147日目(1)
147日目(1)
向伏市中心の南を流れている新川。
川沿いに県庁裏、南北に伸びる線路と新幹線の高架を横切ると、西口のノワールショッピングセンターが、更にその奥には西高校も遠く見える。
その辺りの遊歩道を、真夜中、二人組の若い女性のフロートが影に潜みながら移動していた。
この新川沿いは長い間、彼女達二十代のフロート達のエリアだった。
彼女達を、少し遠くの堤防から見下ろす複数の影があった。
高地っぽくもあったが彼とは全く違う、Tシャツから覗く腕と首が刺青だらけの太った男。
龍の刺繍が入ったダブダブの服を着た金髪の女。ジャージを着たショートヘアの女。
ブランド物の黒いシャツを来たオールバックの男。スキンヘッドの男。
暗くて見えないが、似た様な感じの男女があと2,3人後ろにいる。
彼らはいずれも、生きた人間で、未成年者だった。
そして、彼らの先頭に梨乃が立っている。
ここを出た時と同じツナギの上下に、ぼさぼさっぽい髪。
しかし、蘭の花の髪留めで少し上がった前髪から覗く目つきは、ここを出た時とは全く違っていた。
梨乃達が、夜の向伏市駅前に着いてまず始めた事は、目立たない様に――地元の不良とも警察とも揉め事を起こさない様に――雑踏をしばらく観察する事だった。
どれが生者でどれが死者か、明るめの照明の中では一目瞭然だった。
駅近くの雑踏でこの二人を見つけ、ここまで気付かれずに尾行して来た。
モスバーガーの先にある用水路の水門――そこはかつて、フロートになりたての津衣菜が身を隠した場所でもあった――の暗がりで、二人の周りに更に数名のフロートが集まった。
「ビンゴ。やっぱり近くにあった……ここが、こいつらの溜まり場だ」
「車回しますか――何なら1人攫っちまえば」
「いいや、まず私が一人で行く――お前らは手を振るまでそこにいろ」
後ろのオールバック男からの質問に梨乃は答え、一人で水門へ歩き出す。
「……あ?」
遊歩道を近付いてきた一人分の足音に、男のフロート一人が顔を上げる。
その姿を確認すると怪訝な声を立てた。
「ちょっと、あいつ……」
男の声で他のフロートも足音の方向を注目する。
見覚えのあるツナギ姿の少女に、あまり歓迎していない声で囁き合う。
「行方不明になってたんじゃなかったのか」
梨乃が水門の影の暗がりに入った時、男の一人が前に立ち塞がった。
「何の用だ。ていうか、いつ帰って来たんだ」
他のフロート達も、少し距離を置きつつ彼女を包囲し始める。
「連絡もなしにふらふら出歩いてんじゃねえよ。遥に話通ってんのか」
きつい口調で男が梨乃を咎めると、周囲からも彼女への反感を隠さない声が飛ぶ。
「フロート狩りに捕まってたんだろ、お前。あれだけ偉そうな口叩いててよ」
「馬鹿じゃねえの? 結局ロクな仕事しないで、皆を危険に晒してたんだよこいつ」
梨乃は周りから投げつけられる声に一言も返さず、ゆっくりと彼らの顔を見回して行く。
暗さのせいでもあるが、フロート達の目にそれは、ぼーっと突っ立っている『いつもの梨乃』の様子にしか見えていなかった。
「まあ、答えなくていいけどよ。どうせお前の言葉なんて分かんねえし」
前に立った男は吐き捨てる様に言うと、彼女に背を向きかけた。
「さっさとてめーらの山のお花畑に帰って、用があるなら上の者通して――」
男が言い終わらない内に、梨乃は手にしたバットを大きくスイングさせていた。
「があっ!?」
短い悲鳴と共に男は前のめりに倒れる。
倒れた所へもう一打。更にもう一打を振り降ろそうとした時、周りのフロートが梨乃に駆け寄る。
「何やってんだ! てめえっ」
「やめろ、この……」
彼らの手前の地面を、梨乃は思い切り打つ。鈍い金属音がアスファルトの道を長く震わせた。
続けて無言でバットの切っ先を彼らに向けて、その顔を見据えると、彼らは動きを止めた。
震えながら倒れていた男が起き上がる。
「肋が折れたみてえだ……ひでえ事しやがる……折れたら治らねえんだぞ」
「へえ、そうかい」
他人事の様に言う梨乃へ、フロート達は顔を強張らせる。
「そうかいって……あんただって知ってるだろ」
「お前……本当に、先岸梨乃なのか? 戸塚山1班のフロートの」
「良く分かんねえけど、私は確かにそういう名前だ。お前らこそ、その名前を聞いて人の骨を平気で折る奴だと分かんなかったのか?」
「何言ってんだ……? それにお前、言葉が……」
「はあ? もういいや」
梨乃は頭上に手を上げて、ひらひらと振って見せた。
それと同時に道の両端から現れた、十人近い物騒な雰囲気の男女にフロート達は更に慌てる。
「こいつら全員縛ってけ……少しでも逆らった奴は潰れるまでヤキ入れろ。ここがこいつらのヤサだ。家探しするぞ」
少年少女を見て身構えた男のフロート三人ばかりが、予告通りに袋叩きにされた。
その後は全員大人しくなり、一ヶ所に集められロープで縛られる。
「何だこいつら……フロートじゃねえだろ……フロート狩りか?」
「何言ってんのか良く分かんねえけど、私の――『凶蘭会』の兵隊だよ」
女のフロート一人だけ、ロープで拘束せずバットを突き付けたまま立たせる。
「てめえらこそ、訳分かんねえこと言ってないで、私の質問に答えろ」
「あんた……言葉が治ったのか?」
「あ? まあいいけどよ……お前ら、私のUSBケースどこにあるか知らねえか? 預かった覚えはないか?」
「ちょ……やめ……」
廃棄物を装って物陰に隠されていたソファーや引き出し棚、ボックスから、書類や何かの薬の箱、衣類、最新のタブレットやスマホ数台まで出て来る。
拠点の備品を漁り回る少年達に、女のフロートは声を上げるが、梨乃のバットを顔に押し付けられ沈黙を強いられる。
「ねえだろうけどな……お前らと私って、ゾンビ同士でも何か仲良くなさそうだし」
「そうだ。あんたの物なんてあたし達が預かる訳ないだろ。あんたに限らず、向こうのガキ共とは仲良くなれねえ」
女のフロートは吐き捨てる様に言った。
大人しくはしているが、今でも梨乃への敵意を隠そうともしない。
自分達に勝てる程強い奴には見えなかったし、置かれている立場の不利も理解している様だったが、梨乃の知っている、彼女を恐れる連中とはどこか違っていた。
「あんたから何かを受け取るとしたら……お前の『戸塚山1班』の女か、市街地の子供フロートだろう」
梨乃が普段の状態じゃないのも理解したらしい女は、彼女に初めて教えるかの様に説明した。
「『戸塚山』……南向伏方面の山だな。あと市街地にいるガキのゾンビか……そう言えばここもガキはいっぱい死ぬんだったな」
梨乃はうなずくと、再び女を一瞥して尋ねた。
「ところで……さっきから何度も言ってる、『フロート』って何なんだよ? ゾンビの事、そう呼ぶのか?」
工事会社の所有になっているトラックの駐車場――半分近く『廃車置場』を兼ねている。
梨乃の姿が入口に現われた時、あちこちの車の陰から小さな影がぴょこぴょこと現れた。
「ゲッ……」
梨乃の背後で引き攣った声が漏れる。
チンピラの一人が、突然にいくつも出現した『動く死体』の子供に思わず呻いてしまったのだ。
梨乃のねめつける視線に、後に待っているだろう制裁を想起した彼は、怯えた表情と共にすぐに黙った。
しかし、彼以外にも顔を引きつらせている者はいる。
子供達が死者となって闇の中に住んでいる、その光景の異様さはさっきの大人のフロート達とも別物に見えた。
「なしのんだ!」
「なしのお姉ちゃん、帰って来たあ!」
「やっぱり無事だったんだね、よかった」
口々に子供達が言うと、梨乃へ向かって駆け寄って来る。
数か月前には寡黙な彼女に少し怯えていた子も、信頼と安堵の色を浮かべて近付こうとしていた。
その中には、ミニバスで襲撃に遭い、フロート狩りに連れ去られる梨乃を見ていた子もいた。
「何だよ、いつものなしのんじゃん、なあ?」
「なしのんが今はおかしくなってるから、見かけたら逃げろなんてメッセ、大人やはるさんからまで回って来てたけど」
「あれ? その人達……誰ですか?」
子供達どころか、梨乃の後ろに控えていた凶蘭会の構成員ですら予想していなかった。
次の瞬間に梨乃が何の躊躇いもなく、子供の一人をサッカーボールの様に蹴り上げるとは。
「なし……のん……ねえちゃ?」
「梨乃さん……?」
「キメえんだよ。ゾンビのガキがわらわら寄ってくんじゃねえよ」
近くにいた他の子供も次々と顔を踏みつけ、腹を蹴り上げ、自分の周囲から排除しようとする。
「なしのん、どうしたの!?」
「やめて――やめてえっ! 怖い……怖いよおっ」
「梨乃さん、どうしたんすか? USB探すんでしょう?」
「ガキから話聞かないと、いきなり蹴り入れてちゃ」
「るっせえんだよクソが! 何へらへら笑ってんだこいつら! こういうのマジで許せねえんだよ!」
こちらは半ば予想通りだったが、梨乃に意見したチンピラは子供達と同様に蹴り倒されていた。
「死にぞこないが! 完全にぶち殺してやる、ぐちゃぐちゃに潰してやるよ……はははっ、ははははっ……ひゃ、ひゃひゃひゃあっ」
子供達に暴力をふるいながら哄笑する梨乃は、誰の目から見ても半ば正気ではない。
「ごめんなさい! なしのおねえちゃん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
女の子の一人は震える声で繰り返す。繰り返しながら彼女の足にしがみつくが、そのまま近くのトラックに叩き付けられていた。
「誰に物言ってんだよ……どいつもこいつも……私を誰だと思ってんだ……誰だよ『なしの』って……ざけやがって」
笑いながら切れ切れの声で梨乃は呟く。
「私は……先岸梨乃だ……凶蘭黒蝶……先岸梨乃だろが」
近くに倒れていた子供の一人に近付くと、更にそれを踏みつけようと足を上げる。
その足に子供が二人がかりでしがみついた。
梨乃は口元を歪め、子供達を見下ろす。
「なしのん」
梨乃の足に抱き付きながらその子供達は、彼女を見上げて笑っていた。
引き攣った、どこか虚ろな笑顔。
蹴られていた子も梨乃を見上げると、同じ様な笑顔を浮かべる。
「ごめんなさい……何が悪かったか分かりませんけど……悪いところはちゃんと直します」
「反省します……反省します……反省します……50回でも100回でも反省できます」
「もうわがまま言わないから……悪ふざけして、バカにしたりしないから」
「言う事だってちゃんと聞くし、困らせたりしないから……なしのん語なんて言って笑ったりしないから」
「いつものなしのんに……なしのお姉ちゃんに戻って下さい」
「おもちゃを直して、肩車してくれる、なしのんに戻って」
「わたしたちを守ってくれた、なしのお姉ちゃんに――」
「何なんだ、てめえら……気色悪っ」
嘲る梨乃の声は、どこか硬かった。
悲しく歪なその笑顔と、必死な訴えに、背筋に冷気が走るのを感じる。
子供達の、その笑顔は――彼女がこの世界で一番見慣れたものだった。
「何度も言ってんだろうがあ!? 気持ち悪いツラで笑ってんじゃねえ! 消えろよ! この世から消えろこんガキャあ!」
思ったよりも大きな声が出た。
叫びながら梨乃が更に子供達を踏みつけようとした時、彼女の顔の横で空気が大きく揺れた。
それが空中で回転する自転車だと気付いた時には、彼女に激突して斜め方向に落下していた。
腕でガードはしていたが、梨乃はその場で大きくよろめきながら、自転車の飛んで来た方向を鋭くねめつける。
「よお……こっちに何の連絡もよこさねえで、何やってんだてめえ」
「誰、お前?」
「――ああ?」
梨乃の視線の先に一人立つ長身の少女。
鏡子は、自転車を投げた時の姿勢のままでいたが、ゆっくりと仁王立ちに戻る。
「おめーが、ガキゾンビどもの頭ってわけか」
「はあ? さっきから何言ってんだよ?」
鏡子は口元を歪めながら、自転車をまた一台持ち上げる。
「寝ぼけてんなら、もう一発行っとくか?」
鏡子が感情のこもらない声でそう尋ねた時、梨乃は身を低く構えて、彼女へと突進していた。
横薙ぎに振られた自転車から、さほど高くない金属音と共に、梨乃の握るバットが弾き飛ばされた。
バットをもぎ取られた手を軽く振って、梨乃は苦笑する。
「下手な武器はそうやって奪っちまうのか。いい道具選んだな……使いこなせれば、だけどなっ!」
大きく踏み込む足音と共に、梨乃は鏡子の目の前へ瞬時に迫る。
鏡子は自転車を構え直すが、その左手の甲を爪先で抉る様に蹴られた。
「そんなもん痛くねえんだよ、バーカ!」
「知ってるよ」
怒鳴りながら、構わずに梨乃の顔面へ自転車の前輪を叩き付けようとする鏡子だったが、もう一度手の甲を蹴られた時、左手を離していた。
「痛くなくても、それじゃ持ってらんねえよなあ?」
鏡子の左手は、指を不自然に伸ばしたままだらんと下がっている。
右手だけで持つ自転車はバランスを崩し、下へ傾く。
「ヒャッハアッ!」
次の瞬間、梨乃は自転車のハンドルを掴みながら捻り上げ、同時に右足を大きく旋回させ、鏡子の顔の横を蹴り飛ばしていた。
かろうじて掴んでいた右手も自転車から離れ、鏡子は大きくよろける。
その頭上に、梨乃が無造作に降り降ろす自転車。
「ぐっ!?」
「ほらほらどうしたあっ?」
「クソこの……なめ……んなあっ!」
数度目に梨乃が自転車を持ち上げた時、鏡子は鉄パイプをその前輪へ突き上げていた。
スポークの間から届きかけた切っ先を、梨乃は間一髪でかわす。
「ったく、言葉がマトモになったと思ったら、頭の方がイカレたか。どういう雑な作りしてんだ、お前は」
「意味分かんねえよ……お前こそ何言ってん――」
言葉途中で梨乃は自転車を前へ投げ出すと、鏡子へ向かって踏み込む。
「げっ」
「――だよっ!」
鏡子も自転車に絡んだままの鉄パイプを投げると、一歩梨乃から後ずさる。
その鼻先を掠める黒い影。闇の中で輪郭の不明瞭な影は細長く、梨乃の手元で揺らめいていた。
「ほら、ほら、ほらほらほらっ、ほらほらほらほらほら」
軽いフットワークで更に何度も、何度も何度も何度も、梨乃はブラックバタフライナイフを突き出す。
空気を切る音を頼りに、鏡子は見えない刃先をかわして行く。
ギブスの入った首を動かさないでの回避なので、動きは多少大ぶりだった。
「なあ、ゾンビって怪我治んの?」
ナイフを振り回しながら、梨乃は唐突に鏡子へ尋ねて来た。
「治んねんだろ?」
答えずにナイフをかわし続ける鏡子へ、代わってその答えを自ら言い、口の端を吊り上げる。
「傷が開いたら開きっ放し、骨が折れたら折れっ放しだ……違うかよ?」
「そんな事も、聞かなきゃ分かんねえのかよ」
鏡子は足元の錆びた廃油缶を梨乃へ向かって蹴り上げる。
かわし切れず肘で弾いた梨乃へ、その場で拾い上げた鉄パイプを打ち込む。
梨乃は咄嗟に退いて、肩へ打ち込まれた一撃の威力を殺す。
「だから――躊躇ってんのか?」
「何だって?」
「あのままもう少し突き出してりゃ、私の目を抉れた。しっかり見てんだよ、てめえの切っ先がわざわざ力入れて止まったのを」
鏡子は梨乃からの指摘に、思わず動きを止めてしまった。
その首のギブスに、左手で何かを押し当てられる。
「このヘタレが」
バチッ!
短い放電音が一回響いて鏡子の全身が痙攣し、彼女はその場で崩れ落ちる。
右手にナイフ、左手にペンタイプのスタンガンを持った梨乃は、鏡子を見下ろしていた。
「ゾンビには電流も有効らしいな、てめえらメモっとけよ」
立ちつくしている自分の兵隊にそう呼びかける梨乃。
「特にてめえには効きそうだな……その首どうしたんだ? 首吊り自殺でもしたのか?」
「てめえ……ぶっ殺すぞ」
鏡子は震えながらも顔を上へ向け、梨乃へ低く罵る。
「はあ? 何だって?」
凄まじい形相の鏡子を見下ろし、梨乃はへらへら笑いながら聞き返した。
「やれんのかよ? ゾンビが殺せるのかなんて話じゃなく、テメエに目の前の奴が殺せるのかって意味で」
鏡子は肩を蹴られ仰向けに倒れる。
そこへ梨乃は跨った。馬乗りの体勢のまま、上体を曲げて顔を鏡子に寄せながら、更に一つ尋ねる。
「お前さ、人殺した事、あんの?」
「てめえには―――」
聞き返そうとした鏡子の言葉は途切れてしまう。
それ自体が答えになりそうな、寒気のする満面の笑み。
目の光だけが、爛爛と赤く。
「そうやって、いつも周りに殺す殺すって言って回ってったんだろう、お友達同士で……そして本当にやれたりは絶対にしねえんだ……そんな自分を知られたくないから、またぶっ殺すって言うのさ」
黒い刃の腹で気味悪い程に優しく、梨乃は何度も何度も鏡子の頬を撫で上げる。
「一目見て分かったよ。てめえは口だけのビビりだって。実際には何も出来ねえヘタレ女だってな」
少しの沈黙の後、鏡子が引き攣った顔で、それでも梨乃を睨みながら言葉を返した。
「―――――で、悪いかよ」
「はあ?」
「本当に刺せねえヘタレで悪いかよ。本当は殺せない奴のどこが悪いんだよ――――それでいいんだって、そんな根性なんかなくていいんだって、お前が言ってたんじゃねえかよ!」
「……知らねえよ、そんなもん」
梨乃は短くそう答える。どこか苛立った様な、性急さを含んだ声だった。
鏡子から顔を離すと表情を消し、鏡子の目へとナイフの刃先を立てて近付ける。
「ダメですよなしのん!」
「鏡子ねーちゃん!」
響き渡る二つの声。
子供達の避難誘導の為に、いつの間にか駐車場に到着していたもみじとぽぷらの二人だった。
他にも何人かの大人のフロートも来ていて、二人を含め未だに鏡子と梨乃に駆け寄ろうとしていた子供達を制止している。
引き止めていた手を振り切ってしまい、もみじとぽぷらは梨乃達の元へ駆け寄って来る。
「お前ら……来るなあっ!」
「……」
声を振り絞って鏡子が二人へ怒鳴り、梨乃は無言、無表情のまま左手にもう一本のナイフを金属音と共に素早く開く。
「梨乃、鏡子と子供達から離れて――今すぐに!」
甘く幼い、張りのある声。
いつになく落ち着いた口調で、夜闇にとても響いて聞こえた。
「何だこんガキ……」
梨乃が振り返った時、花紀は彼女の予想以上に二人のすぐ近くに立っていた。
そして、両手でしっかりと小さなリボルバーを構え持ち、銃口を梨乃へ向けている。
「帰れ帰れ、そんなオモチャなんて話にならな――」
バンッ!
ヒュインッ
梨乃の言葉を、銃声と摩擦音が遮った。
その顔の横を衝撃が通り抜け、背後で車の鉄板が弾ける。
梨乃の右頬、血の通わない皮膚が僅かに裂けた。
「は・・・・・・ははっ」
その顔に浮かんだの笑みだった。
「ひゃっはあっ! まじかああっ!?」
叫びながら梨乃は、次の瞬間には花紀に躍りかかっていた。
もう一発銃声が響いたが、それは梨乃を掠りさえしなかった。
花紀の銃を握る両手を、梨乃は飛び蹴りで胸へ押し付け、そのまま彼女の全身を背後の乗用車のフロントへ踏み抜いた。
「ご機嫌だぜ! 口だけ女の何十倍もやる気じゃねえかこいつ!」
「梨乃! 目を覚まして!」
「私はばきばきに起きてるよ! てめえはもうすぐ永眠しそうだけどな! 今の私ならマジでゾンビだってブッ殺せそうだからよう!」
胸に押し付けられた銃と手を、花紀は梨乃の足を押し返して持ち上げようとする。
梨乃はその間にも、両手に持った黒いナイフを花紀の顔へ近付けていた。
「――そうかよ。じゃあとことん試すとすっかよ」
押し潰した様な太く低い声。
次の瞬間、梨乃は上半身を捻りながら宙を舞っていた。
そのまま地面へ落ちる事は出来なかった。
高地は落下直前の梨乃を何度も蹴り、拳で突き、駐車場の端でようやく掴んだ頭部を電柱に叩き付けてフィニッシュしていた。
かなりのダメージにもかかわらず体勢を直そうとした彼女を、さっきと同じミドルキックで更に数メートル先へ吹き飛ばしてから、高地は構えに戻る。
フロートの誰も、彼のここまでの本気モードは見た事がなかっただろう。




