閑話:魔子にも衣装
「ふ、ふへ、ふへへへへへ……」
「先輩、元気を出して下さい」
「いいんスよ、こんな情けないアチシを先輩なんて呼ばなくても」
デシレは、何度目になるか分からない溜息をそっと吐いた。
目の前で落ち込んでいるのは、ワナというデシレの先輩に当たる小悪魔だ。店に来て不慣れだったデシレに何くれとなく世話を焼いてくれた先輩の一人で、それなりに恩義ある相手である。落ち込んでいれば元気付けたいとは思うのだが、落ち込んでいる理由がデシレにあるため、それも上手くいっていない。
今月の初めは、ワナが種族レベル10、デシレが種族レベル1で、上下関係は確認するまでも無かった。それが、昨日の時点でワナのレベルは13、デシレのレベルは14となり、逆転してしまったのだ。アビリティレベルの上限が種族レベルで決まる以上、娼婦としての格もレベルで決まる。後輩に抜かれるというのは、それなりに情けない話ではある。
ただ、デシレの場合は事情が特殊だ。そもそも、レベルドレインの客は殆どが現地人である。現地人は異邦人とは違ってレベル上げにも安全マージンを大きめに取るため、レベルの上がりは一般的に遅い。ワナも週一ペースで客に指名されているので、決して成績が悪い訳では無いのだ。実の所、カードの維持条件である『一週間に二回の来店』と言うのは、相当娼婦に入れ込んでいる客である。
が、異邦人のオズはそんなの知ったこっちゃないと言わんばかりに日参し、デシレのレベルは恐ろしい勢いで上がっている。最初はからかい言葉だった『デシレのチャーム』は段々冗談で済まない領域に達しつつあり、贅沢な悩みだと分かってはいても少々気が重い。
言ってしまえば、デシレは『運が良かっただけ』なのだが、それを言っても何の慰めにもならない。どうしたものかと、伸びきったうどんを啜りながら考えた。
今の自分達は大分迷惑な客だと思うのだが、ゲッコーは特に何も言ってこない。ただ、流石にこれ以上長居するのはマズいだろう。一旦はお暇しようと考えたあたりで、横合いから声を掛けられた。
「あれ、ワナちんじゃん。暗いね、どうしたの?」
「あらゾフィー、お知り合い?」
ゲッコーの店で何度か顔を合わせている鼠人族のゾフィーが、ワナの顔を心配そうに覗き込んでいた。人懐こい少女で、悪魔族のデシレ達にも臆せず声を掛けてくるため、密かに先輩方の受けが良い。連れ立っている猫人族の女性と面識は無いが、ゾフィーと一緒に食事をしているところは何度か見掛けているので、恐らく知り合いなのだろう。
ワナも恥ずかしいところを見られたと思ったらしく、顔を上げた。
「いや、情けない話なんスけど、後輩のデシレにレベルを追い抜かれたんで、ちょっと凹んでたんス」
「あー、それは悔しいよねー。オッさんとか、毎日レベル1になってる癖に時々アタシよりレベル高いし。今度、一緒にレベル上げ行く?」
「気持ちはありがたいんスけど、店の方針で仕事以外でのレベル上げは禁止されてるんで。気持ちだけ、ありがたく受け取っとくっス」
「え、ワナちん働いてるんだ。偉いじゃん。飴ちゃんあげる」
「あ、ドモッス」
事情を知らないゾフィーの慰めは大分的外れだったが、それでもこちらを気遣っているのは伝わってくる。ワナとしてもそこでウジウジ言わないだけの外聞は残っていたらしく、それなりに受け答えをしていた。多少なりと先輩の気が紛れていることに、デシレもホッとする。
ゾフィーが、後ろで店主と話し込んでいた猫人族の女性に声を掛けた。
「ねー、お母さん。何かアドバイス無い?」
「え、何よいきなり」
どうやら、女性はゾフィーの所属する非血縁氏族の一員だったらしい。確か鳥人族の兄も居たはずで、こうも種族がばらけているというのは流石に驚きだ。
急に声を掛けられて面食らっている様子の彼女に、ゾフィーが説明する。
「ワナちん、仕事が上手く行ってないんだって。だから、お母さんなら何かアドバイス出来ないかなって」
「私だって、こっちの人の仕事とかよく分かんないわよ。
と言うか、失礼ですけど、ご職業を伺っても?」
当然と言えば当然の問いに、デシレとワナは顔を見合わせた。
自分達の職業を卑下するつもりは無いが、世間一般から見た娼婦がどういった者なのかは、デシレとて承知している。無駄な摩擦を生まないためには黙っていた方が良いのだろうが、相手も善意で聞いてくれているとは分かっているので、あまり堂々と突っぱねるのも気が引ける。
数秒、二人で悩んでいたが、結局はワナが口を開いた。
「えー、その。いわゆる、世界最古の職業、って奴っス」
「サムライ!?」
「違うわよ、お馬鹿」
ゾフィーの言うサムライが何なのかは分からないが、猫人族の女性の方には伝わったようだ。
しばしこちらを眺めた後、
「貴女達、まずその格好をどうにかする所から始めましょう」
ぐうの音も出ない正論を言われた。
「さ、着いたわよ。入って頂戴」
「はぁ……」
「お邪魔しまス」
なんやかんやと言いくるめられて、結局はマルガレーテの家まで連れてこられた。この辺の押しの強さは、種族は違えどゾフィーの母親代わりなのだと納得出来る。もう少し違った場面で実感したかったが。
中には狼人族の男性と、オズ悪人が何事かを相談していた。オズもこちらに気付いたようで、少し驚いたような顔をしている。その様子に気付いたマルガレーテが、オズに声を掛けた。
「ワル君、悪いんだけどちょっと手伝って頂戴。ゾフィー、お父さんと一緒に装備の点検をして置いて」
「わかりました」
「Aye-aye ma'am」
そんな訳で、連れ立って奥の部屋へと案内される。
部屋はそれなりの広さがあるようだったが、その空間を埋めるように服と布が詰め込まれている。異邦人であるならこちらに来てそんなに時間は経っていない筈だが、中々に圧巻の光景だった。
マルガレーテが、オズへと話しかけた。
「さて、最初に確認して置くけど。ワル君、こちらの方達とお知り合い?」
「デシレの方には、お世話になってる。もう一人の方は、直接の面識は無いかな」
「……まあ、その辺はアナタの自由だから、とやかく言わないけど。
この娘達に服を作るとして、どんな物が良いと思う?」
「姐さんを馬鹿にする訳じゃないけど、店で使う衣装を用立てるとすると、レベルが倍あっても足りないかな」
オズの即直な言葉に、マルガレーテの顔が歪む。
彼女は知らないが、レベルドレインは超の付く高級娼館である。中で使われる衣装も高級品で、まず素材からして集めるのに一流の手練れが必要となるような品ばかりだ。デシレ達としても、まあ無理だろうとは思う。何より、何処の馬の骨とも分からない異邦人に店の衣装を任せるなど、店長が許すはずも無い。
「逆に、外を出歩くときの服になると、まあ今がコレだから。ぶっちゃけ何着せてもマシになるとは思うよ」
「あの、それなんスけど。アチシら悪魔族なんで、あまり大っぴらに歩くのは避けたいと言うか……」
オズの尤もな指摘に、ワナが口を挟む。デシレもワナも、別に今の格好がファッショナブルだと思ってやっている訳ではない。悪魔族である彼女たちが外を出歩くには、【隠形】効果のあるこの格好が一番角が立たないというだけの事である。悪評が立てば屋台にも迷惑が掛かるし、出来ればこのままが良いと言うのが本音だ。
が、コレにはオズとマルガレーテから反論が飛んだ。
「あの屋台の客は大半が異邦人で、良くも悪くもこっちの常識に疎い。悪魔族がどうとか言うのは知ったこっちゃないし、気にする奴はまず居ない。
そもそもの話、お前らの格好は『私達は不審者です』と喧伝してるようなもんだし、普通の格好が出来るなら、そっちの方が店としてもありがたいと思うぞ」
「別に、あの場所で客引きをしろって言うんじゃないのよ。外を出歩く際にもそれなりの格好をして、まずは他人の視線を意識する事から始めないと。顧客開拓は、その後の話になるわね。
露骨な客引きをすればトラブルになるでしょうけど、普通の格好で普通に食事してて文句言ってくるなら、それこそ相手の方が悪いんだからサッサと官憲を呼びなさいな」
ぐうの音も出ない正論ではある。店長は領主の許可を得て店を構えている訳で、デシレ達がこの街で暮らしているのも言ってしまえば領主のお墨付きではあるのだ。本音はともかく、官憲とて悪魔族だからと言う理由で不当逮捕などは出来ない筈ではある。
それでも抵抗を覚えるのは、言ってしまえば習い性による部分が大きいので、それこそ異邦人の二人には通じないだろう。
「あのー、アチシらあんまり持ち合わせが……」
「二人分の代金なら、俺が出すよ。幾らかは物納にさせて欲しいけど」
「あら、随分お大尽ね」
「姐さんは知らないだろうけど、この娘らはお大尽しか相手にしない高嶺の花だから。ぶっちゃけ、普段着程度なら誤差まである」
逃げ道を着実に塞がれて、デシレとワナは観念するしかなかった。
外出着とは言っても街の外に行く訳ではないので、防御力等は考慮する必要は無い。あくまで屋台に食事に行くだけなので、あまり派手な格好をすれば逆に店の迷惑になるという事で、マルガレーテの勧めてきた服はどれもそこまで気合いの入った物ではなかった。
二人の好みや要望とマルガレーテの見立てをすり合わせた結果、デシレは落ち着いた色のジャケットとパンツ、ワナの方は薄手のニットとロングスカートという格好になった。故郷に居た頃は服に拘る余裕は無かったし、店に来てからは制服をキチンと着こなす事を求められたので、実を言えばこれまで普段着に縁が無かったためこれはこれで落ち着かない。
姿見に映った自分を見ていると、なんだかむず痒い気分になってくる。
「やっぱりこう、何か落ち着かないですね」
「とりあえず、帽子でも被っとけば幾らかマシになるんじゃね?」
「そうね。本当は小物とかアクセサリも揃えた方が良いのだけど、今の私じゃそこまで手が回らないのよね」
と言う事で、デシレには大きめのキャップ、ワナにはゆったりしたつばの帽子が付け足される。被ってみれば頭の角は隠れるので、確かに気分的にはいくらかマシではある。
何かを言う前にオズが素早く会計を済ませてしまい、そのまま先程まで着ていたフード付きマントを持って店を出たのだった。
何も無いはずではあるが、それでも【隠形】効果のあるマントを脱いでの外歩きは不安だという事で、オズに店まで送って貰う事になった。
ワナは竜裔の背に乗る事にかなり抵抗を示していたのだが、デシレがオズの背に乗ったのを見て先輩としての意地が勝ったらしく、恐る恐る背にまたがった。驚くほど静かに、オズは街を歩いて行く。流れる景色からして結構な速さの筈なのだが、揺れが少ないので奇妙な感じではある。
「あのー、今更ですけど、アチシまで服貰っちゃって良かったんスか?」
「さっきも言ったが、そこまで高いもんでもないからな。その程度の甲斐性が無けりゃ、レベルドレインには通えんよ。
ま、知り合いがやってる店だし、気に入ったのなら今後もご贔屓に、って所だな」
「はぁ……」
ワナの質問に、オズは何でもない事のように答える。
服の代金がどの程度なのかは知らないが、レベルドレインが安い店で無いのは事実だ。連日通っていると言う事は、懐に余裕があるというのも本当なのだろう。だからと言って、ポンと二人分の代金を出すというのは、かなり気前が良いとは思うが。
上級淫魔の先輩方はかなり高級な差し入れを貰う事もあるらしいが、小悪魔のデシレやワナには未経験の事でありドキドキする。
「それに、あんまりみみっちい事を言ってると、店長に出禁にされかねないしな」
「いや、流石にそれは…… ねぇ?」
「多分、大丈夫だと思いますけど…… ねぇ?」
店長も女手一つで異境の地に店を構えた女傑であり、様々な『武勇伝』を持ち合わせて居るのは事実だ。
客が多少ケチな真似をしたからと言って出禁にするような事は無いとは思うが、全くあり得ないとも言い切れないような迫力は持ち合わせている。なんとも歯切れの悪い返事をしている内に、店の前まで辿り着いたのだった。
裏口から店に入り、そのまま控え室へと進む。
ワナと二人、椅子に深くもたれかかって息をついた。何があった訳でも無いのだが、ドッと疲れた気がする。
二人で顔を見合わせ、どちらともなく制服に着替えようとロッカーを空けたところで、他の先輩方が控え室に入ってきた。
「たっだいまー。ってワナ、帰ってたんだ。可愛い服着てんじゃーん」
「ええ、まあ、お客さんに買って貰ったんで……」
「ほほーん、デシレに抜かれたとかで不貞腐れてた割に、ちゃっかりしてんじゃん」
「あははは……」
服を買ったのが誰かについては、この際黙っておく。先輩方の注意がワナに向いている隙に、デシレは手早く着替えを済ませた。
『悪魔族に服を売ってくれる店』の詳細を聞かれたワナが泣きついてくるのは、この数時間後の事である。




