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フローティア  作者: ゆらぎからす
9.零日の蝉
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152日目

 152日目




 宇柄津二日目の夜。

 昨夜にハマダを尾行してチェックした倉庫は合計で4か所だった。

 それを、今度は津衣菜と千尋、そしてミサキの三人で再び忍び込んで回っていた。

 侵入し、中に凶蘭会構成員がいたらそれを倒し、フロートを救出する、その手順をそれぞれの倉庫で確認するのが目的だ。

 四つめの倉庫で確認を終えた後、ミサキがふいに言い出す。

「奴らの拠点も押さえないか?」

 言いながら彼女が視線を向けた先には、今夜も巡回に来たらしいハマダ達の姿があった。

「拠点?」

「絶対この近くにある筈だ……倉庫を攻撃した時に、すぐに機能する事務所か待機所みたいな場所が。倉庫を解放するならきっと知ってて損はない」

 彼女の言葉に従って、ハマダを尾行する。

 ミサキが電話すると、昨日のトラックとは違うワゴン車が来た。運転して来たのも昨日とは違う、黒髪のショートカットの女性だった。

 ショートカットは降りて、ミサキがそのまま運転した。

「あの子は昨夜遠征に行って、今夜は寝る予定なんだ。さすがに付き合わせたくない」

「あの人も、暴走族……『ラビリンス』だったんですか」

 そんなイメージのない大人しそうな女性だったので、津衣菜も思わず尋ねてしまう。

「まあ意外ですけどね、そんなイメージじゃないって言えば、梨乃さんだってそうでしたし……僕は驚かないっすよ」

 諦めた様な声で言ったのは千尋だった。

 ハマダ達の紫の改造車は駅前のマンションの駐車場に入った。

 車を降りてマンション内に入って行くハマダ達を追うが、玄関のセキュリティで足止めされる。

「参ったな……『ラビリンス』に家宅侵入のスキルはねえんだ」

 困った様にそんな事を呟くミサキだったが、向伏のフロートにはどちらかと言えば得意分野だった。

 津衣菜と千尋の二人だけで、裏の配管から三階までよじ登り、マンション廊下への潜入に成功する。

 エレベーター音と頭上の足音で、ハマダ達が五階で降りた事を察知し、階段から登って確認した。

「すごいな……それで、どうだった?」

 半ば感心しながら尋ねたミサキに、津衣菜は少し迷いながら答えた。

「それが……奴の自宅だったみたいです。表札に『濱田』ってあって、他の人が住んでる気配もあった、多分あいつの家族」

「そっか……でも……他の連中も一緒に入って行っただろ?」

「あっ」

 ミサキの指摘に津衣菜と千尋も声を上げる。

「じゃあ、家ってのは嘘で、本当は事務所に使ってるって事ですか」

「どうかな……つうか、家がそのまま奴らのたまり場になってるって事も」

「でも、あの人総長っすよね? 家がたまり場にされるとか、ああいう連中の中でも下っ端、パシリとかじゃないんですか? そういう地位の人でもそんな事あるんすか」

「梨乃から見たらハマダだって、サンドバッグ待遇のパシリさ……前からそうだったんだ」

 千尋の問いに、ミサキはそう即答した。

「でも、倉庫のフロートの管理とあまり関係なさそうだな……あ、出て来た」

 特攻服を着替える事もなく、ハマダとその部下は車に再び乗り込んだ。

 そのまま車で追跡する事数分、車は市街地の外れの国道沿いで、看板のない空き店舗の駐車場に入り込んだ。

 その駐車場には何台かバイクが先に停まっていた。

 百メートル以上先で国道の路肩に停めたワゴン車から、それを見て津衣菜と千尋、ミサキは頷き合う。

 ここはフロートを監禁している倉庫のいずれとも、道路の通りが良い。そして、凶蘭会が溜まり場に使っている所なのは間違いない様子だった。


「さっきから気付いてたんだよ、バアーカ! 何尾行つけて来てんだこの野郎」


 津衣菜達が棚さえない殺風景な店舗スペースに入り込んだ瞬間、四方からスポットライトを注がれた。

「あ、てめえ、ミサキ……またうちらの周りちょろちょろしやがって」

 憎々しげなハマダの声がライトの一つの横から聞こえる。

 逆光でシルエットは見えるが表情はよく分からない。

「そいつらは新しい兵隊かよ、ラビリンスか凶蘭上等の……」

 ミサキの詰問する声。どうもライトに照らされた津衣菜と千尋をフロートとは気付いてない様だった。

 答える代わりにミサキは素早く踏み出していた。

 ハマダのいる場所とは反対の暗い中、複数の気配が息づいていた辺りへ。

「ぎゃっ」

 短い悲鳴と、たたたっとリズミカルに響く拳の音。

「え――わあっ!?」

 また別の方向から、悲鳴と言うより驚愕の声。

 声が終わるより先に、闇の中、千尋が特攻服の女の一人へ回し蹴りを決めている。

 怒りで顔を引きつらせるハマダへ、津衣菜は声もなく向かって行った。

「どこだよてめえ! パンピーの年下にまで舐められてらんねんだよ!」

 体格も迫力も違うが――この特攻服のレディースは多分自分と同い年だ――梨乃とも。

 頭の隅でそんな事を思った次の瞬間、津衣菜の意識は飛んでいた。




「てめえ……人間じゃねえ……あの、ゾンビの仲間かよ!」


 そうだよ。


「もういい! もうやめろ!」


 何を?


「押さえろって!」


 わたし、押さえたよ。

 自分を限界まで抑えたよ。

 いろいろなことを我慢したよ。


 いっぱい、ずっと、我慢したんだよ。

 自分が痛くても我慢したし

 あの子が泣いてても我慢したし

 先生やお母さんがあっち向いてても我慢したよ


 じゃんけんぽん、あっちむいてほい、ほい、ほい、あっちむいてほい


 終わりなんて来ないのに、待ったんだよ。

 終わりなんて来ないのに、ずっとずっと来ないのに



 そして、終わらせたんだよ。



 衝撃が彼女の正気を取り戻した。

 視界の端に映ったのは目の前の光景に驚愕している千尋の表情。

 そして、宙を舞っている津衣菜からも、鋭い視線を外さないでいるミサキ。その手は彼女を張り飛ばした時のままの位置にあった。

 次に、顔を真っ赤に腫れ上がらせて、柱の下で横たわっているハマダ。

 ああ、またやっちゃったかと思う間もなく、津衣菜は床を転がっていた。




「すみません……」

「いいよ。喧嘩でリミッター外れちまう奴なんて、それ程珍しくはない」

 他の兵隊たちを手早く片付けた千尋とミサキが見たものは、動かなくなったハマダの上に馬乗りになって、哄笑を上げながら何度も拳を振り降ろしている津衣菜の姿だった。

「何、やべえよあれ……殺しちまうじゃねえか!」

 凍りついた声と共に、津衣菜を止めようとミサキは彼女に近付くが、制止する声が届く様子はなかった。

 言葉が届かないと判断するやいなや、ミサキは躊躇なく体重を乗せた手で津衣菜を張り飛ばしていた。

「目がこう金色に光って……フロートって、キレるとあんな風になんのかい」

「いえ……普通のフロートは目が赤くはなるみたいなんですが、私のこれはよく分からないみたいで」

「普通のフロートって言葉もじわるけど。あと、もう敬語いいよ、やめてほしい」

「え? でも……ミサキさん」

「確かにあんたより1コくらい上かもしれないけど、あんた、梨乃とだって呼び捨てタメ口だったんだろ。死んだ時の年齢ならあんたと同じでも、あいつだってあたしとタメなんだから」

 ハマダと他の凶蘭会構成員達は、ガムテープで縛りつけて、どこかに当分監禁する事にしたとミサキは語った。

「さりげなく怖い事普通に言うっすね」

「明日には信登連合が反凶蘭で決起するって、さっき報せが入った。ラビリンス以上の大手有名チームだよ。決まりだ、明日、一斉に動く。こうなったらこいつらには、明日までは(・・・・・)行方不明になっててもらわないと困る」

 そう言ってミサキは笑った後、津衣菜にふいに尋ねた。

「あんた、ひょっとしてハマダが怖かったのかい?」

 津衣菜は少し目を見開いてミサキを凝視した。

 千尋もミサキの不意の問いに、少し驚いた顔を浮かべて津衣菜を見る。

「喧嘩でリミッターが外れるって、つまりそう言う事だろ」

「いえ……いや、怖かったんだと思う」

 津衣菜は否定しかけるが、答えを直して、ミサキの問いに肯定で返し、更に一言言った。

「そして、私は梨乃と会うのも本当は怖いんだ」

「えっ?」

 千尋が津衣菜の告白に驚いた声を上げる。

「それは自分の知ってたあいつと違うあいつかもしれないからって事かい」

「それもあるけど、私が怖がっているのはそんな事じゃない、もっと下らない事だよ」

「じゃあ、いったいどういう事なんすか」

「私にとって、凶蘭会もラビリンスも、ただの下っ端でも怖い、次元の違う連中なんだ……そこの奴らも、今の梨乃も、そしてあなた達も」

「――あたしも?」

「下らないってのは分かっている。私はフロートになってから、フロート狩りや、全身が腐って人を襲う発現者と戦った事もある――だけど、そんな問題じゃない」

 ミサキは勿論、千尋も理解出来ないと言う風に目を丸くして彼女を凝視している。

 津衣菜はその先を言うのに躊躇するが、黙りたくなる欲求をこらえて言葉を絞り出した。

「梨乃やこのハマダって奴や、あなたやあなたの仲間と比べて、普通の高校で群れてちょっと調子に乗ってるだけの連中がどの程度のものだと思う? 私はそいつらにも逆らえないで、友達を売り飛ばし、生きて行く限りそいつらの支配する力関係(ヒエラルキー)の中にしかいられなかった様な奴なんだ」

「そういうのとあたしらとは、また違うだろう。あたしにだって、そう言う人間関係みたいなのはしんどくて怖いと思う事あるよ……ちょっと待って」

 ミサキは言葉を切って何事かを考え込む。

 そして顔を上げて、少し不安そうな声で津衣菜に尋ねた。

「あんた、自殺って聞いてたけど、ひょっとしていじめられてたのかい? それで追い詰められて……そんな風にも見えないけど」

「違うよ、いじめられていた方じゃない。いじめていた方だよ……味方になるって約束も守れないでね」

「それで自殺?」

「あなたには分からないと思う」

「僕にも分からないっす」

「だろうね」

 ミサキと一緒に頷いた千尋を見て短く返すと、津衣菜は少し考えて、ミサキへ視線を向けた。

「自殺したのは、気付いたからだよ――この世界で、私は変われない。あいつらも変わらない。生きてる限り、これはどこまでも続くんだって」

「やっぱり分かんない、根性あんのか全くねえのか分かんねえ話だな、だって、そんなんで死ぬ位なら立ち――」

「立ち向かって、どうすんの?」

「え?」

 遮る様に津衣菜はミサキへ聞き返した。

 単に強いとか、怖いとかだけではなく、津衣菜にとってミサキは眩しくもあった。

 津衣菜の乗り越えられなかった絶望も、ミサキにとっては何て事ないものだったかもしれない、そんな事も分かっていた。

 死者と生者の会話という感じがするなと、内心思っていた。

 津衣菜の場合、同じ眩しさを、同じ死者に感じる事もあったが。

「ずっとどこかからタゲられる生活が死ぬまで続くだけだよ。勿論、このままでも、死ぬまで怯えて自分の立ち位置を守り続けるだけなんだけどね。そこから抜け出せるなんてのは、凄く強い人間か、凄く恵まれた人間だけなんだよ」

「んだよそれ、あたしがそのどっちかだって言いてえのか」

「そうだよ……ムカつく前に考えてよ、それで違うかどうか」

「合ってんのかもしんねえけど、何か……むなしいな」

「そう――空しい話だよ」

 

「――それで」

 そこまで聞いたミサキが、穏やかにしていた目つきを突然鋭くした。

 鋭いのは目だけじゃなく、その気配も喧嘩の時の様に、圧迫感のあるものに変わっていた。

 その変化で津衣菜も思わず気圧される。

「死者になって、死者の世界でも、あんたのそれは変わらないのか」

 ミサキの問いに、千尋も打たれた様に津衣菜の反応へ注意を向けた。

 津衣菜はすぐに口を開いて、即答する。

「分からない」

「何でだよ? 死ぬまで変わらないんだったら、死後の世界でも変わらない筈だろう?」

「ここでなら違う事が出来るとか、やり直せるとか、感じたんじゃないっすか?」

 ミサキの問いに被せて言ったのは千尋だった。

 津衣菜が視線を移すと、千尋は一言付け加えた。

「梨乃さんの様に」

「梨乃――」

 千尋の言葉に激しく反応したのはミサキの方だった。感電したみたいな顔で、千尋を凝視している。

 津衣菜も、呆然とした顔で千尋を見る。

「梨乃も私も、ここで違う事をしようとして、やり直したがっていたって……?」

「僕から見たらそうっすよ、だから、梨乃さんと先輩は、その辺が似てると思ってたっす。悪い事だと思ってないっすよ。ただ、そうならそうと、素直にはっきり認めてほしいだけっす」

「深いねえ……あんたら、そう、あんたら、やっぱあたしらと違うわ。あたしらは、そこまでなれない。あいつら腐った事してやがる、でも強い、でもシメなくちゃ……基本、それだけだったからね。そして、これからも」

 ミサキはそう一言いってから、深く息を吐いた。

 これは、千尋にも津衣菜にも出来ないリアクションだった。

「あんたらとなら、本当にあの先岸梨乃も違う人間に――いや、フロート(・・・・)になれるのかもしれないって、たった今だけど思ったよ」

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