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フローティア  作者: ゆらぎからす
9.零日の蝉
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147日目(3)

 147日目(3)




 黒ゴス女はゴム銃を下ろすと、まだ顔を押さえてのたうち回っている男に近付き、レースのついた日傘の先端を強く顔に押し付けながら言った。

「せっかくですから、色々とお話しして貰おうかしら……いつから、誰に言われてここに来ているのかとか、いつまで、何のためにいるつもりなのかとか」

 やがて、他のフロート狩りの連中を追い立てていたグループが、彼女の所まで戻って来る。

 こちらは一人も捕まえては来なかった様だ。

 彼らはゴス女からもさっき電話で、一人押さえたから後は追い払うだけで良いと言われていた。

 ゴス女に日傘でつつかれながら、男は少しずつ尋問に答え始める。

 彼らに織子山でフロートを探して狩るよう言って来たのは、アーマゲドンクラブの総本部からの指導スタッフだったと言う。

 そして、呆れた事に、この男他数人のフロート狩りは、今まさに梨乃と凶蘭会が暴れている北陸エリアから来ていたと分かった。

「かつてない位に生者に迷惑かけてるフロートが自分の地元にいるのに、何やってるのかしら」

「予想通りだったけど、アーマゲドンクラブは北陸甲信越でも、凶蘭会には完全無視を決め込むつもりだねえ」

「ネットでも早速ネタにされてますよ。早速AAまで作られてる」

 ゴス女の呟きに、ガスマスクを外した彼女の仲間達がのんびりと答えた。

 若い男の子が津衣菜にも見せてくれたスマホの画面には、掲示版に並ぶアーマゲドンクラブを嘲笑する書き込みの列、『アーマゲドンクラブさん、凶蘭会の先岸さんは狩らないんですか?』『ゾンビを無慈悲に殲滅するんじゃなかったの?』『生者と死者の最終戦争(リアル犯罪集団からは逃げる)』『会長“アーマゲドンクラブは現役のゾンビ狩り団体じゃないから(震え声)”』

 次に、『ゾンビを根絶やしにしろ』『変異体は人類の敵だ』『これは最終戦争だ』と口々に喚きながら、北陸の凶蘭会――『凶蘭の先岸さんが文字通り地獄から帰って来たぜ』とか言って車を燃やしている集団――に背中を向けて近隣の地域に逃げ散り、そこの弱そうなフロートを襲っているアーマゲドンクラブのメンバーの姿が、記号を使って描かれていた。

「ふうん、総本部からはっきりと指示されている訳ね……凶蘭会とは揉めるなって」

 フロート狩りの男は、ゴス女の質問に無言で頷く。

「じゃあ、それ以外の所からは直接来ていないのかしら。たとえば対策部や、政府のお偉いさんとかからは」

 男は首を横に振る。ゴス女が「もういい」と言うと、男は全身を粘着テープで縛られた後、顔に簡単な手当てを施され、そのまま数人に囲まれて連れて行かれた。

「じゃあ行きましょうか。捕まった彼は不運だけど、向伏のフロート達みたいにあっさりしたコースじゃないの、『AAA』(わたしたち)の尋問は」

 ゴス女も津衣菜に声をかけてから、彼らの後に続いた。

 津衣菜は急な移動に少し慌てつつも、彼らについて歩く。

「あんたら、一体……」

 津衣菜が声をかけると、ゴス女は小首を傾げて彼女を見返す。

「あら、私達に興味が?」

「生者……だよな?」

「全部が全部って訳じゃないけど、私達の殆どは生きてる人間ね。AAAにフロートはあまりいないわ」

「どうして、ただの生者がフロートを助けてフロート狩りと戦う? どうしてこんなことに関わっているんだ」

「“ただの生者”ね……あなたは何か特別な存在なのかしら。“ただの死者”じゃないの?」

 ゴス女に聞き返され、津衣菜は怪訝な顔で彼女を見る。

 言われている意味が少し分からない。

「『死体が動き回る』なんて訳の分からない事態に巻き込まれて、その中で乗り切って行かなくちゃいけない『ただの人間』、私とあなたにその点で違いなんてないわ」

「だけど、あんたは死者じゃなくて生者だ……そこに『違いがない』なんて」

「そうね、本当は色々な違いだってあるでしょう。現に、だからこそ『AAA』は生者の活動なのだし。だけど、そこは、あなたの知りたい事とはあまり関係ないんじゃないかしら」

 日傘を弄びながら、その先端を津衣菜の目の前に差して、ゴス女は彼女の目を覗き込んだ。

「ただの生者だから、無関心だったり、あるいはフロート狩りや対策部と同じ考えだったりする筈だと思ったら大間違いよ」

「じゃあ、どういう考え方なんだ。フロートも生者も平等です、差別はいけませんとか」

「私達がそういう、ただのお題目や綺麗事で動く聖人の皆様にでも見える? 生者(わたしたち)なりの利害で考えたのよ、ああいうの(・・・・・)をそのままにして置けないと」

 津衣菜の視界からゴス女の縁の濃い目線と日傘が消えた。

 歩きながら身体の向きを変えると、彼女はスマホに目を落としてぶつぶつと呟いていた。

「あら、もうお着きね……お早いものだわ。津衣菜ちゃんが心配ってのもあったのかしら」

 気付いた様に顔を上げて、傍らの津衣菜に再び話しかける。

「ああ、私達がここに来たのは勿論別用よ。あなたと彼らの動きをキャッチしたのは偶然。基本的に『AAA』は東北や北陸とかの状況にタッチしていないの。東京とその西でもう手一杯なのよ」

「東京……向こうにも、フロートやフロート狩りはいるのか」

「東京もややこしいけど、神奈川県から西の太平洋岸は……ここと比べたらもう地獄よ」

 そう言ってゴス女は少し眉根を寄せた。

 あえて疲れや嫌気を出さない様にしようとしたらしいが、笑顔になれる話でもない様だった。

「遥には、あの有様を自分の目で見て、自分のシナリオを少し考え直してほしいわ」

「……シナリオ?」

 津衣菜の尋ねる声に、ゴス女は説明を与える気はない様だった。黒い唇に苦笑を浮かべたまま黙って、前を見つめている。

 やがて、一団は津衣菜の目指していたダムの近くに到着した。

 水門前の道路に、少し見覚えのある車が停まっていた。

 彼らが近付くと、車から降りて来たのは曽根木と、千尋と雪子だった。

 曽根木と千尋は二人がかりでゆっくり雪子の車椅子をセットしてから、彼らに近付いて来る。

「あらあら、私が来ると聞いての人選かしら。懐かしい顔ぶれね」

 ゴス女は3人を見て呟くと、まず曽根木へ声をかけた。

「お久しぶり。元気してました?」

「フロート相手にその挨拶は……って、わざとだろうけどね、君の場合」

「知り合いなんですか?」

 曽根木の様子を見て、津衣菜も驚いて尋ねる。

「昔ちょっとね」

「えー、少し説明薄くないですか? 一緒に対策部のブラック収容所潰しに行った仲じゃないですか。あの時、フロートの女の子も助け出したでしょ、何だっけ、当時有名だった何とかって宗教の……あの子も元気してます?」

「まあ、発現もせず、狩られもせず、保ち続けて(・・・・・)はいるよ」

「ふふっ奥ゆかしいですよね、フロート流のその近況報告。私は結構好きですよ――あなたも久しぶり――あれからちゃんと鉄橋へ行ったのね」

 次にゴス女はそう言って雪子へ挨拶し、千尋も彼女と雪子を見比べて驚いた顔をしていた。

 雪子は無言のままじっとゴス女を見ている。いつもの事だが、感情はあまり読み取れない。

 ゴス女の視線が千尋へ向く。さすがに千尋と彼女とは面識がない様だ。

「な、何すか……?」

「――支え合える場所も見つけたのね。相互依存って素敵だわ、あの時よりも私好みの可愛さになった」

「え? え……?」

 ゴス女は千尋を見ながらそう言ったので、千尋が慌てて眼を泳がせながら聞き返す。

「え、あ……雪子にか」

 千尋の視線が、呆れた様な顔で彼女を見ている雪子を捉えると、すぐに察して頷く。

 その様子を見て、ゴス女は深い微笑を雪子に向けた。

「君の趣味も理解はしているが、そろそろ本題に入ろうか」

「ああ、そうですね……こちらの封筒がお話しましたファイルで、こちらのケースに3種類のサンプルが入っています。サンプルとして提供出来るのはこれだけとなります」

 ゴス女は、仲間からA4サイズの灰色の封筒と、20センチほどの指紋認証式の金庫ケースを受け取ると、そのまま曽根木へと渡した。

「以降の連絡、お問い合わせは、ファイルに明記されている担当二名へお願いします」

「分かった。AAAとしても、これ以上は関知しないんだな」

「我々も、その部局提携の法人研究センターについては十分な情報がなく、信頼度も量りかねています……ただ、『計画β』(プラン・ベータ)ラインから距離のある研究機関だというのは確かです」

「曽根木さん、これってもしかして」

「うん、これからの薬剤のつて……の一つって事さ」

「このAAAって、生者のどういう連中なんですか? 過激派とかテロリストとかなんですか?」

「うーん、そう言っても間違ってない様な」

「それは酷い。真っ当な市民団体ですよ、こう見えても」

 ゴス女が曽根木の発言に口を尖らせて反駁するが、平坦な顔で曽根木は続ける。

「表に出ている範囲ではだろう。裏とは言え国の施設に塩素ガス撒いたり、アーマゲ会長のマンション荒らしてパソコンごと盗み出す様なのを、真っ当な市民団体とは言わない」

「うう……遥だってあなただって一緒にやったじゃないですか」

「僕らは、フロートだからね。生者の君らが生者の社会の中でやるのとは、少し意味合いが違うだろ」

「曽根木さん、『遥のシナリオ』って何だか知ってますか?」

 ゴス女と曽根木の会話に割り込んで津衣菜は尋ねた。

「あら、また気になってたのね? ひょっとして、遥からヒントを聞いてたのかしら」

「だと思うね……この子は、多分かなり似ている」

「私もそう思うわ。教えても大丈夫かしら」

「ぶっちゃけ、そんなに勿体ぶる話でもないだろう。実現出来るかどうか別として」

「あの子はね、全国のフロートを山陰地方の、高速増殖炉を中心とした東西百キロの『高度汚染生活不能域』に集めて、フロートだけの自治区……あるいは独立国を作ろうとしているのよ」

「え……ええええええええええええっ!?」

 素っ頓狂な悲鳴を上げたのは、津衣菜ではなく千尋だった。

「いや、無理でしょ……」

 何となくそう言う感じの話だろうと、今までの遥の言葉や、彼女についての他のフロートの言葉から、津衣菜は予想が出来ていた。

 しかし、はっきりと聞いてしまうと、敢えて一言そう言わずにはいられなかった。

「私もそう思うわ。でもね、こうも思うの……」

「彼女に無理だと納得させる証拠を用意するよりは、一旦話に乗ってあとから『やっぱり無理だったね』と言う方が簡単そうだな」

 ゴス女の言葉に曽根木がそう被せると、彼女は喜色を浮かべて少し跳ねた声を上げる。

「そうそれ! やっぱり気が合いますよね、私達!」

「いや、君と気が合うと思った事はないんだけど」

「えー」

 曽根木のつれない返事に不満げなゴス女をよそに、津衣菜は再び疑問の声を呟く。

「何で遥はそんな事を……」

「そうっすよ、本当にあの遥さんがそんな事言ってたんすか!? いや、ちょちょっと……ブッ飛び過ぎじゃないかなって」

「いや、僕だって遥の考えなんて知らないよ。だけど……」

 曽根木は言葉を切って、少し考え込む様な仕草で続ける。

「前も言っただろう? 多分近いうち、この国で生者の世界と死者の世界は逆転するだろうって……そこで僕らには、必要な未来があるって」

 彼自身が、自分の言葉の意味を確かめている様だった。


「――あと、これ(・・)はどうします?」

「ん、いらないよ」

「デスヨネー」

 別れ際、縛り付けたフロート狩りの男を指してゴス女は曽根木に尋ねる。曽根木は即答した。

「んじゃ、適当に処理しときます」

「殺すのか?」

 津衣菜の質問に、縛られた男が塞がれた口から言葉にならない悲鳴を上げる。

「まさか。めいっぱい料理して、面白いことにしちゃうけどね」

「向伏に近付く気が無くなる様な……とは行かないか」

 曽根木の質問にはゴス女も首を横に振った。

「それは当分無理そうね。『誰をどうした』って個人レベルの対処では、どうしてもそうは行かないでしょう」

「そういうのは、組織ごとのダメージでないと……か」

「凶蘭会も、きっとそう。その梨乃って子をどうにかしようとするだけでは、その子に近付けもしない……同時に組織にダメージを与えないと、その子を裸に出来ないと思うわ」

「ほう」

「私には分かる。組織――その子に恐れ従う子達とその子との間に、私は少し惹かれてしまう。歪な相互依存の匂いがそこに流れているから」

 ゴス女が少し遠くを見る様な目でそう呟くと、曽根木も珍しく素直に頷いた。

「その件でも、少し前に面白い子に出会ったの。出会ったと言うのは変ね、向こうはわざわざ調べ上げて、私に会いに来たんだから……」

「面白い……? 会いに来た……?」

 津衣菜は曽根木を見るが、この話は彼にも心当たりはない様だった。

 津衣菜と千尋と曽根木で顔を見合わせていると、ゴス女は満足げに笑いながら言う。

「きっと、もうすぐあなた達の元にも辿り着くと思うわ」






「俺らを……助けてくれたのか……一体、なんで」

 廃工場の中、並べられた二つのソファーに、一人ずつ横たえられた凶蘭会のチンピラ。

 目を覚ましたスキンヘッドの男の質問に、彼の包帯を替えていた日香里が答える。

「ただではありません。知っている事を全て話して下さい」

「そ……そうだよな……何を聞く気だよ」

「まず、梨乃さんについて……あの人はどうしているのですか、ここへ何をしに来たのですか」

「梨乃さん……先岸梨乃は……狂ってる、でも誰も逆らえはしねえ……どうしてあいつがあそこまで強くて、そして最悪なのか、誰も知らねえ」

「ゾンビになって帰って来たあいつは、もっと邪悪になってた様だった――自分を殺した奴らへの憎悪が足されて……人間らしさを差し引いたみたいで」

 二人の男は梨乃について、最初は口に出すのも躊躇う程だったが、慣れて来るとさん付けから呼び捨てに変わって来た。

 彼らの彼女への感情は恐怖のみで、そこに尊敬と呼べるものは一片もない――恐怖そのものが尊敬の代替になっていたのかもしれない。

「凶蘭会の頭以外での奴の事なんて、本当は何も知らねえ……だけど、本当は凄え頭のいい県立高校に入っていたって話は知っている。全く行ってねえみたいだったけどよ」

 話を聞いていた日香里は美也や高地とも頷き合う。

 ここへ最初に現れた時、梨乃の所持品に県立高校の学生証があったのは、知られている。そこにあった名前の読みを聞いたら、彼女は『なしの』と答えたのだ。

「そして……良く分からねえけど、施設にいたって話も」

「施設?」

「虐待に遭って児童相談所に引き取られた子供や、親がヤク中だったり精神病で強制入院してたり、あと親が刑務所に行った加害者児童なんかが入ってた施設だって……」

 梨乃が向伏に来た理由について、まず話に聞いていた通り、USBメモリーを探しに来たというのが第一だったらしい。

 凶蘭会の違法なビジネスに関する様々なデータや帳簿、数千万相当のデジタルマネー、顧客リストなどが収納されていたという。

「あと……脅迫用の動画だ。男も女も、大人もガキもある」

 スキンヘッドの男がそう言って言葉を濁した。

「それだけじゃねえんだろう?」

 高地がすり潰した様な声で、男に尋ねる。

「い、いや……俺らだって細かくは知らねえんだ……それ以外にも、重要なデータがあるかもしれねえけど」

「そうじゃねえ。奴の目的だよ……ここで何をしようとしていたか」

「う……」

「唸ってたって逃げらんねえよ、それとも、警察行って喋るか?」

「ここのゾンビを捕まえて……山陰地方の放射能汚染区域で働かせるって、新ビジネスだって」

「そんなっ――」

 美也が口元を両手を覆って叫んだ。

 内容よりも、彼女の知る梨乃がそんな事を考えていたと言うのがショックだったのだろう。

「これはガチだろうな……俺知ってるんだ」

 スキンヘッドの隣に寝ていた、金髪を短く立たせた少年が小声で呟く。

 少年の呟きに、高地は注意を向ける。

「知ってるって、何をだよ?」

「新潟でも富山でも、宇柄津市でも、凶蘭会はゾンビを見つけて捕まえ、買収済みの冷凍倉庫に放り込んであるんだ――多分何十体も……俺が見せてもらった所でも部屋の隅に袋詰めで七体積んであった」

 少年の告白には、隣のスキンヘッドの男も驚愕の表情を浮かべていた。

「地元でそれだけ準備してるんじゃ、計画の方は本物だろうな」

 高地も短くそう言って頷く。

「だけど、どうして梨乃さんが!」

 泣きそうな顔で美也が高地や日香里、少し離れて立っている北部地区のフロート達へ訴える。

 その様子を、横たわっている凶蘭会の男達が信じられなさそうな顔で見つめていた。


「これで知っている事は全部だけど……本当に逃がしてくれんのかい」

「はい。こちらでも手当はしましたけど、あくまでも応急的なものです。生きているあなた達はきちんと病院に行って診てもらって下さい……地元の病院に行きますか?」

「いや、地元にはもう戻らねえ……このまま帰っても、俺らは多分殺される」

 二人の不良は日香里の問いにそう言って被りを振った。

「このまま奴らの追って来れねえ位遠くまで逃げるぜ……なあ、最後に一ついいか?」

「何ですか?」

「未だに想像も出来ねえんだけど、ここでの奴って、嘘でも何でもなく、そんなに良い奴だったのか? 俺らの話を聞いてあんな顔しちまう位に」

「そうですね……みんなが彼女の事を好きでした。あんな風に他人を思いやれる人はフロートの中でも他にいなかったと思います」

「そうかよ……じゃあ、何でああなっちまったんだろうな……いや……どっちが、元々の奴だったんだろうな」

 誰にともなくそう尋ねて、答えを諦める様に男は被りを振った。






 南向伏にある総合病院の集中治療室。

 それは、多くの医師と看護師、そして警察関係者と対策部関係者の目前で起きた。

 ついさっき、ここに収容されていた患者の一人の死亡が確認された。

 顔面の裂傷と複雑骨折、腹部の貫通創、そして一酸化炭素中毒で数日間意識不明となっていた三十代男性。

 男性は、心停止後に死体のままで意識も取り戻し活動を開始する、いわゆる『第二種変異体』を『ゾンビ』と呼んで、活動停止に追い込むまで損壊すると言う、脱法ゲーム『ゾンビ狩り』の参加者だった。

 ターゲットにしていた変異体に逆襲され、この重傷を負ったと言う。

 また、彼を襲った変異体が、一年前に行方不明となり最近姿を見せた、北陸の少年犯罪集団『凶蘭会』の先岸梨乃らしいという事でも警察の注目を受けていた。

 死亡確認のおよそ二百秒後、彼の遺体は激しく痙攣した。

「な―――何だっ!?」

 彼に繋がれた心電図は全て停止表示のままだった。いや、脳波計の一部が滅茶苦茶に動いている。

 痙攣が止み、その脳波計も再び平坦になったかと思った直後、その上半身が大きく跳ね上がった。

「あ……あ……あああ……ああああああああああ、ああああ、ああああああ……」

 何かを言おうとしているのか言ないのか、その口から断続的に湧き上がる音声。

 ああああと喚きながら起こした上半身を、がたがたと揺らしている男。

 その異変に比較的柔軟に動けたのは、やはり多少そういうものを見慣れた対策部の職員だった。

 だが、彼らにしても目の前の光景は、ある意味で前代未聞だった。

 上司に報告するその声は、やたらと震えている。

「高槻室長! 聞こえますか……そうです! 第二種兆候です、ええっ、そうなんです――『フロート狩り』が――フロート化しましたあっ!」



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