141日目
141日目
傍目にはそれと分からない対策部の車。
通勤で混み合う少し前の向伏市内を、何台も走り回っている。
それを影から見ていた遥は、細い脇道を静かに駆け抜ける。
「いたぞ!」
道の角で、彼女を指差しながら声を掛け合う背広姿の男達。
横目で彼らを見ながら建物の壁を蹴ると、二歩だけ壁に垂直な姿勢で駆け、更に上へとジャンプする。
遥の消えた路地を探し回る対策部局員の数は増えて行く。
それを、高くテレビ塔の鉄骨から見下ろしている遥だったが、彼女の携帯が鳴った。
着信履歴には『だらザコ高槻』と画面いっぱいに並んでいる。
通話にして黙って持っていると、高槻は勝手にまくし立てる。
「あいつらをどこへやった? 殺したのか? あの血の跡は何だ?」
「知らないよ――あんたこそ、あいつらの襲撃、事前に聞いてたのかい」
「市外でやりますという報告はな。1時間前ぐらいに……それから何の連絡もなく、こちらからのコールにも出ない」
「随分懇意になったもんだね……あんたの指示でも動くんじゃないのか」
「疑ってるのか――お前たちこそ、これが……『殺害もやむなし』がお前達の今後の方針なのか」
「だからあ、私らだってあんたらと同じものを数十分前に見たばかりさ、それ以外何も知らないよ」
「信じられるか――じゃあ、誰が何をやってるんだ」
「『フロートが生者を襲い始めた』って事にしたい奴でもいるんじゃないのか? 特にあんたの上に――やり過ぎた変態野郎も始末したい頃合いなんだろ?」
「本部が――いや、だけどまだ……まさか……」
遥の返答に、高槻の声は明らかな動揺を見せる。
振って見た彼女も、今起きている事が本当に対策部上層部の工作だとは、思っていなかった。
狙い通り高槻の追及が止みそうなのに満足して、彼女は通話終了画面を出す。
「私じゃなくて、海老名さんに聞きなよ。そっちの方が話早いだろ」
「あ、待て――」
電話を切って、通勤の車が増えて来た大通りを見下ろしていると、また携帯が鳴った。
津衣菜からの電話だった。
梨乃は、全裸にしてから縛り上げたそいつらを、自分がされた様に沼に沈めてやろうと最初は思っていた。
だが、衣服をはぎ取っている最中に見つけた車の鍵で、考えが変わった。
少しいたぶったら聞き出せたハイエースは、1キロ先の山のふもとに放置されていた。
何でこんな中途半端な所に乗り捨てて、ここから徒歩で山に入ったのか。
そいつらの考えが分からなかったが、もっと沼に近い道がこの先にあったので、そこまで車を移動した。
沼から200メートル程の辺りで道を外れて、木々の間に駐車する。
沼に戻ると、転がったままだったそいつらを1人ずつ引きずって行って車内後部に雑に押し込んだ。
全員を乗せるとゴムホースを排気管に繋ぎ、車内へ通す。
ホースを通した窓の隙間だけ布テープを貼り、エンジンを掛ける。
そいつらを縛ったロープも、密閉に使った布テープも、そいつら自身が持って来ていたものだった。
役に立ちそうな物や武器だけ、バッグの一つに詰めて出してある。
そいつらに意識があるのかどうか確かめてはいなかったが、エンジンを掛けてすぐ、ドタバタと縛られたままもがく音が聞こえた。
少し揺れ出してもいたハイエースを見つめて、梨乃は満面の笑みを浮かべた。
「ばいばーい! また今度なあーっ」
笑顔で手を振ってから、鞄を持って、車に背を向け歩き始める。
隣の県、日本海側にある自分の地元へ戻るつもりだった。
この車で行こうとは考えていなかった。何となくだけど、この車は『すぐに足がつきそう』だと思ったのだ。
更に数百メートル奥の山道。
梨乃はロープの端を木に縛り付け、道の反対側でもう片方の端を持ってしばらく待ち構えた。
通り抜けようとした一台のバイクを、ライダーの首の高さに張ったロープで転倒させた。
一瞬だけ首の辺りで張られたロープにライダーは弾き飛ばされ、主を失ったバイクがその前方で倒れながら路上を滑って行く。
木の陰から出て来た梨乃は、のたうち回っているライダーを無視してバイクを起こして跨る。
そのまま走り出すかに見えたバイクは、エンジンをふかす前に梨乃ごと転倒した。
もう一度跨ってハンドルを捻る。
エンジンは噴かせたが、今度はバイクだけで走り出してしまい、梨乃は振り落とされて後ろに転がってしまう。
何度起こして乗り直しても、梨乃はきちんとバイクに乗れないままだった。
「どうなってんだ……? クソがっ」
一人で毒づきながらも、理由は自分で分かっていた。
痛覚も平衡感覚もない、ゲームのキャラを動かしている様な身体感覚では、バイクに跨って、一緒に走り出すという彼女にとって手慣れた筈の身体のコントロールさえ出来ないのだ。
これではバイクどころか、自転車にさえ乗れなさそうだった。
バイクに乗るのを諦めた彼女は、まだ転がっているライダーの所まで歩いて行く。
「すみません、助けを……痛てえ……いてー……あの、救急車を呼んでくだ……がっ!?」
梨乃が自分を転倒させた犯人だとまだ気付いていなかったらしい彼は、彼女へ助けを求めるが、その顔を思い切り踏みつけられる。
「くそっ、このっ、ぼけが、どうすんだよ、乗れねえじゃねえか、くそ、どうしろっつうんだ、この野郎、死ねクソ」
八つ当たりで、梨乃はライダーの顔や折れた所を何度も踏みつける。
周りに血だまりが広がり、彼が完全に動かなくなるまでそれは続いた。
次に、通りがかった車のフロントガラスに拳大の石を投げつけた。
フロントガラスは真っ白になって、半分砕け、車はすぐに急停車した。
降りて来た男は、道の端に立っていた梨乃にすぐ気付き、まっすぐ歩いて来る。
数分後、男は全身数か所をフロート狩りの持っていたバットで砕かれ、ぴくりとも動かずうつ伏せに倒れていた。
「最初からこっちにすりゃ良かった……くそが、この私が……何でこうなんだよ」
嬉々とした様子で男にバットを振り降ろしていた梨乃だが、終わって見ると半ばうんざりした様な顔で、忌々しげに呟いていた。
「何も感じねえ……光も色もおかしいし……変な耳鳴りが……ずっと消えねえ」
車に乗り込んだ梨乃は、エンジンを掛けて、モニターに表示された時計とカレンダーを見る。
梨乃の知っている日付ではなかった。
「本当に……私は死んだのか、1年以上も経ってんじゃねえか……その間、何があったってんだよ……」
フロート狩りの連中は、彼らの車と共にすぐに発見された。
ハイエースの周りにも、血染めの沼岸にも、警察の現場保存用の黄テープが貼りめぐらされている。
警察関係者や腕章をしてカメラを持ったプレスクル―、それ以外の者も、そこら一帯を徘徊していた。
車中にいた男女は即死こそ免れたが、重症と一酸化炭素中毒で、未だに生死の境を彷徨い続けているという。
ここ以外でも、少し離れた山道で、転倒して黒焦げになったバイクと倒れている二人の男性が、つい2、3分前に発見されたらしい。
こちらの二人も血まみれの酷い重傷で、意識もないという。
津衣菜はその情報を現場の連中の会話ではなく、山間の町まで来ていた遥からの電話で聞いた。
沼の上の斜面で身を隠していた彼女は、遥たちの車が停まっている山のふもとの家電量販店の駐車場まで移動する。
畑と団地に挟まれただだっ広い駐車場には、見覚えのある複数の車が停まり、車から降りないままで予想以上に多くのフロートがいた。
遥と高地も来ていたし、津衣菜の記憶にない若い男性のフロートが数人、信梁班からはおよそ半数の少年達、そして戸塚山班からは、花紀と鏡子の二人の姿があった。
津衣菜が遥と高地のいる右端のエルグランドへ向かうと、花紀と鏡子、そして信梁班のリーダー匠、男性フロート一名だけが、並んだ車から降りて来る。
全員、あらかじめ津衣菜から送られた沼岸の写真は見ていた様だ。
「おい、自殺女……これを梨乃がやったっていうのかよ……しかもあいつ一人で」
津衣菜に近付いた鏡子は、半ばキレ気味の様子で問い詰める。
「私に聞かれても分からない……現場の様子は、そういう風にしか見えないけど」
「だからどうなのかって聞いてんだろうが、バカかお前」
低い声でまくし立てると、鏡子は津衣菜の肩を両手で小突く。
「何いきり立ってんの」
「何であいつがフロート狩りをぶっ殺してんだよ、おかしいだろうが、あたしらに報復いけないって文句つけたくせに」
「まだ、殺しちゃいないけどね――」
車中から遥が外へ声をかける。
「私は対策部の奴に聞かれて、『フロートが生者を襲い始めた』事にしたい奴の仕込みじゃないのって答えてやったよ。つまり、そういう可能性もあるって事さ」
「そうかもしれないって言われれば、否定する理由もないけど……梨乃だって、ヤバい時にはそれなりの事するんじゃない」
津衣菜はそう言って、鏡子を一瞥する。
「それは、私より長くあの子と一緒にいた子の方が知ってると思うけど」
鏡子が眉を寄せながら何か言いかけるが、先に遥が答える。
「それにしたって、それなりだよ。はっきり言って、普段の梨乃はここまでやる子じゃない」
「そうだよ! お前だっていつものあいつ知ってるんだろうが! いっつもぬぼーっとして、他の奴やガキにナメた事言われても全然怒らねえ、こんな時まで平和唱えやがるあいつをよ!」
「遥もそう思うの? 前言ったよね、フロートは生前を隠せないって」
津衣菜は遥に、試す様な口調で尋ねる。
彼女の知っている『生前の先崎梨乃』だったなら、フロート狩りの惨状もむしろ違和感なく思えるものだった。
遥は津衣菜の意図に気付いているのかどうか、頷いてゆっくりと答える。
「ちょっとキレたぐらいでこうはならないし、ちょっとじゃなく『リミッターが外れる』なんて事もありえない……仮に目の前で子供が犠牲になっていたとしても、あの子のリミッターは外れない筈なんだ、そういう子だよ」
「だとしたら……あの子の非暴力主義は筋金入りなんだね」
「そうだよ」
「だけど……それ以外の原因だったら?」
津衣菜は思い付いたばかりの事を、呟く様な声で遥に尋ねた。
「それ以外?」
「子供達の話とあの場所から見て、梨乃は一度水中に沈められているんじゃないの? あの子のフロートになった時……死んだ時と同じ様に」
「俺もそれ考えた」
今まで沈黙していた運転席の高地が、初めて口を開いた。
「あいつが『もう一度溺れたら』どうなるのかなんて推測しか出来ねえけどよ、そこで、普段のあいつがどうとかなんて通用しねえ様な何かが起きた……たとえば、昔の記憶や人格が甦ったとか」
「梨乃は記憶喪失じゃないよ。生前の事は全部覚えている……その上にフロートの記憶を重ねている」
高地の予想の話に、遥は断言して答える。
やっぱり遥は梨乃の生前を知っていた、そう思いつつ津衣菜は、遥へ言う。
「たとえばだろ。肝心なのは、何かが起きたんじゃないかって所だよ……」
「――逆に、記憶をなくしたんじゃねえの?」
言葉を挟んだのは匠だった。
全員が彼に注目する。
「あの女がどんなだったのか知らねえけど……それなりにゴツかったのか……フロートになって暴力反対でやって来た事とか、そうなるに至ったきっかけとか、そっちを忘れちまったんじゃねえかって、今聞いてて思ったんだけど」
バイクの傍に倒れていた男は二人。一人はヘルメットを持っていなかった。
その彼の意識がようやく回復し、彼は車を運転していて、梨乃に襲われ、車を奪われたのだと判明した。
一旦、そこから更に数十キロ南の大きな街へ移動した津衣菜達がそれを知ったのは、その日の夕方の地域ニュースでだった。
津衣菜は、来ていた面々だけにだが、自分が廃墟ホテルやその近くで以前収集した『先崎梨乃についての話』を、最小限伝えていた。
遥は、即座にその裏付けを済ませていた。
「その『凶蘭会』の本部は、向こうの県でも西寄りの宇柄津市にあったっていう……梨乃は、多分そこへ向かったと思う」
「あった――今はもうないってことなんですか」
鏡子は遥に尋ね、遥がすぐに答える。
「リーダーの……梨乃の死後、警察とヤクザに寄ってたかって残党狩りされて、完全に壊滅したって」
「そこへフロートを送るのか」
津衣菜の問いへ、遥は俯いて「うーん」と唸る。
「それも、ちょっと考えものだね……あんたなら行きたいかい?」
向伏市よりも大きい県内最大の都市、織子山市。佐久川から十数キロ北のその町へ、フロート達は一旦移動していた。
駅前にあった大きなショッピングセンターの廃墟に入り込んで、モニターを前に置いて今後の事を会議する。
「行って何をするのか、分からない」
遥の問いに、津衣菜は首を横に振る。
「でも、なしのんに会わないと!」
はっきりと答えたのは、鏡子ではなく花紀だった。
鏡子は無言で高地や匠、そして遥と花紀を、ただ不安げに見回している。
「花紀、梨乃が本当にそっちへ行ったかも分からないし、行ったとして何の為に行ったかも分からないんだよ」
「理由なら分かるもん。もし、なしのんがここや私達の事を忘れちゃったのなら、ただ帰りたいと思ったんだよ」
「帰りたくて帰ったなら、そんな梨乃に忘れられた私達が、今度は何を話すの」
「う……」
優しく諭す様に津衣菜が尋ねると、花紀は唸って黙りこむ。
「でも……お薬だって」
「それは、すぐ会いに行く理由でもない。それに……アンプルって、今は梨乃以前に私らがどうすんのかって状態じゃない」
「アンプルはどうにかするよ……みんなも外出とか体動かすのは必要最小限にしてほしいけど。それに、今もそれ程危険な状態ではない、フロートの一斉摘発が始まった訳じゃなくて、目付けられてんのも、実際は私や津衣菜やあと数人程度なんだ」
テレビの地方ニュースは、ミニバスの追突事故、そして山の中でのワゴン車の排ガス中毒、車強奪事件を一つながりの事件として報じ、『第二種変異体』と呼ばれる『死体のままで活動する人間』が関係している事を薄く仄めかしていた。
アーマゲドンクラブや『フロート狩り』の存在については殆ど触れていないが、それでも『第二種変異』への違法な対応をする者がいる事を匂わせてはいた。
「梨乃の事は、何か動きがあるまで、様子を見たいというのが本音だね……ただ、放置もうまくない。分かるだろう? 梨乃は『第二種変異体の行動』の誰かにとって格好のサンプルになりかねない、動き次第で」
日本海側にある隣県第三の都市、宇柄津市。
数年前に山陰で起きた大地震と津波、高速増殖炉の暴走爆発事故の影響は、何百キロか離れたこの町にも影を落としていた。
本州日本海側の漁業と農業はほぼ壊滅し、海上の高濃度放射線汚染で、主力産業だった石油や地下資源の採掘も不可とされた。
東西100キロ以上に及ぶ居住不能地域からの避難者の受け入れ、雇用促進のための急激過ぎたものづくり産業の活性化、そして中古車輸出の拡大化による――犯罪の増加、ロシアマフィアの影響力の拡大。
薬物販売、盗品取引、架空請求、中学生や高校生の管理売春、賭博管理、そう言った少年犯罪の枠外となる違法ビジネスを手掛け、その一方でかつて以上の凶悪な暴力を相手を選ばず行使し、決して中心メンバーに手を回らせない狡猾さを備える。
何もかもが悪夢の様な少年犯罪グループ『凶蘭会』は、そんな町の荒廃を背景に、複数の暴走族やチームを併合して生まれた。
しかし、彼女の眼に映る世界の荒廃は――数年前に突然現れたものではなかった。
彼女の知る限り、この世界は初めから終わりまで、ずっとこんなものだった。
人が言う数年前からの荒廃なんて、彼女にとっては『少し分かり易くなった』程度のことでしかない。
駅前の大通りを裏に回って、道の端に集まっている『いかにも』な金髪で化粧の濃い十代前半の少女達に、梨乃は声をかけた。
「なあ、少し聞きたい事があるんだけど」
「ああ? らんだれめえ、ごらあっ」
何かの薬物かシンナーが効いていたのか、返事した少女の発音は不明瞭で、日本語も不明瞭だった。
「この辺仕切ってるのって誰? 今でもハマダ?」
「にゃにハマラさん呼び捨てにしてんのおめ、げ、この何か小汚ねえババアだな」
「呼んでくんないかな」
「ああ、っりゅっせえんだよババあ誰だ、ハマダさん呼びたかったら、そこで股開いて来い、有料だ馬鹿ったれギャハハハ」
少女は梨乃の顔も名前も知らない様だった。
梨乃の知る名前に反応したが、これ以上会話が進みそうにもない。
そう判断した梨乃は、次の瞬間少女の腹にナイフを突き立てていた。
「え……これ……マジ?」
「ほらほら、生きてるうちに足りない頭使えよ。助かる為にどこに電話して誰を呼ぶんだ」
後ろの少女達が悲鳴を上げる。
「きゅ……きゅうきゅうしゃ」
「違うだろ、ハマダ呼べよ。ハマダが呼べねえんだったら、自分の呼べる一番偉いのを呼ぶんだよ……でないと、救急車来る前に、死ぬよ?」
「梨乃さん……お、おひさし……ぶりです……つうか……その」
「遅せえよハマダあ、てめえ一人呼ぶのにどんだけ手間だよ」
呼び付けられた倉庫――かつて『凶蘭会』幹部が集合に使っていた――に着いた梨乃と同じ年の少女達数人は、目の前の光景に言葉を失う。
十人以上の自分のチームの後輩達が、一列に並んで正座させられている。
全員が一糸まとわぬ全裸で、髪はバリカンで丸刈りにされている。
顔をボコボコに張れ上がらせれている者もいたが、肋骨が折れているらしき者も腹に大きな痣が広がっている者もいる。
一番端の下っ端らしい少女を見た時、喉の奥が鳴った。彼女は腹にナイフを突き立てられたまま、抜かずに放置されていた。
ぶるぶる震えながら正座している彼女は、全身が青白く変色し始めている
彼女達の背後でソファーにふんぞり返っているのは、忘れたくとも忘れられない、自分達の元の頭。
去年、確かに死んだ筈の、『凶蘭会』総会長、黒蝶――先岸梨乃。
記憶の中にある通り、分厚いツナギを着崩して着て、ぼさぼさに伸びた髪を少し後ろに撫でつけ、ナイフで刺されている少女と同じ位に肌の色が白かった。
「す、すみませんでした……」
「もう少しで、こいつら全員ロシア人に売っちまうところだったよ」
「あの、すみませんでした……私ら悪かったです……」
正座している少女の一人が恐る恐る梨乃に声をかける。
無言で見下ろす梨乃へ、その少女は自分の顔の腫れも構わず、左端の少女を見て言葉を続けた。
「あの……まず、こいつを病院へ……」
「私からもお願いします!」
ハマダと呼ばれた黒服の少女が、続けて梨乃へ頭を下げる。
「ああ? 私の話が先だろーが? そんなゴミの命と、この私の話、どっちが大事だと思ってんの?」
「ごっ……」
ハマダや他の少女達が絶句した時、その横にいた少女が一人、梨乃へ向かって駆け出した。
「――ゴミは、てめえだろ! 死にぞこなってんなら、きちんと死ねや!」
「やめろ、アオイ!」
ハマダが制止する声も聞かず、彼女は警棒を出して梨乃へ躍りかかる。
「――――死んでるよ」
梨乃は静かに一言そう言うと、薄く笑った。
「ヒャハアッ!」
彼女が警棒を振り降ろすより先に、梨乃の手のスパナが彼女の頭に叩き付けられていた。
「ヒャハハハハっ何だ面白れー! なにこれ、なにこれえっ! 私にゃほんの二三日前なのによ、奴隷のお前らは大物づらして、この先岸梨乃へ上等切るのか、いいんじゃねえ、面白れえからもっとやってみろよ!」
叫びながら何度も、梨乃はアオイへスパナを振り降ろす。
梨乃が離れた時、アオイは頭から断続的に血を噴きながら、その場に崩れ落ちた。
「――次」
梨乃はスパナを弄びながら、立っている少女達、正座している少女達を順番にねめつけながら言う。
「聞こえなかったのか、次、さっさと来いよ」
「すみません」
「何だって……?」
「すみませんでした」
「ああ? 何がどうすまないのか言ってみろよ」
ニヤニヤ笑いながら、梨乃はハマダに問い詰める。
ハマダは答えず頭を下げた姿勢のままでいた。
「今日は気分がいいから教えてやるよ、ハマちゃん」
梨乃がハマダの前に立つ。
その腹へ左手で血まみれのスパナをぐっと押しつけながら、低い声で言う。
「黒蝶は、凶蘭は、このままじゃ済まさねえんだよ」
その右手にはブラックバタフライナイフ。
下から上へ一閃し、ハマダの顔の左側を縦に真っすぐ切り裂いた。
その日の夜の内に、凶蘭の残党狩りを指揮していた暴力団幹部の所有するマンショ、BMW一台、組の所有するワゴン車一台、交番二か所、同じく凶蘭狩りに関わった県警幹部の自宅が続けて放火された。
所轄内を巡回中だった警察官二名が複数の未成年の男女に襲われ、一人は重傷、もう一人は全治1カ月の軽傷を負った。
表の地方ニュース、全国ニュース共に、これらの事件を別々のものとして報じたが、市内では普通の高校生でも知っているレベルで噂が拡散されていた。
「先岸梨乃が帰って来た」、「凶蘭会が復活した」と。
ニュースも噂話も、これらを『第二種変異体』と結び付けて語るものは皆無だった事が、津衣菜達にとって不幸中の幸いだったと言えただろう。




