82日目(2)
キリスト教の教会では、カトリックでもプロテスタントでも、原則的に「ハロウィン」は祝いません。
元々、日香里の教会はキリスト教と明記してはいませんが、別の独自の宗教か、キリスト教だとしてもかなり原則の崩れた教会だという事になります。
まあ、フロート化した娘を、神の奇跡だとか言って歓迎する教会ですしおすし。
作者が勢いだけで書いて、後でその辺の事情知って、削るの勿体ないからって無理矢理こんな話して辻褄合わせてる訳ではありません笑
82日目(2)
「“光の子”は、私だけだったんです」
津衣菜と日香里は、二人並んで防波堤の縁に腰掛けていた。
彼女らの足の下では、幾重にも積み重なったテトラポットの隙間から、時折勢い良く海水が吹き出す。
津衣菜はタブレットのモニターで、古いブログ記事――三年ほど前の、『光の子集団死事件』について書かれているものに、目を通していた。
彼女の隣で、日香里は墨汁の様な海を遠く見ながら、ぽつぽつと話している。
「私の家……松根教会には、世俗での暮らしがうまく行かなかった人や、心に深い傷を負った人が十人位で集まり、牧師だった父の教えの下で一緒に生活していました」
いつからそうだったのかは、日香里も知らなかった。
彼女が幼い頃には、既にそんな感じだったと言う。
「もちろん、在宅の信徒さんもいましたし、礼拝に通って来る方もいました。クリスマスやハロウィンのミサで地元との交流もあって、学校でも『ああ、あそこの教会の子だね』と普通に扱ってもらえました」
ブログの記事と日香里の話とでは、内容に食い違いがあった。
松根教会の『牧師』の一家と信徒達は、外との接触が殆どなく、隔絶された中で過ごしていた。
ブログにはそう書かれている。
それぞれ違う時期の話だからだろうか。津衣菜はそう思った。
“何か”が起こる前、教会の様子は日香里の話した通りだった。そして、何かが起こってから、ブログに書かれている様子になったのではないかと。
「教会の“兄弟達”は、善良な人達でした。勤勉で、互いへの思いやりをいつも忘れない、信仰の篤い信徒さんで……教会の暮らしは、私にとっていつも、暖かい光が満ちあふれている様に見えました」
ブログには、付近の住民や通りがかった者が目撃した、『松根教会の信者達』についても書かれていた。
いつも数人で固まって、崖上の林を徘徊している。
見るからに皆、陰鬱で生気がない。
外の人間に気付いて彼らが向けて来た視線は、どんよりと濁っていて、虚ろだった。
『まるで、この世にいながらこの世にいない、死者の群れみたいだったという』
そんなおどろおどろしい表現で、彼らへの言及は締めくくられていた。
「父は“兄弟達”を教え導きながらも、この巡り合わせこそが私への神の恩寵だと、常に言っていました。私達は全員で、一つの家族の様でした」
前方の海面がうねり、その数秒後にテトラポットからは大量の海水が溢れ出す。
泡立つ音がくぐもりながら、暗い海岸中に響いた。
「でも――――お金は、いつもありませんでした」
津衣菜はモニターの上で滑る指を止めた。
慎ましく、貧しかった教会。
飢える事はなかったし、清潔にもしていたと言う。
だが、食べ盛りの子供でもお腹いっぱいになるまで食べられる事は滅多になく、どれだけ工夫して使っても、日用品や衣服はいつも不足しがちとなっていた。
「そして……病気になった時、病院できちんと診てもらう事も」
日香里のかかった病気は、普通なら1、2回手術して3ヶ月も入院すれば、大体完治するものだったらしい。
しかし、彼女は一月だけ入院した後、週一度の通院治療となった
松根教会の資金では、それだけさせるのが限界だったのだ。
必要な手術は、一度も受けられなかった。
「みんなが、私の為に食事を一日一度まで切り詰めてくれました……それでも、ダメだったんですね」
日香里の容体は日に日に悪化する。
遂には、病院へ通う事も不可能となった。
「何日も意識が朦朧としてて、父や母や兄弟達が何度も私の所へ来て、謝りながら泣いているのだけは分かったんです。そして、ああ、私は死ぬんだって……神の御許へ行く日が来たんだって」
怖くなかったし、悲しくもなかった。
だから、もう悲しまないで。
光の子にとって現世の死は終わりじゃない、それを教えてくれたのはお父さんだよ。
そう伝えようにも、声はもう出なかった。
やがて彼女は眠りにつき――――次に目覚めた時には、あれだけ全身を締め付けていた苦しさはなく、意識もはっきりとしていた。
ベッドの周りには何本もの蝋燭の炎と、その向こうに集まった教会の皆の顔。
彼らの表情は、一様に驚愕で強張っていた。
訳も分からず彼らを見回す日香里は、しばらく経って、自分が呼吸をしていない事に気付いた。
「その後は大騒ぎだったんです。父は強く私を抱きしめて、みんな凄く喜んでくれて……口々に『奇跡が起きた』『神は光の子を救いたもうた』って」
しばらく触れていなかったタブレットは、スリープモードに入っている。
真っ暗な液晶画面に写った日香里は、微笑を浮かべていた。
自分が一度死んで、フロートとして復活した瞬間。
それは、日香里にとっては、周囲から祝福された幸せな記憶となっている。
「フロートが……奇跡……?」
津衣菜が口の端を歪める。嘲っている様にも、不快さを堪え切れなくなっている様にも見える表情を浮かべていた。
「私も、一緒に喜んで……本気で信じていました。私は神に選ばれた。光の子だから、復活の奇跡と不死の命を与えられたんだって」
この奇跡を、より多くの人々へと広めるべきだ。
日香里の父、松根牧師はそう言った。
これはきっと、聖なる予兆、新しい時代の徴だよ。
神は選びたもうた光の子らを、お前の様な形で救われて行くのだろう。
そうだ。御子が3日目に示した奇跡が、再び為されるのだ。
「それから、毎日の様に礼拝が開かれ、私は父と共にずっと壇上で語り続ける様になりました。信仰と神の愛さえあれば、もう心臓の鼓動も血も呼吸もいらない。光の子には地上で、新たな完全なる命が与えられる。いよいよ神の王国は近付いて来たのだと」
教会に足を運び礼拝を聞く者、そして新たに共同生活に加わる者が、倍以上に増えた。
“光の子”となって、死から復活するには、不死の生命を得られるにはどうすれば良いのか。
強い信仰があれば、光の子に選ばれるのか。
牧師の教えも、信徒達の関心も、その一点へと集中して行った。
彼らの道標となり、祝福の只中にいた日香里には気付けなかった。
『光の子の奇跡』を更に求める、彼らの中で急激に膨らんで行った狂気に。
「食べる事にも、身なりを整える事にも、菜園の作物にも、皆は関心を向けなくなりました。身体が弱って、あるいは病気で倒れる人が出ても、床に転がされたまま。そうですよね。彼らは死んでもすぐに復活するのですから、光の子ならば……そして……最初に一人息絶えました」
光の子なら復活する。そう考えた彼らは死体を礼拝堂の片隅に横たえ、放置した。
「次に、互いの信仰を試し、神に見せようと言って、ボロボロの身体で殴り合う人が出ました。刃物で傷つけ合う人が出ました。父は、神に代わって立ち合うと言いながら、止めもせずにそれを煽ってさえいました。母が死んだ時も、さあ、神よ我らを救いたまえと言いながら、無造作に死体の山へと投げ込んだだけでした」
殺し合う体力さえ残っていなかった、松根神父を含む生き残り数人は、次々と自殺して行った。
「こんなのは間違っている。私が気付いて声を上げたのは、その時になってでした。神が自殺など許す筈がない。だけど、私の言葉さえ、もう誰一人聞いてはいなかった……」
お前一人だけ選ばれるなんて、そんなずるい事あってたまるか。
最後に残った日香里の“兄弟”――彼女が幼い頃から可愛がってくれた、トマト栽培の得意だったおじさん――がそう言って息絶えて、教会の中に生きている人間は一人もいなくなった。
誰一人、その後に復活はしませんでした。
“光の子”は、私だけだったんです。
「日香里の言う通りだよ。警察の調査でも松根教会にいた人間は、全員死亡している事が確認されている。仮に松根教会にフロートがいたとしても、当時の人達とは全く関係ないだろうね」
電話の向こうで遥が答えた。
「全員……?」
津衣菜はその言葉に、引っかかりを覚えた。
「いや、それはおかしいだろう」
「何がだい」
「日香里は、『松根牧師の娘』は、警察でどういう扱いになっているんだ。見つからなければ、行方不明って事になっている筈じゃない?」
「『死亡』だよ」
事もなさげに返って来た遥の回答に、津衣菜は顔をしかめる。
「聞いてない? 日香里は、教会の中で地元の警察に発見され、署に連れて行かれたのさ」
警察に日香里が連れて行かれた? そして『死亡』扱い?
「フロートには良くある事だよ。フロートを警察が捕まえたら、次には何が起きるんだい?」
混乱している津衣菜に、半ば呆れ声で遥が助け船を出す。
「対策部……」
「そう。日香里が拘留された翌朝、『内閣府政策統括官 第32部局』所属を名乗る男が苗海町警察署を訪れた。その後、日香里は死亡者にカウントされ、一切の情報がなくなったという事さ」
「日香里は、対策部に捕まっていたのか……?」
さっきの話でも、そんな事は聞いていなかった。
「あの子から聞いていないなら、私もこれ以上は喋らないよ。そろそろ本題に戻ろうか……その、苗海町の人食い熊だか、鮫だかゾンビだかだけど」
津衣菜も気分を切り替えて、今まで集めた情報を思い出す。
「発現者……だよな?」
「多分ね。それも、被害状況から見て、末期だね」
「目撃者は一人しか残っていない……ゾンビの群れに襲われたって言ってるけど、信じてもらえないらしい」
「ご愁傷様だ」
「あのさ」
「何だい」
「そいつの言ってる通りで発現者だったとして、発現者が群れで動くなんて有り得るのか?」
「良い所に気付くね。やっぱり津衣菜に行ってもらって正解だったよ。答えは、ノーだ」
津衣菜の質問に遥は即答し、言葉を続ける。
「あんたも、2回か、末期の発現者見ているんだから分かるだろう。彼らに集団行動は無理だ。仮に同程度の発現者同士が遭遇したら、ほぼ100%殺し合う」
「じゃあ、これは……」
「発現者だけで群れている場合は、さ。私は最初に何て言ったか覚えているかい? 発現者の群れがいるなんて話をしたっけか?」
津衣菜は、遥の言葉を思い出して反復する。
「集団生活しているフロートがいるらしいって……」
「そうだよ。発現者は、私らと別の生き物なんかじゃない。状態変化しただけで、れっきとしたフロートなんだ。元はフロートとして生活していた可能性が高い」
そこで少し間を置いて、再び遥の声がスマホを震わせた。
「……そして、まだ理性を持っているフロートもいる可能性も高い」
「そいつらと一緒にいるって事か」
「ああ。ここまで言えば分かるかもしれないけど、覚悟しといて――その町の理性を持ったフロート達は、意図して発現者達に人間を食わせている可能性が、最高に高い」
「何だって……」
「私らとは思惑も価値観も根底から違うって事だ。こうなったら、私も取引の可能性は諦める」
「――はるさん」
横から、日香里が声をかけた。津衣菜はスマホを彼女へ渡す。
「岩壁上の廃墟で、現状、フロートの集団生活に適している状態のものを、ピックアップしました。報告させて下さい」
「うん、頼むよ」
いつの間に、彼女がそんな事を調べていたのか、津衣菜は知らなかった。
日香里はすらすらと、保存状況や大きさで候補地を列挙して行く。ファーストフード店の中で聞いた『西沢医院跡』も、そして『松根教会』も、その中に挙げられていた。
「明日から、すぐさま調査に入れます」
「うん。今言った通りの状況だ……無理はすんなよ」
「はい。別に私達は、人食いフロートがいても退治する必要はない。そうですね?」
「あんたの場合、それだけじゃないよ。そいつらがもし松根教会で人肉食い漁ってても、放っとけって言ってるんだ……出来るか?」
「大丈夫……です」
日香里も一瞬言葉を詰まらせたが、落ち付いた声でそう答えていた。
「私は……“光の子”じゃなかったんですから」
津衣菜は、ぼんやりと見ていたテトラポットを、目を見開いて凝視する。
日香里の一言は、夕方聞いた時の様な、教会の最期を語った時の様な、寂しげな声だった。
「…………津衣菜に代わって」
前を向いたまま、津衣菜が日香里から差し出されたスマホを受け取ると、遥は彼女へ言った。
「日香里も、頼むね」
「……うん」
「二回目だけど、本当あんたに行かせてよかった。足りないものはないかい?」
「潮風が強いし、人前に出る事も多い。身体維持のサプリやキットがもっと要ると思う」
「分かった。誰かに持って行かせる……場合によっては、到着まで動くの待ってても良いけど」
「いや、調査は大丈夫だろう――じゃあ、また」
電話を切った津衣菜に、日香里が言う。
「そろそろ、移動しませんか……いくらこの辺でも、こう風が強いと、寒くなってきます」
「え、ああ……え?」
反射的に頷いた津衣菜だったが、次の瞬間、思わず彼女へと聞き返す。
――『寒い』?
「さっき、アイスティーじゃなくホットにしておけば良かったかも知れません」
そう言いながら立ち上がり、歩き始めた日香里の背中を、津衣菜は立ち上がりかけた姿勢のままで見つめていた。
copyright ゆらぎからすin 小説家になろう
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