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フローティア  作者: ゆらぎからす
9.零日の蝉
71/150

132日目(1)

 



 彼は、正直言って車から降りたくなかったが、自分一人だけで車に残っているのも猛烈に嫌だった。

 作業服姿で現場処理にあたる部下達も、一人残らず顔を引きつらせている。

 今週中にこの中の誰かが辞表を出してもおかしくないと、内心思っていた。

 とりあえず、退職後も守秘義務がある事は釘刺してやらんとな。

 どの程度守られるのか、彼自身も大して期待していなかったが。

 彼らが引きずって袋に詰めているのは、女の死体だった。

「『死体だった』ってこの場合、凄い適切な表現だな」

 一個ずつ持ち上げられ袋に詰められる、灰色っぽい肉のパーツの数々を眺めての独り言に、答える声がある。

「ああ、いいですねえ……『これは死体だった』んですよ」

 自分と同じく黒っぽいスーツを着た40前後の男に、ぼんやりと視線を移す。

「意識のあるうちに好き放題切り刻んで、最後に……死姦……」

「最初から、意識ある時から、いたぶってる間も、ずっと死体でしたけどね」

「……『第二種変異体』ですよ、柴崎さん」

 彼、内閣府政策統括官第32号部局――通称『対策部』、向伏市支局第二係長、高槻(たかつき)清貴(きよたか)はわざときつい口調で、柴崎礼二を咎める。

「吹っ切れまくった『アーマゲドンクラブ』は、全国から変質者ばかりを選りすぐって向伏(ここ)にかき集めたそうで……本気度を感じますね。高槻さんには結構懐いてるみたいですが」

「海老名さんに弱いとは言え、我々の変異体対応が、こんな異常犯罪と一緒くたになったらたまらないですよ」

 歪に膨らんだ袋を虚ろに見下ろして高槻が呟くと、柴崎が彼の目を見返して、説得する様な口調で答えた。

「しばらくの辛抱ですよ。まずは悪い芽を可視化させて、一息に摘み取るんです。その後で健全な、粛々とした回収対応を、当局の手で敷衍させて行けば良いんです」

「粛々ね……化け物扱いして狩り取るんじゃ、結局あいつらと変わらんじゃないですか……対策部の設置当初からの指針、『計画α』(プラン・アルファ)」は一体どこへ行ってしまったんでしょう」

「それは言っても詮ない事です。今は『計画β』(プラン・ベータ)が主流なんですから。国民からの圧倒的支持に支えられて」

「圧倒的支持? まだ一般公表もしていないのに?」

「間違ってませんよ。今のこの国で主権自由党に投票するっていうのは、そういう事でしょう」

 柴崎の口調が皮肉めいているのは、彼自身が長く無党派の――無党派議員の秘書という立場だったことに由来するのだろうかと、高槻は一時思った。

 しかし、情報が正しければ、今の彼はその主権自由党の――

「車載完了しました」

 部下からの報告に、高槻は我に返る。

 第二種変異体(フロート)の女の残骸を詰めた袋は、車の後部に収納され、現場に残った様々な痕跡はきれいさっぱり洗浄されている。

 死体の始末よりも、こっちの清掃の方が後始末としては重要だった。

「了解。そっちの警察官にこれサイン貰っといて。こっちは警察署長に電話すっから」

 部下に書類を一式渡して命じ、高槻は携帯を取りに車へ戻る。

 その背後から、柴崎の声が聞こえた。

「もしそれで納得出来なければ、αとβ、両方の計画書を有権者の皆様の前に並べて、どちらが良いか聞いて見ればいいんです。大して結果は変わりませんよ」

「変異体に一個人としての人格、市民権、基本的人権を認め、患者として対応するより、変異を我々の世界を脅かす穢れ(バグ)として、その根絶を目指し、それを生み出した『家』の責任にする――そんな前近代的な方向が求められているというのですか」

「勿論です。誤解されやすい迂遠な選択肢なんていらないんですよ。大事なのは分かり易くて、解決が早そうな道です」

「どんな解決なのかは関係ない……のですか」

「当然です。政治のニュースで、そんなものが人々の問題になった事なんて一度もないでしょう」

 沈んだ声で独り言みたく呟く高槻に、オーバーに肩をすくめながら柴崎が答える。

 高槻は溜息をつきながら、携帯で警察署長に対策部としての報告を入れた。

 電話を切ると、小走りで現場に待機していた警察官の所へ行く。

「署長さん承諾頂きましたので、確認を――ああ大丈夫ですか、何度もありがとうございます」

 対策部への権限移譲の手続きが終了し、現場を去る警察官の背中を見送りながら高槻は言った。

「私は……彼ら(・・)と何度も、何度も、対話して来たんです」

「私だってそうです。ねえ高槻さん、流れには逆らえませんよ――自分の立ち位置をちょっとずつ調整して、うまく乗りこなすのが精一杯です」



 対策部のワゴンが走り出し、その場を離れるまで、彼らは身じろぎもせず隠れていた。

 彼女(・・)を助ける事は出来なかった。

 最近フロートになったばかりの60過ぎの彼らは、フロート狩り自体それまで見た事がなかったし、それに、そこにいた連中は今まで以上に危険過ぎた。

 悲鳴を上げながら解体されて行く仲間を、悲鳴が聞こえなくなってから狂人たちが始めた事を、ただ見ているしか出来なかった。

 せめて『遺体』の回収だけでも――その希望も叶わなかった。






     フローティア  第9章


     零日の蝉




 132日目(1)



「ひさしぶりの大集会だというのに、最初の話がこんなので、本当にすまないね」

 言葉は軽い調子だったが、そう口にする遥の声は気味悪い程に静かだった。

 生者の目では歩くのもままならない、大型物流施設のランプウェイ上層部。

 去年、津衣菜が最初に連れて来られた場所だ。

 あの時と同じ様に、照明の切られた暗いスロープに沿って、側壁やキャットウォークにフロートがたむろしている。

 遥の周囲に散らばっているだろう、何十人ものフロートからは、一言も返事が返って来ない。

 津衣菜達も、花紀を中心に少し離れた場所から遥を見下ろしていたが、誰一人言葉を発する者はいなかった。

 津衣菜の視界の端に、見覚えのある連中の姿があった。

 天津山(あのつやま)で、ボウガン男を追い回しいたぶっていたグループだ。

 確か市の南側を拠点にしていた、津衣菜達よりも年長の、二十代前半のグループ。

 かつて山で花紀や少女達の事を罵っていた女が、仲間と掴み合ったままうなだれて震えている。

「フロートは……泣けない……」

 津衣菜の呟きに、花紀は振り返らないまま頷いた。

 彼らの間には、異様な緊張感が漂っていた。

 漠然と不安げにしているだけの者も多かったが、明らかに殺気だっている者の姿もある。

「コミュニティにまだ合流していなかった、多分なりたてのフロートだった」

「これから知ってる奴になった……きっと同じグループで」

 震えていた女性は、遥にそう答えて言った。

「ああ、そうだったろうね」

 遥は言葉の後に、自分の横の暗がりへ視線を走らす。

 3人の高齢の男性フロートが現れた。

 女性のフロートが襲われた現場付近、市北部の三島町を拠点にしていた彼らは、彼女とそれを追うフロート狩りを目撃した。

 すぐに遥へ連絡し救援依頼を掛けた後、彼女達を追跡したが、彼女を捕まえたフロート狩りの前へ飛び出す事は出来なかった。

 そして、おぞましいショーの一部始終を目撃する事になる。

「助けなかったのかよ」

 彼らの話の後、やはりその行動を責める声がどこかから飛び、いたたまれなさそうに彼らは俯いた。

「それで良かったんです。こう言っては失礼ですが、あなた達だけでそこに出ても、犠牲が増えただけですから」

 遥が彼らへそう声を掛ける。

「……対策部はいつ頃来ました?」

「1時間近くそのままでした」

「一般人にも目撃されたでしょう」

「ええ、何人か悲鳴を上げて……警察官が2人来ましたが、殆ど何もせずそこにいて、対策部が来たら入れ替わりで戻って行って」

「……わざと、かな。意図的に人目に触れる様にしていた」

「問題は、今回、『誰』の目に触れさせるつもりだったかだ……僕たちか、一般人の生者か」

「どちらだったとしても、ロクな話じゃないね」

 どこかから響いて来た曽根木の声に遥が返事する。

 発見者の高齢フロートがその時、痛みを含んだ声で言った。

「私、勘違いしていました。昔はホラー映画好きだったんですよ。だから彼らも、あんな風に戦わないと自分達が生き残れないと思って、必死になっている人達だと思っていた……全然違いました」

 津衣菜はふと花紀の横顔が気になった。

 彼の言葉を聞いていた花紀が、特に悲しげな表情を浮かべた様に見えた。

「どうしたの、ついにゃ」

「いや……」

 不自然なのを承知で彼女の正面に回り込んだ時、花紀は普段の様子できょとんと津衣菜を見返しているだけだった。

「攻撃もしない会話だって出来る相手に、それを知りながらあんな酷い事が出来るのは、ゾンビハンターなんかじゃなかった――チェーンソーを持った殺人鬼と同じ種類にしか見えませんでした」

「これまでだって、フロート狩りの醍醐味は、無抵抗の相手を悪役にして嬲り殺しに出来る所だった。そういうゲームを楽しみたい奴らが集まって来た……だけど」

 遥は言葉を切った。少し間を置いて続ける。

「今回のは、それとも根っこから違っている。今までいた奴らじゃない――今度の犠牲者は、執拗に解体された後、死姦されていた……これがどういう事か分かるかい」

 周囲の闇がざわつく。

 年配より若いフロートが、男よりも女が、より緊張度が高く殺気立っていたと言える。

「もう悪役にする必要さえない。人間相手にそういう事をしたい奴が、フロートを替わりにしているだけ……新生アーマゲとやらは、日本中から重症の変態を選りすぐって、ここへ送り込んで来たらしい」

「それで」

 また別の所から別の声が上がる。

 今度は、太い男の声だ。

「これだけの真似されてんのに、まだ、『報復するな』なのか?」

 僅かな物音と共に、辺りの視線が一斉に遥へ集まった。

「さすがに」

「そりゃねーよ」

「普通の人間だってこんなものは――」

 口々に交わされる期待に満ちた言葉は、遥が「そうだよ」と答えた時、一斉に静まり返る。

「報復を含む、こちらからの生者への加害を禁止する。これに変更はない」

「ハルさんっ!」

「遥ぁっ!」

 さっきの女を含む数名のフロートが、鋭い声を上げた。

 そしてその中には、鏡子の声もあった。

「もうはっきりしてるでしょう!? あいつらにとって私達は敵でさえない。ただの玩具なんだって」

「分からせる方法は、もう一つしかねえ。何度も俺らは言って来たよなあ?」

 バルコニーやキャットウォーク、非常階段のあちこちで、ひりつく様な気配が揺らめく。

 それは、ゆっくりと具体的な抗議者の形を取って、遥へと集まりつつあった。

「必ず報復する。それが仲間の為じゃねえのか?」

「次は、奴らの死体が新川に浮かべばいいんだ。そうじゃねえかよ?」

「奴らが難しいなら、奴らの家族でも良い。住所だって分かっているんだろ?」

「いつまで『殺さない保証』なんてするつもりですか、ハルさん!」

 津衣菜の近くでも、低い怒声が響いた。

 弾かれた様に、花紀が声の方向を振り返る。

「あいつらは、『ここにある彼岸』を舐め過ぎた。そういう事すよ! 生者も死者もない。やるかやられるか、それがこれからのあたしらのルールだ。あいつらがそれを選んだんだ」

 気勢を上げる鏡子。

 タラップを飛び降りて、遥のいる所へあっという間に辿り着く。

「自分達があたしらに、意識あるまま解体され、犯され、火で炙られ、肉を削られ、腸も骨も抜き取られる。そいつを教え――てや……る時で……」

 言葉途中の鏡子の眼前に、銃口。

 遥は凍りついた鏡子から視線を外さず、銃を向け続けていた。

「ハルさ……ん……?」

「鏡子、私達の記憶力は良くない。だから何度でも教えてやる。このルールは絶対だ」

 遥は冷たく鏡子を睨んで答える。

「私らの報復を、誰が公正に審判するんだ? どこにもいないんだよ、審判(そんなもの)は。私達は誰も殺していないという事実が、私達を守るカードになっている」

「全然あたしら守られてないじゃないっすか! 役に立ってないんすよ、そのカード!」

「守られていない状況を、あんたは知らない――こんなもんじゃないんだよ、『フロートが守られていない』って言うのは」

 鏡子は銃口を凝視しながら、身動きもせず突っ立ったままでいる。

 だけど、津衣菜や花紀、戸塚山の少女達がいた辺りからは、その足が震えているのが少し見えた。

 銃の向こうの遥の顔へ、睨みつけたまま鏡子は尋ねる。

「あたしらの事はあたしらで決めりゃいいじゃないかよ。あたしやハルさんが審判じゃダメなのかよ……」

「思いあがんな」

「あたしは知ってるんだよ! ここだって、今みたいになる前には、対策部の研究所だって施設だって幾つも潰して、殺しだって……日香里みたくそうやって助けた子だって」

「個人的に戦争がしたいなら、ここを出て一人でやれよ」

 目も、表情も、銃口も動かさないまま、遥は鏡子を一蹴する。

 津衣菜も、ここまで冷たい遥の声は初めて聞いた。

「個人的にって……あたしは」

「そうだろ? あんた一人の願望だ。もう少し言ってやろうか? あんたは報復ですらない。報復も口実にして、そういうクズ男を自分で殺したいってだけだろ。むしろ、あいつらに近い性根だよ」

 鏡子は無表情のまま、両手を遥へ伸ばした。

 遥もその反応を受けて、今まで掛けていなかった引き金に指を当てる。

「マジかよ、ハルさんでも……言っていい事と悪い事ってあるよ……」

「私に『言って悪い事』なんてあるのかい。何だい、教えてくれよ。仲間が自分自身についている嘘を暴く言葉とかい?」


 ひゅっ――――カラカランッ!!


 空気を切り、何か固い物がコンクリートの床を何度も跳ねて、高い音を響かせた。

 その音で、鏡子も、遥も、他のフロート達も一斉に動きを止めた。

 彼女達のすぐ近くに、さっきまでなかった銀色のラチェットレンチが転がっている。

「あー、私らもアレだったけど、人が来るかもとか少し考えようね……梨乃」

 レンチの向こうへ視線を向けて、遥は苦笑しながら梨乃へ声を掛けた。

 特に返事もせず、ぼんやりした顔のまま梨乃は鏡子と、遥へ迫った他のフロート達の方へ歩いて行く。

「何だよ……」

 遥から梨乃へ視線を移し、険しく睨みつけたまま鏡子が尋ねる。

「誰するあなたたちが為の奮う勇気と望むの戦い」

 鏡子の前に立った梨乃は、少し躊躇した後、ゆっくりと言葉を出していく。

「それは違うのが、ただ、あなただけの戦いがさせる覚悟であるは皆」

 舌打ちが聞こえた。

 鏡子のではなかったが、鏡子もかなりの苛立ちを梨乃に見せている。

「いけないは量る勇気と怒りの決めるが」

「何言ってんだか、分かんねえんだよ!」

 鏡子の怒鳴り声に合わせて、他のフロート数名も梨乃を罵り始める。

「きちんと喋れねえんなら出てくんじゃねえよ、馬鹿が!」

「言葉がぽんこつな奴は引っ込んでいろ!」

 罵られても梨乃はそれに怒る様子は見せなかった。

 少し困った顔を浮かべて、黙りこむ。

 委縮したのではなく、伝わる様に喋れる言葉の並びを考えている様だった。

「なしのんは、ぽんこつなんかじゃないもん」

 そんな声が、フロート達が集まっている中でも一番外側、上の階の柵から聞こえた。

 次の瞬間、白くて小さい複数の影が、ランプウェイに降りて姿を見せる。

 もみじとぽぷら、他数名の、市中心部や南部の子供達だった。

 味方である事をアピールするかのように、彼女達は梨乃の背後に集まる。

 少し遅れて、稲荷神社組や北部の男性達もそれに加わる。

 花紀と津衣菜、日香里や梨乃がついたのは更にその後だった。

 同じ班の仲間まで半分以上が――花紀まで、梨乃についたのは鏡子も少しショックだった様で、弱気な色を浮かべていた。

「誰よりも、きちんと分かっているよ。一番の言葉を持っているよ。なしのんは」

 反発するのではなく、説得する様に花紀が鏡子や他のフロート達へ言う。

「ちっ、お花畑がよ……」

 舌打ち混じりに毒づいた、少し年上の女のフロートへ津衣菜が静かに言った。

「あんたの示した勇気とやらで誰が戦わされるのか、自分だけの覚悟で終わらないって事を考えなって言ってるの。お花畑はどっちなの」

 津衣菜としては、別に自分の主張をしたつもりはなかった。

 梨乃の言葉を自分なりに翻訳したつもりだった。

 間違っていないか確かめる様に花紀へ顔を向けると、彼女はふんわりと笑って津衣菜を見返した。

「ついにゃー、だいじょうぶ……がこさんだって、本当は分かっているよ」

 梨乃は後ろに集まり、服の裾を掴むのもいる子供たちを見渡してから、再び鏡子達に向かってゆっくり伝える。

「今いる子達を、守ろう。それが最高のこと」

 鏡子は強張った顔のまま目を伏せた。

 強く食いしばった歯を開き、押し出す様な低い声で呟く。

「今残っている奴の為に、やり返せってんだよ……」

 そのまま乱暴に踵を返すと、遥の横をすり抜けて暗がりの中へ消えて行った。

 追おうとした花紀は、遥に手で制止される。

 ぱちぱちと、どこかから拍手の音が響き、それは次第に数を増していく。

「あー、何度も言うけど、目立ち過ぎて下に聞こえない様にね……」

 苦笑しながら遥が言う。弁えているのかそれ以上煩くなる様子もなかったが、下の階に聞こえないかどうかは微妙だった。

 梨乃の周りの子供たちだけが、最後まで彼女に笑いかけながら拍手し続けていた。


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