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フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
96/150

177日目

 177日目




 これが夢なら

 目がさめたときには、何といえばいい?




 ざざっざざっ、ざざっざざっ、ざざっざざっ


 耳に染み付く止まない音は、堆積する落ち葉を踏む自分の足音。

 こんな山の中を自分が同じペースで、いつまでもいつまでも歩いている事が、未だに信じられなかった。

 男は、もう一週間近くここを彷徨っている。

 虫の声も、枝木の隙間から洩れる強烈な日射も、夜の風も。

 ただ徒(いたずら)に、彼の傍らを通り過ぎて行くばかりだった。

 どんなに休みなく動かし続けようと、疲れなんて感じなかった。

 何十キロ――百キロ近く歩こうと、足も、どこも痛くはならない。

 鉄パイプで深く抉られた筈の腹だって、もう何も感じていない。


 あそこ(・・・)では、彼の身に何が起きたのか、誰一人教えてはくれなかった。

 あそこにいた連中(・・・・・・・・)は、彼とまともに話す気がないみたいだった。

 まず、『言葉が分かるか』を確認された。

 後はひたすら『落ち着いて下さい』『大丈夫ですから』と繰り返しながら、する通りにさせられるばかりだった。

 何かを口に押し込まれ、管を通され、センサーを貼り付けられ。

 そこに言葉はあっても、会話なんてものは一切なかった。

 痛みがあるか。熱いか冷たいか。

 光は見えるか、色は分かるか。

 音は聞こえるか、臭いは感じるか。

 これは何に見えるか。

 犬を見て何を思うか。

 果物を見て何を思うか。

 人間の男を見て、女を見て子供を見て何を思うか。

 何度も繰り返される同じ質問。

 目は見えるし音も聞こえるが、皮膚の感覚はなかった。

 臭いも味も感じなかった。

 そして、自分でも分かっていた。

 心臓が動いていない、呼吸をしていないのを。

 連中がひそひそと奴らだけで交わす(・・・・・・・・)会話から、気付いていた。


 今の自分は『第二種変異体』、動く死体(ゾンビ)なのだと。

 かつて自分が追い立て、狩り立てていたあれ(・・)になってしまったのだと。


 ざざざざざざっざざざざざざっ


 男は、何度も自殺を試みた。

 だけど、それは本気だったのか。

 何度となく繰り返すうちに、自分でも分からなくなっていた。

 首を吊っても、腹を『もう一度』刺しても、窓から飛び降りても、男は『死ねなかった』

 施設の窓から屋上まで這い上り、そこから飛び降りた。

 それでも何事もなく起き上がってしまった時、彼はそのまま施設を脱走した。

 彼が今までいた場所、初めて外から見た山奥の施設。

 そこは、どう見ても普通の病院じゃなかった。

 連中が自分をどうするつもりだったのかは、分からないままだった。

 だけど、彼も曲がりなりにも『アーマゲドンクラブ』の一員だった。

 施設が『そういう異変』を扱う国の非公式機関、『内閣府政策統括官 第32部局』――通称『対策部』のものだという事は、理解していた。

 男は普通の重傷患者として、事件の被害者として、最初は普通の病院に搬送された筈だった。

 一度死に、死体のままで甦ってからこの場所に移されたのだ。


 もうすぐだ。

 距離も時間も、彼には大した意味がなかった。

 どこまでも続く藪の中で、闇雲に徘徊していた訳ではない。

 熱気に蝕まれ、虫に食われながら、男はひたすら東南東の方角を目指していた。

 スマホも地図も持っていなかったが、太陽と星が、空気の流れが、大体の方角を示していた。

 もうすぐだ。

 どこまでも続くかの様だった山林に、遂に出口が見えた。

 斜面の下、およそ2~3キロ程の辺りか。

 新幹線と高速道路の陸橋に沿って、あまり大きくない市街地が見えた。


 ざざざざっ―――――ざざっ


 数日ぶりにアスファルトの道路を踏み、彼は山からの幹線道路を市街地――佐久川市の中心へ向けて歩き始めた。

 あそこの奴ら(・・・・・・)が喋っていた、死人どもの隠れ住む場所。

 その中でも比較的新しく、最近膨らみつつあるらしいと言われていた、県南の佐久川市。

 ああ、覚えている。

 『俺達』も、その情報を押さえていた筈だった。

 変異体のガキどもと――あいつ(・・・)の乗った車は、古巣の向伏市から佐久川へ向かっていたんだった。

 あの女のゾンビを、ガキどもの代わりに存分に嬲ってやろうと思って――思って―――


 畜生

 畜生畜生畜生畜生

 それなのに、それが一体どうして


 およそ数日ぶりに男の足が止まる。

 渦巻く思念は恐怖か怒りか、自分でも分類出来ない。

 一刻も早くあいつ(・・・)に辿り着こうとする一方で、もう二度とあいつ(・・・)に遭いたくない。

 立ち止まったまま、歯をギリギリと鳴らす死人の男は、そんな矛盾する衝動を抱えていた。


 畜生、畜生

「どこだぁ………っ」

 絞り出す様な声で、男は夕方の住宅街の真ん中で呻いた。


「どこだよクソ女、あの狂ったゾンビ女はどこだ……分かってるんだ」

 男を見てしまった、小さな女の子を連れた母親がダッシュでその場を離れる。

「分かってる分かってる分かってる……ここにいるんだ、この町にゾンビ共が、あの殺人ゾンビが隠れてるんだよぅ……ひひひひひひひっああ……」

 客観的に見て、他の何よりも彼が一番ゾンビらしく、狂気じみていた。

 通りがかった大学生風の若い男性に、彼は何か聞こうと近付いたが、その青年も踵を返して彼から逃げ出した。

「逃げんじゃねえ、この野郎っあああああ!」

「わああああああっ!?」

 よたよたと走りながら男は青年を追うが、更に他の女子高生や家族連れまで、悲鳴を上げて男から離れるのが見えた。

「何だよ、俺はゾンビじゃねえ……ゾンビから生者の世界を、人類を守るヒーローじゃねえか……身体がゾンビになったって……変わらねえ……だろ」

 走るのを止め、逃げ惑う人々を呆然と見送りながら男は呟く。

「ヒーローって、大体そうじゃねえか。身体は悪の組織の改造人間だったり、デーモンだったり……でも大事なのは、中身だって」

 そうだ。

 この手で、この町のゾンビを見つけ出して、あいつらの目の前にその首を並べてやればいいんだ。

 俺がどっちの味方か、正義がどこにあるか、皆が認めてくれる。

 男は、自分が今どんな姿をしていて、その言動も含めて異様であるかの自覚が全くなかった。

 鏡を一度見ていない彼は、自分の表皮が今どれだけ緑がかっているか、目が濁っているかも理解してはいない。

 薄暗い夕闇の中でも、それは禍々しく生者と隔たって見える程だった。

 彼の残った知性は、この町のどこにフロートが隠れているか、それ以外に全く関心を向けていなかった。

 生前の知識で、フロートがどんな所に隠れ住むかは見当を付けていた。

 彼は、この町での、該当する建物や地形を知ろうとしていた。

 特に、『あそこの奴ら』の会話の内容を彼は焼き付ける様に記憶していた。


『佐久川で子供を中心に、市南部の廃工場に潜んで、殆どそこから出てこないでいるらしい』

『あの北陸の一件の『リノ』も、今はそこでひっそりしているんだよな』

『ああ、あの凶蘭会の。この馬鹿(・・・・)が余計なマネして目覚めさせた、超武闘派なんだろ』


 そうだ。

 奴らは、廃墟か、そうでなければ車庫とか橋の裏とか、ビルの地下や屋上、使ってない下水道とかに溜まるんだ。

 人の顔を見て逃げる、無礼なこの町の住人共なんかもういらねえ。

 こんな小さな田舎町の『南側』までヒントが揃っているんだ。

 目的の廃工場をすぐ見つけられると踏んだ彼は、すぐにそこを離れてさっきまでの山に戻り、林の中を市南部へ向かって進んだ。

 奴らを見つけたら、何を使って殲滅しようか。

 彼の頭の中は、そっちの考えに移行していた。

 ここまでやって来た彼は、言うまでもなく手ぶらだった。

 そして、一人でバットや刃物を持った程度では厳しいという事も、忘れてはいなかった。

 どうやって入手するかは置いといて、奴らを焼き尽くすガソリンが必要だ。

 そして、その時に奴らを拘束するか、逃げ道を完全に封じておく位しておかないと。

「ガキや女だからこそ徹底すべき……ルメイ先生だってそう仰っていた」

「あいつは多分そう思ってただろうけど、実際にそう言ったって話は聞かないねえ」

 男の呟きに、背後から冷静な返事が聞こえた。

「いや、言った言わないなんて小さな……え?」

 男が振り返ると、そこに50歳前後位の中背の男性が立っていた。

 見覚えのある気配、死者の国の冷たい空気、そして赤い双眸の光。

 彼は無言で男性に背を向け、斜面を滑る様な勢いで駆け降りて行った。


 斜面と林を抜けた先には、広大な砂利の平地が広がっていた。

 その百メートル以上先に、これまた巨大な建造物が、闇の中白く浮かんでいた。

 半分以上赤錆に浸食された剥き出しの鉄骨とトタン壁。

 それが工場で、かなり老朽化しているのが夜目にも分かる。

 平地の途中で三人、誰かが立っていた。

 いや、一人が車椅子に座り、残り二人が車椅子に寄り添う様にして立ち、男に対峙していた。

 いずれも高校生か中学生ぐらいの少女、そして、生きた人間ではない。

 男は、自分の読みは当たっていた事を――この不気味な建造物が、探していた廃工場だったと知る。

「何だお前ら!?」

 誰何しながらも、男は突進して来る。

 足元の拳大の石を拾い、両手に握り込みながら。

「あなたを仲間とは認めてない。ここから先は行かせません!」

 雪子の右に立つ美也が、鋭い声で男へ通告した。

「仲間じゃないって、そんなの当たり前だろうが!」

 男は激昂しながら、バランスを崩してたたらを踏み、それでも更に勢いを付けて彼女達へ接近する。

 憎悪に満ちた目を向けながらも、『どけ』とは一言も言わなかった。

 彼にとって、彼女達にどいてもらう必要など全くなかった。

 子供達や梨乃と同じく、彼女達も『標的』の一部だった。

 フロートが抵抗する事、その力がリミッター外れた分、生者より強い事も男は十分知っていた。

 だけど、目の前にいる様な人間の盾気取りの、戦い慣れてなさそうな少女三人だったら、余裕で壊せる。

 無抵抗の相手を滅茶苦茶にする事に慣れきった、男の頭はもう快楽への期待に浸食されていた。

 一瞬で目の前の三人が二人になっていた事にも、気付けずに。

「え?」

 背後で地面を蹴る音。

 一旦すれ違って、背後から男の横に並んだ千尋。

「行かせないって言っただろ?」

 何が起きたのか分からないまま、男の視界は傾いて砂利に覆われた。

 突進している状態で足払いを喰らい、転倒する直前に腰と肩を蹴られ、ダメ押しで後頭部をストンピングされた。

 フロートの身体に慣れていない彼は、自分が受けた攻撃のどれも分からないままだった。

 千尋は接近した時同様、一瞬で彼から離れて車椅子の傍らに戻った。

 よく見れば、定位置をキープするというよりは、身を乗り出しかけている雪子をさりげなく抑えてもいるらしかった。

 それと同時に、倒れた男は上からさっきの男性――旧北部班の牧浦にきっちりと固められていた。

「ようこそ、フローティアへ。同胞として歓迎する……べきかどうか。対策部から君の話は聞いているよ」

「いいっ……た……助けて……くれ」

 右腕を後ろに捻り上げながら、牧浦が穏やかに言う。

 男は顔を上げて、助けを求める声を上げる。

 牧浦や他のフロートに求めている訳ではなかった。

「汝フロートを、誰ぞ助けるなりや」

 牧浦の問いに、彼の返事はない。

 その視線は、無人の闇の中に向けられていた。

「君の脱走はニュースになってないね……最近じゃ、フロートも随分と当たり前にニュースに出る様だけど」

「牧浦さん」

「何だい?」

 美也の声に、牧浦は彼女を向いて聞き返す。

「対策部は、その人を本気で追っているんでしょうか?」

「まさか。逃がしたのも、半分くらいわざとだよ」

「ですよねー」

 苦笑しながら千尋が同意の声を上げる。

 だが、美也は、さっきよりも不安げな顔で再び口を開く。

「まさか、それで梨乃さんを……」

「そこまでは考えてないさ。せいぜい、『変な騒ぎを起こしてほしい』程度だ」

「じゃあ、これはどうします?」

「そうだねえ……」

 牧浦は男を見下ろして、彼女達に向けていた穏やかな笑みも消す。

 男は目を見開いて牧浦を凝視するが、すぐに絞り出した声で短く言う。

「殺せよ……」

「どうやって? 燃やすか?」

「うわ、シャレに聞こえねえっす」

 千尋が呆れた声と共にクスクス笑う。

 その横を美也はゆっくりした足取りで、牧浦と男に近付いて行った。






     フローティア  第10章


     リービング






『魂がね、あっち側なんですよ』

『あっち側とは?』

『その……亡くなっている人。つまり、死者のそれですね』

『心臓が停止していると言うだけでなく』

『はい。亡くなった人の魂と言うのは、肉体と繋がっているこのへその緒みたいなのですが、これが切れてしまう訳なんです。いわゆる生霊というのも、どんなに遠くへ飛んでもこのへその緒は繋がっている訳なんですが』

『変異体は、このへその緒が』

『はい。切れています。切れたままで、身体を動かしている状態なんですね』

『一体どうやって』

『それが……そこまではちょっと、私にも』


 テレビでは60過ぎくらいの高齢の女性が、向けられたマイクに受け答えしている。

 自称霊能者の彼女は、フロートの魂の状態についてコメントしている様だ。

 フロートと言う現象が知られて行くにつれて、こういう、いい加減な事を喋る人間も出て来る。

 津衣菜は、そんな事を思いながら画面を眺めていたので、遥が『これ本当らしいよ』と言い出した時にはかなり驚いた。

「はあ? 本当……って」

「いや、霊が見えるって人、何人も聞いたけどね。全員同じ答えだったんだよ」

「……どうやって聞いたのかは聞かないでおくね」

「さすがに、これじゃ一応信じるしかないかなって」

「どうして聞いたのかは、聞いていい?」

「だけど、魂がどうとかよりも、こういう話がテレビで出るって事の方が重大だよね」

 遥は津衣菜の質問はスルーして、画面を見ながらそんな事を呟いた。

 織子山の廃墟のショッピングセンター。

 その外光を遮断したフロア奥の仕切り部屋で、一日の大半を彼女達は過ごしていた。

「そうかな? 今の状況なら、普通に予想出来そうだけど。こういうのが出て来るの」

 遥は画面から目を離して、首を横に振りながらもう一つのモニターを見る。

 さっきまで全員で見ていたタブレットの画面には、県全域の地図が表示されている。

『計画α』(プラン・アルファ)の下ではあり得なかったんだよ、こういうのがテレビに出て来るなんて」

「……『計画α』(プラン・アルファ)?」

「こういうコメントの規制も、『計画α』(プラン・アルファ)には織り込まれていたんだ。逆にこういうコメント――フロートは死者であると強調するものを『計画β』(プラン・ベータ)は歓迎する」

「だから、それどこの、どういうプラン」

「政府の――勿論対策部も含まれる、フロート対応の指針ですよ。大きく分けて二種類あったんです」

 遥の代わりに、少し後ろで本に視線を落としていた日香里が、少し呆れた様な声で解説する。

「津衣菜さんの不勉強は相変わらずですね」

「うるさいな……それで、さっきの話だけど、こっちの方がもっと問題だよ」

「私もそれには同感です。はるさん」

 日香里は本を置いて遥を睨む。

「もう一度、きちんと説明して下さい。まず……アーマゲドンクラブ会長が、何ですって?」

「うん、多分、あいつは近日中に向伏……多分、先にこの織子山へ来る。大規模なフロート狩りの、陣頭指揮をするつもりで」

「それで」

「そこを拉致する。アーマゲドンクラブ会長、日出(ひので)尊人(みこと)の身柄を真っ先に私らの手中に収める」

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