表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フローティア  作者: ゆらぎからす
9.零日の蝉
87/150

154日目(2)

 154日目(2)




「どうしたどうした? ほらあ、避けてみろよっ!」

 左手のナイフの次は、右手のナイフ。

 左手もスナップを利かせて、すぐに戻って来る。

 暗がりの中、黒い刃は殆ど見えなかった。

 僅かに白く光る刃先と、柄を握る梨乃の手だけを見て、攻撃を回避する。

 ナイフだけではない。かわした先で、身体の右に膝蹴り。

 右腕のギブスで受け止めるが、ハンマーで殴られたみたいな重い音が響き、津衣菜の全身が勝手に30センチ近く後退する。

 梨乃の攻撃をかわしながら、津衣菜は何度も体勢を直しては自分の装備を構え直す。

 以前、フロート狩り相手にも使った事のある、護身用のネットランチャーだった。

「何だ? それで私を捕まえようってか?」

 ナイフを避ける度にネットランチャーで狙い直す津衣菜に、梨乃は嘲る様に言った。

「ほらほらほら、よーく狙えよ? 一回きりだからな」

 ひゅっ

 痛みがなく――何の感触もなかったので、花紀の悲鳴を聞くまで、自分が切られた事に気付かなかった。

「ついにゃー!」

「ははっ、もう一丁行くぞ!」

 最初にネットランチャーを持つ左手の、手首の内側を深く肘裏まで切られた。

 次に、右胸の下の付近を横に一筋。

 シャツの布地が切り裂かれた下で、膨らみの下部に出来た切れ目が見て取れた。

 梨乃の言葉の後に、刃先は目の前で一閃する。

 右目の横のこめかみ、以前フロート狩りに石をぶつけられた辺りでガツッという音を聞き、そこを切られたと気付く。

 合計三か所の切れ目(・・・)からは、一滴も血が流れていなかった。

 梨乃もそれを見届けると、両手にナイフを握ったまま軽くステップを踏みながら、背後の闇へと姿を消す。

「やっぱりか……お前、ラビリンスとかじゃねえ。向伏のゾンビ共の一匹だろ」

 どこからともなく、梨乃の声だけが響く。

「私はお前なんて知らねえけど……ひょっとして、お前は私を知ってる奴か?」

「……」

 今襲って来た灰色の特攻服の女が『自分の知人』なのかどうか、津衣菜には判断出来なかった。

 いつもぼさぼさだったはずの髪型も、後ろ髪をアップにし、前髪もあちこちで留めている。

 津衣菜が沈黙していると、再び別の位置から声がする。

「あのさあ、お前、私からUSBメモリー預かった事なんかねえ?」

 梨乃は少しずつ移動している様だ。

 かんかんかん……

 がしゃんっ、ぎぎぎぎ、がつっ

 少し声の位置が高い。棚の上やロフトスペースにいるのかもしれない。

 足音、そして何かを壊している金属音も、断続的に聞こえて来る。

 津衣菜は顔や身体の向きはそのままで、耳だけ澄ませて梨乃の動きを追おうとする。

「また、だんまりかよ……つうか、何ビビってんだ?」

 頭上からの声は、唐突に質問して来た。

「パンピーがいきなり私みたいなのに絡まれりゃ、そりゃ怖いだろう。でも、てめーは、それにしたってビビり過ぎなんだよ」

 足音が消えた。しかし、声の位置や気配は動き続けている。

 さっきより声が近くなった様な気もする。

「あれだ。お前ってさ、強い奴や調子乗ってる奴には逆らわないで、その場その場しのいで来たタイプじゃねえ?」

 小馬鹿にした様な軽口と同時に、闇の奥から急速に接近する気配を感じていた。

 考えるより先に、近くに落ちていたスチールパレットを一枚拾い上げると、気配へ向けて振り上げる。

 『がきぃぃぃん!』という甲高い音と共に、左手が後方へ弾かれた。

 突然現れた梨乃は、1メートル近い特大の平バールを両手で構えていた。

 彼女は津衣菜めがけて、それをフルスイングで打ち込んで来たのだ。

 パレットでガードしていなかったら、本当に頭蓋を砕かれていたかもしれない。

「それでも逃げねえで戦うってんだから、訳分かんねんだよな……何でここにいるんだ? 教えろよ」

 ガキンッ! ガキンッ! ガキンッ!

 言いながらも木の枝でも振っているみたいな動きで、バールを振り回す梨乃。

 後ろへ押されながらも、パレットで彼女の攻撃を一打一打、弾き返す津衣菜は無言のままだった。


 梨乃の言う事はいちいち当たっていた。

 本当は自分の事も、今までの事も覚えているんじゃないかと思える程の正確さだと、津衣菜は思った。

 最初に彼女に襲われた時点で、この場を放棄してどこかへ逃げたくなっていた。

 フロート狩りとも、発現者とも、苗海町のフロートとも、怖さの質が根本的に違う。

 津衣菜にとって、梨乃の怖さは『教室の怖さ』の延長線上にあるものだった。

 そして、一人分でなら『あいつら』の誰とも桁違いだった。

 痛みなんてなくても、この死者の世界でも、それは変わらなかった――それは津衣菜の逃げて来た『生者の世界の理』と直結した恐怖だったのだから。


 だけど、津衣菜は今だけは(・・・・)退けなかった。


「その首はお前の死因か? 首吊りかよ?」

 何度目かの打ち合いの直後、梨乃の視線が津衣菜の首のギブスに注がれる。

 その時、津衣菜が初めて口を開いた。

「飛び降りだよ」

「おお、ちゃんと答えやがった」

 梨乃は驚いた声を上げ、しかし、今度は尖った釘抜き部分で津衣菜の顔面を狙って来た。

「ぐっ!?」

 さっきよりスピードと鋭さを増した一振りに、津衣菜は声を上げながらギリギリで防ぐ。

 その威力でパレットから赤い火花が散った。

「まあ、どこまで行ってもクソしかねえからな、この世界には」

 梨乃はそう言ったきり、津衣菜の予想していた『自殺の理由』への問いはなかった。

 彼女のその言葉には、津衣菜に対する奇妙な共感めいたものさえ感じられた。

「さっさと逃げちまうのも良いだろうよ。だけど、ここで私は、他人にクソを投げつけて笑う側さ。そうなる事を選んだ――そうなりたかった(・・・・・・・・)からだ」

 口調はさっきより穏やかでも、反対側から戻って来た釘抜きは津衣菜の首を狙っていた。

 パレットで受けず、後ろへ飛んで避ける。

 尻もちをついて座り込むが、急いで立ち上がり、更に一歩下がる。

 そこへ打ち降ろされたバールは、床板に深く刺さり、めきめき音を立てながら引き抜かれる。

 梨乃が空気の軋む気配に視線を向けると、眼前にパレット。

「うおっ!?」

 思わず叫びながら横に飛んだ梨乃の視界に、今度は白く広がる網が映った。

 ネットランチャーは梨乃本人ではなく、バールを握った手元に絡みついた。

「ぐ……!?」

 津衣菜は梨乃から一歩離れ、身体を横の暗がりへ向けて叫んだ。

「花紀、第二射頼む!」

「了解!」

「てめえ、こないだのチビ!? ……くそっ!」

 罵りながらも身構えた梨乃に、横合いから白い網が覆い被さる。

 網を被ってから、梨乃は構えたままの姿勢で、身じろぎもせずに立っていた。

 もがく程網が食い込むと分かってても、実際にこうして動かずにいられる者は少ない。

 警戒しつつも津衣菜は梨乃の前に立つ。

 姿勢を変えずに、梨乃は津衣菜にねめつける視線を向けながら訊いた。

「ふん、そんで、私をどうすんだよ」

「分からない」

「はあ?」

「あんた次第なんだけど……あんたにだって分からないよね」

 津衣菜の後ろで、花紀が鏡子達に電話している。

「あんたの言う通りだよ。私はあんたが怖かった」

「ああ!?」

「あんたは『あいつら』にそっくりで、『あいつら』よりも強くて邪悪だ。本当は逃げたかったよ」

 唐突に津衣菜がそう言い、梨乃が訝しげに聞き返した。

「でも、私が逃げたら……何もしなかったら、花紀があんたの相手をする事になる……だから、ここで戦うしかなかった」

 梨乃は無言で津衣菜を凝視し、続いて花紀を一瞥する。

 津衣菜に視線を戻すと、口元を吊り上げて笑いながら言った。

「そうか、あの『口先女』をこのチビが守ってて、このチビはお前が守ってるって訳か」

「ついにゃー、なしのんは……」

 背後から花紀が不安げに尋ねて来る。

 急に振り返る事は出来ないので、津衣菜は梨乃を向いたまま花紀に返事する。

「変化なし。近付くなら気を付けて」

「うん、ついにゃーもね」

「何でだよ?」

「何で……って?」

 花紀の声の直後に、正面の梨乃が唐突に口を開いた。

 問いの意味が分からず訊き返した津衣菜へ、薄笑いを浮かべた梨乃は、低い声で言った。

「誰かを守る? こんな死人だけの場所で、そんな行為に何の意味があるんだって訊いてんだよ」

「随分と詮索好きになったじゃない……それが地だったの」

「そりゃ自分以外の死にぞこないが、それも好き好んで自殺した様な奴が、何をしたがるのか興味も湧くだろうって」

 梨乃はそこまで言って、笑ったまましばらく黙り込む。

 喉の奥でクククと笑い、再び口を開いて言った。

「ま、死んだ奴があの世でやりたがる事なんて、一つしかねえよ」

 津衣菜、そしてその後ろの花紀の目を覗き込む様な目で、梨乃は言葉を続ける。

「生前のやり直しだ、そうだろう?」


「でも、またやり過ごすんでしょ。それが津衣菜の生き方だもの」

 背後から花紀の声が――花紀のような声が聞こえた。

 津衣菜は身体を震わせて、足ごと全身で振り返るが、後ろにいた花紀は少し驚いた顔できょとんと津衣菜を見ているだけだった。

「自分の足を引っ張るものを切り離せば、弱いものを、より目につくものを差し出せば、あなたもあっちにいられるんだよ」

 今度は、梨乃の立っている辺りから聞こえた。

「うるさい……」

「その子も犠牲にしちゃおう、そして、また立場の保証と安心をもらおうよ」

「うるさい……違う、違うっ……どうして、そんなこというの……忍はそんなこと」

津衣菜(・・・)!」

 目の前の花紀が(・・・・・・・)叫んでいた。その視線は津衣菜の背後を凝視している。

 津衣菜が身体の向きを戻した時、梨乃は目の前に迫って来ていた。

 上半身の姿勢を変えないまま作った隙間から、右手に取り出したナイフを握っていた。

 いくらナイフがあっても、その網を抜け出せるまで切るには時間がかかる。

 そのまま刺す気か。

 津衣菜はそのまま刺されてやるつもりだった。それと引き換えに、最悪、腕や手首の骨を折る事になると思っていた。

 その時、死角から梨乃の左手が前に出て来た。

 そこに、見覚えのあるペン状の物が握られていて、先端が津衣菜の腹へ押し当てられる。

 ばりばりという、酷い耳鳴りの様なノイズが響くと同時に、視界も霞み、床が勝手に眼前へ迫って来た。

 ナイフはフェイントだった。津衣菜も知識では知っていた。スタンガンの電圧はフロートにも有効で、生者以上に効き、動きを封じる事もあると。

 耳の奥にまだノイズが走っている。

 身体は硬直したままぴくぴくと震え、思うように動かないまま。

「津衣菜! 津衣菜!」

「かの……り……こな……いで……!」

 梨乃は余裕のある動きで、ぶつぶつと網をナイフで切っている。

 やがて完全にほどけた網が足元に落ちると、横たわった津衣菜に一歩近付き、その腰を思い切り踏みつけた。

「柄にもない事始めたばっかりに、このざまだ」

 行動と裏腹に、梨乃の口調は同情する様な優しげなものだった。

「今まで、こんな目にあった事なかったんだろ? 世渡り上手そうだもんな、お前」

 津衣菜を踏みつけながら、労わる様に語りかける。

 突然顔を上げ、横へ視線を走らせる。

「もっと近付けよ。お前じゃそんな距離で当てらんねえよ、お前下手過ぎんだよ」

 その先には、凍りついた表情で銃を構えた花紀の姿があった。

「なしのん……」

「前も思ったんだけどよ、何だよそのあだ名。いくら何でも私を舐め過ぎじゃ……」

「だって、なしのんがそう名乗ったんだよ……私は『なしの』って」

「知らねえっつうの、で、その距離で当てられんのかって」

「当たんなくていいもん! このままなしのんと会えないなんてやだもん!」

 花紀は銃口を下に向け、そのまま一歩ずつ梨乃へと歩み寄る。

「こんな事もうやめよ? そして、私達と一緒に帰ろう……梨乃(・・)も『やり直し』たかったんだよね」

 梨乃が花紀を見て、少し悲しげに微笑む。

 その表情はどこか、フロートの少女達が知っているかつての梨乃を思わせるものだった。

 だから花紀は油断した。

 梨乃の右手が一閃し、一瞬で花紀の銃の弾倉を押さえてしまっていた。

 そのまま捻り取って奪う。

「あっ……」

 次の瞬間には津衣菜から足を離さず、肘だけで花紀の顔面を打ち、背後へ突き倒す。

 倒れ込んだ花紀を冷たく見据えながら、梨乃は銃口を彼女へ向ける。

「何度死人が甦ったって、やり直せる訳なんてねえだろ……クソ溜め(この世界)は変わんねえんだから」

「なしのん……」

「ゾンビは頭を狙えばいい……んだっけか」

 その銃身が手で覆われる。

 次の瞬間、自分が花紀にした様に、梨乃は横合いから手首を曲げられ銃を奪われていた。

「何だよ、影薄過ぎだろこのリーマン……」

「神出鬼没は、フロートの基本スキルだよ。君も知ってた筈だけど」

 梨乃は毒づくが、彼女に銃口を向けながら曽根木は淡々と返す。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ