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フローティア  作者: ゆらぎからす
8.でっどおああらいぶ! 幽霊ホテルのチキンレース
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125日目(4)

 125日目(4)



 津衣菜が着ているのは、解体工事の現場で見かける様な作業服。

 空調ファン内臓で、フルハーネス(安全帯)も付いた本格的な装備だった。

 頭にはヘッドライトつきのヘルメット。

 右手のギブスにも数本の命綱とフックが通され、左手には伸縮式のアルミ製の足場板を抱えている。

 これらの装備や器材は、元々、ホテル住人がここ(・・)で何か作業する時の為に――と向伏から送られて来ていたものだ。

 津衣菜の記憶の片隅にもあった情報だったが、まさかそれを自分で使う事になるとは思ってもいなかった。

 一応抱えてはいるが、足場が必要な所まで一人では行かない。

 一人で行ける所まで行って、その先は反対側から来る千尋か、後から来るだろう匠達との合流を待つ予定だった。

 この危険エリアの先行探査は、津衣菜と千尋、そして匠ほか二名の信梁班メンバーに絞られた。

 北部地区班の大人は、特に必要なら来てもらうが、基本的に入口付近で様子見待機。

 力仕事や荒事には自信のある彼らだが、身体の制御は、津衣菜や匠よりもかなり鈍かった。

 場所がら、そこがスルー出来ない問題となったのだ。


 廊下の惨状は、津衣菜が想像していた以上だった。

 少し進んだらもう、床が半分以上なくなっていた。

 残っていた床板の場所も、彼女が足を乗せただけで派手な音を鳴らす。

 壁に並んだ扉の向こう、シングルの客室も似たような状況なのが、ボロボロで半ば筒抜けの壁から見る事が出来た。

 足を踏み出す度に、また、壁や近くの柱に手をつく度に、ヘッドライトに煙の様な埃が舞いあがって照らされる。

 足元でべきべきと破砕音が響いたと同時に、津衣菜はあらかじめ周囲に張っておいたロープを、足場を抱えたままの左手と殆ど動かないギブスの右手でも握り込み、梁の通ってそうな辺りへ足を移動させる。

 ぽっかりと空いた暗い穴に、自分の立っていた数十センチ四方が崩れ落ちるのを確認する。

 穴の中では錆びた鉄骨の交差と、朽ちた建材やパイプやケーブルの積み重なりが、ライトの光に照らし出された。

 津衣菜は壁際に貼りつく様に立つと、足場板をフックで作業服に固定した。

 身体の向きを変える事も屈む事も出来なくなるが、手の自由度が増える。

 フックの幾つかをハーネスから外し、腰に巻いた別のロープに鉤を取り付け、前方へ放り投げる。

 そして、壁沿いに、梁の上をロープ伝いに進んだ。

 十メートル、十二メートル……十五メートル……もう少しで二十メートル

「――危ないっすよ」

 十八メートルか更に数十センチ進んだ所で、暗がりの中から声を掛けられる。

「あんたこそ危ないんじゃない……何そんな所でウロウロしているの」

 指先でヘッドライトの向きを変えると、廊下の真ん中の離れ島みたいな板の上で、千尋は下の空間を見下ろしながら飛び移るみたいな足取りで往復していた。

「先輩と違って首も動かせますし、そこに足場も掛けてますから」

 千尋の指した先に、比較的床が残っている辺りから梁の一つへ、津衣菜が持っているのと同じ足場が伸ばして掛けられていた。

「ところで、ここまで梨乃さん達見ませんでしたよ」

 津衣菜は千尋の言葉で、目だけ動かして足元の穴を一瞥する。

「先輩も見てないんなら……二人は間違いなくこの下っす」

 津衣菜は少し強くロープを握って、大きめの声を上げた。

「梨乃、そこにいる? いたら返事して」

 声と共に埃が一際舞いあがる。

 暗い廃墟の中で彼女の呼び声は、ふわんっと反響した。

 しかし、穴の底から応えはない。

「梨乃さんっ、聞こえますか? 梨乃さん」

 千尋の呼ぶ声は、津衣菜よりも幾分パワーがあり大きめだった。

 埃の流れが変わり、反響はよりはっきりと響いた。

 しかし、やっぱり応答は聞こえない。

「どうも下の4階まで、空間が二層か三層くらいあるみたいなんですよ」

「そう……みたいね」

「結構、奥まで入っちゃったんすかね……」

「どうして?」

「え?」

「どうして……奥へなんて行くの」

「うーん……」

 津衣菜の問いに、千尋は顔をしかめて考え込んでいる。

 隣県からこのホテルに来たフロートの少女が、梨乃を見て逃げたという事を、千尋は知らない。

「あっちの肝試しか調子に乗った生者と間違えて、脅かしちゃったんすかね、梨乃さん」

 特に考えた様子もなく、千尋は軽く答えた。

「…………梨乃っ!」

 さっきよりも大きく、鋭い声。

 千尋は少し驚いた表情で津衣菜を見つめる。

「ど、どしたんすか……僕も確かに二人心配っすけど……」

「い、いや……何でもない」

「先輩が焦っちゃダメっすよ。それでももし急ぐってなら、降りてみましょうか? 二人で」

「え……いや、信梁が来るまで待とう」

「ならいいっすけど、落ち着きましょう」

 津衣菜は穴の向こう、さっきより見やすくなった床下のスペースを黙って見つめる。

 理由は分からないけど、少女が一人でパニクって梨乃から逃げた。

 多分この場にいるフロートの、ほぼ全員がそう思っている。

 残り少数の、理由を知っている者。

 ナツキさん含むホテル住人のフロート数人と、自分自身。

 やはり、『あの子が一人で怯えた』だけなのだと思っている。

 だけど、それは確実な答えだろうか?

 津衣菜の中には一抹の不安が潜んでいた。

 少女の逃げたのは、何かの間違い(・・・・・・)ではなかった(・・・・・・)とすれば。

 あの子の前で、あの『黒蝶凶蘭』がまた咲いたとすれば――


 津衣菜の思考は、背後からかなりの速度で接近して来るガシャガシャと言う金属音と足音でに、遮られた。

 津衣菜や千尋の様に一人一枚なんて言わず、数枚の足場を何度も入れ替えて、梁から梁へと道を作って3人の少年が姿を見せた。

 彼らは津衣菜の数倍のスピードで、ここへ到着している。

「よお、待たせたな。もうかなり時間押してるから、サクサク行くぜ」

 津衣菜達と同じ空調作業服にハーネス姿の少年達だったが、ずっと手際良くロープとフックを振るう。

 一人がまず降下して足場を作り、続いてもう一人がロープを張り巡らし、残り三人、匠と津衣菜と千尋へ「来い」と合図する。

 高さ1メートル半程の床下スペースは、廊下より足元が残っているとは言え、腐食度合いは廊下以上に不明瞭だった。

 足を置いて、少しでも変な感触や音があれば、すぐさまロープにしがみついて移動する。

 大方大丈夫だったが、それでもたまに、がらがらばきばきとけたたましい音を立てて足元に更に下への穴が空いた。

 その下のスペースは床下と言うよりむしろ、4階の天井裏だった。

 5階の廊下や床下を見た後では、結構マトモな状況に見えたが、やはりボロボロだった。

 4階はフロートの居住エリアになっていた筈だが大丈夫なのかと、津衣菜も不安になる。

「こりゃ、やっぱり危ない危ないと言ってばかりいらんねえよな。それなりに手も加えてかねえと」

 津衣菜と同じ事を考えたのか、匠も呟く様に言った。

「俺らだって信梁地区の旧下水道、梶さんや純兄とあそこまでリフォームしたんだ。人が来ない所なら結構やりようがある」

 少年の一人も、匠の言葉に頷きながら言う。

 意識してかしないでか、梶川と純太の存在が、彼らの思い出には濃く残っている。

 彼女達のいる5階床下と比べ、その下(・・・)は通りやすく見える。

 梨乃と少女も、この4階天井裏まで降りたのだろうか。

「とりあえず、こっちから探すぞ……そりゃ、綺麗な所まで降りたいけどよ……もしこっちにいたら、下から上へまた登るのは、降りるより面倒くせえんだよ」

 更に下への穴を覗いていた津衣菜と千尋に、匠は手で前方のゴミだらけの暗闇を指した。

「梨乃――――梨乃――」

「梨乃さあん……聞こえるっすか―」

 順番に、なるべくスペース内で響かせるように、津衣菜と千尋で梨乃を呼ぶ。

 匠達は、特に呼びかける事無く、移動の為の足場づくりやフックやロープの着け外しに専念している。

 廊下より暗くてぐしゃぐしゃなのに、彼らのおかげで、廊下にいた時よりも進むのが楽で速かった。

 もう一人、少女の事も呼んだ方がいいとは思ったが、誰一人そっちの名前を聞いていなかった。

「………ぁ」

「――梨乃?」

 暗闇の向こうから、微かに自分達とは違う声が聞こえた。

「――違います」

 梨乃とは違う、津衣菜達よりも年上っぽい女性の声。

 梨乃と少女を追って、更にJチームのフロートが何人か廊下に行ったと聞いていた。

 声の女性は、その一人だろう。

 二十メートル程先で、声の女性含め3名のフロートが固まって梁に座っていた。

 彼女達は足場を敷きながら近付いて来る津衣菜達を見ると、一斉に安堵の表情を浮かべた。

「すみません、ここで動けなくなりまして――」

「変に動かないのが一番です。では、走って行った人とうちの梨乃は見つかっては――」

「いえ……そこにいます」

 フロート達は首を横に振ると、自分達の囲んでいた穴の下を指差した。

「え……?」

 津衣菜の聞き返す声と共に、穴の中からも声が聞こえる。

「それはそれか、さんの津衣菜」

「梨乃!」

 駆け出しはせず、その場で津衣菜は呼び返す。

「何の人数のいるのそこ」

「……津衣菜さんと僕、信梁の男3人で5人っす、下で、動けないんですか?」

 千尋が梨乃の質問に答えて、向こうの状況を尋ねる。

「私とさんのいちの試みるは運ぶは彼の人は、生きるの学生が逃げるは幽霊からと、落ちるは廊下は上の」

「梨乃と……『3-1』(さんのいち)?」

「イチさん……イチカさんです……多分。あの人と一緒に落ちたうちの女の子です」

 女性フロートが答えた。

 津衣菜達の到着まで何度もやり取りしているのか、梨乃の言葉を結構理解している様子だった。

「梨乃、そこに生者の学生もいるの? その子と二人で、彼を助けようとしている、そうだね?」

「……はい」

「あの……助けが来たんですか?」

 穴の中から、梨乃ともう一人の少女とも違う、若い男の声が聞こえた。

 そんなに大きくない、弱々しい声だった。

「はい……ロープも足場もあるから、安全な所まで運べると思います」

 また女性フロートが彼にも答える。

「すみません、皆さんの邪魔をした上に、ご迷惑おかけした様で」

 男は、穴の上のフロート達も、近くにいるらしい梨乃や少女も生者だと思っている様だった。

「皆分かりませんでしたから、僕らの他に今夜ここで集まっている人達がいたなんて」


 津衣菜達5人、そして待機していたJチームのフロート3人も穴の下へ降下する。

 梨乃も少女――イチカにも特に損傷や、動けない状況はなかった。

 学生の男だけが足をくじいて、その場から動けなくなっていた。

 梨乃達二人も、男を運んで動くには周りの床が危なすぎるというので、取りあえず助けが来るのを待っていたらしい。

 津衣菜は、彼女達の話を聞いて強く疑問を感じていた。

 梨乃を見て逃げたイチカと、イチカを追った梨乃の間で、そのわだかまりは解決しているのか。

 梨乃からも当のイチカからも、その話が一切出て来ない。

 二人は互いに怯えや妙な感情を見せる事もなく、けが人の救助やここからの脱出について、普通に会話している。

 けが人を助けるのが優先と言う事で、気持ちを切り替えて棚上げしたのか。

 梨乃の写真を見た時のイチカの反応を思い出せば、そんなに簡単に切り替えられる話ではなかった気がする。

「どうしたんすか、先輩」

「いや――梨乃、ちょっと残ってくれる? 私と千尋と梨乃でこの人を4階へ下ろす。信梁はどこか4階へ降りる安全なルート作って、Jチームの人達は先に降りて、その後私たちで」

「大丈夫」

 梨乃は短く即答した。

 こういう時はなるべく短く答えるという、いつもの彼女なりの気遣いだった。

「イチカさんと何かあったの? そっちは解決した?」

 津衣菜は単刀直入に梨乃へ尋ねる。

 外目にも『何故かイチカが梨乃を見て逃げたっぽい』という事にはなっている。

 その程度なら特に余計な話を挟まず訊けると思ったのだ。

「――した」

 これも即答だったが、梨乃にしては珍しく、少し間を置いての答えだった。


「あの……皆さんも廃墟探索のサークルとかなんですか?」

 換気口の一つから4階廊下へ全員が降り切った時、学生の男は見回しながら尋ねた。

「まあ、そんなところですかね……」

 津衣菜がそう答えるが、男は少し首を傾げながら彼女の装備を凝視して言った。

「いえ、結構装備が揃っていますよね……解体作業みたいで、凄く本格的ですね」

 男は何か疑うのではなく、普通に感心した様子で装備を注目していた。

 そして、津衣菜と千尋をもう一度見て、更に首を傾げた。

「そして、何かとても若い感じしますね。僕らも学生ですけど……高校生の人もいる様な……中学生……はまさかいないでしょうけど」

「暗いから、そう見えるってのもあるんでしょうね」

 津衣菜は軽い調子でそう答える。

 生者の学生を救助したということで、『廃墟ホテルに来ていた別のグループ』を名乗って彼らの前に姿を見せるという方向は、あらかじめ館内のフロート全員と話を合わせていた。

 その先どうするのかも。

 幽霊退治を唱えて木刀振り回していた馬鹿の集団は、ついさっき、全員西棟の通用口から全員帰って行ったと情報が入った。

「あいつらもやっぱり臆病だったんですかね、良く話せば普通の人達って分かるのに、霊に襲われたと思ってあの騒ぎだったんですからね」

「ですねー」

 相槌を打った津衣菜の耳に、前方の階段、階下からの複数の足音が響いていた。

 一人西棟の5階で事故に遭ったらしいと今頃確認取れたのだろう、学生達が彼を救出しに来た音だと分かった。

 落ちついた足取りで、津衣菜は階段室へ入り、階下を見下ろす。

 3階から4階へ上って来た数人の学生は、明らかに自分達の仲間ではない津衣菜を見てぎょっとした顔を浮かべる。

 その新しめな空調服やロープや足場板を見て、彼女を幽霊だとは思わなさそうだが、得体が知れないという点に変わりはないだろう。

「だ……誰だ?」

「死者の怒りなんてないと思うかい。立ち入っちゃいけない場所なんてないと思うかい」

 彼らの問いに、津衣菜は問いで返し、続けて言った。

「でもそういうのは、確かにあるんだよ――別に、怪談でも何でもなく」

 意識はしなかったが、かなり寂しげな声になった。


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