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フローティア  作者: ゆらぎからす
6.光の子
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92日目

 92日目



『まだ雪が残ってますねえ……私達は今、桃園山に来ています。今回の“むかぶし不思議探訪”は、この向伏にチュパカブラがいると言う噂を検証します』


 社の壁に立てかけたタブレット。花紀は床いっぱいに広げたカーペットの上で、寝転んでテレビを見ている。


『それでは、実際にチュパカブラを見たという、チュパカブラ研究家の石村さん』

『はい。一般にアメリカ出身という事で、チュパカブラは寒さに苦手なイメージがありますが、こんな風にねえ、雪が積もっている所は要注意なんですよ』

『ええ、石村さんは以前、雪の中から飛び出すチュパカブラを見たとか』

『そうです。あの出来事が私の研究の契機となりました。前職を辞めたばかりだった私は、この向伏にチュパカブラを追おうと一念発起したんです』


「うんうん」

「何頷いてるの……“アレ”はあんたでしょ」

 画面の中の不快な顔を見て、津衣菜は番組に集中している花紀へ声をかける。

「アーマゲのキャンペーンって、終わったんだっけか」

「うん。全国で25チームが入賞して、向伏の入賞チームはなしだって」

 先日の失態から、石村はアーマゲドンクラブ向伏支部長を解任され、そのまま組織からも、フロート狩りの界隈からも姿を消していた。

 だが、それから程なく、彼は『チュパカブラ研究家』として再出発した。地元のテレビ番組やネット番組なんかに、よく出演しているらしい。

 未確認生物からオカルトスポットまで。チュバカブラだのクリフッドだのもよく取り上げるこの『むかぶし不思議探訪』は、言うまでもなく花紀のお気に入りだった。

 そんな番組なら『動く死体の噂』も取り上げそうだが、これだけは取り上げないらしい。その題材も扱おうとしていた初代のディレクターが痴漢で捕まってからは。

 信じ難い事に、この前、花紀は石村とSNS上で『フレンド登録』したという。

 勿論、向こうは相手がフロートだなんて知らない。よく(熱く)チュパカブラについて語る、熱心な同好の士だとしか思っていないだろう。

「まあ、こっちに迷惑かけない趣味に移るのは、何よりだけどさ……」

「ちがうよぅいしむー、飛びながら鳴くんじゃなく、一度鳴いてからジャンプするんだって……むう、まだ議論を重ねなくちゃならないのだね」

 どこか釈然としない風に津衣菜は呟くが、花紀は番組に集中し切って、画面の向こうの石村に何か文句を言っている。

 アーマゲドンクラブでは、後任の支部長として東京から人が送られて来たらしく、大きな組織再編も行なわれたという情報もある。

 主催のごたごたで、キャンペーン中に活躍の機会もなかったフロート狩りの連中は、あれから盛り下がりっ放しだという。

 気温が上がったというのもあり、フロートの少女達は拠点の戸塚山に戻って来ていた。

「こうしてると、何だか家に帰って来たって感じっすね……そういうのも変かもしれないっすけど」

「変だけどな……そうだな」

 壁を背に座っていた千尋が笑顔で言うと、鏡子と美也も頷く。

 花紀の隣でテレビを見ている雪子と梨乃も、無言だったが寛いでいる様だった。


 ばんっ!


 訪れる者のない神社の中のまったりした空気は、扉を開け放つ音で破られた。

「仕事がないからっていつまでごろごろしてるんですかっ! 怠惰は重罪です!」

 両手を広げたまま声を張り上げた日香里に、全員の視線が集まる。

「じゅ、重罪なんすかっ!」

「そりゃあ……七つの大罪に入ってる位だから、あながち間違ってねえけどさ……」

「ふふ、分かってるじゃありませんか、鏡子さん。そうとなれば、さあ立ちなさい。これからまたお世話になる、この神の家を皆でお浄めするのです」

「ひーちゃん……ここの神様、ひーちゃんのと違う神様だよ……そんなに力入れる事ないんじゃ……ないか……なあ」

「関係ありません。お世話になるのに変わりはないですから」

 日香里は、素直に退出し始めていた他の班員ではなく、今なお寝転がった姿勢をキープし続けている花紀へずかずかと歩いて行った。

 そのまま彼女の両手を持って、カーペットから引き剥がそうと試みる。

「さあ、班長が率先し、皆に模範を示して下さい」

「ひーちゃん、花紀おねーさんはね、言わばみんなの癒しなの。みんなが和やかに過ごせる様に、花紀おねーさんは休む模範を示すんだよ」

 カーペットにしがみついたまま、意味不明な釈明を繰り出す花紀だったが、日香里はにっこり笑いながら彼女に向かい合い、その両肩にポンと手を置いて言った。

「大丈夫です。班長が頑張っている姿も、きっとみんなを幸せにしますから」

 そして、まくれ上がったカーペットごと、彼女を外へと引きずって行った。


「そうは言っても、私達だけで私達の使う場所全部を浄めるのは、確かに大変です。なので、今日は前もって応援の皆さんを呼んであります」

 境内に横一列に整列させられた少女達。

 その右横に元気良く返事するもみじとぽぷらの二人が、更にその隣にはぶすくれた稲荷神社組の子供達が、一番端には遥が並んでいた。

「巡回してただけなのに……巻き込まれたよ」

 ぶつぶつと愚痴っている遥に、累が下から囁く。

「すき見ていっせいにばっくれようぜ。らくしょうだ、あのねえちゃんどんくさい方だから。おれらとはるねきなら……」

「――私がどんなでも、神が(あまね)く全てを見ていますよ? いくら累くんでも、神の目は眩ませません」

 いつの間にか累の目の前に立って告げた日香里に、彼も屈服する他なかった。

「何だいまのはやさは……いつものねえちゃんじゃねえ」

「うう……もう、ひーちゃんが班長でいいよう……」

 列の左端でも、いじけた花紀が負の空気を放っている。

「誰も見てない時は誰も見てないって。訳分かんない事言わないでくれる? 大体、痕跡残さないのが大事なのに、余計な掃除するとか馬鹿でしょ?」

 列の中央からの声に、日香里はゆっくりと振り返る。

「神様が何で、あんたのお掃除なんかいちいちチェックしてるの。神様ってのは、そんなにヒマなのか」

 津衣菜が生温かい視線を日香里へ向けながら、続けて挑発した。

「つ……ついにゃー……今のひーちゃんにそれは危険……」

 日香里は踵を返し、笑顔で津衣菜へ歩み寄る。その目は笑っていない。

「ふふふ……津衣菜さん……運命を決する時が来ましたね……今日こそ、あなたの穢れた魂を浄化する! 塵は塵に! 灰は灰に!」

「ひーちゃん何する気!?」

「フロートにとってかなり縁起悪そうなフレーズ使いやがった……自殺女だから別にいいけど」

「冗談はさておき」

「冗談かよ!」

 鏡子のツッコミをよそに、日香里は津衣菜の正面に立つと睨みつけながら言った。

「津衣菜さん、その何につけ不遜な態度、いい加減悔い改めたらどうです?」

 薄笑いを浮かべて応じる津衣菜。こちらも目は笑っていない。

「都合悪い事を指摘するのが不遜なのか。この世界から謙虚さの価値がなくなりそうだね」

「ぐぐっ……」

 掃除の準備もそっちのけで睨み合う二人。

 これで作業の開始は、日香里の予定していたよりも大幅に遅れてしまった。



「相変わらず仲悪いな、あんたら」

 遥が苦笑混じりで言う。

 津衣菜と遥は、山の中にこっそり伸ばした電気ケーブルの点検をしていた。

「とても、一緒に死地を潜って来たとは思えない仲の悪さだよ」

「今は平和だろ」

「だからケンカするのかい」

「……」

「まあ、本当を言えば、同じ仲悪いんでも前とは違うね」

 津衣菜は地面のケーブルから遥に視線を移す。

「特に……あの子が変わったのか」

「遥」

「何だい」

「日香里を助けたって時の事だけど……あんたら、対策部の施設を襲ったのか」

「まあね」

 日香里から聞いた話。

 状況を聞く限り、遥たちは日香里の収容されていた施設を襲っている。

 日香里は確かに言っていた。部屋に入って来た遥は、人間の手首を持っていた。それを使って指紋認証を解除したのだと。

 津衣菜の問いに、遥はいつもの調子であっさりと答える。

「向伏のコミュニティーでそんな事もやっていたのか」

「いいや。ちょっと違う。話せば長くなるけど……つまりは各地代表みたいな感じだったかな」

「え? だって、他の地区と交流はまだないって」

「ないさ。だから、ここじゃない。私の個人的に知っている顔からって事さ――だから、お構いなしだった。中にいた奴らを生かそうが殺そうがね」

「個人的に知っている……そんなのがあるのか」

「数年、日本中を彷徨ってたからね」

「私らを外の調査に行かせるのも、そういう奴らと向伏を繋げる為って事か」

「まあ、それもあるね」

「日本中のフロートをそうやって、取捨選択しながら繋げるつもりか」

「……」

「何の為に?」

 遥は答えない。動揺している様子は見られなかった。

 わざと黙って、津衣菜を観察している風でもある。

「あんたは、フロートの国でも作るつもりか」

「そうだと言ったら?」

 唇を薄く開いて、遥は微笑った。彼女の纏う気配が一変する。

 津衣菜は彼女に初めて会った時と同じ位、顔を強張らせていた。

「前に言った事は覚えてるかい? シンクの事だよ」

「な……何だ、あの自覚なくても集団で死にたがってるとかいう、あれか」

 津衣菜の問いに遥は頷く。彼女にしては珍しく、その双眸に暗く紅い光が宿り始めていた。

「この国の生者たちは、まもなく沈むよ……(フロート)を遠ざけようとして、死に沈む(シンク)んだ。私らはそれに巻き込まれることなく、浮上する。それだけの話さ」


 電源の場所からケーブルを辿って、津衣菜達は神社まで戻って来ていた。

 日香里は変わらず、てきぱきと清掃を進めている。

「いいのか? 喧嘩売る為だけで言ったんじゃない。余計な掃除なんかしたら、ここに誰かいますって言ってる様なもんじゃないか」

「別にいいさ。それを怪しむ人間すら来ない。それに……多分、気付かれる前に、隠れる必要がなくなる」

「隠れる必要がなくなる?」

「そうさ。フロートの情報は一般に公開される。そして、それが全ての始まりとなる」

「とんでもない事、さらっと言うの止めてほしい……」

「さらっと受け止めりゃいいだろ。そんな事より、ほら」

 遥は手で日香里たちの方を指す。

 車椅子の上からごみばさみで一個一個ごみを拾い上げている雪子と、ほうきをかけているもみじに、色々教えながら手伝っている日香里。

 三人とも真面目に掃除をしているが、楽しげに談笑していた。雪子に笑顔はないが、見慣れた者には機嫌が良いと分かる表情だった。

「私は前、あの子に言った事がある。“あんたは光の子なんかじゃない”って」

「知ってる」

「でもね、あれがきっと本来の“光の子”だったんじゃないかなって、今は思うよ。あの子は、本当の意味でここを選んだ時、ここでそのやり直しを始めたのかもしれないね」



 山と山の間の勾配の先に、島宇宙の様に浮かぶ向伏市街地の夜景。

 津衣菜と花紀は社の高欄に並んで座り、夜景と満天の星空とを眺めていた。

「あいつには……戻りたい場所があったんだ。最後の最後まで、私は考えもしなかったけど」

 苗海町にいたフロートと発現者達、そして『王』について、ぽつぽつと津衣菜は語る。

 彼らについて、花紀には聞いてほしかった。

 そして、花紀の話を聞きたかった。

「この人が、王様?」

 津衣菜の持って来ていた写真を見て、花紀が尋ねる。

「うん」

「あいつらは、死に場所を求めていたのかな……それとも、本気で、ああやって生き残ろうとしていたのかな」

「どうかなあ……私にも、分かんない」

「そうか。そうだよね」

「でも……その王様って人の気持ちは少し分かる気がする」

「え?」

 花紀のその言葉に、津衣菜は驚きの声を上げる。花紀が『王』について、そう言うのは予想外だった。

「私も帰りたい場所があるから……そしてね、帰りたかったら、絶対手放しちゃいけないものがあるんだよ」

「絶対に生者を襲って食べないって事か」

「少し違うよ。結果としてそんな形になるけど……そこに行く前のね、心の持ち方なの」

「あいつは、それを手放してしまってたの?」

「うん。だから分かる。分かるけど―――――私は絶対に手放したくない」

「花紀は大丈夫だよ」

 分かる様な分からない様な話だったが、本心からそう思った。

 この子は優先順位を間違えない。捨てる順番を間違えて、失った大事なものに『仕方がなかった』と言い訳しない。

 ギリギリの状況に置かれたなら、ギリギリまで最善の答えを選択し続ける。

 花紀が『王』と同じ道を辿るとは、津衣菜には到底思えなかった。

津衣菜(・・・)は?」

「私は自分から捨てちゃったから……」

 津衣菜は、苦笑を浮かべながらそう答えるが、花紀は悲しげな顔をする。

 戻れるか戻れないか以前に、戻る所がなかった。その状態で始まった自分は、どこまでも彷徨い続けるしかない。

 そう思っていたけど、今でも本当にそうだろうか。

 日香里の帰る場所は、教会ではなくここだった。

「だから……あのさ……花紀」

 津衣菜が言葉を続けると、花紀はきょとんとした顔でこちらを見る。

 どう言えばいいか分からなかったが、何を言うかは決まっていた。

 どこまでも空虚に悪意へ流されて行こうとした時、何が心を引き止めたのか、しっかりと覚えていたから。

「?」

「あんたが今の私の帰る場所……でも、いいかな?」

「ふえっ?」

 目を丸くして、花紀は津衣菜の顔を凝視している。

「私自身でも考えてたんだ。今の私には本当に何もないのかって……そして気付いたんだ。このフロートの世界で、私はあんたを中心に回っているって」

 津衣菜にとってこの時程、自分がフロートで良かったと思った事はなかった。

 生者だったなら、言いながら相当赤面していただろうから。

 だが、直後に花紀が一瞬浮かべた表情を、津衣菜は見逃さなかった。

 見逃せなかった。

 大きな間違いを否定する様でもあり、深く憐れむ様でもあり、悲しさと諦めの入り混じった暗い表情。

 やはり嫌だっただろうかと思ったが、次の瞬間にはいつもの花紀が照れ照れになりながらも、全力で嬉しそうな笑顔を見せているだけだった。

「え……えへへへへ……ようしっ! ついにゃーがそう言うなら、い、いつでも花紀おねーさんのもとへ帰って来なさいっ! えへへへ」

 照れまくりながらもニコニコ笑い、手を伸ばして津衣菜の頭を優しく撫でる。

 さっきの表情は何だったのかと思ったが、今の彼女も演技には見えなかった。

 そして何よりも、自分が彼女に受け入れられた事が、単純に嬉しくもあった。

「ありがとう……私も、手放さないよ。今度こそ……」



 それが、この死者の世界(フローティア)での私の存在理由。

 最重要事項。

 ただ一つの、『拠り所』だから。


これで、およそ「第2巻」分、終了です。

……それにしては長過ぎな気がしないでもないですが。

ここまでお付き合い頂いた皆様、ありがとうございます。


これで「シーズン1の折り返し地点」という感じです。

津衣菜は何かを見つけるどころか、思いっきり間違い始めています。

そのツケも後々払う事になります。


それでは、この先もお付き合いの程、是非宜しくお願い致します。

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