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フローティア  作者: ゆらぎからす
9.零日の蝉
72/150

132日目(2)‐136日目(1)

 132日目(2)‐136日目(1)



じぃーーーーーーーーーじーーーーーーーー

「うーん……うーん……」

じぃぃぃじじじじじじじじじじじじ……………

「うーん、うーーーん……」

じじじじじじっじじじじじじっじじじじ……

「ほらほらほら、夕方だぞー、なしのん」

「いや、もうやめてさしあげろ……普通に起こそう」

 山頂付近の、竹林沿いに古そうな積石が並ぶ辺りで、梨乃はまたいつものつなぎ姿で寝転がっていた。

 そして、花紀は自分のスマホから流れるアブラゼミの鳴き声を、ずっと彼女の耳に近付けている。

 彼女のストックしている『なしのん起床用』は、またバージョンが増えた様だった。

 目をきつく閉じたまま、傍目にも苦しそうな声で呻き続ける梨乃を見ながら、津衣菜は言った。

「ほら、梨乃も、そろそろ起きて支度しないとだろ」

 肩を数度叩きながら呼びかけると、薄く彼女は目を開いた。

 津衣菜の起こし方だけではなく、その反対側でまだアブラゼミが鳴っていたのも効いた様だったが。

「早い」

「いや、早くない」

 上半身を真っすぐに起こしてぼんやりと言った梨乃の言葉へ、津衣菜が返す。

「あの、ついにゃー、なしのんが起きた時の『早い』はねっ――」

「知ってる。『お早うじゃない』って意味で言ったから」

「うん……」

 だが、梨乃はそんな津衣菜に頷くと、ぎこちなく立ち上がった。

 津衣菜は持って来ていた大きめのブラシで、その背中に付いていた土や落ち葉を落としてやる。

「せっかく子供たちにカッコイイ所見せたんだ。もう少しそれを続けないと」

 ブラシをかけながら言う津衣菜は、少し穏やかな表情をしていた。

 されるがままになっている梨乃は、津衣菜より一回り背が高い。

 遥よりは低い様だったが、鏡子と比べても同じか、少し高かったかも知れない。

 花紀からもらったタオルで顔を拭き、梨乃は差し出された鏡を見る。

 ぼさぼさの髪の下から覗く、眠そうな半開きの目。

 しかし、化粧映えのする美人だった事も想像出来る顔立ちだった。

 自分の顔に彼女がどんな感想を持っているのか、津衣菜には窺い知れない。

「今日からでしょ、子供達の計画避難……あんたが引率任されたんだから」


 全国に根を張り、フロート狩りを扇動する団体『アーマゲドンクラブ』

 その支部長交代と、本部主導の人員移動で、アーマゲドンクラブの向伏支部はかつてない程悪質化し、行動的になった。

 従来のフロート狩り団体に対しても、各団体に彼らが連れて来た人間を少しずつ割り振った。

 新生アーマゲドンクラブの用意した『新戦力』は、その殆どが異常な嗜虐性や残虐性、猟奇嗜好の持ち主だった。

 意識のある相手の手足や内臓を解体し、顔のパーツや性器を切り落して行くのが好きな奴。

 動かなくなった、原形を留めない死体を犯すのが好きな奴。

 『普通の人間が集団で暴走した狂気』の枠すら明らかに外れた、フロートがいなければ確実に快楽殺人で捕まっていそうな連中。

 さらに、そう言った連中をコントロールする為に、組織もかつてない程――東京本部と並ぶレベルにまで強化された。

 支配力を強めたアーマゲドンクラブの指導の下、バラバラだった各団体もより統率された。

 そして、彼らの連携するところ(・・・・・・・・)はフロート狩り集団の間に留まらない。

 フロート……『第二種変異発症者』に対応する非公然の行政機関、『内閣府政策統括官第32号部局』通称――対策部は、フロートコミュニティとの対話交渉を縮小し、アーマゲドンクラブを後押しする形でその『撲滅』を模索し始めていた。


 そうした流れの中、物騒な姿を見せたのは生者だけではない。

 フロートコミュニティでも、フロート狩りへの報復、あるいは実力による反撃の主張は、これまでより格段に強くなっていた。

 先日の集会では、梨乃と子供達によって一旦治まったが、燻る彼らの気持ちが変わった訳ではない。

 再び内部の衝突が起きる恐れは十分にあったし、それだけでなく、仲間同士の議論すらすっ飛ばして『誰かが勝手に』始める恐れも少なくはなかった。


 これらの点から、先日の大会議後半ではフロート達の計画的な避難、そして移住が提案され、すぐに可決した。

 まず子供達と、子供達をフォロー出来る大人のフロートが少人数ずつで、県北の向伏市から県南にある佐久川(さくがわ)市へ避難する。

 その次に、高齢者や身体の特に不自由なフロートが佐久川市に避難。

 そこでの定住に問題がなければ、新たなフロートの拠点として検討する。

 身体の動けるフロート、フロート狩りへの報復や反撃を望むフロートは、その時に向伏に残るか移住するかを再び確認する。

 フロートの為の薬剤や各種物質の補充はどうするのか。

 佐久川市には確かにフロート狩りもいないが、対策部の手も入っていない。

 対策部から離れていれば――そして彼らが敵に回ってしまえば、これまでの様な確保は出来ない。

 そんな疑問も当然あったが、そこへの十分な答えは語られなかった。

 まずは、出来る限り速やかに計画避難を開始するという事だけが、その夜の結論だった。


 そして、計画避難での避難者――主に子供達――の引率と安全確保の担当者には、満場一致で梨乃が選任されたのだった。


「あれ……千尋さんと雪子さんは?」

 ふもとの山道口に少女達が集まった時、顔ぶれを見渡して日香里が聞いた。

 そこにいなかったのは、その二人だけじゃない。

 鏡子も皆が起きた時には、山のどこにも見当たらなかった。

 何となく、今夜のこの場に彼女が来ないだろうとは、皆が予想していた。

 しかし、千尋と雪子の二人もいないというのは、予想外だった。

「あの子達も……鏡子さんと同じ意見だったのでしょうか」

 不安げに呟く日香里。

 花紀はにっこり笑うと言った。

「どうしても気持ちが合わない時だってあるよ! そういう時に無理に揃ったってしょうがないっ」

「でも……」

「がこさんもちーちゃんやゆっきーも、頑固だけど無理なことする子じゃないから、だいじょうぶ」

 更に何か言いたげな日香里へ、そっと津衣菜は耳打ちした。

「今、一番不安なのは誰か、分かるでしょ?」

 少し驚いた顔で日香里は津衣菜の顔を見返し、すぐに口を閉じる。

 次に、日香里の視線は今日の主役に向いた。

 いつもと変わらない、少し眠そうな感じの梨乃が立っている。

 仲間が3人も自分の見送りをボイコットしている状況なのに、動じた様子はない。

「こちらはこちらで凄い安定感あるな」

 少し感心した様に津衣菜が呟くと、梨乃は小さく頷いて言った。

「それはある違いが世界は人の見える。私はないは見るを悪いとその人の思うはしたい戦う彼らに」

「うん、人それぞれだからね……私も、がこさんが間違っているとまでは思えない」

 梨乃の言葉に花紀が答える。

 少し単語を並べ変えながらゆっくり考えれば、梨乃の言葉も大体分かるが、花紀の受け答えでより分かるのが早くなって助かる。

 梨乃は、言葉を探す様にしながら、自分の文法でゆっくりと続きを話す。

「それはある世界の見える憎しみ、その答えにただやり返し戦うの」

 津衣菜は意識せず肩が震えた。

 彼女が隣県まで足を運んで聞いてきた話は、向伏のフロートにはまだ誰にも教えていなかった。

 それは、彼女だけが知っている『先岸梨乃についての話』でしかない。

「梨乃……あんたにも、あったの? 暴力と報復しかない、憎しみの世界が」

 津衣菜の問いに、梨乃は彼女を向いた。

 その時、フロートになってから初めて、津衣菜は自分の発言を後悔したかもしれない。

 一瞬だけ梨乃が浮かべた視線、そもそも自分の学校のクラスメートや教師とすら戦えなかった様な奴が、相手に出来る者の顔ではなかった。

 向伏市にも工業高校や低偏差値の私立高があり、そこには『危険な連中』が多くいると言われていた。

 あるいは、高校にさえ行っていない『もっとヤバい奴』の話もあった。

 だけど、そこにさえも、目の前の梨乃に並ぶのはいなかったのではないか。

 そう思わせる程の気配と視線だった。

 しかし、それは本当に二秒ほどの事で、彼女はいつもの梨乃に戻っていた。

「私の今のは……したいその事をただの為にへの……あの子達」

 津衣菜を見ながら、梨乃はそう言って少しだけ微笑んだ。

 津衣菜の聞いて来た生前の梨乃と今の梨乃、その間に一体何が存在しているのか全く分からなかったが、今はっきり分かった事が一つだけある。

 両者は、全くの別物なんかではなく、どこかできちんと繋がっている。


 少女達は徒歩で山から市中心街まで来ると、指定されていた入口から地下駐車場へ入る。

 待ち合わせていた遥はいなかったが、その代わりに高地が停めていたエルグランドの前で、誰かと電話している。

「だからよ、そうやっていつまでもすっとぼけていたら、他でもないアンタが困った事になるって言ってんですよ。俺、前にも言ったよなあ?」

 高地は、電話の向こうの相手を問い詰めている感じだった。

 話振りから、以前、教育委員会かどこかの男を彼が同じ様に絡んでいるのを、津衣菜は思い出した。

 またあの時と同じ――西高訴訟の取材か何かだろうかと思いながら、彼女は高地へ近付いた。

「ねえまた与党のエビちゃんしゃしゃり出てんでしょ? 何隠す必要があんの? あなただって、このまま海老沢が部局の主導権を握るなんて事じゃ……」

 高地は津衣菜に気付くと顔をしかめて、しっしっと手を振って追い払う仕草をした。

「誰と喋ってるの? 遥は?」

「ちっと面倒あって、まだ着いてねえだけだよ。待ってろ」

「そう。それで、誰? 例の取材?」

「違う違う。対策部絡みだ、お前らにゃ関係ねえ」

「はあ? おかしなこと言うわね……対策部なのに私達(フロート)に関係ない? 何それ?」

「そう言う話だってあんだよ、いいから向こう行ってろ」

「今、対策部がフロート狩りに近付いてるとかって話じゃない。そっちに関係があるなら――」

「向こう行ってろって言ってん――」

「―――――津衣菜? 津衣菜!」

 彼女の名前は、電話の向こうから響いた。

 年の割には若々しい、どこか子供っぽい、津衣菜の知っている声だった。

 生前の反応の模写にすぎない、そう理性で分かっていても全身の筋肉が硬直する。

 強張った声で、意識せず呟いていた。

「…………お母さん……」

「ちっ――――」

「津衣菜! 津衣菜がそこにいるんでしょ――――答えて、出して!」

 電話からは絶え間なく響く、津衣菜の母、森椎菜県議の叫ぶような声。

 高地は舌打ちの後、顔をしかめたまま椎菜の声を聞き流していたが、やがてとても面倒そうに電話を津衣菜へ突き出した。

「あー……出ろ」

「津衣菜! 今まで何していたの? あれから学校にも行っていないし、家にも帰ってないんでしょ……今、どこにいるの? そこは……どこなの?」

「場所は教えるんじゃねえぞ。帰るのは自由だがな」

「――その男――高地音矢が一緒なの? そいつから今すぐに離れなさい! いい? 良く聞いて、信じられないかもしれないけど、聞いて。そいつは普通の人間じゃなく――」

「死んでるのに動いている、フロートなんでしょう。知ってるよ……私も、そうだから」

「何それ、一体……どういう事なの……」

 津衣菜は短くはっきりと答える。

 二度と来ないと思っていた対面に、何の準備もなく直面させられた。

 だけど、今ここにいる自分として、彼女に答えなければならない。

 電話の向こうで椎菜は絶句しかけるが、さっきよりも弱い声で、途切れながらも問いを繰り返した。

「ねえ……今どうしているの、詳しい説明を」

「説明なんていらないでしょう。あなたの娘は4ヶ月前の夜に死んだのよ。ビルから飛び降りて」今度こそ電話の向こうは沈黙した。

 何かのドラマみたいに、大げさに泣き崩れたりとかしないのは、さすがに自分の知る母だと思った。

 津衣菜はそこで少し救われた気分になる。

「……さよなら」

 そう言って、津衣菜は静かに通話を切った。

「さよならじゃねえよ、何勝手に切ってんだ。俺の話がまだ終わってねえのによ」

 文句を言いながら電話を取り上げ、掛け直そうとした高地だったが、指を止めてしばらく経ってから呟く。

「当分、会話になりそうにねえな。やっぱいいわ」

 高地は電話をしまってから、顔を上げて津衣菜を見る。

 津衣菜は高地の視線を黙って見返していた。

「何が分かる、余計な口挟むな――って言いたげだな」

「言おうとしてたんじゃないの?」

 高地は肩をすくめながら答えた。

「どんな親でも親は親だとか、子供の事を大事に思ってる筈とか、親孝行してやらなきゃいかんなんて言うつもりねーよ。市内のフロートの子供を知ってりゃ尚更な」

「……」

「だけどよ、森椎菜県議は、確かに花紀とかあいつの家族みたいなド善人って訳でもねえだろうけど、ああいう子供たちの親なんかとも同じ種類じゃねえと思うぜ……俺にとっては胡散臭くて剣呑極まりない奴でしかねえけどな」

 高地は少し考え込んでから、再び電話を取り出す。

 画面から、遥に掛けようとしているのが、津衣菜にも分かった。

「お前のせいって訳じゃないが、その胡散臭い奴と、かなり面倒な事になっちまった……ったく、悪い事は、重なるもんだな」



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