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フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
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181日目(1)

 181日目(1)




 ここ数年で倍近くに増えた『虐待死』によるケース以外にも、病死した子供が変異体として『死体のまま甦る』ケースも少なくない事が、新聞や雑誌でも取り上げられる様になった。


 虐待やネグレクトで死んだ子供がフロート化した場合、多くの場合、両親から離れて徘徊する様になる。

 これは、対策部の東北、関東、甲信越での調査によるものだ。

 フロート化の前後に両親が遺棄・隠蔽しようとしていた場合も少なくないので、正確さは保証出来ない。


 しかし、病死や事故死などで亡くなった子供がフロート化した場合、子供が親元に留まり、両親も手元に置こうとするケースが多い。

 ここ二、三ヶ月、フロートの存在がメディアで露出するようになってから、こういうケースは『生死を越えた家族の愛』『前代未聞の異変にも前向きに立ち向かう親』などと、多くが美談にして扱われていた。

 だが、やがてフロートの子供の身体能力や、行動の特異な面、発現による急激な変貌などが明らかになって来ると、そのトーンが変化した。


 それは、多くの人間にとって『映画やゲームで良く目にする、分かり易いゾンビ化の有様』だった。

 いわゆる『公園事件』は、今を遡る事一ヶ月近く前、こうした世論感情のシフトの最中に起きた。

 津衣菜達が梨乃を追って隣県へ向かったのと、同じ時期になる。


 東京の西、都心まで電車で一時間近くかかる住宅街の一つ。

 20代後半になる不動産会社勤務の男性、幼稚園に入ったばかりの男の子がいる。

 定休日に家にいた彼は、妻に代わって買い物と散歩がてら子供を迎えに行こうと、見慣れた午後の道を歩いていた。

 普段よく通る、子供を連れて行く事も多い公園に差し掛かる。

 その園内を通り抜けようとした時、彼は見慣れないものを目にした。

 植え込みの裏を、よたよたと歩いて行く子供。

 芝生への立ち入りは、公園の規則で禁止されている。

 普段の彼なら『子供に注意すべきか』『子供の親は何をやっているのか』と思う所だった。

 今回に限って、それどころではなかった。

 それ以前に、子供の『色がおかしかった』から。

 灰色にくすんだ肌、黄ばんだ眼球のその子供は、どう見ても生きている人間に見えなかった。


 『死体のまま甦ってしまう現象』

 『第二種変異体』

 そういう単語を新聞で何度も目にした記憶があったが、現物を直接見るのは初めてだった。


「あ……あああああ……」


 言葉ではない奇妙な声を上げながら、子供は突然しゃがみ込んで地面の何かを掴んだ。

 男性が反応できない程の素早さだった。

 子供は地面の手を持ち上げつつ、背を曲げて手に顔を近付ける。

 子供の手の中から、キイキイとくぐもった、高い鳴き声が聞こえた。

 男性は子供に数歩近づき、前へ回り込んでようやく掴んだ物が何だったのかを知る。

 それは大きめの雀だった。

 翼を握り潰されながらももがいていたそれを、子供は無言でグチャグチャと齧り始めていた。

 服にも手にも、茶色い羽毛と赤茶けた体液が、ぽたぽたと落ちて行く


「ひ……」


 男性は子供を凍りついた顔で、しばし凝視していた。

 この時彼が何を考えていたのか、彼自身も良く覚えていないという。


「ぐるぐると色々な物が回っていました。それの親らしいのが、数メートル先でスマホをいじってたんですよ。それとか、我が子の顔とか、嫁の顔とか、新聞とか」


 子供は顔を上げて、血と内臓で汚れた口のまま、彼を見返した。

 濁った白眼と、赤い眼球。


 男性は一目散に走り出していた。

 逃げたのではなかった。

 彼は家に戻り、妻の『どうしたの?』という声にも答えないまま、押入れの奥に眠っていた金属バットを引っ張り出すと、再び家を出て行ったのだ。

 そして、公園に戻って来た彼は、同じ場所にしゃがみ込んでいた子供の頭上へ、おもむろにバットを振り降ろしていた。

 スマホに集中していた母親らしい女の悲鳴が遠く響いた。

 彼には、目の前のそれの動きを止める事しか頭になかった。


「こんなのが、公園や家の近くで我が子に接触したら危険だ。その時の僕には、それしか頭にありませんでした」


 フロートの子供の母親に何度も蹴られ、呼ばれた警察官に取り押さえられるまで、彼は殴打を止めなかった。

 頭を砕かれた子供は、既に活動を停止し、原形を留めていなかった。

 男性は『第二種変異対策法』違反で現行犯逮捕された。

 だが、取り調べ中から、彼は自分の行動の正当性を主張し始める。

 ネット上でも、メディアの取材でも、この男性を巡る世論は真っ二つに分かれ、事件直後から紛糾するに至った。

『よくやった』

『バケモノの人権などとマスゴミが言ってる間にも、家族は危機に晒されている。彼こそ父親の鑑だ』

 父親を肯定する声は、相当数に上る。

『子供は何でも口に入れたがるなんて、生きている時からの事で、こんなのその延長線上だろ』

『普通に親が注意すればよかっただけじゃないか。この場合、母親も問題だけどさ』

『少し変な所があるとか、こんな理由で襲われるんじゃ、そっちの方が子供にとって危ないわ』

 そんな感じで彼を批判する声もあったが、『ゾンビ化の脅威』を恐れる声に、どうしても押されてしまう。

『現実にその公園では、ゾンビのガキが野放しになって、スズメを喰ってたんだぞ。彼を叩くなら、これをどうするべきなのか、いい案出してみろよ』

 父親を支持する世論は、法整備が『始末する権利を認める、あるいは、国の機関が始末してくれる方向で』整っていない事が問題だとする意見へと発展しつつあった。




 向伏市に戻って来ていた津衣菜は、花紀を待つ間、先月の『公園事件』概要についてスマホでおさらいしていた。

 フロート達の話には良く上っていたが、具体的にどんな内容だったのか確認する機会は、今までなかったのだ。

 花紀が呼びに来た声で、画面を消し、夜の山道を彼女について歩く。

 木の根元で、梨乃は二週間前と殆ど変らない姿勢で座り込んでいた。

「あれからずっと、このままだった訳じゃないだろうけど……」

 半ば呆れた声で津衣菜が呟くと、梨乃はぱちっと目を開く。


「佐久川の子供達はどうするか、各地のフロートの間でも意見が分かれている。佐久川から離れて更に別のどこかへ避難させるか……その場合、どこへって事になるんだけど」

「――」

「あるいは、鍾乳洞の奥深くへ潜って、そのまま引きこもるか」

「――」

「雪子と千尋、美也は、まあ……『やる気』だった」

 津衣菜が話す度に、梨乃は無言で頷く。

 津衣菜だけが喋っている感じだが、彼女も特に不満は出さず話を続ける。


『むしろ、他の所の子供達も、ここに集中させてほしいっすね』

『安住の地を求めるフロートが、ここで結束するんです』

『梨乃さんも呼んでほしいです』

『――今度こそ、彼女にもこの子達の助けになってもらう』


 旧北部班に加えて千尋も留まり、更に梨乃の合流を求めているという所から、彼女達の選択が『戦う』一択なのは誰の目にも明らかだった。

 『アーマゲドンクラブ南関東』、そのメンバー『スラッシャー』についての詳しい情報は、AAAが持っていた。

 数日前に、遥のもとに例の黒ゴス女がまた来たのだという。

「そろそろ名前紹介してほしいんだけど。私の名前は鎖弓(さゆみ)石堂(いしどう)鎖弓(さゆみ)っていうのよ。私のイメージを裏切らない、素敵な名前でしょ?」

「いきなり斜め上向いて誰と喋ってるんだい? あと、それあんたのHNでしょ。本名はか――」

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 かつて雪子の顔を切り刻んだ時、『スラッシャー』は、既に性質の悪いフロート狩りとして知られていたが、まだアーマゲドンクラブの正会員ではなかった。

 一匹狼だった彼がアーマゲドン南関東に幹部待遇で迎えられたのは、ちょうど、去年末に向伏で大掛かりなフロート狩りイベントが頓挫した頃だという。

「対策部もヘリまで出して山狩りしたって言うからね……結構全国で有名よ、あの事件」

「今から見れば、平和なもんだったけどね」

「あれで、出張って来てた当時の南関東のメンバーが面子潰れたらしくて、あと、別動隊のヤクザと揉めたとか、それで大きなメンバーチェンジがあったのね」

 『スラッシャー』は、雪子に肩を喰われて無様に逃げた事を、仲間には隠しているらしかった。

「じゃあ、あの傷は」

「敢然と戦いぬいた名誉の負傷……って、公式サイトで外向けにも書いてる位だわ」

 鎖弓の答えは予想通りのものだったが、それでもおのずと遥の顔にも苦笑が浮かんだ。



 津衣菜は、佐久川の選択についても、遥は苦笑していた事を思い出す。

『逃げるのではなく、そこに新天地を』

 佐久川の対決姿勢の、そういう基本には共感すると言っていた。

「だけど、結局、あいつら追い払ったら引きこもろうって事だよね、あの子ら……安住とワンセットの、停滞と緩やかな消滅。それもフロートの未来としちゃ、ありかも知れないんだけどさ」

 フロートの領域を拡大し、融和せず、より生者の世界に異物として食い込ませようとしている。

 そんな遥のヴィジョンからは、佐久川に集まったフロート達は、足元の石、楔になりかねない存在になり始めていた。

「あら、素敵じゃない。美しい鍾乳洞の奥深くで引きこもり生活。意味分からない、後々大変そうな独立運動なんかより、よっぽどフロートコミュニティ―らしいと思うわ……生者の意見でしかないかもしれないけど」

 AAA、そして鎖弓は、遥よりも佐久川のスタンスをこそ支持している様だった。

「まあ、今目の前に迫っている連中への対応として、あれ以上のものはないだろうね」

 遥も、佐久川での態勢が、アーマゲドンクラブ南関東や『スラッシャー』対策としてベストなのは、認める他なかった。




「それで」

 梨乃が口を開いた。

 本当に不意打ちだったので、津衣菜も少しびくっと肩を震わせる。

「そのするのはさんの遥はさらう彼の織子山の、それをするの任せるの人の佐久川の」

「うん、取りあえず向こうに任せて、こっちは拉致作戦に専念する。だから佐久川の戦力は前もって十分に揃えたい」

「それなのは私か」

「うん、罪滅ぼしの機会にも――」

 津衣菜の言葉を遮って、じっと見返しながら梨乃は言う。

「それはあの子の達なのは出来るのが許す私は、唯一」

「あ、ああ、そうだったね……」

「それはまだ得ない私の、あの子の達の許し。それは違うのがその手柄がする罪の帳消し」

 梨乃はそう言いながらも、身体を揺すった。

 肩や足の上に積った落ち葉や土埃が、ぱらぱらと落ちる。

 大体落ち切った頃、彼女はゆっくりと立ち上がった。

「だけど、それが一つ、今の私がするべき。今、彼女の達の佐久川は必要する私」


 アーマゲドンクラブ南関東と『スラッシャー』の相手は佐久川だけで引き受け、向伏と織子山はアーマゲ会長拉致作戦に専念する構えだった。

 織子山では、遥、曽根木が中心となり、向伏から2~30代の若手を数名呼んでの少人数編成。

 そこで更に、津衣菜と日香里が彼らの補助という役割分担だった。

 それに先駆けて、向伏にまだ残留していた子供達も、近日中に移動させる予定だった。

 但し、彼らは梨乃とは別行動となる。

 子供達の引率は、佐久川から美也と牧浦が来て行うらしい。

「あの」

 話が一応まとまったと思い、立ち去ろうとした津衣菜が、背後から呼び止められた。

 彼女がこんな風に声を掛けて来るのは珍しいと思い、幾分恐れも(・・・)感じながらも振り返る。

「私はあるのが思うのが分からない事は良かったのはどうするだったか」

 樹木の下に立ちつくしたまま、梨乃は津衣菜に少し困惑した様な顔を向けて、自分の胸と頭を交互に指差しながら言った。

「そこにある、梨乃(りの)は、この中に(・・・・)

「梨乃」

「それはまだあってはならないのは許される私は。それは迷う事は、あるかは私の持つ資格の進む……だけど、それよりも、私にないは分かるの何かの起きる事」

「分かるよ、でも、現に佐久川の連中はあんたに助けてほしいと言ってるんだ。だから……」

「だから……もしもの時は、私も……助けてほしい、みんなに」

 困った顔のまま、梨乃は津衣菜とその後方にいた少女達にも微笑んで見せた。




「何日ぶりだったかな……そうだ、3週間ぶりくらいだったんじゃないかな」

 冬眠の時は今よりも長く、1ヶ月会わなかった事だってあった筈だ。

 だけど、花紀の様子が何か変だとは、向伏入りした時から気付いていた。

 だから、梨乃との話が終わった時、あえてそう声をかけてみた。

「元気してた?」

「え? う、うん」

「嘘だ。寂しそうだったよ、今凄く」

「え、ええっ!?」

「私だけじゃない。美也や千尋とも半月位会ってないよね。もみじやぽぷらも一ヶ月……向伏の仲間の人数は今じゃ半分以下だ。寂しかったんだよね」

「うん、本当はそう……寂しいって言うか、怖かった」

「怖い?」

「うん、だって、今まるで戦争の始まる前みたいだもん……みんないなくなってしまいそうな気がして、それが怖いの」

 現実の国同士の戦争なんて津衣菜だって花紀だって経験はない。

 花紀の今の言葉だって、映画かドラマのそれを元に言ってるのだろうけど、確かに今フロートが直面しているのは、『戦争』と言えるかもしれなかった。

「大丈夫だよ。みんなまた一緒になれる」

 花紀の頭をポンポンと叩いて、津衣菜はそう答えていた。

 散り散りになって離れている仲間。

 分裂して拡散して行くコミュニティ―。

 内心、彼女自身はそういう『別れ』について、どうでも良かった。

 花紀以外の少女達についても、割と行動を共にする事の多い遥達も、仮に二度と会えなくてもさほど悲しくもさびしくも感じなかった。

 けど、『花紀のいる場所』として、そうなる事を望むべきだと思った。

「この件が片付いたら、きっと全部元通りになるよ」

 望むだけじゃなく、実際に『そうしよう』と内心で決めてもいた。




「何、出来ない約束してやがる」

 花紀と別れて一分もしない内に、最初から待ち構えていたらしい鏡子に絡まれる。

「おい、止まれ、無視してんじゃねえよ自殺女―――」

「出来ない、じゃなく。何とかするんでしょ」

「何だって?」

「違うの?」

 通り過ぎかけた津衣菜は、突然立ち止まるとじろりと睨む様に振り返って、鏡子に聞き返していた。

「花紀を支えるっていうのに、その位も叶えられないって言うの?」

「はあ? 何だ、花紀がそんなにヤワだと思ってるのか? あたしらがどれだけ」

「仲間を失って来たかって? 私はそんな話してるんじゃない」

 鏡子の言葉を遮って、津衣菜はどこか虚ろな視線で、首のギプスを撫でながら言葉を返した。

「分かってる? 私たちにあっち(・・・)への戻り道なんてないって」

 鏡子の顔が歪んだ。

 何かおぞましいものを見る様な眼で津衣菜を凝視する。

「でもね、やっぱり、それでいいんだよ」

 津衣菜はそう言うと、目つきはそのままで、口に薄く笑みを浮かべた。

「花紀の様な子こそ、生き返るべきだと思ってたよ。でも、やっぱり、本当に生きる資格のあった子にあんな世界(・・・・・)は必要ない」

 険しい目付きのままの鏡子から視線を外し、津衣菜は前へ向き直る。

ここ(・・)にいて、ここ(・・)で幸せになればいいんだ」

「それ、てめえの願望だろ」

 津衣菜の背中へ、鏡子は吐き捨てる様に浴びせる。

「前から思ってたけど、自分の願望を花紀に押し付ける事で、自分の居場所をここにでっちあげる気だろ」

 立ち止まったままの津衣菜を鏡子は追い越し、前に回り込む。

「お前はお前のいるべき場所へ行け。分かんねーか? さっさと自殺をやり直せつってんだ」

 津衣菜は無表情で鏡子を見返していたが、おもむろにその喉へ左手を伸ばした。

「―――!」

「あんたこそ、いつここを出て殺しに行くんだ? あんたの首をそうした奴を」

 顔を引き攣らせた鏡子のギプスを、ぎりぎり音立てて握りながら、嘲る声で津衣菜は問う。

「あんたの言ってる通りかもしれないけど、花紀に繋ぎ止められてるのは、あんたもだろう?」

 首から津衣菜の手が離れると、鏡子は一歩退いて、思わず彼女から視線を外してしまう。

 津衣菜は彼女の横を通り過ぎながら、一言だけ吐き捨てた。

「おめ―が言うなって感じだよ」




『花紀おねーさんてば、ついにゃ―とも、まだ、きちんとお話できないままだもんね』

 背後に遠ざかる足音を聞きながら、鏡子は花紀の言葉を思い出す。


「ついにゃーは、自分の生前に意味や価値がない……じゃなく、あったらいけないとまで思ってる。だから、花紀おねーさんを特別だと思い込む事で、バランスを取ろうとしてるんだな」

 ひとしきり鏡子に甘えた後、花紀は屋上からの監視に戻った。

 街灯だけが道を照らす、暗い街並み。

 眼下の地上へ赤い眼光を落としながら、花紀は無線の合間にぽつぽつと語っていた。

「そうすれば、命を捨てた自分は間違ってなかったと信じ続けられて、ここで何かをやり直したいって思いにも、辻褄の合った理由が持てる」

「まあ、そうだろうな。あたしは奴のそういう所が一番ムカつくんだけど」


「だけどね、津衣菜(・・・)は何があっても生きるべきだった。その先に、あの子の本来の未来があったんだよ」

 鏡子は言葉もなく、地上を覗き込んでいる花紀の背中を凝視していた。

「それを自分で絶った津衣菜は、間違っているの。取り戻せたはずの未来を自分の手で失った事、いつかはそれを認めさせないといけない」

「花紀……」

「でも、いきなりそんなことすると、ついにゃーが壊れちゃう。それは分かってた」

 花紀はそう言って、口調をいつもの感じに戻す。

 上半身を起こして鏡子に振り返った彼女は、にっこりと笑っていた。

 だけど、目元にどこか悲しそうな色を残した笑顔だった。

「でもでも、そこからじゃないと、きちんとお話できないでしょ?」




「ついにゃー、どうしたの?」

 先に行った筈の津衣菜が引き返して来たのを見て、花紀が驚いた声で尋ねる。

 津衣菜は質問には答えず、花紀の前に立つと懇願する様な表情を浮かべていた。

「花紀の願いは何だって叶う。だから、願い続けていて」

「え、う、うん……」

「それを幻に終わらせない、諦めさせない為に、私がここにいる」

「ついにゃー……がこさんと、また何かあったの?」

 少し不安げな顔で尋ねる花紀に、津衣菜は首を横に振って答える。

「どうでもいいじゃない、あんな奴。あんたの心こそが、私達を支えているんだ」

 花紀の隣を歩いていた梨乃が、津衣菜をじっと見ているが、津衣菜はそれにも気が付いていない様子だった。

「あんたは、それを捨てなくちゃならないなんて現実に染まっちゃいけない」

 津衣菜を見返す花紀の顔に、憐れみとも諦めともつかない色が浮かぶ。

 自分の願いを訴える津衣菜には、それすら見えていない様子だった。

「そうなった時こそ、私達はきっと、(シンク)に沈んで行くから」

「さんの津衣菜……それはいないのは他の自分、担保するあなたの世界」

 梨乃が短く声をかけて来る。

 当然ながら、今の津衣菜には届いていなかった。


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