136日目(2)
136日目(2)
『報道特集 人間のゾンビ化?』
『列島激震! 明かされる真実!』
『心停止、呼吸停止、だが動いている……』
わざとらしいテロップが次々と流れ、どこかの施設に収容されているらしいフロートの姿が、断片的に現れては消える。
『普通に会話もする』
「いつからですか」
「半年くらい前です」
「死因は」
「心筋梗塞だったと……医者からは」
ベッドの端だけの映像に音声が聞こえる。
「見えますか」
「はい」
「痛いですか」
「いいえ」
『西日本海大震災が始まりか?』
『高速増殖炉――爆発の高濃度放射線が原因?』
「食わせろよ、人間の肉……違う、内臓か脳みそだよ! 食わせろ、痛いのが、治んねえんだよ」
全身にモザイクのかかった男が暴れ、防護服姿の人物数人に押さえられている。
色や不自然なサイズから、それが末期発現者だと津衣菜にも分かった。
机の前で、研究者らしい老人が喋っている。
「第1種変異というのがですね、全身に腐敗を進行して激しい痛みや不快感、そして進行と共に知性も低下し、生きた人間を食べたがる」
「その手前に、第2種変異があります。うまくカムフラージュするというのもありますが、見た目があまり生きている人間と変わらない。その大半が生前の記憶や人格を持ち、会話も出来る」
「痛覚がない。意識だけで、ロボットを操縦しているみたいだとか、ゲームのキャラクターを動かしているみたいだとか言う人もいます……ええ、その第2種変異の方が」
「その他にも、ここ近年で増加した不可解な症状数種を、種数指定の症候群、あるいは変異と呼んでおりまして……特に大きく報道されたりする事のないよう、規制対象ともなっておりましたが」
「現在、増殖炉を中心とした若狭湾東西80キロの生息不能域から、この現象が始まっているという根拠は確認されていません。国内全域で同時発生したという見方が有力です」
映像はスタジオに移り、ニュースキャスターが男女一人ずつ、そして50過ぎの男性のタレントがレギュラーで出ていて、若い男女のお笑いタレントがゲストに来ている。
「政府も現在は関連法案の整備を急いでいるという事です――」
「じゃあ、その辺歩いていても、電車の中にもいるかもしれないんですか、この……ゾンビみたいな人が」
「まずいよ、コンビニでいきなり食われちまうだろ。俺ら並んでたら、これ下さいとか言ってレジに突き出されちまう」
「これが本当なら、放置なんてとんでもないですよ。早く何とかしてほしいですねえ」
頷き合うスタジオの人々から画面は遠ざかり、番組はそこで終わっていた。
「どうだい。フロートというものが簡潔に、割と正確にまとめられた、なかなか構成の良い番組だろ」
動画を閉じると、薄く笑いながら遥は言った。
その場にいるフロートは彼女以外、誰一人笑っていなかったが。
「まあ、悪い事は重なるもんだ、いつだってそうだったろ? 高ちー」
車の横には、腕を組んだままむすっと仁王立ちしている高地。
遥は高地を一瞥した後で、少女達のいる辺りを見渡し、津衣菜で視線を止める。
「そっちの件も聞いたよ。面倒と言えば面倒だけど、いつまでも避けてられる事じゃなかったのさ……お互いにねえ」
「で、どうすんだ」
高地の問いに、遥は肩をすくめる。
「どうって言ってもね、先生がここに怒鳴り込んで来る、津衣菜を出せって言って来る、私がやだって答える、その後の向こうの出方次第としか言えんよ」
「これで偉いさんは全員敵だ、今日から戦争だっつってる様にしか聞こえねえよ、その答え」
「大げさだなあ。平賀派だって残ってるし、こっちで野党の人と話せれば、森さんだってそうそう暴走はしないよ」
遥はそう言ってから、梨乃と少女達へ声を掛ける。
「今ここにこそ、鏡子と――千尋と雪子もかい、あいつらにもいてほしかったけどね。こんな時に報復なんて言ってたら……『やつら』の思う壺だって分かるだろ」
遥は、鞄から何冊もの雑誌を出す。
新聞社系列の週刊誌から、怪しげな実話系の雑誌まで、十種類。
その全てに、フロートの……『死体のまま動き出す者たち』についての特集記事が組まれていた。
「今月末から来月頭まで、ほぼ各社一斉になる……対策部のコントロール下で、一般メディアでのフロートの情報公開が始まる」
「今の動画もか……」
「雑誌よりも早い、さ来週にはオンエアするってさ」
「それを、どこから手に入れて来た?」
津衣菜は、短く尋ねる。
「未公開の完成番組なんて、そう簡単に見られるものじゃないって事は、私にだって分かる」
訊きながらも、視線を高地へ向けるが、気付いた彼は首を横に振る。
「俺じゃねえ……つうか、俺もそれが気になっててよ。遥、さっきまで誰と会ってたんだ?」
「味方のつてはまだ残ってるんだろうさ……だけど、あんた以外誰も、その具体的な中身を知らないんだ」
「高っちー、あんた、自分の取材内容、全部私に話せるかい?」
「あ?」
「津衣菜、あんた、自分の自殺の理由、どんな人生を送って何を考えたか、全部私に話せるかい?」
津衣菜の口元が強張った。二人とも無言で遥を睨んでいる。
その反応に遥は満足げに頷いて、口を開いた。
「誰にだって、あまり話せない事はある。まあ、私は、昔の知り合いだとぐらいは言えるけど……ほら花紀、未確認生物特集の為に持って来た訳じゃないよ。読みたいなら後にしな」
「はっ!? いや違うですよはるかさんっ、花紀お姉さんはフロートの存在が報道される一大事を思い、知識を得るべきと――」
目を丸くしながら言い訳している彼女を、津衣菜が背中を叩いて促す。
彼女達の視線の先で、梨乃が頷いた。
「それは残すは物事が重大で、その時は人の誰かがする事は見えるの事は乱暴」
「そうだ。とにかく何か起きれば全て利用される――それは多分、あいつらもなんだけど」
「あいつら――フロート狩りか?」
「多分、フロート狩りの凶悪化は、連中の膿を出すって狙いが本当なんだろう……あるいは、フロート狩りそのものが、膿になったか」
津衣菜の問いに、遥は半ば独り言の様な調子で答える。
梨乃はしばらく無言で、彼女達のやり取りを見ていたが、もう一度頷きながら短く言った。
「安全第一」
遥が彼女へ頷き返す。
「頼むよ。子供達を誰よりも思いやれて、子供達に誰よりも慕われてるのは、多分あんただろうから」
月明かりの下、川沿いの道を小さな影法師が並んで通り抜ける。
その中央に、少し高い影。
子供のフロート達数人と、彼らの移動を引率する梨乃。
明るい道を移動するフロートは、大抵駆け足が多いが、彼らは足音を立てない様に普通よりもゆっくり目に歩いている。
指定された場所に、恐らく高地の名義でレンタルしたミニバスが待っている。
そこまで遠くはないが、このペースだと一時間以上はかかりそうだった。
後方数十メートル、3階建ての事務所から見下ろす津衣菜の目からは、子供達がぴったりと梨乃に寄り添っているのが分かった。
津衣菜が注意を向けているのは、彼女たちではない。
その周辺の道や、堤防下、橋桁の影、梨乃達の死角に隠れている人間を警戒していた。
津衣菜だけではない。あと何人か、彼女達の周囲を監視しているフロートがいる筈だった。
車に辿り着くまで、距離を取りながら追尾して行く予定だった。
数分前に、駅前のロータリーに『アルティメットフォース』の人間数人が集まり、車に乗り込んだという情報が、津衣菜の携帯に入った。
車がこちらへ向かったという話はない。
やがて、フロート狩りの車は、そのまま市役所方面へ向かったと連絡が入る。
梨乃と子供達が歩いている道とは、全然違う方向だ。
だが、気は緩められなかった。
待ち合わせていた、ミントグリーンのミニバスへ子供達が乗り込むのを見届けて、ようやく津衣菜は警戒を解く。
車は日の出前に佐久川市に到着して、子供達を新しい仮拠点に案内した後、朝いちで向伏へ戻って来る。
次の出発は明後日の夜。一日おきのピストン輸送で、およそ十日で子供全員の避難を完了させる予定だった。
走りだしたミニバスを見送って、その場を離れた津衣菜は、帰り路の車道に嫌な気配を感じた。
さっきから見覚えのない乗用車が、開いている店もない通りを何度も往復している。
紺色のセダンと、白のバンの2台。
通行人を装って歩道を歩いていた自分が狙いだと、気付くのに時間はかからなかった。
脇道に入って、電柱に登り、そこから紳士服店の巨大看板の下に身を隠す。
車は2台に増えて、紳士服店前の駐車場に入って来た。
明らかに、自分が看板下にいるのに気付いている。
しがみついていた看板下の柱を蹴って、後ろの一台の屋根に飛び降りる。
衝撃で鉄板が凹み、サイドやフロントのガラスも砕けるのが分かったが、そのまま再度飛んで下の地面へ転がる。
すぐに起き上がると、出口ではなく隣接するファミレス敷地との境界へと駆ける。
フェンスをよじ登って着地し、津衣菜は営業中のファミレス店内へと向かった。
背後で一旦道路へ出ようとしている車が見えたが、ファミレスで大それたことは出来ない筈だと考えた。
ファミレスの入口と隣の車だけに集中していた津衣菜は、ファミレスの駐車場に待機していた2台には気付かなかった。
前後からハイビームに挟まれ、津衣菜は左腕で目を覆って立ち止まる。
降りて来た背広姿と作業姿は、フロート狩りには見えなかった。
対策部の、かなり力入れている時の動きだと、津衣菜には分かっていた。
更に道路から駐車場に入って来た2台。そこからも数人の背広と作業服の男達が飛び出して来る。
連中の隙がどこかにないか、それを腕の下から探そうとした津衣菜の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「逃げないでくれ、津衣菜ちゃん」
目を凝らした津衣菜の視界に、先頭に立つ背広の男が像を結んだ。
森椎菜の秘書――あるいは元秘書の――柴崎礼二がそこにいた。
柴崎の隣にいた男にも見覚えがある。
ノワールショッピングセンターで『アルティメットフォース』を潰した時、遥を追おうとして諦め、質問を投げて来た男だ。
「僕は、君を助けたいと思って来たんだ」
「……助……ける?」
津衣菜を挟んだ2台は、ライトをロービームに切り替える。
眩しさの抑えられた視界で、顔から腕を離して津衣菜は柴崎を見直す。
「どういうこと……ですか?」
「君なら、分かるだろう? フロートだけで隠れ住むコミュニティなんてものは、もう限界だ……否が応でも、僕達と色々な物を共有して行かないと、フロートに未来はない」
「色々なもの……?」
「まずは、情報。そしてマンパワーだよ」
柴崎は津衣菜の顔を覗き込む様にして言った。
「君の手で、フロートコミュニティの人の動き、伝達情報を僕らにも円滑に伝わるようにしてほしいんだ」
「私に……対策部のスパイになれというの」
「悪く捉えるな。君らはもう、そんなこそこそ探る段階じゃない。今言った通り、君ら全体で私達の動きに合流すべきだと言っているんだ……君にしてもらいたいのは、その為の準備だ」
津衣菜の言葉に答えたのは、柴崎の隣にいる対策部の男だった。
「コミュニティを、遥に無断であんたらに売り渡せって話じゃない……なお悪いでしょ」
「現実が見えてないじゃないか、この子……」
対策部の男は呆れた声を上げた。
「柴崎さん、やはりコミュニティ内部の懐柔は限界があるよ……フロートの自主権なんて主張出来る状況じゃなくなったって事を、そもそも理解していない」
「まあ待って下さい、高槻さん。言ったでしょう、彼女はあの森椎菜の娘ですよ」
「関係ないでしょう」
「そう関係ない――そして、柴崎さん」
「ん?」
「あなた、母を裏切ったんでしょう。母を騙し、情報を掠め取り、こっそりと海老名に寝返った」
冷たく言い放つ津衣菜に、柴崎は苦笑しながら言葉を返した。
「見方によってはそう言えるかもしれないけど……果たして君に言われる筋合いの事かな」
「どういうこと?」
「自分の命を絶つ子供なんて、親にしてみれば最大の裏切り行為だよ。僕のやってる事なんて、それと比べれば全然小さなものさ」
「ちょっと柴崎さん……」
隣の高槻が、焦った声で彼を止めようとする。
「他のフロートだってそう思っているんじゃない? 彼らの大半は『生きたくても生きられなかった者達』だ。君なんて、彼らにとっても裏切り者、仲間じゃないと思うんだけど……何をそんなに義理立てしたがっているのかな」
「柴崎さんっ、ちょっと言い方を――」
「生者とフロート、気持ち的にはどちらでもないのが津衣菜ちゃんだと、僕は思うんだよ」
高槻の制止に構わず、柴崎はじっと津衣菜を見下ろしながら言葉を続ける。
「元々、森さんとはギブアンドテイクの関係だったし、それは海老名さんとだってそうさ。僕はずっと僕だ、初めからどちらの側でもないし、そこに裏切りだってない」
集まっていた対策部の局員達は、津衣菜を包囲する事より、万が一に備えて柴崎や高槻をガードする事を優先に配置していた。
彼らに飛びかかろうとしていたなら、どうやっても即座に取り押さえられただろうが、逃げる事優先で見るなら隙間だらけだった。
特に、フロートの身体能力でなら。
「君と僕とでフロートと対策部の架け橋になれば、この危機だって乗り切れる筈だ――」
柴崎の言葉途中で、津衣菜は横飛びに局員の一人を突き飛ばし、そのままレストラン裏のフェンスへと駆け出した。
走りながら、用意していた防犯ブザーを鳴らす。
けたたましい電子音が深夜のファミレス駐車場に響き渡った。
多くはないが、店内の客や店員が数名、店を出て駐車場に集まっている連中の所へ駆け寄ろうとしているのも見える。
高槻は作業服の部下に津衣菜を追わせず、車の中へ戻らせる。
柴崎を含む背広の男数人で、彼らに応対する事にしたらしい。
その間に津衣菜はフェンスを越え、裏の道からその場を離れるのに成功していた。




