ゲームでもしがらみは付いて回る
何とかジョージ夫妻を説き伏せる頃には、時刻は11時を回っていた。
とは言え、実際に戦闘スキルの取得を真剣に検討していたのはジョージだけで、マルガレーテの方はオズから「ある程度は協力する」という言質を取った時点で素材の方に関心が向いたようだったが。
生真面目な上にリアルでのスペックが高いのもあって、ジョージはどちらかと言えば自分で出来る事は自分でやりたい派だ。それはそれで個人の性格として良いのだが、MMOの様なゲームでそれをやろうとすると、何もかもが中途半端で酷い事になる。
個人で楽しむためのオフラインRPGと違い、大勢が参加するMMOでは突出した「個」が発生しないようバランス調整がされている。MMOにおける万能キャラというのは、無能とあまり変わらないのだ。
とりあえず一息つき、昼食の為にログオフしようかという空気になりかけた時に、それまでブスっとしてたゾフィーが唐突に口を開いた。
「そういやオッさん、外って出た?」
「まあ、今日持ってきた素材は、外で狩りした成果だしな」
「あー! ホラ、やっぱ外出てる人居たじゃん!」
別段隠すような事でもないので質問に答えれば、ゾフィーが「我が意を得たり」とばかりに騒ぎ出す。
大方、「雨が降ってるから家で大人しくしてろ」とでも言われていたのだろう。マルガレーテの方は「余計な事言いやがって」みたいな顔をしている事からも、それは窺える。
「アナタは只でさえ裸足なんだから、あんまり雨の中をうろつくと風邪を引くわよ」
「オッさんだって裸足じゃん! しかも裸だし!」
マルガレーテが説得を試みるが、ゾフィーも引かない。裸足はともかく風邪については全く見当違いなので、この遣り取りにのみ関して言えばゾフィーの方に理がある。
当たり前の話だが、ゲーム内で身体を冷やしたからと言って、現実で風邪を引くような事はない。そんな事が起こりえるなら、10代の頃からVRゲームで死に続けているオズは今頃この世に居ない。
「目隠しをした人間に、焼けた鉄棒と思い込ませた鉛筆を押しつけると火傷する」というような事例は、少なくとも現代のVRゲームでは起きないと言うのが常識だ。と言うか、そんな危険性があるならまず国が認可しないだろう。
と言う訳で、外に出たいというゾフィーの欲求はゲーム的にはなんら問題無いものなのだが。まあ子供を雨の中でうろつかせたくないというマルガレーテの気持ちも分からなくはないので、ひとまず折衷案を提示する事にした。
「まあ、オッさんは鱗あるから、雨に濡れても平気だしな。お前も、雨合羽とか着れば良いんじゃねーの?」
「そんなの持ってねーし」
「いや、マグ姐さんが居るんだから、そこはどうにでもなるだろ」
実のところ、色々なフィールドを冒険するMMOでは防寒具等の環境に適応するためのアイテムは定番である。雨が降るゲームというのは少ないが、雨が降るのに雨具がないゲームはもっと少ない。
ミリオンクランズ・ノーマンズのスタッフも、流石に雨具を実装する前に天候の概念を導入するほど鬼畜ではないだろうから、恐らく何らかのアイテムが用意されているはずだ。裸足は種族特性なのでどうにもならないが、どのみち気分の問題でしかないので、そこは譲歩して貰うしかないだろうが。
流石にゲーム内で「雨だから大人しくしていろ」と言いつける理不尽はマルガレーテも理解していたらしく、オズの折衷案に乗ってきた。
「まあ、防水加工できる素材があれば作れなくはないと思うけど…… 実際、あるの?」
「ゲームじゃ定番のアイテムだから、無い事はないと思うけど。ファンタジーでお馴染みのマントなんかは簡単な雨具を兼ねてる事が多いし、蛙がこれ見よがしに皮を落とすって事は、その辺で何か作れるんじゃ?」
「蛙ねぇ……」
大抵のMMOでは、水辺に棲むモンスターから取れる素材は、水属性に対する耐性を持っている事が多い。この雨で蛙が元気になっている事を鑑みても、雨具の材料として使えない事はないだろう。
雑魚蛙もケロツグ程ではないがそこそこ大きく、一枚皮ならそのままでもゾフィーの掛け布団に出来るくらいのサイズだ。数もそれなりにあるので、一家四人の雨具を拵えるくらいは何とかなると思われる。
ただ、マルガレーテはどうにも乗り気では無いようだったが。
「姐さん、蛙嫌いだっけ?」
「大好きって訳でも無いけど、触れないほど嫌って訳でも無いわね。まあ、ゲームだってのは分かってるつもりだから、そこは譲歩するわ。
ただ、蛙素材の防具って、結構壊れやすいのよ」
返ってきた答えが、思ったよりもゲーム的理由だったので少し驚く。
少し詳しく聞いてみると、蛙素材の防具というのはいわゆる「回避盾」向けのアイテムで、軽くて伸縮性もあるので動きやすい反面、防御力はあまり期待できず、相手の攻撃を受ければ耐久値が目に見えて減るらしい。レインコートの様なある程度身体をすっぽり覆う装備にしてしまうと、どうしてもそのデメリットは付いて回る。
それこそ普段から回避に命をかけている回避盾や、タンクに守られる事を前提としている後衛職には人気だが、それ以外のプレイヤーには「コスパ悪すぎてちょっと……」と言われるのが蛙の皮素材だそうな。それでも、例えば伸縮性を要求される関節周りの補材としては優秀なので、需要が無い訳では無いらしいが。
「まあ、雨だってずっと降ってる訳じゃないだろうし、姐さん達はレベルさえ上がればまた生産に専念する事になるだろうから、いっそ使い捨てと割り切っちまえば?」
「それはそれで癪だけど…… まあ、イヤイヤ言ってても始まらないわね。で、アンタ、午後は空いてるのよね?」
「流石に、ここまで焚きつけといて突き放すような事はせんけど。雨具ってどのくらいで用意できる?」
「多分、雨具って言ってもポンチョ程度しか作れないだろうし、そんなに時間は掛からないわ。そうね…… 昼食も考えて、2時で」
「了解」
と言う訳で、午後の予定が決まる。
従姉一家の用意が出来た所で連絡するというので、ひとまず別れの挨拶をして家を出た。
「……で、何でお前が付いてくるんだ?」
「だって、家に居ても暇だし」
家を出るとき、何故かゾフィーが付いてきた。どうにも、退屈を持て余したらしい。まあ、気持ちは分からないでは無いし、ゲームの中で暇するというのも苦痛だろうから、親もあえて見逃したのだろう。
そのままケロツグとの再戦に挑むつもりだったのが、出端を挫かれた形になる。上空からの攻撃が多いケロツグ相手に、ゾフィーを肩車して戦うというのは流石に危険だ。親戚の子供を生きた防具にする趣味はオズには無いので、別の予定を考えねばなるまい。
オズ達の話を中途半端に聞いていたのか、ゾフィーは雑魚蛙の一枚皮を雨具代わりに被っている。丁度、蛙の口から顔が出るような形になっているのだが、どちらかと言えば蛙に丸呑みされてる様に見えて、あまり印象がよろしくない。
この状態で連れ歩けば悪い意味で注目を集めるのは想像に難くないので、対策を打つ事にした。
「確か、ついさっき覚えた魔法で使えそうなのが…… あった、《ウォーターヴェール》」
「うわ、なにそれ、ずっけ」
《ウォーターヴェール》は名の通り水で球形の防護膜を作る【水魔法】のスキルだ。本来は火山のようなフィールドから受けるダメージを緩和したり、攻撃魔法のダメージを軽減するためのスキルなのだが、水の膜なので雨避けにも使える。MP消費はそこそこ重いが、まあ優秀な魔法ではある。
ただ、問題なのは防護対象が使用者に限定されている事だ。今の場合、雨避けが必要なのはオズではなくゾフィーであり、オズが《ウォーターヴェール》を使えてもあまり意味は無い。その場でパーティを組んでみたりして色々試したが対象の変更は出来なかったので、結局はオズがゾフィーを肩車した状態で《ウォーターヴェール》を使う事で無理矢理ゾフィーを魔法の範囲内に入れ込んだ。
竜裔の長い尻尾も余す事無く包み込むので、ヴェール内部の空間にはかなり余裕がある。結果として、ゾフィー一人くらいなら問題無く中に入れられるのだが、もしかして運営はこの為にヴェールを球形にしたんじゃ無かろうかとオズは邪推した。
「んで、どこ行くん?」
「市役所」
「なんでだよ!?」
そのまま街の外へ行くと思っていたのだろう。オズが目的地を告げると、ゾフィーが抗議の声を上げた。
コリーから借り受けた精霊語の教科書を返しそびれていたのを思い出したので、返却がてら森イベントの顛末でも報告しようと考えたのだ。どうせ昼飯の為にログオフするまで1時間程度だし、役所に行ってそれなりに説明をしていれば丁度時間も潰れるだろう。
ゾフィーはブチブチ言っていたが、流石に裸足でこの雨の道を歩くのは嫌なようで、肩から降りようとはしない。何だかんだで人付き合いの良い彼女の事だから、役所でコリーに会えば機嫌も直るだろうと言う事で、そのまま役所へと歩を進めた。
役所は、そこそこ混んでいた。
雨の日でも熱心にクエストを受ける人間がこんなに居るのかと少々驚いたが、その割にはクエストの張り出されている案内板の前に居るプレイヤーはまばらだ。
代わりと言ってはなんだが、書き物をしているプレイヤーが非常に多い。皆一様に真剣な表情で書き物をし、それをカウンターに持っていっては役人さんに粗を指摘され、そこを修正してまた一から書き直すという事を繰り返していた。何と言うか、ゲームなのにあまり現実と変わらない光景が繰り広げられている。
「この人達、何やってんの?」
「さぁ?」
屋内なので乗り物から降りたゾフィーが聞いてくるが、オズとしても目の前のプレイヤー達が一体何をしているか分からないので、答えようが無い。
聞いてみれば良いのかもしれないが、ちょっとした好奇心で他人の作業を邪魔するのも憚られる。ここに来た目的は別にあるので事態の解明は一旦脇に置いて、コリーを探すために辺りを見渡した。
「お、下の人。何やってんだ、こんな所で?」
「ん? ああ、ゲッコーか。ちと、役所の知り合いに用があってな」
声を掛けられて振り向けば、先程フレンド登録をしたゲッコーが立っていた。
どちらかと言えば食い物屋の屋台をやっているゲッコーの方がこの時間に役所に居るのは不思議なのだが、その事を問い返せば「今日は店仕舞いだ」という答えが返ってきた。雨で客足が伸びないのと、沼の蛙が活性化しているのなら材料をかき集めるのに都合が良いと言う事で、午後からは狩りに出る事にしたそうだ。
なんでも、その旨を役所にイチイチ届け出る必要があるらしく、その報告をしに来たとの事。
「当たり前っちゃ当たり前なんだが、やっぱ現地人からしてみると異邦人が商売するってのは色々と心配になる部分があるらしくてな。最初の内は細かい所まで報告して、身の潔白を証明せにゃならんらしい」
「結構大変なんだな」
「まあ、あっちの立場からしてみりゃ当然の心配ではあるし、しゃーないわな」
プレイヤーにとって最初の街というのは、あくまで『ゲームを始めた際に降り立つ場所』でしかないが、そこに住んでいるNPCからしてみれば『オラが街』であり、温度差という物はどうしても生まれる。
特に、大抵のプレイヤーは新しい街が発見されればそちらに拠点を移すので、現地の商売人からしてみれば市場を荒らすだけ荒らして去って行くイナゴみたいな存在だ。あまり好き勝手にやると要らぬ摩擦を生じるので、キッチリやり過ぎる位の方が上手く行くというのが、ゲッコーの説明だった。
聞けば、今役所で書き物をしているプレイヤーは、大半がそう言った申請を出している人達だそうだ。ゲーム内とは言え審査は厳しいらしく、ああやって何度も書き直した上で面談までされて、ようやく許可が下りるらしい。
「なんつーか、生産職も結構大変なんだな」
「いや、実を言うと、今はまだ大分マシな方だぜ。何せ、この時期に申請が出せるのは、生産職の中でもトップに近い連中だからな。ゲーム慣れしてる分そういう『お約束』は弁えてるし、申請自体もある程度慣れてるから、余程の事がない限り最終的に許可が下りるしな」
「つーと、酷い状態がある訳だ?」
「ある程度時間が過ぎると、そういうのを弁えない奴のレベルが上がるからな。大抵はそれでも大人しくしてるんだが、どこにでも『カーボン頭』は居る訳だ」
『カーボン頭』はゲーム内でNPCと揉め事を起こすプレイヤーに対する蔑称である。これだけ陽電子頭脳が一般化した社会においても、人間至上主義者というのは発生する。まあ主義主張は自由だし、現実世界においてはルールを逸脱しない範囲で大人しくしている人間が大半なのだが、何故かゲームを始めるとその箍が外れる事が多い。
そう言った連中は、何故か自分達が炭水化物である事に特別な価値を見出している事が多いので、そういった連中を揶揄して『カーボン頭』と呼ぶ訳だ。真っ当にゲームを楽しんでいるプレイヤーからすれば迷惑極まりない存在なので、大抵は村八分にされてその内居なくなるのだが。
申請者にカーボン頭が混じり始めると、当然ながらNPC側のプレイヤーを見る目も厳しくなり、そこから先は負の連鎖が待ち受けている。最終的には『異邦人にも色々居るよね』と言うのをNPCが理解する事で事態は落ち着くそうだが、それまでは居心地の悪い空気が続くので、ゲームに慣れている生産職は多少無理をしてもこの時期に申請を出すそうだ。
NPCとは言え道理を理解するだけの知性はあるので、一度申請を通してその後も問題無く振る舞っていれば、無法者とは違うのだと言う事を理解してくれる。『百聞は一見にしかず』と言うのは、プレイヤーもNPCもそう変わらないのだ。
アレコレ駄弁っていると、一人蚊帳の外に置かれていたゾフィーが声を掛けてきた。
「なあ、この人、オッさんの友達?」
「ああ、さっきフレンドになったゲッコーだ。ゲッコー、こっちは俺のフレンドのゾフィーM87」
「おお、『竜騎兵さん』にまで会えるとは、ついてるな。俺はゲッコー。職人通りで時々屋台をやってるんで、良かったら食いに来てくれ」
「アタシはゾフィー。よろしく!」
VR慣れしていないゾフィーが、握手のために右手を差し出す。ゲッコーはそれを見て数秒迷っていたが、結局は苦笑しながらも右手を差し出した。ハラスメントガードに阻まれて、握手は成立しなかったが。
ゾフィーが、自分の右手を不満そうに睨んでいる。ジェンダーフリーの世の中にあって、性別に関係なくセクハラが成立するようになったため、ハラスメントガードも性別に関係なく発動する。それ以前に、アバターの性別をいじれるゲームだとどっちの性別を採択するかで面倒なので、一律制限した方が間違いが無いというのもあるが。
VR慣れしていれば、そういった行動はある程度仲良くなるまで控えるのがマナーなのだが、ゾフィーにはその辺がまだよく分かっていないらしい。
微妙な空気になりかけた所で、救いの声が掛けられた。
「はいはい、役所は談話室では無いのですから、長々と立ち話を続けるのはご遠慮下さいね」
「お、コリーさん。丁度良かった、この間借りた本を返しに来ました」
「あら、オズさん。コレはご丁寧に…… って、何です、この包みは?」
「まあ、一応本を濡らさないようにってのと、後は無理を聞いて貰ったお礼というかお土産というか、そんな感じのアレです」
基本的にアイテムはバッグの中に入れておけば濡れる事は無いのだが、借り物なので万が一が無いよう蛙の皮に包んできている。後は、杭を抜いた後の精霊樹の写真も同封しておいた。精霊樹の存在はそこそこ秘密度が高いようだったので、一応気を遣ったつもりである。
包みの中の写真に気付いたコリーの手が止まる。そのまま、周囲に見えないように写真を確認していたが、やがて呆れたように溜息をついた。
「まったく、アナタという人は…… 少々お話を伺いたいので、奥まで来て頂けますか」
「まあ、吝かではないですな」
そんな訳で、役所の奥へと案内される事になったのだった。




