることがある。それは教会の教えに逆らうものでも矛盾するものでもないが、自然信仰に由来する古くからの教えだ。


「お父さんたちは今、この鹿を殺した。だが、鹿の肉を食べ、皮や骨、角を利用して色々な道具に加工する。鹿の命はお父さんたちを助け、生かしてくれる。鹿の命が私たちの命の一部になるんだ。そのことを鹿へ感謝し、敬意を払っているんだよ」


「ふーん……?」


 幼い彼女は首を傾げた。


 幼女にはまだ、難しかった。


 父もそう思ったのだろう。苦笑して、娘の頭を撫でながら続けた。


「まあ、今は分からなくても良い。フィーが大きくなったら、自然と理解するはずさ」


「そーなの?」


「ああ。まあ今は、代わりに狩りの作法を覚えておきなさい。この鹿の命はフィーの命の一部にもなる。だから、フィーもお父さんたちと同じようにしないとダメだ。さあ、こっちに来て、鹿の心臓の上に手を当てて」


「うん」


 彼女は地面に横たわる鹿の体に手を当てた。


 死んだばかりの鹿の体は温かく、小さい手のひらを通して、その体温が自分へと乗り移って来るような気がしたのを覚えている。


 そして父と兄がそうしたように、彼女も呟いた。


「――あなたのいのちがわたしをいかしゅでしょー。あなたのいのちは、わたしとともに」


「そうだ。今の言葉を忘れないようにな」


「うん!」


「じゃあ、せっかくだし、フィーにはもう一つの言葉を一緒に教えておこうかな」


「ん?」


 父は彼女に教えた。


 狩りというのは大自然との、そして動物たちとの生存をかけた殺し合いだ。必ずしも自分たちが勝つ、などということはあり得ない。狩人は常に動物たちに殺され、食われてしまうことを覚悟しなければならない。


 だからもしも、いつの日か自分たちが逆に狩られる番が来た時、この地の狩人たちは自分を倒した獣に向かって、こう言うのだという。


「――私の命が貴方を生かしますように。私の命は貴方と共に」


 そうすることで、自分の命がこの地へと形を変えて巡っていき、いつの日か再びこの世に生を受けることができるのだと信じられている。


 先の言葉と対になる言葉であり、狩人たちにとって、常に自然の厳しさと敬意を同時に思い出させてくれる、大切な言葉だ。


 しかし、幼い彼女はこの言葉を覚えることを拒否した。


「やだぁっ! おとーしゃんもにーにも、しなないでぇっ!!」


 自分の死を受け入れるような言葉に、死というものへの根源的な恐怖を覚えたのかもしれない。


 彼女は泣きながら父の胸に顔を埋めた。


 父は娘の頭を優しく撫でながら苦笑し、「この言葉には別の意味もあるんだよ」と続ける。


「べつぅ……?」


「そう。これはね、この辺りに伝わるプロポーズの言葉でもあるんだ」


「……ぷろぽーじゅ!」


 幼女とはいえ女性だ。恋の話には敏感だった。


 瞳を輝かせて顔を上げる彼女に、父は続ける。


「お父さんもお母さんにプロポーズした時は、この言葉を言ったのさ」


 父の説明によると、まずプロポーズする側――大抵は男性側が、こう言う。


「私の命が貴女を生かしますように。私の命は貴女と共に」


 このプロポーズを受ける場合、女性はこう返すことになる。


「貴方の命が私を生かすでしょう。貴方の命は私と共に」


 この説明を聞いた彼女は、まだ見ぬ未来に想いを馳せた。


「フィーも、いちゅかいわれるかなぁ……?」


 死にまつわるおどろおどろしい言葉に感じたが、プロポーズの言葉となれば印象は逆転する。彼女はいつか自分がプロポーズされる未来を想像した。そんな娘に父が言う。


「フィーにはお父さんが言ってあげよう」


「――やっ!」


 幼い彼女は全力で拒否した。幼いながらに、そういうのは求めていないと不機嫌になった。


「大丈夫だよ、フィー。フィーはとっても可愛いから、いつか誰かに言われるさ」


 不機嫌な彼女を慰めるように、兄が言う。


「にーに、ほんとぉ?」


「もちろん! もしかしたら、一人だけじゃなくて、たくさんの人からプロポーズされてしまうかもね?」


「えへへぇ」


 正直、プロポーズというのがどういうものか、正確には理解していなかったが、漠然と、いつか誰かに言ってもらいたいと思った。


「フィー、よく聞くんだ」


「ん?」


 しかし、喜ぶ娘に水を差すように、父が言う。


「プロポーズを断る時は、別の返事をしなければならない。断りの文句は「貴方の命は貴方のもとへ」だ。良いか? 「貴方の命は貴方のもとへ」だぞ? そう言うんだぞ?」


「父さん……今から何を教えているのさ。フィーだっていつか結婚するんだよ?」


 息子は父の親バカっぷりに呆れた。だが、父の親バカっぷりは予想以上だった。


「フィーが結婚するなど100年早いッ!! フィーは大人になってもお父さんと一緒に暮らすんだぁ!」


「それはフィーが可哀想だろ。……僕が家を継いだら、フィーの結婚相手を探してあげないといけないな」


「余計なことはしなくて良い!!」


「余計なことって……ダメだこの父親、早く何とかしないと……」


 幼女に二人の会話はよく理解できなかった。


 それでも将来はこうなれば良いという願いを込めて、こう言った。


「フィーはおとなになっても、おとーしゃんとおかーしゃんとくらしゅよ?」


「フィー!」


「それでぇ、にーにとけっこんしゅるぅ!」


「フィー!?」


 娘の言葉に喜び、そして息子に嫉妬する父親の姿がそこにあった。


 父は娘を諭すように言う。


「フィー、残念だが、フィーと結婚するにはフィーを守れるくらい強い男じゃないと無理なんだ……」


「……どれくりゃい? にーには、むりぃ?」


「そうだなぁ……最低でも、一人でスタンピードを鎮圧できるくらい強くないと……」


「そんな人間いるわけないだろ。アンタは何を言ってるんだ」


 息子から父を尊敬する気持ちが失われていくが、父は欠片も気にしなかった。


 ともかく、その日は鹿を一頭狩って帰ることになった。


 この日、森の奥で何処からか流れて来た熊の魔物が狩人に目撃された。それは村の人間たちからすると非常に危険な魔物で、発見から二週間後、戦える大人たちが集団で罠に嵌め、ようやく狩ることに成功する。


 もしも娘がついて来ると言い出さなければ、その魔物に息子と二人だけで鉢合わせしていたことに、クリフたちが気づくことはなかった……。




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