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フローティア  作者: ゆらぎからす
9.零日の蝉
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154日目(6)

 154日目(6)




『クソッ! 何なんだよ、無駄な事してんじゃねえよ――もうおめえしか残ってねえんだ!』

 方々で炎を上げる車やコンテナラック、横転したフォークリフト。

 その合間を縫って走り回る、紫のシルビアとパトカーの攻防はまだ続いていた。

 スピーカーからの割れた声。

 無視してパトカーから逃げつつ、前方で逃げ惑う歩行者を無差別に追い回す。

 ラビリンス(てき)凶蘭会(みかた)も警察官も関係なかった。

 もう窓から火炎瓶を投げる事も無くなっていた。

 ラビリンスのアジトを脱出した後、急遽用意した十本近くは全て投げ尽くした。

 きちんと煙を逃がさなかったせいか、窓はスモークフィルムではなく本物の煤で真っ黒だった。

 運転していたのは彼女自身ではない様だが、無差別に狙う以前に、そもそも前が殆ど見えていないのかもしれなかった。

 それでも車は機動隊の隊列に幅寄せしたかと思うと、窓から上半身を乗り出したハマダが突然鉄パイプを突き出したりして来る。

『止まれ! てめえの個人データは割れてんだ濱田あっ! 少刑も先岸のお供する気か!?』

「梨乃さんはそんなとこ行かねえよバーカ!」

 ハマダはパトカーのフロントガラスに見える顔馴染みの刑事へ、嘲笑を投げかける。

「あの人の行く所はよ――」

 ハマダは言葉途中で黙ると、運転席の後輩へ減速するよう命じる。

 時速十数キロまで落ちた時、無表情のまま彼女へ次の命令を出した。

「お前、ここで飛び降りろ」

「はあ? いや、待って下さい。いきなり何言って――」

「人を殺す所まで……そして、あの世まで付き合うのかよ? そんな奴は、何人もいらねえ」

 半ば蹴り出される様に、運転席から特攻服の少女が一人転がり落ちた。

 少女には距離を置いて機動隊員と男性の警察官が包囲し、数人の女性刑事が直接身柄を押さえた。

 運転手を無理矢理交替したシルビアは、蛇行しながら速度を戻し、向きを変える。

 その進行方向には彼女を追っていたパトカー、そして機動隊の特に密集した隊列。

『てめっ………この馬鹿野郎!』

 パトカーのスピーカーからは、激昂した声が上がる。

 爆発するみたいなエンジン音、煙を上げて加速するシルビア。

 その瞬間、横合いから別のワゴン型パトカーがシルビアの横へ突っ込んだ。

 衝突音、タイヤの軋む音。

 向きのずれたシルビアに、正面のパトカーも斜め向きに接触していた。

 更に横へと弾かれて行くシルビアは、輸送バスの側面に斜めから接触して停止した。

『バカが……もう終わりだ』

 刑事の目からは、粉々に砕けたフロントガラスの向こうに、ハンドルを握ったまま伏せているハマダの姿が見えていた。

 シルビアの横からも、後ろからも、逃げられない様にパトカーが何台も集まり始める。

 がらがらがらがら――――

「ん……何だ?」

 車内でも聞こえる程に大きく響く車輪の音。

 自動車やバイクとは明らかに違う、金属の滑る音に警察官の一人が目を凝らした。

 次の瞬間、彼らとシルビアの間は、夥しい数のかご台車で埋め尽くされていた。

「うわあっ!?」

 急ブレーキの音と共に、三台ばかりが台車にぶつかりながら止まる。

 台車には荷物の載っているものも空っぽのものもあった。

 車に弾かれた台車は、台車同士でもぶつかり合い、シルビアにもぶつかりながら流れ続け、ハマダを捕えようとする警察の進路を阻んでいる。

『先岸! わざわざ戻って来たのか! お前が仲間を助けに来たってのかよ?』

 スピーカーからの声にも驚愕が混じっていた。

 シルビアの車内で、ハマダが弾かれた様に顔を上げる。

 かご台車の一台、ちょうど正面のパトカーを阻んでいるそれに梨乃が乗っていた。

『遊んでんのか先岸! どけ! どいてそこで大人しく――』

 怒鳴りながらパトカーは、梨乃の台車にわざと追突すると、そのまま押し出した。

「ちょ――」

「な、何やってんだクソおマワリ!」

 凶蘭会側からもラビリンス側からも、パトカーへの抗議の声が上がった。

 警察の人間も、何人か血相を変えて言葉を交わし、ある者はどこかへ連絡をしている。

 しかし、そのパトカーは急に停まる。

「……え?」

 左手で柵を掴み、右足だけ乗せて左足を地面に下ろした梨乃が、台車と身体一つでパトカーを押し止めていたのだ。

 パトカーもかなり減速してはいたが、それでも、人一人の力で実現可能な光景ではない。

 たとえそれが、あの先岸梨乃(・・・・・・)だとしても。

 梨乃は台車から離れると、台車の間を駆けては左腕で引っ張り、足で蹴り、一台ずつめいめいの方向に動かして回る。

 パトカーの動きと別に、梨乃やハマダに近付こうとしていた機動隊や警察官は、再びそれらの台車に行く手を阻まれた。

「前へ! 排除!」

 その時、号令と共に機動隊は隊列で一斉に動き、台車の群れへと飛び付いた。

 彼らは並んで右から左へと、一台ずつ順番に、手際よく台車を流して流し始める。

 その一台に梨乃はしがみついた。

 台車を流す動きはそこで止まるが、機動隊員はその台車に次々と集結する。

 梨乃の反対側にびっしりと集まり、更に金具でロープを付けて離れた所から引っ張る者も現れ、およそ十数人の機動隊員と梨乃の力比べとなった。

 目に見えて彼女の足は引きずられて行く。

 その足がピタリと止まった。

 隣の台車も動かなくなり、機動隊員の一人が視線を向けた時、梨乃の横となりで台車を握っているポニーテールの少女の姿があった。

 特攻服ではないサマーシャツ姿の彼女は、一見、凶蘭会にもラビリンスにも見えない。

 そして、彼女の更に隣で、ショートカットの中学生位の少女、背の高いロングヘアの少女が、両手両足で二台の台車を支えている。

 その台車の一台の上で、重りになっている髪の丸っこい少女。

『何だ貴様ら! 先岸の仲間か……凶蘭会か!?』

「――――ってことでもないんすよ……イデさん」

 スピーカーの声に答えたのは津衣菜の隣に立って、彼女の右を補う様に支えたミサキだった。

『松原! テメエにも聞きてえんだよ……そもそも何なんだよこの騒ぎ? そんで、何でテメエが先岸や濱田を助けてんだ!』

「今夜の、そして一年前からの……本物のフィナーレ(けじめ)っすよ」

 遠くから歓声の様な声が聞こえる。

 そして目の前のパトカーとは別の、スピーカー音や肉声での警告。

『止まれ。どこへ行く、動くな!』

「何だお前達、大人しく――わあっ!?」

「ミサキ! タイマンどうだった?」

「ミサキさん! うちらも来ました!」

「佐州女連・ラビリンスはミサキ総長に続け!」

「濱田さん! 動ける奴は濱田さん助けるぞ!」

「凶蘭会は警察上等! ヤクザ上等! 外人上等! ゾンビ上等!」

「先岸会長を支えろ!」

 警察の拘束を振り切った双方の少年少女――7割方レディースだったが――は、我先にと空いている台車に飛びついた。

 故意に台車でパトカーに体当たりしている者までいる。

 車がバックして台車の群れから離れたのと、機動隊の隊列が号令と共に、今度は楯を前面に押し出して来たのは同時だった。

 台車にしがみついた二十人近い少年少女とフロート数人でも、百人近い機動隊員の前に持ち堪えられる様には見えない。


『だから、お巡りさん相手に力比べなんて、時間経てば経つ程、埒明かなくなるんだってば』

「―――へ?」

 スピーカー越しの女性の声。

 それは少し離れた所に停まっていた現場指揮車から聞こえて来ていた。

 声のした場所に、その車が普段どんなものか覚えていたミサキや数人のレディースが、間抜けな声を上げる。

「うわあ……遥さん、いい場所取ってるね」

「いや……いい場所とかじゃなくて、何やってるの、あいつ……」

 花紀が羨ましそうな顔をしているが、指揮車を見た津衣菜はやはり間抜けな顔をするしかなかった。

 指揮車の上の指揮台に立った遥は、マイク片手に津衣菜達へ話しかけている。

 その後ろで曽根木が、指揮官らしき男性の腕を固めて拘束している。

『梨乃』

 遥は台車を握っていた梨乃へ視線を向けると、短く尋ねる。

零日(なしの)の蝉は、どこへ鳴く?』

 梨乃は少し振り向いて遥を一瞥すると、薄く笑った。

 津衣菜の見た事のない、だけど確かな、『なしの』の笑い方だった。

 彼女は台車から左手を離すと両腕を上げる。

 折れた右手も上げて、自分の両横に並んでいるフロートの少女達を包む様な姿勢を取り、再び台車に戻す。

 遥は頷いて言った。

『それなら、これはれっきとしたフロート案件だね――盟約により、私の同胞(・・・・)救出(・・)に協力してくれ――AAA(・・・)

 次の瞬間、トラックの陰から、樹木から、倉庫の屋根から、何条もの白い煙の筋が警察と彼女達のいる一帯を横切り、交差した。

「な……何だあっ!?」

 警官達も、族の少年少女達も驚いた声を上げるが、それに構わず煙は新たに増えて行く。

 警官の一人が叫ぶ。

「鼻と喉が痛い……塩辛い匂い……ガスだ!」

 その場にいる生者達が次々と咳き込み始めた。

「何だ!? 何の……ガスだ……?」

「分かりません! 催涙……塩素っぽい匂いも含んでて」

『死ぬ様なもんじゃないとは思うけど、私も保証出来ないからねえ。彼らがどんなガスを用意して、ここで使うかなんて』

「な、今度は何だあっ!」

 白煙の中、新たな悲鳴が、独特な空気音と共に上がった。

「何だ?」

「撃たれた! 銃じゃない……BB弾? いやゴム弾だ!」

『何だか分からないガス、何だか分からない銃撃、こんな時どうすればいいんだい? お巡りさん的には?』

「伏せろ! 身を低くして口を押さえろ! 出来るだけ状況収集を!」

『はい、良く出来ました』

「あの……あたしらも喉いてえんだけど……」

 ミサキが口元を押さえながら、非難する様な目で隣の津衣菜を睨む。

 津衣菜は指揮車に向かって声を張り上げる事はせず、手元のスマホで遥を呼び出す。

「はい、もしもし」

「ミサキが切れそうだ。ラビリンスの人達どうすんの」

「全員道作って逃がそうか。鼻水は止まらないけど、ここから出るぐらいなら出来る筈だよ」

「私達で道なんて作れる?」

「その辺は、AAA(かれら)が得意だから。任せとけばいい」

「……だって」

 スマホを指して津衣菜が言うと、ミサキは頷いた。

「ありがとう。でも、あたしはちょっと、こっちについてって良いかな?」

「え?」

「どの道、あたしは逃げる予定じゃなかったし、少し話し足りない事もあるからさ……」

 そう言いながら梨乃を一瞥すると、梨乃は車の中からハマダを出して肩で支えている所だった。

「それは多分構わないだろうけど……梨乃、そいつも?」

 津衣菜の問いに梨乃は頷いた。

 咳き込みながらも意識は普通になるハマダは、半ば呆然と梨乃を見ていた。

「梨乃さん……え……あたしを……助けに……なんで」

 途切れがちの声で尋ねるが、梨乃は無言のまま歩き出す。

 数歩進んだ時、彼女は立ち止った。

「梨乃さん……?」

「ハマダ」

 梨乃はふいに口を開き、かつて一番近しかった後輩の名を呼んだ。

 昔の梨乃の様でもあり今の梨乃の様でもある、空気の微妙な呼び方だった。

「どこにあるのあれはたいやきの中村屋の、それがあった中に新光町。あれがなくてなってたのは見たのは何度もなのに……」

 梨乃の言葉に、ハマダはぽかんとするが、すぐに咳き込んでしまう。

「どこにある、たいやきの中村の新光町。あれがなくてなってた」

 梨乃はハマダの咳が止んだ頃に、少し言い直して尋ね直した。

「梨乃さん、中村は春日山町っすよ」

 梨乃はハマダの顔を見返して、首を傾げる。

「それはだったのがそうか」

 痛みの中、また怪訝な顔をするが、ハマダは恐る恐る尋ねる。

「食いたいっすか? また買って来ましょうか……まだ開店時間じゃないけど、多分ちっと脅せば」

 梨乃は首を横に振った。

「梨乃さん、さっきからどうしたんすか……おい、てめえ、どうなってんだこれ」

 さっきからの梨乃の様子に、改めてハマダは尋ね、次に津衣菜を強く睨んで訊いた。

「私にも分からない。だけど、一つ言えるのは、これが私らの知っている、いつもの梨乃(・・・・・・)だって事」

「マジかよ……じゃあ、梨乃さんは……もうここへは」

「梨乃はなしの」

 ハマダの疑問に答える様に、梨乃は呟きながら彼女へ歩く事を促す。

「なしのは梨乃を忘れない、ハマダも忘れない、あの甘さと熱さも知っている。したいは食う、また後で」

 そう答えた後に彼女の後頭部を軽く拳で小突いた。

 その仕草で、ハマダの顔に安堵が浮かんだ。

「やっぱ梨乃さんだった……ならいいっす……良く分かんねえけど、あたしはもう、それで十分です」

 言葉の後に激しく咳き込み、ぼろぼろと涙をこぼす。

 感情もあるのだろうけど、ガスも少し強烈過ぎたのかもしれないと津衣菜は思った。

「大丈夫っすよ、また……買ってきますから」

 数分近く鼻をすすり続けていたハマダが、再び口を開いてそう言ったのは、彼女達が倉庫周辺の包囲網を脱出して、用意してあったワゴン車に乗り込んだ直後だった。


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