105日目
イラスト:ごま子様
105日目
「じゃあ、、冬の間はそのままここで冬眠……だったんですか」
「は……い……」
津衣菜の質問に答えたのは、20歳前後の若い女性のフロート。
少し癖のあるショートヘアーで、身なりは結構整っている。
発声に馴染まないのか、少々どもり気味でもあった。
斜面に建てられた廃墟のホテル。屋上からの見晴らしは最高だった。
「7人で80部屋……だから……一人一部屋で、頻繁に入れ替えも……出来るんですよ」
県西に広がった山脈地帯の奥、県境近くのホテルに周辺からのフロートが集まっている。
そんな情報を元に、今度は単身で送られた津衣菜だった。
前回の地獄絵図は何だったのかと思う位、『彼ら』との接触と対話は平和裏に進んでいた。
「食事の必要は……ないし、水は元々地下水を……使っていたらしく、生活面で……問題は感じなかったんですけど……何せ、娯楽が少ないんです」
「ネットも……テレビもダメと」
「はい……モニターとデッキは何とか揃えた……んですが、BDとか……見ようとしても、今度は……電気を引くのに失敗して」
そこにいたフロートは総勢7名。彼女が最年長者で、あとは18~10歳のかなり若いグループだった。
10月頃フロート化した彼女がこのホテルに流れ着き、その後は時々近くの町や村に足を運んで、『仲間』を見つけては声をかけ、一人ずつここへ連れて来たという。
やがて、ホテル周りも雪に閉ざされ、動けないまま眠りに就き、今月に入ってようやく目覚め始めたらしい。
「約束は出来ないけど、私達はこういうのまで持たされています。何か、お役に立てる事もあるかもしれません」
津衣菜がスマホを見せると、彼女も彼女の後ろの少年少女達も驚いていた。
「どうしてこんな事に……なったのか……これからどうすればいいのか。私達……も毎日……話し合っているんです」
下の階でメンバーの使っている部屋を回り、在室中だった者とも顔合わせする。
冬眠明けに連れて来たという、12歳の子の顔色がかなり土気を帯びていた。
最近も殆ど動かず、ぐったりしているらしい。
「はい。これを使ってみて下さい。話すと長くなりますが……フロートの腐敗と発現を抑える薬です。こういう薬品類がこちらにも供給出来るよう、話してみます」
「フロ……ォト……」
彼女達は、『フロート』という呼び名を知らなかった。
「こうなる前……私は病院にいた……んですが、怖くなって……逃げて来ました……映画なんかでも、私達……みたいなのは、こういう時……隔離されて……まとめて焼却されたり、解剖……されたりするじゃないですか」
「まあ、あまり外れてなかったと思います……残念ですが」
「せっかく体も動くし、言葉も喋れるのに……途中のままになっている人生を……続けられないものですか……国が知っているのなら……そういうの表に出して……きちんとガイドライン……みたいなの出して……くれればいいのにと……思うんです……」
最終日の朝、津衣菜を迎えに来た高地は、段ボール箱に入った各種薬剤と契約済みのスマホを一台、そして近くの電柱から電気を引く為の工具一式を、車に積んでいた。
「まあ、十分とは言えねえけど、挨拶代わりだから。それに、何があるか分かんねえから、最低限、こっちと連絡も取れる様に」
「その……『フロート狩り』とかいうの……ですか?」
リーダーの女性の問いに、高地は無言で頷く。
駐車場に集まった彼らの振る手に見送られ、車はホテルを後にする。
リーダーの女性は、見えなくなるまで深く頭を下げていた。
「途中のままの人生、か……」
車中で小一時間黙っていた津衣菜が、急に呟いた。
運転席の高地の「ああ?」と聞き返す声には無視を決め込んでいたが、しばらく経って再び唐突に尋ねる
「そう言えばさ、訴訟の話、どうなってるの?」
「ふん、お前でも気になんのかよ。まあ……厳しいな。かなり」
「厳しいって、また、証人への圧力とかで?」
「それもだけどよ、原告生徒を一人ずつ潰そうとする動きがよ……学校で、一日中正座させられてる奴とかいるぜ。皆が椅子に座って授業受けてる横でな」
学校側による彼らへの嫌がらせは、津衣菜でさえ想像出来なかったレベルのものだった。
『自分の学校をデマを使って貶めようとする、肥大した自己顕示欲の歪みを、本人の為にも矯正する』
担任はクラスメート達や父兄にそう説明しているらしい。
正座させられている男子生徒の横の壁には、『謙譲の精神』『調和』『団結と協調』『誠実な言葉』と言った標語の他、『日本人らしくない精神の持ち主は隣の国に帰れ』『心が汚れている者は血も籍も汚れている』など、社会的にもアウトそうな文言も張り出されているという。
彼以外の原告生徒はそこまでの目には遭っていないが、やはり激しい嫌がらせを教員からも生徒からも、匿名の何者かからも受けているらしい。
特に小川紗枝子は、『動物殺し』の濡れ衣をまだ着せられたままだったので、そこを攻撃材料にされる事も少なくないという。
「さすがにこういう話は少しずつ外へ漏れ出て……だから俺も知ってるんだけどよ、ネットじゃそれなりに炎上もしたさ」
高地は話しながら、スタンドに立てたタブレットを操作する。
画面上に、『向伏西高の生徒訴訟』に関する検索結果が並んだ。
「だけど……『こういう事があると騒ぐ特定の奴ら』がいつも通り騒いでるだけって所から、一歩も出やしねえ。学校のコンプライアンスつったって、それを評価下す奴がいなきゃ、そんなものねえのと一緒だ」
もう世論とか、社会的な非難とやらには何も期待出来ねえ。判決に向けて力を全振りしなきゃって段階なんだよな。
そう言って高地は険しい表情のまま黙り込む。
彼ら――訴訟を起こした生徒達――は、実際にはその通りにしていない様だ。
フロントガラスから、前方の頭上に『向伏市入口』の表示板が見えた。
ハンドルを切りながら、高地が再び口を開く。
「でも、あいつらはめげてねえし、自分が負けてるなんて、これっぽっちも思ってねえ……それが救いって言や救いだな」
再び彼が数回画面をタップすると、訴訟についての話題をまとめたらしいブログが現れる。
特に注目度の高いコメントは赤くトップに並び、その一番上に表示されたコメントはこんな一文だった。
『学校に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら口をつぐんで孤独に過ごせ。それも嫌なら学校を退めろ』
津衣菜も見覚えがある、有名なアニメの台詞をアレンジしたものだ。
高地は鼻で笑う。
「きっちり自分を変えて、ああやって戦ってるじゃねえか。不満を前に自分を変えられなかった奴はどっちだったのか、はっきり見えるコメントだぜ」
車は山を抜け、津衣菜の見慣れた風景が窓の外に流れていた。
「ほらよ」
高地がふいに言って、窓を指差す。
彼の指した方向、国道沿いのショッピングセンター向かいで、私服姿の少年少女達が並んでいた。
その中には紗枝子の姿もあった。
微かに車内に入って来る声と、立てかけたプラカードで、彼らがどうやら西高の告発を訴え、署名を集めているらしいのが分かった。
「あんなの、意味ないでしょ」
「そうだ。何もならねえな」
彼らに対する通行人――周辺住民の目は、車から見ても分かる程に冷たい。
「あれと比べりゃ、人生まで辞めちまったおめえの方が余程『現実的』かもしれねえな……死体のまま復活しなかったらだけどな、カカッ」
「変な皮肉であてこするけど、じゃあ、私に何しろって言うんだ?」
「あ? 死者が生者の世界で出来る事なんて、何もねえよ」
再び高地は鼻で笑う――津衣菜に向けて。
「おめーは逃げたんだ。逃げた事からは逃げんな。今まで、何度もそう言ってんだろ」
「逃げてない」
「じゃあ、家族や学校の奴らの前に行って、自分は自殺してゾンビになりましたって、報告出来るのかよ? その後、対策部から逃げるのはありで――それでも、出来ねえんだろう?」
「…………」
沈黙する津衣菜に、高地は畳みかける様に言った。
「そんな奴に番犬面されたって、花紀もいい迷惑だろうよ」
「何で……そこで花紀が出て来るんだ」
「お前があいつに逃げようとしてるからだ。傍目に気付かねえと思ってんのか?」
「お疲れさん。うまく行って何よりだねえ」
駅前にある建築中のビルの屋上。
いつになく機嫌よさげな声で、遥は津衣菜を労った。
「さっきも送ったと思うけど、若い子だけの少人数のグループだ。今はうまくやってるっぽいけど、色々と不安定だから、十分なサポートが要ると思う」
「うん、そこは任せといてよ」
「で……彼らにはどんな代償を求めるんだ?」
津衣菜の問いに、遥が頷く。
「取りあえずは、人集めをもっと頑張ってほしいかな。せっかくいいホテルに住んでるんだし、活用しない手はない」
「フロートが増えたら、隠れにくくなるだろ。あそこは観光客にも知られている廃墟だぞ」
「その為の対策は面倒見るさ。それに……前も言ったろ。もうすぐ、隠れる必要はなくなる」
「――完全な『フロートホテル』にするって訳か」
「ああ、それいいっすねえ。あそこツーリングスポットだし……もうバイク乗れねえけど、いい所っすよ」
後ろから曽根木が口を挟み、彼と一緒にいた少年達の一人が相槌を打つ。
「いいっしょ。山脈地域の拠点であると同時にホテル。隣県への中継にも出来る」
胸を張ってそう言った後、遥は何か思い出した様な顔で津衣菜を見た。
「そうそう。津衣菜にも、忘れんうちに言っておかなきゃね」
「何を?」
遥はすぐには答えず、含む様な表情を浮かべる。
「――対策部が、フロートの生前の家族について情報を集めている。たとえ『絶対に向こうに言わない』って言われても教えない様にして」
「協力しないのか?」
「これ……ダメな方のやつだから」
「海老名ラインって事だよ。酔座には速攻で連絡を回した。僕らよりも、彼らにとって厳しい事になりそうだからね」
怪訝な顔のままの津衣菜へ、曽根木が説明する。
「ジュンタ……親にはまだ連絡取ってないんだってな」
「でも、美玖さんが間に立ってるって言うし……そっちがやべえんじゃねえ?」
少年達はぼそぼそと、かつて仲間だった酔座の『彼ら』について言葉を交わしている。
「こうなると、完全に生前と訣別するってのも、割と正しい選択肢だったのかもしれないねえ」
「対策部みたいな所じゃ、身元を調べる必要もあるんだろうけど……何で今更なんだ」
「今だからだよ。フロートの存在が表に出た後の、未来図の準備が始まったのさ。死者が生者に利用される時代のね」
津衣菜が戸塚山へ戻って来たのは、夜もかなり遅くだった。
「ついにゃー、おかー」
「お帰りなさい、津衣菜さん」
「帰る」
「……ちっ、無事だったかよ」
境内へ姿を見せた津衣菜へ、その場にいた少女達がめいめいに声をかける。
「……?」
しかし、最初に彼女達を見渡した時点で、何かがおかしいと感じた。
二三度、境内内に視線を往復させるが、違和感の正体は分からずじまいだ。
がたんっ。
社から聞こえた物音に、津衣菜は目を向ける。
入口の階段で、雪子がつまづいて転んだのだ。
違和感はそこから出ている様にも思えたが、それの何がおかしいのか、まだ分からない。
雪子はもぞもぞと起き上がると、片手と片足を使ってずるずると階段を這い上がって行く。
ようやく分かった。
誰一人、階段を上ろうとしている雪子を助けようとしないのだ。
さっきから、雪子は誰の助けもなく地面を這って、社に向かっていた。
よく見れば、彼女の着ている白黒のロリータファッションも、着付けがどこかおかしい。
津衣菜の視線に気付いて、花紀が困惑の表情を浮かべる。
そして、こんな時、いつも雪子を助けていたのは――――
千尋は境内の端の石に腰を下ろし、こちらに背を向けていた。
がたんっ。
再び賽銭箱の横で雪子が倒れた。
花紀と日香里が、不安げに彼女へ駆け寄る。全員で彼女を無視している訳ではない様だった。
起き上がろうとする雪子に二人が手を差し出すが、彼女は二人を睨みながら片手を振って拒むと、再び自分で社の中へと這って行く。
津衣菜は千尋の方へと歩いて行った。
「何すか、先輩」
真後ろに立つと、彼女は背中を向けたまま尋ねて来る。
「どうしたの。雪子と何かあったの?」
「何でですか? 僕が雪子の面倒見てなかったらおかしいんすか?」
「いや、おかしいって言うか……」
「知らないっすよ。雪子の事をいちいち僕に聞かないでください」




