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フローティア  作者: ゆらぎからす
7.「過剰さ」の相互補完
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109日目(2)

 109日目(2)



「準備して来た?」

「……何を?」

「今日は、小川の奴やその親を何とか外に出して、発狂する所撮るつってたじゃん」

「知らねえよ。具体的に何やんだよ…………あのさ」

「何だよ」

「俺たち、何でこんな事やってんだろうな……?」


 車の通らない夜道を、暗色のトレーニングウェアを来た少年が二人、連れ立って歩いている。

 先日も紗枝子の家の周りにいた、彼女と同じ西高二年の男子だ。


「そりゃ、小川とかキモくて調子乗っててムカつくからじゃねえ? 西高の恥、向伏の恥だよ。猫や鶏や兎殺して回ってたキチガイ女が、学校が間違ってるとか、裁判するとか言って目立とうとしてさ」

「俺らに、そんな重い愛校心なんかあったっけ……? 但馬(たじま)はどうだか知らねえけど」

「あいつ、本当に楽しそうだよな……人を追いこもうとするの。自分の後輩ながら怖いわ」

「俺さ、本当に動物殺してたの、あいつじゃないかって思うんだけど……それで、小川と揉めた時に」

「だから何だよ。俺らに関係ねえよ。小川が犯人って事で全校一致してんだから。あと、あんまそういう事俺に喋んなよ。あいつの親だけじゃなくて、あいつ自身の政治力もやべえんだからな」

「何となく、なんだよな。みんなで、あいつら許せねえってなって、盛り上がってさ……俺もお前もだし、大体の奴らもそうなんだよ」

「別にいいだろ。ちょっと夜散歩がてらに生放送やったり、荷物運んだりする程度の事だろうが」

「お前さ、全国のネットとかで、自分のやってる事そう説明出来んの?」

「……」

「誰がどう見たって、嫌がらせなんだよ。それも相当悪質な……人の家庭や精神壊せるレベルの。俺らはそれを手伝っている。その実感もなく、みんなの為だと思いながら……そしてそれは実際に、みんなの為になっているんだ」

「悩むな。そんな事いくら悩んだって、どうせ……無駄なんだからよ」

「……桜だ」

「おお。もう散ったんじゃねえのか」

「天気予報だと、こっちじゃもうしばらく咲くってよ……暗くて見づらいけど、凄い量で……綺麗だな」


 彼らの通る道の両脇に、桜の木が長い列を作っていた。

 花見に使われる事を防ぐためか、街灯の光は最低限の明るさとなっていた。

 二人の周りを暖かい風と共に、薄桃色の花弁がごうっと吹き回る。

 少年の一人は、花弁の嵐が去った後もその場に立ちすくんでいた。

 先を急ごうとしたもう一人が、やや苛立った声を掛ける。

「何やってんだ、やる気出ねえのも分かるけど、今夜のノルマは片付け……」

「誰だ……そこに……桜の中にいる」

「あ? 人、いんの? こっち見てるのか?」

「…………森?」

 彼の口にした名前に、もう一人も前方の桜並木へと目を向ける。

 その中の一本の根元で、花弁に照らされる様に薄白く、制服姿の女子生徒が浮かんでいた。

 彼らと同じ西高の制服。

 厚く巻かれたマフラーに、少し季節感のずれを感じた。

 だが、確か最後に見かけた時と同じ格好だった――様な気もする。


「森? 森……津衣菜……かよ? まじで?」

「ああ……お、おいっ」


 森津衣菜。

 去年の秋の暮れ、入院を理由に長い休みを取り、学校に来なくなったクラスメートの女子。

 やがて彼女の家から、本当は失踪している事を公表された。

 母子家庭で、母親は県の議員をやっているとか言うのも、その頃に聞いた。

 どんな顔をしていたのかも思い出せない。

 でも、その黒い羽根の様に、風になびくポニーテール。

 それだけは彼の記憶に残っていた。

 彼女が桜の中で踵を返した時、そのまま花弁に溶けて消えてしまいそうに見えた。

 だから、彼は吸い込まれる様に彼女の姿を追っていた。

「おい? 待てよ!」

 もう一人も、慌てて彼と津衣菜を追って走り出す。

 道を外れ、足元も見えない勾配の上。

 止む事のない桜花の風と、振り返り浮かべる、彼女の儚げな微笑み。

 それだけが、彼の視界に写る全てだった。


「森だろ。今までどこで何やってたんだよ。お前の事、警察とか探してたぞ。生きてた……のか…よ」

 追いながら彼が津衣菜に掛けた声は、途中で力なく途切れる。

 数ヶ月見つからず、いなくなった時のままの恰好で現れた彼女。

 生きているとは――この世のものだとは、思えない。

 それでも、彼は彼女を追う事を止められない。

 もっと深く、暗い中へと、足を踏み入れる。

「止まれ! 何やってんだ!」

 後ろから追って来た友人の怒鳴る声に、彼は足を止めた。

 自分の爪先の前に地面はなかった。

 高さ3メートルほどの断層。

 その下には粗大ゴミや廃棄物が転がり、散乱するガラス片や金属片、突き出た鉄筋。

 落ちていたら無事では済まない――死ぬ確率も高い。

 目の前に津衣菜の姿はなかった。

 彼が思わず息を吸い込んだ時、背中に押す力を感じる。

 誰かが抗えない程の力で、全体重を掛けて前へ押している。

 彼はそのまま前へつんのめり、両足は虚空に揃う。

 浮遊と落下を感じると同時に、彼は気を失っていた。


「くそおっ、何だってんだ……!」

 友人を追って来ていたもう一人は、毒づく。

 今にも断層へと落ちようとしていた彼に怒鳴って、足を止める事には成功した。

 だが、次の瞬間、白いシルエットが彼の背中を覆い、共に虚空の中へと消えた。

 西高の女子冬服にマフラーとギブス、覚えている。

 確かに数か月前に失踪したクラスメート、森津衣菜だった。

 あんなに見る者を、惹きつける女子だっただろうか。

 そんな記憶はない。

 あの引き込まれる様な足取り。

 この世のものではない力で魅入られたのだ、連れも自分も。

 津衣菜と友人の消えた断層のふちへ、彼は身を乗り出す。

 その下の、暗がりを恐る恐る覗き込もうとした。

 それは失敗だった。

 真下の闇の中から一本の手が、彼の首を締め上げる。

 そして目の前に、森津衣菜の顔があった。

 彼女はこの世のものではない。それを一瞬で理解出来た。

 薄く紅く光る、開きっぱなしの瞳孔。

 どこまでも白く、どこか剥製の様な質感の肌。

「いやだ……た、た……すけ……」

「オイデオイデオイデ、ワタシワタシワタシノイルトコロ」

 唇を開いて屍の少女が哄笑を見せた時、彼の意識は闇に沈んだ。


「ここは……?」

 目を開いた彼は、身体を起こす。

 足の下には鉄板の感触。

 目の前から森津衣菜の姿が消え、友人の怒鳴り声で我に返り、その直後に後ろから何かが圧し掛かり――

 彼の記憶は、そこで終わっている。

 ゆっくり周囲を見回して、自分がさっきの断層の下、ガラスや金属の廃棄物の山の上にいる事を理解した。

 数メートル先に、連れの少年が倒れていた。

 意識はないが、怪我もなく、命に別状もなさそうだった。

 どういう訳か、落ちて怪我する事は避けられたのだと判断する。

 津衣菜をこれ以上追う気も、予定していた紗枝子の家へ行く気も、彼には残っていなかった。

 どうして彼女が自分達の目の前に現れたのか、何をしようとしていたのか。

 分からないし、分かりたくもなかった。

 どうして、自分があんなに彼女に惹き付けられたのかも。

 友人の元へ行こうとした時、背後に凄まじい寒気を感じた。

 振り返ってはいけない、そう思った筈なのに、彼は振り向いてしまっていた。


「連レテ行クヨ、イコウイコウ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ」


 すぐ真後ろに津衣菜は立っていて、彼を見ながらケタケタ笑い出した。

「ひいやゃああああああああっ!! あああああああ!!」

「きゃはははははは! ははははははは!」

 腰を半分抜かしながらも腹の底から絶叫を上げ、彼は津衣菜から死にもの狂いで離れる。

 友人を抱えながら叫びつつけ、廃棄物の山を転げ落ちて行った。

 彼の背中を、津衣菜の哄笑が追い打ちかけ続けていた。



 闇の中へ消えて行った、かつてのクラスメートを見送りながら、津衣菜は内心釈然としない気分のままでいた。

 どうして彼らは、あんなにちょろい反応を見せたのか。

 ぼんやり自分について来て、あっさり恐怖に駆られて逃げ惑ったのか。

 自分が彼らにどんな心理効果を与えたのか、全く自覚が持てない。

 彼女は終始、雪子に言われた通りで動いていただけだった。

 廃棄物の山から、彼女もゆっくりと降りる。

 紗枝子の家の近くで待機している筈の、雪子の事も気になっていた。



 待ち合わせていた場所に誰もいなかった時から、但馬大翔(たじまはると)は『敵』の存在を感じていた。

 この直感を培ったのは、動物殺しの経験か。

 それとも、未だ公の場で取り上げられない『第二種変異体』――生者の敵であるゾンビを狩って来た、『光陰部隊』のボウガン使いの経験からか。

 どちらなのかは、彼自身にも分からなかった。

 弓道部の先輩とは言え、どん臭い上級生二人組はそれ程戦力として期待していなかった。

 小川紗枝子の家に近付くにつれて、『敵』の存在は濃厚になって来た。

 相手はずっと自分を追って来ている。

 どこかで自分を観察し続けている。

 何者なのかは分からなかったし決め付けるつもりもなかったが、何となく見当はついていた。

 この向伏に根を張って隠れ住んでいる、ゾンビの群れの一体だ。

 たとえ一体でも、その強さと凶暴さは、身を以て知っている。

 但馬は顔を歪めて指先を齧る。

 彼の前歯の大半は、津衣菜にへし折られ、差し歯に替わっていた。

 鞄からボウガンではなく、弓道用の弓を出して矢をつがえ、四方を警戒する。

 住宅街でそんな事をやっているのを人に見られれば、彼自身が不審者と見なされるだろう。

 長くは出来ない。すぐに標的を見つけ出し、勝負を付ける必要があった。

「楽勝ですよ……随分近い……!」

 ゾンビだとして、何故こんな所で自分を待ち伏せているのか。

 この家の生意気な上級生の女――人の趣味に口出しした罰として、罪を被ってもらった間抜け――に、ゾンビ共が何か関係あるのかもしれない。

 それを捕まえて聞き出しても良いだろう。解体する前に。

 そんな事を考えながら、但馬は神経をますます尖らせる。

 気配だけは強く感じるのに、どこを向いても敵の姿は一向に視界に入らなかった。

 道路の角、建物の陰、樹木の奥、どこにも写らない。

 それだけ見回している彼が、一度も見ていない場所が一ヶ所だけあった。

 それに気付いた彼が、その場所――頭上の電柱を見上げた時、雪子は彼めがけて落下していた。

 顔の縫い糸を全て外し、顔いっぱいに広げた顎で。

 素早く彼は頭上へ矢を放つ。

 矢は雪子を掠め、彼女の顎を但馬は右腕でガードした。

 右腕に喰らい付いた雪子を、但馬はくぐもった声を上げながらも一気に振り払う。

 軽々と吹き飛ばされた雪子だが、次の瞬間、横一直線に跳躍する。

 再び彼に飛びかかり、その肩に喰らい付こうとした。

 紙一重でかわし、但馬は拳で雪子を殴りつける。

 また飛ばされるも、諦める事なく但馬に向かっていく。




 どの様な経緯で雪子の身体が運び出されたのか。

 そもそも、いつ誰が彼女の死を確認し、どう対応したのかさえ彼女には知る由もなかった。

 だが、フロートとして目覚めた彼女は、人気のない倉庫の中に転がされ、神経質そうな30前後の男――非対象と欠損を愛でる変質者の玩具となっていた。

 それだけは事実だった。


「ああ、、雪子ちゃん、雪子ちゃん、君は完璧すぎた。僕はずっとこの日を待っていたんだよ。君はこれだけ歪な方がもっともっと可愛くて美しい」


 彼女にとって満足出来る事、快適な事は何一つない話だった。

 しかし、何にも増して我慢ならなかったのは、猫撫で声で喘ぎながら好きなだけ彼女を切り刻んだ男が不遜にも『早速、彼女に飽き始めていた事』だった。

 一週間もせず、無言で彼女を始末しようとした男に、報いは下された。

「がああああああああっぎゃああああああああああ! まままって痛いぎゃあああ」

 動かないと思っていた雪子に飛びかかられ、肩の肉を食いちぎられ、腕をぶらぶらさせながら逃げる男。

 血にまみれながら、雪子は這いずって男を追う。

 私を侮る事は許さない。

 私の魅力はこんなものに負けない。

 私はもっともっと綺麗になる。もっともっと可愛くなる。

 お前は何を叫んでいる。どこへ逃げようとしている。

 さあ、私を讃えろ。

 もっと、私に憧れろ。

 もっと、私に恋い焦がれろ。

 私をもっともっと求めろ。




 あなたの『右』も頂戴。


 但馬の右肩を捉えた雪子は、顎の力を強める。

 その歯はぎりぎりと彼の肉と骨に食い込んで行く。

「やめ……があ、ああああああっ……」

 彼の血は彼女の歯と唇に、裂けた頬に染みて行く。

「――腹壊すよ? こんなもん食ったら」

 その一言と同時に、但馬の身体は道路の端まで蹴り飛ばされていた。

 雪子が顔を上げると、その視線の先に津衣菜が彼女を見下ろしている。

 雪子は咎める目で、自分の口元と但馬、そして津衣菜の足を指差す。

「『私の歯まで吹き飛ばすつもりか』って? そうならない様に注意しないとね、あんた自身が」

 雪子の視線を受け止めて、津衣菜は軽い調子で答えた。

「ところで、聞きたいんだけど、一体どういう手品だった訳? あんたの言った通りにしたら、あいつらが私にふらふらついて来た挙句、思い切りビビって逃げたんだけど」

 津衣菜の問いに雪子は左肩をすくめ、小首を傾げて見せるだけだった。



「あれええ、森さあん、まーた来たんですかぁ?」


 調子っぱずれの声が辺りに響き、津衣菜と雪子が声の元へ身体ごとずらして視線を向ける。

 間違いなく、紗枝子の家の玄関から開いた音は一度もしなかった。

 紗枝子は、勝手口、あるいは窓から、外へ出て来たのだ。

 パジャマ姿で裸足のままの彼女は、肩をゆらゆら揺らしながら津衣菜達に笑いかけている。

 その目はどこを見ているのか分からない位に、焦点が外れていた。

「私も連れて行ってくれるんですねえ、どこにぃ…………どこにどこにどこにぃ……どこにどこにどこにどこに あああああああくぁあああ嫌だ嫌だ嫌だもう嫌ああああああああ!」

 笑いながら津衣菜に話しかけていた彼女は、突然豹変し目を見開いて叫び出した。

「来るなああああ嘘だ、ないないないあっちへあっちへ行け、行け行け」

 叫ぶのも辞めると、ぶつぶつ呟き始めて一人で身体を揺らしながら歩き始める。

 意識しているのかどうかは分からないが、先日と同じ橋の辺りへ行こうとしているらしかった。

 津衣菜は雪子に視線を交わす。

 雪子は無言で頷き、津衣菜も頷き返すと、ふらふら歩く紗枝子の後ろについた。

 そして彼女の背後から低い声で囁きかけた。

「そうだね。迎えに来たけど、一緒に行くでしょう?」

「ああああああああああああ!」

 紗枝子は目を大きく見開き、口の端から泡を飛ばして叫ぶとその場に崩折れる。

「あなた、生きたいのか死にたいのかはっきりしないから、死者に囲まれるのよ」

 冷めた声で津衣菜は、紗枝子を見下ろして言った。


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